与えられるだけ、受けとれるだけ

 ふわふわと鼻先を擽る灰褐色の髪を前に、マタ・ハリは丸い瞳を二度三度と瞬かせる。
 遅めの朝食をとろうと自室を出てすぐ、出会った彼女のよく知る青年はいつになく青白い顔をしていて、どうしたのかと尋ねればうっかり酒好きなサーヴァントたちにつかまって明け方まで飲んでいたという。
 それは災難だったわねと苦笑して、今日はゆっくり休んでいたらいいと言いはしたものの、気怠そうに頷いた彼にまさかそのまま抱きしめられるとは思っていなかった。もっとも、抱きしめるというよりは、寄りかかるとか、倒れかかる、といった方が正確かもしれないけれど。
「シャルル?」
 さすがに十センチ以上差のある成人男性を支えることはできず、体重をかけられるまま、よろよろと壁に背を預ける。腰にまわされた手は弱々しかったが、ぴたりとくっついて離れようとはしなかった。俯いたやわらかな灰褐色の髪が、時折頬を掠めて擽ったい。腕の中にいるとさすがに濃いアルコールのにおいがして、何となく酔いを移されたような気持ちになる。
「シャルル。休むなら部屋に戻りなさいな」
「…………」
 と、再度試みた呼びかけにも返ってきたのは無言の抵抗。少しだけ抱きしめる腕の力が強くなり、微かに頬を擦り寄せる感覚がする。ふわふわと揺れる髪。
 ──まあ、なんて、珍しい。
「今日は随分甘えたねぇ」
 とうとう我慢できなくなって、笑いを含んだ声音でそう言うと、ようやく薄氷の瞳が上げられた。伏し目がちに流れた視線が艶めかしい。
「……いつも甘やかすのは君だろう?」 
「あら、抱きしめた女のせいにするなんてずるいわ」
 くすくすと鳴らした喉に軽く歯を立てられて、つい仰け反れば更に掠めるように唇が当てられる。どさくさ紛れに耳朶や顎に触れ始めたそれを、押し返すのは少し骨が折れそうだった。
 仕方ないなと首に腕をまわせば、膝を抱えられて出てきたばかりの自室へ連れ戻される。二人して倒れこんだベッドの上、覆い被さった彼は何故かそのまま動かなかった。
「シャルル」
「…………」
「……シャルロ」
「…………すまない」
 肩口に埋もれた髪から覗く、耳朶は微かに赤くなっている。今にも消えそうな掠れた声に小さく笑んだ。
 ──ほんとうに、甘えるのが下手なひと。
 寝転んだまま、俯く髪に手を伸ばす。梳くように撫でたそれはやはりやわらかかった。噎せかえるような甘いにおいがして、酔い心地のまま身を投げてしまえばいいのにと生真面目な彼を少しだけ可哀想に思う。可哀想で、いとおしい。
 暫くしてもぞもぞと動いた身体はマタ・ハリの横に同じように寝転んだ。見つめあった顔はやはり気まずそうにしていて、もう一度笑みを刻むと乱れた前髪の隙間から額に口づける。
「少し、眠りなさいな」
 彼女の方から腕の中におさまると、漸くサンソンはどこかほっとしたように瞳を閉じた。かき抱いた黒髪に鼻先を埋める。やがてすうすうと穏やかに立ち始めた寝息を聞きながら、彼女もまた、ゆるりと陽の目を閉ざした。
「おやすみなさい、シャルル。いい夢を」
 太陽が中天に昇ったら、とり損ねた朝食の分も彼と一緒に食事をしよう。野菜たっぷりのスープでお腹を満たしたら、談話室でくだらないおしゃべりをしたっていい。
 そうやって、降り積もるささやかな幸福で不器用なこのひとをめいっぱい甘やかせたらいいのにと、瞼の裏の幻に願った。