タイトルを考えるのが死ぬほど苦手
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2022/03/08
夢は夢のままで・薄氷をゆっくりと踏む・眩しすぎる笑顔
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「ああ、アンタ、久しぶりだなァ。サンジならいねェよ、来るたび言い寄られて鬱陶しかったろ? これで集中してメシが食えるようになったな」
久々に来たバラティエで席についた瞬間に投げられた言葉を頭で繰り返す。わかってた。わかってたことだ。あの黒いスーツが似合う女好きの言葉を間に受けちゃいけないことなんて、わかりきっていたこと。だから、落ち込まない。彼の言葉なんて、一言も、一欠片も、信じていなかった。「なんて美しいんだ」「おれの心は君に奪われた、いや、捧げたんだ」「レディだけの特別なデザートをお持ちしました」「こんな天気の良い日はデート日和だ。ということで食事が終わったらデートしない?」「おれは本気だよ」全部、全部、信じなかった。全部笑って、何人に同じことを言ってるの?と会計をして帰って、信じなかった。
美味しい料理を作ってくれる良い男がレディと見るや大仰に褒めそやしてくれるイベントを催している、女性なら誰だってお姫様にしてくれる夢のような素敵なレストラン。ただそれだけ。タバコを咥えた唇が紡ぐ言葉は本気じゃない。その証拠に彼はもうこの店にはいない。
信じなくてよかった。信じなくて、本当によかった。
ひっ、と誰かが息を呑んだ音が聞こえた。
「ぉぉぉおオーナー!」
「オーナー!!」
次いで、ばたばたと荒くれ者ばかりのいかつい人たちが厨房に引っ込んでは悲鳴をあげては蹴り飛ばされていく。どんな海賊たちが襲ってきても我先に立ち向かう血気盛んな戦うコックさんたちが慌てて厨房に引っ込んでいく姿は見たことがなくて何が起こったのかわからない。出口まで蹴り飛ばされても何度でも厨房に戻ってくるコックさんたちに痺れを切らしたのか、コツ、ゴツ、と義足の音と靴の音が混ざった足音がざわつきながらもどこか静かな店内に響いてオーナーが出てきたんだとわかる。
だのに何度蹴り飛ばされてもめげなかったコックさんたちの元に向かうんじゃなくて、その足音は私の席の目の前で止まって顔を上げた。
「……ウチのチビナスがなにかしでかしたか」
「え?」
厳しい表情が僅かに困惑に滲んでいて、唐突に落とされた言葉に疑問符を返すことしかできなかった。
「あいつは、……まあ、バカでアホでマヌケで口も悪いし喧嘩っ早くて女にもだらしねェが、……惚れた女を泣かせるような男には育てたつもりはねェ」
はあ、と困惑しつつも相槌を返したのにオーナーの僅かだった困惑の色が広がってとうとう首を傾げる。
「自分が泣いてることに気付いてねェのか」
「え?」
ぐい、とふしくれだった指、というより大きな手が私の顔をひと撫でして瞬く。見てみろ、と言わんばかりに目の前に出された手がしとどに濡れていて、自分の手を持ち上げて頬に滑らせた。途端にびしょ濡れになった手のひらに困惑する。泣いてる。どうして。
「……あー……何かしでかしたんじゃなくて、何もしなかったんだな」
盛大なため息をついて何かを納得したオーナーが、私の涙で濡れた手のひらとは反対の無骨な手でくしゃりと頭を撫でてきて瞬く。乱暴だけど優しいのが伝わるその撫で方に涙が止まった気がしたのに、見上げればオーナーが出入り口を睨みつけているのが不思議で思わず私も釣られて視線を動かす。出入り口付近には何度も蹴飛ばされて海に落ちて戻ってきたのかびしょ濡れになったコックさんたちが心配そうに私を眺めていて、その中の一人、確か一番最初に私に声をかけてきた人がびしょ濡れなだけじゃなく全身ボコボコになっていてギョッとする。だけどギョッとしたのも束の間、まだ海から上がっていないコックさんが残っていたのかどたばたと慌てた足音が聞こえて視線を出入り口に戻す。
「よかった!! いた!!」
逆光が眩しくて瞬いた拍子に止まっていた涙の最後の一粒が頬を滑り落ちる。次に開いた時に飛び込んできた景色は、人、は、黒いスーツの男の人。
「レディの住んでる島に迎えに行ったらちょうどバラティエに行ったって言われて慌てて蜻蛉返りしてきたんだけどまた入れ違いにならなくて良かった! 一緒に行こう! ……ってレディなんで泣いてんの?! てかジジイなにおれのレディに触ってんだよ離せよクソジジッ゛?!」
ヒュンッ、と目の前で風を切る音を聞いて、黒い塊が飛んで行った。コツ、とオーナーの義足が床についた音がして、息つく暇もなく喋り続けていた人を蹴り飛ばしたんだと理解して、さっきの言葉の数々を頭の中で繰り返す。
私の住んでる島に迎えに行った?
一緒に行こう?
おれの、レディ?
頭の上に乗っかったままだった手がもう一度私の髪を乱して、手が離れた瞬間止まったはずの涙がまた溢れる。
「お嬢さんがあいつのことを嫌いならおれが何度でも蹴っ飛ばしてやる。メシを食いにきたわけでもねェ、おまけに客に手ェ出す海賊はこの店の客じゃねェしな」
どうしたい、と溢れる涙越しに目を見つめられて無意識に立ち上がる。いいんだろうか。だって私は、一度も彼を信じようとはしなかった。信じたくなくて、信じたくないのは、傷付くのが嫌だったからで、傷付くのは彼の言葉に絆されて好きになってしまったからで。だけど自分の心を守るために、彼の言葉をひとつも信じなかった私が、都合良く彼に飛び込んでいいんだろうか。優しくてまっすぐな彼には、こんなかわいくなくて素直じゃないひねくれた心を持つ女より、もっと素敵な人が現れるんじゃないだろうか。
立ち上がったくせに足は床に氷漬けにされたかのように固まって動けなくて、涙だけがぼたぼたと溢れて止まらない。どたばたとさっきより重たい足音が聞こえて足だけじゃなくて全身が固まる。レディ!とまたお店の中に飛び込んで、一瞬で目の前に現れた人がまた一瞬で消えていなくなって目を見開く。このクソジジイ、と叫ぶ声が聞こえて、ぼちゃん、と海に何かが落ちる音。ほんの少し氷が溶けたような感覚に、一歩足を踏み出すことができて振り返る。それでもオーナーはいつでも足を動かす準備はできていると言わんばかりに仁王立ち。慌てて足がもつれそうになりながら一歩、二歩、と進んでいればどたばたとまた騒がしい足音。
「こンのクソジジイ!」
海水に塗れた重たいスーツを引きずって何度でも店内に戻ってきてくれる熱意に、固まっていた氷が溶けた気がして走り出す。さっき見た時と私の位置が変わっていたことに驚いたのか一瞬目を見開いて、眩しくて溶けるような笑顔を向けられてまだ涙が止まらないくせに私の頬も思わず緩んで抱きついた。
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