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この感情の名前
窓際に置いていた少し古びた椅子に座わり、曇った窓から外を見た。住宅地が立ち並ぶ窓側だったので、行き交う人間の観察をしていたが、流石に何時間も観察をするのは飽きてしまう。
「勘ちゃん気付かないかなぁ…。」
ぼんやりとそんな言葉を呟きながら三時間目開始の鐘を聞いたのが最後だった。
どのくらい寝たのかは分からない。ただ、気付いた時には耳元で囁かれたのだ。
「翠。」
ただ名前を呼ばれただけなのに、異常に反応し、体をビクリと震わせながら椅子から立ち上がった。
「あ、………冴木くん…。ご、ごめんね、びっくり、しちゃって……。」
朝も本を借りに来ていた冴木くん。いいよ、と笑った彼は、でも傷付くなぁと笑ったまま続ける。
そういえば、何故彼がここにいるのだろう。ぞわりぞわりと嫌な感じが近づいてきて、一歩下がった。
「冴木くん、どうしたの…?どうしてここが、」
「どうしてって……翠が誘ったんじゃないか。」
何のことか分からない。小さく首を振るが、頬を釣り上げたまま話す。
「ずっと好きだったんだけど、あの二人が邪魔で近付けなかったんだよね。でも今日の朝、翠がおれの為に本を取っておいてくれたよね。それで気付いたんだ。おれたちは相思相愛なんだよ。だから翠もこんな人気のないところへ来たんだよね。分かってるよ。おれと二人っきりになりたかったんだよね。ふふ、翠はわがままだなぁ。放課後まで待てなかった?でもそんな所も含めて好きだよ。」
何のことを言っているのか分からなくなってきた。私が彼を好き?そんなことは考えたことが無い。まだ誰にも恋心すら感じたことがないのだ。今、私の心中で鬩ぎ合っているのは恐怖と狼狽。
今日の朝まで普通だった冴木くんが、どうして。
「大丈夫。ここなら誰にもバレないよ。鍵もおれの友達に外からかけて貰ったから。時間になるまで二人っきりだ。」
そうだ。きっと冴木くんは勘違いしてるからこんなこと言ってるんだよね。ああ、何だ。なら、ちゃんと弁解しないと冴木くんに悪い。あの、と声をかけると彼は笑顔でどうしたの、と聞いてくる。
「さ、冴木くん。あのね、私別に冴木くんが好きなわけじゃないの…。もし、勘違いさせたなら、ごめんな、さ……い、」
途端に顔から笑みが無くなり、目を細めた。なにそれ、と怒ったように声を震わせるのを聞いて、もう一歩下がる。
どうしよう、怒らせてしまった。
どうしよう、どうしよう、と考える度に一歩下がり、同時に彼も近付いて来る。狭い部屋である図書準備室の室の広さなど知れている。
背中に壁の冷たさが広がり、恐怖感がより一層広がる。
「そんなこと言っても良いの?」
ドクリと血液の流れる音が聞こえたような感覚に陥り、目が乾くほど見開いた。
彼はスマートフォンを私が見えるように裏返し、その画面を見せる。誰だか知らない男の子が、力なく倒れており、その横で数人の男性が笑って写っている一枚の写メ。
「おれ、人脈は広いんだ。」
人脈が広いから何?何でこの人は倒れてるのに周りの人は笑っているの?どうして冴木くんは笑ってるの?
「幼馴染みがどうなってもいいのか。」
「やめて!」
反射的に叫んだ声は部屋に小さく反響し、直ぐにまた静まりかえった。
「頭の良い翠なら分かるよね。僕と付き合ってくれる?」
「付き合うから…!二人には、なにも、しないで。」
掠れて小さな声になってしまったが、その答えに満足したのか頬を上げる彼に対して、私は唇を噛み締めた。
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