人を斬るときに躊躇はないが、愛を囁くときはひどく躊躇う

1-Aで2限、1-Bで2限、授業が終わった時には昼休憩を告げるチャイムが校内に鳴り響いた。
B組の生徒たちが校舎へ戻っていくの見守っていると、校舎の影に隠れてこちらを見ている人影に気付く。
てっきり来た時と同じように相澤が迎えに来るだろうと思っていた千歳だったが、その人影を見て少し驚いた。

黄色いストライプ柄の派手なスーツを着ている、というよりもよもや着られている状態のオールマイトだったからだ。
トゥルーフォームの為、人目を避けているようだ。――それならばその一等目立つスーツを着替えていたほうがいいのではと千歳は思ったが、本人に伝える気にはならなかった。
手招きしてくる彼に従って近付いていく。千歳が近付くとボフンッという音と煙と共にオールマイトは見慣れたマッスルフォームへと変貌した


「お疲れ様だったね切取くん!初授業はどうだったかな?」
「とりあえず切島と鉄哲以外全員の鳩尾に一発入れておきました」
「Oh…」
「経験不足が目立ちますが良い動きでしたよ」


想像の容易い痛みにヒェッと身を縮めて腹を守ったオールマイトの行動に、千歳の口元が僅かに緩む。
オールマイトのアメリカンなジェスチャーは天性のものではあるが、彼は度々表現の薄い人間を笑わせようとする傾向がある。
滑ることも多々あるが千歳の周りには千歳本人も含めてそういった人材はいないため、いつでも新鮮に感じていた。人に笑顔をもたらすのもヒーローの仕事だというのを体現している彼らしい。

他愛ない会話をしながら校門までの距離を歩く。

校舎内では生徒たちが大食堂で食事をしている光景が見えたところで、緑色のもじゃもじゃとした髪の少年とペストマスク越しに目が合った。
とはいえマスクをしているので目が合ったと感じたのかは彼次第ではあるが、ぺこりと頭を下げてきた手前無視する訳にもいかず、千歳はひらひらと手を振る。


「強いて言うならあの緑谷ぐらいですね、特に“個性”を授業内で使わなかったのは。頭は回るようですが、授業内で使用しないのは如何なものかと」
「んん…中々御しがたい“個性”のようでね、今頑張っているところなんだよ」
「……あの歳で御しがたい“個性”…ですか」


オールマイトが言葉を濁すとはよっぽどのものなのかと思ったものの、そんな状態でも全国で最も難関の雄英高校に入学できるだけの実力があるならば潜在能力は十分そうだ。
そんなことを考えながら門の外まで出たところで、渡されていた通行許可証をオールマイトへ返す。
あまり人が出入りしないこの時間帯には流石にマスコミも張っていないようだった。


「次もよろしく頼むよ。あ、あと、体育祭ぜひ見てほしい!きっと緑谷少年も成長しているだろうからね!」
「ええ、拝見させてもらいます…では」
「気を付けて帰るんだよ!」


オールマイトへ頭を下げ、校門が見えなくなる距離まで歩きつつペストマスクを外して白衣を脱ぎ、これからの予定を思い出す。
とりあえず覚えている間に生徒40人分の批評を作って、院内と更生保護施設・児童養護施設を回って、弔の元へ行くのは明日でいいから――そんな事を考えながら、やらねばならないことの多さに眉間を解した。

ある程度の距離を歩いたところでダミアンに連絡をと、胸元からスマートフォンを取り出して通話ボタンを押した所で、千歳、聞き慣れたが久々に聞く低い声に呼ばれて振り返る。
通話がかかってきたのに何の言葉も発しない千歳に疑問を持った、ダミアンの訝しむような声がスマートフォン越しに聞こえたと同時にその声の主に取り上げられた。


「血染か…?なんだその恰好…似合わんな」
「お前がこの辺にいると部下から聞いた…ハァ…普段の恰好は住宅街では流石に目立つ」
「…それにしても結局血生臭いな。部下がすぐに来るから寄っていけ、その腹積もりだっただろう。…悪かったダミアン、迎えに来てくれ」


声をかけてきた赤黒血染――ステインの珍しい格好に、千歳はぱちりと瞬きをする。
ヘッドバンドと顔の半分を覆う布はそのままだが、黒いTシャツにジョガーパンツというラフな格好で武器の帯刀も見受けられない。
活動中ではないようだが彼は結局普段と変わらず血の匂いを漂わせている。
その原因であろう握った手の甲には血が滴っていて、鞄から取り出したタオルで血を拭いながら傷の具合を見る。
幸い、相手を殴った際に出来た擦り傷と相手の血液のようで、それを確認した千歳はふぅと安堵の息を吐いた。

ヒーロー殺しと呼ばれ指名手配を受けているステインだが、彼の粛清の対象は決してヒーローだけではない。
信念を持たないヴィランもその対象であり、取るに足らないチンピラのような者たちは彼にとっては道端の石でも見逃せなかったらしく、拳の粛清を受けたようである。


「ご主人様、ステインから――嗚呼、もう合流されていましたか」
「助かる。ほら血染、行くぞ……血染?」


ダミアンがふっと現れて来た事を目視で確認してステインに声をかけたところで、彼の身体がふらりと揺れて千歳へ寄りかかってくる。
抱きしめる形になりながら背中を柔く叩くも反応はなく、ゆっくりと背中を押し上げる肺の動きに彼が眠った事を感じ取って、ため息を一つ。

いつからだったかは定かではないが、ステインはふらりと猫のように現れては千歳のそばでひとしきり眠るとまたふらりとどこかへ姿を消していく。
明確な目的があって千歳の元へ来るのは怪我をしたときだけだった。
それでも小さな怪我なら自分で対応しているようで、来るときは大体身体が大変な状態になっている時だけで、それはそれで非常に手間がかかる患者ではある。――自分で鼻を削いで数日経ってから来るという奇行まで披露してきたのは、千歳の中では彼の奇行の中でそこそこ新しい記憶だ。

着替えて武器も持っていないという事は住居ないしアジトを持っているだろうに、何故こうも謎の行動をするのかはわからないまま、もう10年以上の付き合いだった。


「帰るぞ」
「私が抱えましょうか?」
「いや、人に任せるとどうせ起きる」


ダミアンに“個性”使用を促して手を繋ぐと、ふわっと身体が浮く感覚があってから見慣れた自室が眼前に広がった。
しゃがんで彼の膝裏に腕を通して抱えやすい横抱きにして、本日千歳が抱えた爆豪と比べるとずっと重たいその身体をベッドに横たわらせる。

すやすやと寝ているステインは鋭い眼光が見えないからか、二人が出会った時の様な若干の幼さが窺える唯一の瞬間だった。

ステインと千歳が知り合ったのは今から12年前――彼がまだ街頭演説をしていた頃。
彼と同い年の19歳だった千歳は当時大学の医学部に通っており、偶然大学に一番近かった駅前で彼の街頭演説を聞いた。
声を張り上げて「英雄回帰」を主張していたものの、誰も耳を傾けていない所かイカれた主張だと通り過ぎながら蔑む者すら居た中で、唯一千歳がその場で足を止めたのだ。
ギラギラと熱意で光るステインの瞳を、じっと正面から見つめる千歳に何かを感じたらしい彼が話しかけたのが、二人の始まりだった。

それから千歳は何故か彼に贋物扱いを受ける事なく、たまに彼を治療をして、たまにトレーニングをしたりと医師と患者のような、友達のような不思議な関係が現在まで続いていた。

千歳はふとそんな懐かしい事を思い出してほんの少し微笑みながら、執務机に置いてあるPCに電源を入れて雄英生徒たちへの批評を作っていった。



―――



十分な睡眠が取れたからか、ふと目が覚めた。
上半身を起こして見えた窓からの景色は黒く、夜だと言うことがわかる程度で時間はわからない。
自分の寝床とは違う柔らかいベッドに寝かされていた事に気付き、どうしてこうなったのかをあまり働かない頭を軽く振って思い出す。
――嗚呼…千歳の所に行ったんだったか。
ハァと息を吐いて、再度頭を振った。

自分の身体にかかっている掛け布団はベッドマット同様それ相応に高そうな物ではあったが、値段に反して悲しい事に持ち主は大して此処で眠っていないらしい。そもそも普段から適当に机やら床で寝るような奴だ。布団はさぞ悲しかろう。
掛け布団を外して床に足をつける。靴は脱がされている様で手探りで近くに置かれていた靴を履いた。
千歳の元へ向かう途中に粛清したヴィランのせいで擦りむいていた手の甲には、大きめの絆創膏が貼られていた。こんな傷程度、放って置いても治るだろうに。
暗い室内に目が慣れてきたらしく、薄らながらずっと気配のあった執務机を見た。

その気配は机に突っ伏して寝ている様で、生きているのかも一瞬疑うほどわかりにくい寝息を立てていた。
PCがスリープ状態になっている事から、千歳が寝落ちてからある程度の時間が経っているらしい。
机に置かれたデジタル時計を見ると午前1時だ。なるほど通りで外は暗いし身体が軽くなっている訳だ。その分喉は渇きを訴えて不愉快な痛みを伝えてくる。鬱陶しい。

小さく喉を慣らしてから、さて起こしてやるべきか…暫く考える。

10年程千歳と関わりがあるものの、コイツの目元から隈が消えたのを俺は見たことがなかった。
そもそも寝ている状態を見ることも稀だ。そして寝る度に苦しそうに魘されているのだから、寝る事が好きではない可能性もある。

いつでも無表情ながら俺から見れば不機嫌そうな顔で患者の治療をしていて、俺を来た事に気付くと訝しげ眉を寄せて、また何かあったのかと問うてくる奴の顔を思い出す。
それはそもそも俺が千歳の所へ来た時、負傷したのか寝に来たのか等、目的を何も言わないせいでもあるが。
それでもコイツは何も言わず俺を受け入れる。


「…千歳」


電気も付けず暗いままの室内で肩を軽く揺さぶりながら、奴の名を呼ぶ。
相変わらず何かに魘されているのか眉間に強く眉を寄せたまま、起こった衝撃に対して小さく呻いた。
随分嫌な夢らしい。額には微かに汗が浮かんでいて、美しい瞳は重い瞼に閉ざされている。

――初めてコイツをみたのは19ぐらいの時だったか。

今思えば何の意味もなかった街頭演説をしていた時に唯一足を止めたのが奴だった。
今と同じように倒れそうなほど青白い顔に深い隈を携えながら、じっと黄金の瞳で俺を見ていた。
俺は至極真っ当な事を言っていたが、世の中は見る目も信念もないような奴らばかりで足を止めた人間は初めてだった。
太陽光をきらりと反射した黄金の瞳が印象的で見つめ返した覚えがある。

しかし黄金色だったかと思えば、千歳がふと考えるように顎に指を添えて顔の角度を変えた時、その瞳はちかちかと瞬く間に色を変えて最終的に青紫色になった。
角度によって色の変わる妙な瞳だと思ったと同時に、何にも染まらない美しい瞳だとも思った。
気がついた時には演説を止めて、千歳に声を掛けていた。

それが俺たちの始まりだった。

そんな古い事を思い出して、何となく奴の瞳を見たいと、どうしようもなくそう思った。
肩を掴んで無理やりに身体を起こしてもまだ目覚めないものだから、椅子を回転させ此方に向かせ、下から見上げるようにしゃがみこみながらぺちぺちと意外と柔らかい頬を緩く叩く。

柔い衝撃に一瞬ぐっと力強く瞼に力が入ったあと、ゆるゆると持ち上がる。
タイミングよく雲の影から顔を出した月の光に照らされたそれは、夜を吸い込んだような黒色をしていた。


「……ちぞめ…?」
「起きたぞ…ハァ…千歳、ベッドで寝ろ」
「………よくねむれたか?」


頬にある俺の体温が心地良いのか、するりと猫のように顔を擦りつけてくる。これは寝起きでしか見られない行動だ。素面のコイツは自分のこの癖を知らないし、言ってやった事もない。
眠気に引っ張られているらしく多少舌足らずのまま、頭が回らないくせにこうやって俺の心配をする。これは寝起きでもいつでも変わらない。
ゆるりと瞼が閉じて開く度に色の変わる瞳は、最終的に俺と同じ紅色に落ち着いた。
何となく自分に染まったようで少し満足感を得たが、千歳は頭を振って無理やりに自分の脳を覚醒させる。紅色は緑に変わった。


「…いや起きる。仕事が片付いてない」
「ハァ…阿呆めさっさと寝ろ。運んでやる」
「おい…やめろ」


右手で肩を抱き、左腕を膝裏に通して持ち上げる。頭は動いても身体は疲れているようで大した抵抗はない。それ相応に重いことに安心しつつベッドに下ろした。
諦めず上半身を起こそうと立てた腕に対して、肘に手刀を入れれば呆気なく千歳の身体はベッドに沈む。

ベッドに腰掛けて奴を見下ろすと、碧の瞳が俺を見た。

オールマイト以外には及ばないながらもコイツほど信念を持った奴がどこにいるだろうか。誰も彼もが金を地位を名誉を求めて医者に、ヒーローになろうとする中で一切の見返りを求めず、他人に臓器を渡すほどの自己犠牲を極めたそれを信念と言わず何というのか。しかし一般的なヒーローとして見れば、千歳は間違いなく贋物だ。ヒーローという立場で人を救けながら、一方で一般人をヒーローを傷つけるヴィランを助けるコイツは粛清対象だ。しかし、医者という観点から見ればコイツは間違いなくヴィランたちを含む、人類のヒーローだ。全てを平等に治療する。普通に生きている者から日の目を浴びない、浴びれない者まで平等に治療する。ともすれば片方に組する可能性を孕みながら、全てを助けようとするそれの何が奴を動かすのかを一度考えたことがある。間違いなく元は千歳の親の思考からだ。虐待という言葉すら生ぬるいその思考を今でも懸命に守り続けるのは、教育の賜物ではあるが従来の性根だ。コイツを俺が粛清対象にしないのは、立場はともかく確かな信念を抱いて生きているからだった。

面倒な事を考えている気がして頭を振る。案外思考時間が短かったようで、変わらず千歳はベッドで横たわりながら不機嫌そうに俺を見つめていた。
放っておくと動きそうな奴を見て、ふと、開けたカッターシャツから覗く首にある縫合痕に目が行った。
ぐるりと首を一周するという目立つ物である中、そのど真ん中の丁度喉仏に、あからさまに主張をする赤黒い歯形が目についた。本人の意思も痛みも全く考慮していない自分本位の執着心を示すマーク。コイツは自分の物だと圧倒的に主張するものだった。

気付かずそれを放置している千歳に対して、怒りとも何とも言えない感情がじわじわと湧き出す。千歳本人はそれに気付いていないらしい。コイツはそもそもどうしようもない程自分に興味がない。
歯形に浸食され破けた縫合痕にじわりと血が滲んでいるのが見えた、俺が奴を動かしたせいらしい。
どうしようもない感情を千歳を動かすわけにはいかないという感情で塗りつぶして、その滲み出た血をべろりと舌で舐め取った。ひくりと喉を引き攣らせた途端、千歳はがちりと拘束されたように動かなくなる。


「なんで舐めた…動けないだろう…」
「そのまま寝てろ…ハァ……医者の不養生だ」


結局俺の“個性”のせいで動けないのだ。文句を言わさないように布団をかぶせて、千歳の頭を何度か撫でると不機嫌そうにしていたがしぱしぱと眠たげに瞬きする。


「千歳が寝れば俺は帰る。さっさと寝ろ」
「……わかったわかった……気を付けて帰れ」
「ハァ…心配されるまでもない…」


そのまま額に口付けたところで千歳は漸くしっかりと目を閉じた。直前まで見えた瞳が紅色だっただけで十分だった。
暫くすればわかりにくいながらも寝息が聞こえて、それを確認してから窓を開ける。
窓枠に足を掛けた時にがさりと膝のポケットから微かに袋の音が聞こえた。中の存在を思い出して千歳の机にそれを放り投げてから、窓枠を蹴って病院から出る。

俺は俺の成すべき事を成ねば。


title:不在証明