タイトルを考えるのが死ぬほど苦手

 
2023/09/02 スモーカー
君以外要らない・それでも会えてよかった・絶望が世界を覆い尽くしても
※過去に別れてる


「ねえぼく、迷子になっちゃっ、た、……の?」

 ガラスに映る姿に呆然と突っ立っていることしかできなかったおれに降りかかった懐かしい声に反射的に振り返って、何年経っても忘れられなかった女と目が合った。ぱち、とまつ毛を揺らしておれを見下ろす女はほんの少し見てくれが変わったが、それでもずっと心に残していた女だ。間違えるはずがない。あは、と楽しそうに笑う姿に、あの時のことを水に流してくれたのか、またおれとやり直してくれるのか。遠かった距離が、ぐい、と近くなって息を呑む。キスができる距離だ。何年か前には触れる権利があって、今はない。だが、少し顔を前に出せばまた触れられる距離にいる。許されたのか、と緊張に震えそうになる唇を動かそうとしたのにじっと見つめていた目の前の女の赤い唇が先に動いたから息を止める。

「私、きみのお父さん知ってるよ」
「……、」

 は、と息が溢れて頭が混乱する。おれの父親、? そんな訳ない。お前に家族を紹介するところまでいけなかった。その前にお前を失った。なりふり構わず外堀だけでも埋めておけば、お前を引き止める理由にもなれたかもしれないのに馬鹿なおれはお前に見切りをつけられた。

「お父さんの名前、スモーカーでしょ?」
「……、」

 にこにこと言い放たれた名前に固まって、忘れていた自分の現状を思い出す。そうだ、この女がおれを見下ろせる訳がない。見下ろせたのは、おれがグランドラインの馬鹿げた力で縮んで子どもの姿になっていたからで、だからこいつは、そんなおれの事情なんて知りもしないから小さな姿になったおれを、おれの子どもだと馬鹿みたいな勘違いをして微笑みかけてる。

「私、お父さんの……えと、昔のおともだち」

 つん、と微動だにしないおれの頬をつついて笑う姿と言葉にぎゅうと心臓を鷲掴みにされた時の感覚を思い出す。

「ちがうだろ」

 唸るように本能のまま吐き出した言葉は馬鹿みたいに甲高くて少しも目の前の女に響かない。ただにこにこと微笑んでいる。違うだろ。おともだちなんかじゃなかった。キスだって、その先だって、したことあるだろ。なのになんでそんな嘘付くんだ。なかったことにしたいのか。お前とこうして会えただけで馬鹿みたいな自分の現状を忘れるくらい浮かれるおれと違って、お前は、なんで。

「さすがスモーカーくんの子。お父さんやお母さんのお友達だよーって言って攫う悪い人がいるってちゃんと教えてもらってるんだね」

 おれの言葉は馬鹿みたいな勘違いをされて受け取られた。えらいね、とくしゃくしゃと頭を撫でられてその手の感触にまた懐かしくなる。

「ぼくいま何歳?」
「さんじゅうろく」

 勝手にしたっ足らずになる舌に腹が立って舌打ちをしたいのにそれすらうまくできない。不思議そうに首を傾げて、それから笑う。そんな笑顔は久しぶりに見た。付き合いたての時は屈託なく笑ってくれていたのに付き合いが長くなればなるほど悲しそうにしてるか怒ってるか、そんな姿ばかりが記憶に残っていて、声をあげて笑う姿は本当に久しぶりで、……おれと別れたからか? おれが、そんなにもお前を傷付けていたのか?

「それはお父さんの年齢でしょ? えらいね」

 んん、4、5歳くらいかな、とひとり納得するように頷いてまた髪を撫でてくる。

「ふふ、生き写しって感じ。ぼく、お名前は?」
「おれが、すもーかーだ」
「んふ、そうだね、お父さんの名前言えてえらいね、かっこいい」

 馬鹿みたいに受け流されて歯噛みする。

「お父さんのコート貸してもらったの? かっこいいね」

 正義の文字を背負ったものを無惨にも引きずる姿はあまり見られたくなくて、ただでさえ小さいのに思わず服をかき集めて見られないように縮こまる。どうせなら、胸を張ってこの服を着た姿を見てもらいたかった。実力も、信念を貫き通せるだけの地位も昔よりある。昔と変わったおれならお前に見直されて、それで、……なんて、浮かれた思考回路を捨て去ることができない。こんなにも脈がないのに。こいつはおれを、スモーカーの息子だと思い込んでる。それになんの感情も伝わってこない。ただ目の前の小さなガキを可愛がっているだけで、おれのことなんて気にしてない。昔の恋人が子どもを作ってるのに、すんなりとそれを受け入れている。おれがお前にそっくりな子どもを街中で見かけたら、そんなことはとてもできない。悔しくて、悲しくて、煙になって消えてしまいたくなる。おれがお前を幸せにしたかったと大声で叫んでみっともない姿を晒してる。目の前の女からはそんな感情微塵も感じられない。馬鹿みたいだ。おればかり、ずっと過去に囚われて、お前に執着してる。

「……スモーカーくん、こんな可愛い子置いてどこ行っちゃったんだろうね」

 全くもう、と聞き馴染みのある呆れたため息が降ってきて視線を落とす。

「ね、今日はお父さんとだけお出かけしてるの? お母さんは?」
「そんなもんいねェ」
「あ、」

 反射的に叫ぶように答えた言葉に女の表情が痛々しく歪む。そっか、とおれを慰めるように抱き寄せられて緊張に身をこわばらせた。柔らかな感触と、馴染む匂いに頭がくらくらして、おれも抱き返したくなったのに小さな腕じゃそんなことできなくてただ柔らかく抱かれるだけ。肩に顔を埋めて、それから気付く。ただでさえ変な勘違いをされてるのに、更に勘違いを深めてしまったんじゃないか。おれは誰とも結婚なんてしてないし、結婚してないから死別もしてない。お前に捨てられてからずっと独り身なのに、お前の中では子どもを作ったことになってるし、嫁にも死なれてることになってる。

「それにしてもお父さん、帰ってこないね」

 励ますように一際力強くぎゅうと抱き締められてから、そっと体を離されて一瞬現状も忘れてがっかりする。馬鹿げた勘違いをされてるのに。

「海軍の基地、行く? でもスモーカーくんなら逆に動かない方が見つけられる気がするし」

 どうしようか、と微笑まれて口籠る。どうしようもない。待っていたってここにはお前の望む父親は来ない。来るとしても、おれがこんな目にあった原因を追いかけていったたしぎたちだ。馬鹿みたいな勘違いをされてるのに、訂正も出来ずに追い払いもできない。追い払いたくなんかない。これを逃せばもうきっとお前と話す機会なんて訪れない。お前がおれのことをスモーカーだと認識しなくても、しないからこそこうやって笑みを浮かべてくれるから、その笑顔をずっと眺めていたくて手も足も出なくなる。スモーカーだと信じてもらえないからこそ笑ってくれる。おれがスモーカーだとわかればまた、お前を怒らせ悲しませ嫌われる。おれがこの状況に陥ったのは不可抗力で騙すつもりなんてなくてももっと必死に訴えかければおれがスモーカーだと信じてもらうことは可能かもしれないのに、お前の善性につけ込んでたった一度二度仄めかしただけで諦めた。

「泣かずにお父さんのこと待ってられるの、強くてかっこいいね」

 お父さんそっくり。何も言わない可愛げのないおれにずっとにこにこ話しかけてくれる。強くてかっこいいと褒められて小さな心臓が大きな音を立てて苦しい。強くてかっこいいと思ってくれてるならなんでおれと別れたんだ。そんな言葉、父親のことを好きな子どもを喜ばせるための世辞でしかないのに振り回される。

「お父さんのこと、好き?」
「……きらいだ」

 いくら実力がついても、地位があがっても、どれだけ海賊を拘束して市民を守っても、隣にお前がいない。何年も前の女をずっと心に閉じ込めて追いかけることもできず、うじうじして、情けない。大嫌いだ。どれだけの憎悪を含んで呟いても、甲高い声はどこか震えて涙が滲んでるように聞こえて、それすらみっともない。情けなくて俯いて引き摺って砂に汚れた正義の服を睨みつけるおれの耳に驚いたような女の声が届く。

「嫌いなの? なんで?」
「……なさけねェおとこだから」

 精神が体に引っ張られるのか、声がさっきよりさらに震えてる。

「そうかなあ、かっこいいのに。私は大好きだよ」

 穏やかに紡がれた告白に驚いて服に縫い付けていた視線をはねあげる。

「なさけねェのに?」
「情けないところなんて一度も見たことないけどな」
「ずっとうじうじしてる」
「そうなの? 何に?」
「……なに、」

 何って、お前を追いかけられないこと。言えなくて、また黙り込む。嬉しいことばかり放つ唇に、両手をあげて喜ぶことなんてできない。だって子どもの父親に向かって悪口を言う人間なんて早々いない。子どもの機嫌を損ねないように、親のことそんなふうに言っちゃいけないよ、ということを伝えるのは大人だったらきっと誰だってする。わかってる。

「君のお父さんは世界一かっこいいよ」
「じゃあけっこんしてくれるか?」

 喋れば喋るほど子どもじみた思考回路になっていくせいで馬鹿な暴論を叫んでしまった。目を見開いて驚く姿に、ほら、やっぱりな、なんて濡れた鼻を鳴らす。親のことをそんなふうに言っちゃいけないよ、の躾だから。親御さんは立派だよ、の世辞だから。本音は別れた男なんかかっこいいなんて思ってないし、嫌われてる。

「ほら、かっこよくねェからけっこんしたくねェんだ! みえすいたうそなんかつくな!」

 八つ当たりまでして、とうとう子どもだ。ばくばくと痛む心臓をぎゅうっと服の上から押さえつけて好きな女を睨みつける。

「……うそじゃないけど、それは、……それは、私だけで決めることでもないし、ほら、お父さんが嫌がるから、……ね?」

 宥めるように頭を撫でようとする手のひらを払う。嫌いだって言えばいい。

「だいすきだっていったくせに」

 今さっきも、付き合ってた時も。言ったくせに。

「……私は大好きだけど、……スモーカーくんは、違うから」
「おれはずっと、……うう」
「ど、どうしたの?! 大丈夫?!」

 ばくばくと煩かった心臓が更に痛くなって膝をつく。急激なストレスに小さな心臓が耐えきれなくなったんだろうか。体に傷はないのに、目の前の女が子どもを誤魔化すための嘘を紡ぐたびに海賊と交戦した時なんかよりもよっぽど痛くて目の前が眩む。目に光が入るのもつらくて呻きながら瞼を固く閉じて、それでもこれ以上この小さな体に想いを溜め込んでいられなくて、血反吐を吐いてしまいそうになりながら口を開いた。

「ぐ……、おれはずっとお前のことが好きなのに」
「……、す、もー、か、くん……?」

 甲高い声がざらりと溶けて馴染んだ。急に体が軽くなって、目を開く。固く閉じていたせいで視界が一瞬滲んでいて目を覚まそうとかぶりを振って視界を戻す。立っていられなくて地面についた手に砂粒がついて鬱陶しい。じゃり、と地面から手を離して気付く。柔らかく、今にも折れそうな小さな手じゃない。ふしくれだって、馬鹿みたいにでかい手がおれの視界に映っていて固まる。視線をあげて、ばちん、と絡んだ女の顔は驚くほど真っ赤に染まって狼狽えていて、いつもと同じ大きさになった思考回路が弾き出した答えにドッと心臓が変な音を立てて呻くことしかできなかった。