タイトルを考えるのが死ぬほど苦手
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2024/03/07 スモーカー
声は途切れて・闇に紛れて・唐突すぎて心が置き去りになる
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「あっ、スモーカーくん待って!」
合鍵を使って部屋に入ろうとした瞬間、後ろから声がかかって仕事の疲れも吹っ飛んだ。なんだ、お前もちょうど終わる時間だったんなら迎えに行けばよかった。そうすればもう少しお前との時間が増えたのに。声が届く距離にまで近付いているんだからそんなに急がなくてもいいのに大急ぎで駆け寄ってくれるのが、お前もおれに会いたくて仕方なかったんだなと思えて嬉しくて振り向いた、のに。
「それ使わないで!」
おれを見つけて嬉しそうに駆け寄ってくれているものだと思っていた。なのに、まるで今ここにおれがいることが間違いかのように大慌てで焦っている。意味がわからない。いつもの、おれを好きでたまらないと緩む目は? おれに好きだと言ってくれる優しい声は? ついこの間まであったもの全てが揺らぐ女の声と表情に心臓が嫌な音を立てて軋んだ。
「間に合った、ごめん、それ返してくれる?」
間に合った? 何にだ。おれがこの鍵を使うのが? もうおれにはこの鍵を使う権利は無くなったのか。なんでだ。危なかったぁ、と焦りながら駆け寄ってきた女がおれの鍵を取ろうと手を伸ばしたから、反射的に手の中にあったそれを持ち上げて飲み込んだ。ごくん、とおれが喉を鳴らして、それから女が目を見開いた。
「えっ?! なにしてるの?! 大丈夫?! おなかこわすよ! ぺってして!」
おれから鍵を奪おうとした手がおれの両頬に伸びてグッと顔を下に持っていかれて顔を突き合わせる。おれが少し前に出ればお前の唇を奪えるこの距離はまだ許されるんだな。鍵はもう許されなくなってしまったのに、唇は許せるのか。唇を奪おうとした瞬間、女の指がおれの口の中に侵入してきて驚く。おれの口を開いて、本当に飲み込んじゃったの、と呆然とした声を出したから鼻で笑った。奪われたくなくて口の中に隠しただけだと思ったのか? 喉を鳴らして飲み込んだ音を目の前で聞いたくせに、信じられなかったか? そうまでして返したくないとおれが思わないとでも思ったのか。
「なん、なんで飲んじゃったの、大丈夫? 喉に引っかかってない? お腹痛くない?」
口から手を引っ込めて、喉をさすって順繰りに腹まで撫でていく姿は本当におれのことを心配していて、だけど、おれから合鍵を奪おうとしている。おれのことを嫌いになったわけじゃないのかもしれない。それでも鍵を取り返そうと思うほどの何かはあったのは確かで、拳を握り込んだ。とりあえず部屋に入ろう、とおれから手を離して部屋の鍵を取り出した女の手首を掴む。部屋には入れてくれるのか。鍵を奪おうとするのに? 体調がおかしい男がいたら、誰でもお前はそうするのか? おれを見上げて不思議そうにしながらも心配気に揺れる目に気が狂いそうになった。
「お前が使うなって言うなら、使わねェ」
二度と使えないように飲み込んだ。だが、
「……返せ、は聞いてやれねェ。これは、おれのだ。おれがもらった。他のやつには渡したくない」
返したら、それは誰のものになるんだ。おれのだ。おれが、もらった。恥ずかしそうに頬を染めながらもらった日のことを今でも鮮明に思い出せる。それを暗い思い出に塗り替えたくない。手首を掴んだ女の手にはキーケースがあって、じゃら、といろんな鍵がぶつかる音が聞こえて目を伏せる。おれと同じ鍵。おれはもう使ってはいけない鍵。小さな音のくせにおれの脳をがんがん揺らすうるさい金属音に舌打ちをする。
「…………スモーカーくん、勘違いしてる、」
勘違い? 何がだ。おれに合鍵を使うなと言って、返せと奪おうとしてる、それの何が勘違いだ。鼻で笑いながら俯いたままのおれの視界に無理矢理入ってきた女から視線を逸らす。
「鍵、新しいのにしたから、古いの使えなくなっちゃったの」
幼子に言い含めるような声で紡がれた言葉にそらした視線が元に戻る。ばち、と視線が絡んで、おれを貫く。おれのことを嫌いになった目じゃない。いつもと変わらない。おれのことを好きだとわかる目玉。ふ、と緩んだ口元からも、おれのことを追い出そうと罵倒する言葉は出てこない。おれのことを甘やかす声が放たれて、掴んでいない方の手がまたおれの頬に触れて撫でられる。嫌いになった男にこんな触れ方をする女はいない。
全身で好意を受け取って、ようやく今さっき言われた言葉が脳に染み渡る。鍵、を、新しいのに変えた。だから、おれが今胃に送りこんだ鍵は古くて使えない。おれから、合鍵を使う権利を奪おうとしたわけじゃなかった。
「勘違いさせるようなこと言っちゃってごめんね。せっかく新しい鍵にしたのに古い鍵使ったら壊れちゃうと思って焦っちゃって、」
ごめんね、と何度も頬を撫でられてこわばっていた体がほどけていく。好きだよ、と言葉にされて、心臓が正常な働きを取り戻した。
「だから、これ、新しい鍵、」
撫でられていた手がどけられて寂しく思う暇もなく、おれが掴んだままの手首を器用に動かしてキーケースを開いておれに見せるから視線を向けた。いろんな鍵が連なっている中に、見たことない新品の輝きを放っている二つの金属が並んでいてそこから視線が剥がせない。ひとつは何もついていないのに、ひとつにはどこで見つけたのか十手のようなキーホールダーがつけられていて固まる。いつの間にか手首を掴んでいた手の力が緩んだのか、女の手首がおれの手から逃げて、キーホルダーのついた鍵がキーケースから取り外された。
「こっち、スモーカーくんの。……もう一回受け取ってくれる?」
中途半端に持ち上げられたままのおれの手を掴んでてのひらにキーホルダーのついた新品の鍵が乗せられて、せっかく正常な働きを取り戻した心臓がまたうるさく騒ぎ始めて苦しくなった。
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