名も無き平和

授業開始から30分後に始まった、千歳の“個性”を把握するための1対2の戦闘訓練。
それが開始されてから50分後に全ての戦闘が終了した訳だったが――結果から言うと、切島と葉隠を除いた全員が全員、膝下を切断されて地面に転がる羽目になった。

仕込み杖で身体を切断されるのであれば、どんな状態であってもまず注意すべきはその攻撃の媒体である。
対峙している間は常に仕込み杖を視界に入れておけば、反応が遅れない限りは大丈夫だろうと全員が考えていた。武器持ちの相手と戦う際に最も重要な答えを、生徒達はしっかりと導き出していた。

だがしかし、先程と明確に違うのは”千歳自身も攻撃をしてきた”ことだった。
触れられることを敗北の条件と定めていた千歳は生徒たちからの攻撃を躱すことと、躱しきれないものは仕込み杖で防ぐという方法で、とにかく防御と回避のみの行動に専念していた。
それが彼らの頭に緩くともインプットされたのだろう。

何度か仕込み杖での攻撃を見せたところで隙が出来た際に、鳩尾に打撃を食らわせ膝から崩れさせる。
千歳としてはそうやって相手の動きを止めれば後は楽なもので、膝下を切断すればあっという間に二人を行動不能に。というのを繰り返した。
後の方にはその対策も生徒たちは練ったものの圧倒的な実戦経験が物を言い、足が無事だったのは切島と葉隠だけだったという結果が残る。


「やはりこれでは刃が通らないな…ところでお前たち、私の“個性”の把握は出来たか」
「っは、っは…せ、せんせ、ちょっと、待って…」


変わらず息の乱れていない千歳は鳩尾に打撃を受けグロッキーな状態で地面に転がっている上鳴を横目に、息も絶え絶えの切島も含めて他の生徒たちへそう問いかけた。
唯一無傷の彼は無事ではあるが、硬化がほとんど解ける程度には疲労困憊のようだった。

“嘘の災害や事故ルーム”USJで対峙したチンピラたちとは次元が違うプロヒーローとの戦闘を再度経験させられ、意気消沈している生徒も居たものの、グロッキー状態が改善されれば貴重な経験を逃す者かと、千歳との戦闘をじっくりと観察していた。
緑谷に至ってはうつ伏せに寝転がりながら、顎に手を当ててブツブツと呟きながら考え込んでいる。


「“個性”で切られた場所は皆一緒やね」
「うんうん。切れる場所は決まってるっぽい!私は先生から見て何となく気配で場所はわかっても正確な部位はわからないから切られてないんじゃないかな」
「前も思ったけど、全部脱ぐのは女の子としてどうなの葉隠さん…」
「そして恐らく“個性”が適用されるのは人体だけだ。黒影も障子の複製腕も切断されなかった」


麗日と話しつつ今やっと脱いでいた手袋とブーツを着ける葉隠に、呆れながら倫理的な問題を提議する尾白の横で、常闇が黒影の様子を確認しつつ障子の複製腕を見る。
障子の複製腕は勿論、本来の腕も一度も切り取られてはいない。
これに関しては複製腕と本来の腕が皮膜で繋がっているため、千歳の“個性”を使用するに当たって前提条件から逸れているのではないかという予想を立てていた。

こうやって対峙した相手の“個性”を把握することは、実際の戦闘で非常に重要になる。
時間をかけて相手を調べ上げた上で捕まえるようなことも勿論あるが、街中で突発的に戦闘になることがほとんどだ。
その際、非常に名のある犯罪者でもない限り、相手がどういった“個性”を使用するのかということは、相手が“個性”を発動させるまでわからないのが常である。
その為、戦いながら相手の“個性”をある程度予想・把握し、被害を最小限にする知識と技術がヒーローには求められるのだ。


「先生の武器が発動媒体で、それで切れない硬さなら勿論切れない…だから切島くんが無事な訳か」
「だね。それにしても強力な個性だ…切るのと元に戻すのは同じ“個性”なのかな…そもそも発動条件自体はまだわかっていないし…」
「あんなの初見殺しもいいとこだぜ」


飯田との会話で一旦独り言を止めた緑谷だが、疑問が多いのか再びブツブツと独り言を再開する。
その横でぼそりと峰田が呟いた頃、千歳がトントンと杖の先端で地面を叩いて自分へ生徒の視線を集中させた。


「ある程度理解は出来ているようだな。私の“個性”は【カット&ペースト】複数所持者だ。お前たちが経験したように条件を満たしていれば人体を出血・痛覚なく切り取ることが可能で、切ったものは自分の両手で持つことで元に戻せるというものだ」
「はーい、その発動条件って何なんスか?」
「良い質問だがこればかりは明かせないな。とりあえず元に戻しに回るから、質問があるならその時に言いなさい」


千歳の言葉を皮切りにまたしてもわいわいと生徒達は語り始める。
瀬呂の質問を避けながらまだ気持ち悪そうにしている上鳴の足を元の状態に戻して、次は地面に転がっている中で一番近い位置にあった白いブーツを履いた足を掴んだ。
千歳が手にした両脚を見て、先生、それ俺のだ。と声を上げた轟の元へと向かい足を戻してやる。


「先程氷を炎で溶かしていたが轟も複数持ちだろう。何故片方しか使わないんだ」
「…戦闘では使わないようにしてます」


戻った足の状態を確認していた轟は、千歳からの言葉に一瞬動きを止めたものの表情は変えず、拒絶するようにそう言い放った。
『轟』という苗字に炎の“個性”という点から、フレイムヒーロー【エンデヴァー】の血縁の者だろうと予想していたが何やら訳アリのような彼を見て、千歳の中で一つの仮定が生まれる。

仮定ではあるが轟の表情から恐らく間違いないだろうと考えた千歳は、嗚呼彼”も”か。と妙に納得する。教える側としては宝の持ち腐れ状態のそれを見逃す訳にはいかないが、それ以上言及はしなかった。
手を差し出して立ち上がらせると、無表情ながらどことなく苦く思っているように見える轟の頭を柔く撫でる。


「お互い面倒だな…まぁそれは置いておこう。最初より味方の動きに気を付けていたのは良かったが、まだ大雑把な攻撃が多い。気をつけなさい」
「?はい」
「せんせー!それ俺の足ー!」
「今行く」


轟から離れ、千歳は順番に生徒たちの状態を元に戻しつつ批評をしながら、彼らの質問に答えていく。
先程の戦闘に対する真面目な質問が大半ではあったが、中には先生は恋人いますかー?といった質問もあり、年相応らしさを感じるそれに児童養護施設の子どもたちを思い出して少しだけ微笑みながら、いないと簡潔に答えたりなどしていた。

最後に残った爆豪の足を掴んで彼の方へ向かうと、未だ立ち上がれないでいる爆豪を面白がっていた切島と上鳴が千歳に気付いて手を振ってくる。
相変わらず彼は沸点が低いものの、戦闘以外で相手に殴りかかったりはしない程度には冷静のようだと観察しながら、しゃがみこんで爆豪の足を元に戻す。

プロヒーローの千歳の観点から見ても、爆豪と轟の戦闘センスは目を見張るものがあった。
入学して1か月にも満たない経験しかないというのに、頭も回り技術もあるというのはなかなか将来有望でヒーロー界隈の未来は明るく――弔は骨が折れるだろうな、とここにはいない彼の事を考える。


「なぁ爆豪、上鳴、足がなくなるってどんな感覚なんだ?」
「うるせぇ硬化解いて自分で体験しとけ。後てめぇら群がってくんなウゼェ」
「切島も体験しろってあのおっもーい腹パンも一緒に。マジで息出来なかったわ。俺たちも体験したんだからさ」
「何だよその理論!普通に嫌だぜすっげぇ痛そうだっただろ…」
「体験したいならしてやるが」
「結構ッス!」


わいわいと騒ぐ彼らを横目に千歳は時計を確認して、再度杖で地面をトントンと叩いて注目させる。
すぐさま静かになるのは担任の賜物だった。


「今日はここまでだ。後日もう少し詳しく批評を書いてイレイザーヘッドに渡しておくから、確認して今後に活かすように。次の授業は悪いがまだ日程が調整できていない。が、恐らく5月半ばぐらいだろうな」
「そういえば臨時教師って言ってましたっけ…普段は普通にヒーロー活動をしてるんですか?」
「いや、ヒーロー活動は要請がない限りしていない。本業は医者だ」
「それであんなに強いのってマジか…」
「絶対高収入じゃん…」


ざわつく彼らに次の授業に遅れないように早く戻りなさいと言い含めて、ありがとうございました!そのやりとりを最後に、長かった1・2限目の授業が終了した。


―――



チャイムが鳴り昼休みになったことで、調理器具の動く音のみが響いていた大食堂が生徒たちのざわめきで騒がしくなる。


「あーーー!思い出した!」
「んぐ…!」
「大丈夫か麗日くん!」
「ごっごめん麗日さん、飯田くん…」


頼んだかつ丼を一口食べたところで、突然緑谷が声を上げる。
多くの生徒で騒がしい食堂の中でも周りの生徒が思わず振り向くほど大きな声だった。
驚いて思わず吹き出しそうになった米を出すまいと慌てて口を塞ぎ、咀嚼が十分でないそれを無理やり飲み込んだ麗日の背中を隣に座っていた飯田がさすってやる。

数秒経って飲み込んだらしい麗日はけほりと小さく咳をして、背中をさすってくれていた飯田にお礼を言ってから緑谷に気にしなくて良いと朗らかに笑った。


「本当にごめんね…」
「平気平気!ところでデクくん、何を思い出したの?」
「あ、えっとほら、医療ヒーロー【ドクター】の事なんだけど、どこかで聞いたことあるなって考えてて今やっと思い出したんだ」


スマートフォンを取り出して検索を始めた緑谷の様子を、二人は食事を再開しながらじっと見つめる。
食事中のスマートフォンは行儀が悪いぞ、緑谷くん。と窘める飯田だったが、話の先が気になる麗日はまぁまぁと彼を宥めて検索ページをスクロールさせる緑谷の指を目で追った。

実は麗日も授業が終わった後の休憩時間中に、あの先生はどういったヒーローなのかという事の検索を掛けたが目ぼしい情報は大して手に入らなかった。
ヒーロー名も捻りの無いものであるが故に、検索を掛けて出てくるのは本当の医者ばかりだ。成果としては、意外とヒーロー免許と医師免許両方持っている者がいるのだという事実を知ったぐらいか。

非常に華やかな世界に思われているヒーロー業界だが、ヒーロー飽和時代と称される言葉に間違いはなく、その中で誰もが知っているヒーローになるというのは至難の業だ。
一握りのヒーローだけが脚光を浴びる一方、目立てず辞めてしまうヒーローも多くいる。

その飽和している数多くの人の中で、脚光を求めていないヒーローが所謂アングラ系ヒーローと呼ばれている訳だが、それはそれで呼び名に恥じない程ひっそりと活動している為、情報が極端に少ない。
緑谷たちの担任である相澤もメディア露出を嫌って表には出ようとしないものの知っている人は知っている、という状態なのだが、彼はその相澤よりもはるかに情報が見当たらなかった。

しかし、緑谷も伊達にヒーローオタクをやっていた訳ではない。
アングラ系ヒーローである相澤の“個性”を実体験して、彼の名前を出したのは緑谷だけだ。


「本業が医者だって言ってたから、本人はメディアの露出なんてしたことないと思うんだけど…これ!30年以上前の記事なんだけど…」
「なになに〜…『元医療ヒーロー【メディカット】、切取裁截さばき医師(32)が元ヴィランの為の更生保護施設設立に加え、身内が逮捕され行き場を失ってしまった家族の為の児童養護施設まで設立!日の目を浴びにくい彼らを献身的に支える彼女に迫る!』……はえ〜、何だかすっごい人やね」
「古い記事だが、コードネームが被っているとなると…先生のお母上だろうか」


緑谷が渡してきたスマートフォンを受け取った麗日は、飯田の為に記事冒頭を読み上げる。
内容はどうであれ緑谷がこれだと思った点は、飯田の言う通りその記事に書かれている元ヒーローのコードネームがドクターと被っていたからだ。
担任の相澤であれば抹消ヒーロー、13号であればスペースヒーローといったように、コードネームとヒーロー名二つを持っているヒーローは非常に多い。
オールマイトのようにつけていない者も中にはいるが、コードネームも含めて自分を現す重要なものだ。

故にヒーロー名は勿論のことコードネーム部分が被ることはほとんどない。
あるとすれば基本的にはそのヒーローの身内がその名を受け継ぐという形になる。


「じゃあ切取先生、になるのかな?」
「多分…。正解かどうかは先生に直接聞いてみないとわからないけどね」
「しかし凄いな緑谷くんは…こんなにも古い記事をよく見つけたな」
「趣味ですから…それに前に見た時も凄い人だなって思ったから、なんとなく覚えてたんだ」


飯田の言葉に気恥ずかしそうに頭を掻いた緑谷は、やっとかつ丼を食べる事を再開する。
一方で飯田はほとんど食べ終えており、カレーライスの最後の一口をスプーンで掬って口の中へ。
もごもごと咀嚼して飲み込んだ後に、それにしても、と呟いた。
お味噌汁を飲んでいる麗日がその呟きを拾い、うん?と返す。


「本当に強い人だったな…“個性”もそうだが、素の身体能力があれほど高いとは…」
「先生が言っていた通り“個性”が通用しない相手への対策として、あれだけ動けるように鍛えたんだろうね。頑張らなきゃって思ったよ」
「私の“個性”で触れたら良かったんだけど、かすりもしなかったなぁ。私も身体鍛えんと…」


周りに障害物のないだだっ広いグラウンドで最もアクロバティックに動けるのは爆豪と轟だが、そんな彼すらも赤子のように地面に転がされたことを思い出し、凄かった、と改めて緑谷が呟く。

オールマイトや相澤の戦闘を近くで見たが、実際にプロヒーローと戦闘をするのは少年たちは初めての経験だった。
ただただ負かされただけではなく、他の生徒との戦闘を眺めることが出来たのが経験不足な彼らには十分な収穫物だ。
状況判断・視野の広さ・身体の動かし方。勉強になったそれを思い出して気付いた事をメモ帳にざかざかと書き留めていると、緑谷くん!先に食べてからにしたまえ!と飯田に怒られてしまった為、緑谷は慌てて先にかつ丼を片付けることにした。


title:馬鹿