猫の日

「あら……あらあらあら、まあ。とっても可愛いお客さんね」
 レイシフト先、泊まっている部屋の外からカリカリと爪で引っ掻くような音がして、何だろうと扉から顔を覗かせたマタ・ハリはすぐに相好を崩した。床にちょこんと腰を下ろした灰褐色の毛並みの子猫は、いたずらが見つかったとでもいうようにアーモンド形の瞳をパチリパチリと瞬かせている。
「こんにちは。どこから来たの?」
 宿の飼い猫だろうか。ナァとひとつ声をあげ、傾げられた首には黒いリボンが巻かれていた。屈んで小さな頭を撫でれば、甘えるようにゴロゴロと白い喉が鳴る。長い毛足は指に絡んで心地良く、ベビーブルーの瞳がくるくると表情を変えるのが愛らしい。
「ふふ。ちょっと彼に似てるわね」
 ついつい綻んだ唇が、小さく彼の名前をこぼす。そうするとまた、目の前の子猫は何だと言いたげに短く返事をするので、たまらずくすりと笑いが漏れた。
「……何をしてるんだ」
 不意に横合いから聞き覚えのある声が響いて、マタ・ハリは顔を上げる。買い物袋を片手にしたサンソンが、困惑した表情で立っていた。
「あら、本物のご登場ね」
「子猫?」
「小さなお客さんよ。あなたに似てると思って。ほら、白い毛並みなんてそっくりだわ」
 やわらかい体を抱き上げて幾分背の高い彼の目の前に掲げて見せる。掴んだ前足をぽふ、と頬に当てれば、端正な顔立ちが一層当惑したように歪められた。武骨な手が子猫を受け取る。
 小首を傾げる愛らしい姿にじっと灰青の瞳を向けて、やおら彼はその小さな獣を顔の横に掲げて見せた。
「……にゃあ」
 薄い唇が開き、紡がれた声音が耳朶を掠める。マタ・ハリは僅かに目を見開き──それからたまらず、軽快な笑い声をあげた。
「まあ! 随分大きな猫だこと」
「さしずめこの子の兄弟といったところかな」
「そうね、いたずら好きなところもよく似てるわ」
 子猫にするのと同じように指の背で頬を撫ぜれば、ごく自然に伸ばされた腕が彼女の腰を引き寄せている。
 だがこめかみに触れた唇は惚けたように「うん?」と低く囁くので、仕様のないひとねと青年のうなじに手を添えた。こつりと合わせた額、互いの視線が混じり合う。
 抱えられた子猫がまたひとつ鳴き声を上げて、呆れたようなその響きに二人は揃って小さく笑った。