「ごちそうさま」
「え」
「……うーん、何で気付きましたか?」
いつも通り今日の予定を報告していたところに聞き覚えがある声が耳をかすめて、扉から出てきてごちそうさまと去っていったお客さんをつい目で追ってしまったのがいけなかった。降谷さんにはやっぱり隠し事はできないのと申し訳ないのとで情けなくも縮こまる。こんなに全部顔に出てたらいつ殺されるかの心配もだけど、いつ降谷さんの足を引っ張ってしまうようなことをしでかさないかが不安になる。
「あの……声が……モブじゃなかったので……」
「……なるほど」
変装だけじゃなく赤井さんみたくボイチェン使ってください。それはそれできっとモブ声ではないだろうけど、良い声だなあで流せるから。さすがに降谷さん周りの声を聞くと私はちょっと反応してしまう。
「預言者は引退したといいますが、助かります」
「……いや私はズルなので……」
「卑屈にならない」
「はい」
笑顔が怖くてすかさず返事はしたけどズルです。それにしたって中途半端なズルで役に立つんだか立たないんだかわからない微妙な知識で申し訳なくなる。むしろ挙動不審で怪しいオーラを醸し出しすぎて足を引っ張ってしまう微妙な知識だ。
「おっと、そろそろ時間ですよ」
「あ、行ってきます」
「はい、行ってらっしゃい。気を付けて」
朝から笑顔で芸術に見送られるのはやる気も出るし健康にも良い。ただ少し、登校時間がかぶる子どもたちにこの女の人は大人なのになんで毎日子どものようにお見送りされているんだろうかと思われてないかだけが心配です。
報告した時間より前に帰宅できるのが嬉しくてなんだか調子に乗った私は今日はポアロで何か頼んじゃおうと嬉々として割と勢いよく扉を開いてしまった。
お客さんは1人で静かな店内だったからか扉を開いた音にちらりと視線を向けられて浮かれた姿を見られたことに気恥ずかしくなりながらも会釈をする。ちょうど配膳をしていたのかそのお客さんの横に立っていた降谷さんを見て浮かれた気持ちも霧散して硬直した。
包帯。少し血がにじんだ包帯が腕に巻かれていてそこから目が離せない。朝はそんなものしてなかった。私がいつも通り仕事をしていた時間に、降谷さんも仕事をしていたんだろうか。それにしたって。それにしたって、初めて見る降谷さんの怪我に動揺して口がぱくぱくと動くだけでなにも言葉が紡げない。
「いらっしゃいませ」
なのに降谷さんはなにもなかったかのようにどこか嬉しそうに私に近付いてきてくれてようやく止まっていた時間が動き始めた。
「けが、だいじょうぶですか」
音が情けないくらいに震えて、言葉は紡げたけどいつものようにスムーズに話せない。それを見てようやく怪我を思い出したのか、ああ、と腕を見て胸が締め付けられる。怪我をすることが当たり前の生活なのはわかってる。わかってるけど。
「大丈夫ですよ、念のために巻いてるだけで。ほら」
私の動揺に気付いた降谷さんが包帯をしている腕を上げ下げして場を和ませようとしてくれているけど、そういうことじゃない。
「でも、血が」
「いえその、……腕よりほら、見てください。あなたの好きな顔は死守しましたよ」
えらいでしょう?と自慢気に放たれた言葉にカッと目の前が熱くなる。
「どこを怪我しようが軽傷だろうが重傷だろうが、ふ、安室さんを大事に思ってるから心配するんです! 同じ顔の人がいても中身が安室さんじゃなければ好きにならなかったし意味がないんです! 顔だけ守っても他に少しでも怪我をしたなら大事な友達だから心配するし、どんな小さな怪我でも血が出るのは痛いはずでしょ……そんな、当たり前の顔して、痛みに慣れないでください……」
心配してるのが伝わらなくて、顔さえ守れば私が喜ぶと思われていたのが悔しくて、みっともなく興奮して取り乱して発した言葉は支離滅裂でしかない。
怪我なんてしないで、だけは言いたくても言えなくて、胸の奥底にしまう。だって、そんなのは無理だ。いくら降谷さんがすごくても、彼が対峙してる悪はとてつもない存在で、常に危険に身を置いている。だから命さえ無事で帰ってきてくれたら、それでいい。だけど、だからって怪我を軽くみないでほしい。自分の体を大事にしてほしい。
悔しくて、悲しくて、痛そうで、視界が滲む。
「安室さんの馬鹿、もういいです。無事でよかった、でも今日はもう頭を冷やしたいので帰ります。ごめんなさい。お大事に」
言ってしまってからいくら取り乱していても言っちゃ駄目なことを言ってしまって後悔する。降谷さんのことを馬鹿だなんて、どうして言えたのか。きっとあの怪我は降谷さんが今までしてきた怪我に比べたら本当に大したことないんだと思う。何も知らない私が、降谷さんに何か言える立場でもないのに言い募って、馬鹿なのは私だ。
散々怖い目にあって、その度に降谷さんに助けてもらって、私は降谷さんの手助けなんてできないのに口だけは立派に出すなんて、恥ずかしいにもほどがある。
こぼれそうになる涙を堪えて、頭を下げて店外に出ようと足を進めた。
はずだった。
「ごめんなさい」
「え」
手首をしっかり握られて動けなくて、反射的に見上げた先で降谷さんが頭を下げていて固まる。何を。
「僕だってあなたが事件に巻き込まれて、怪我ひとつ負ってなくてもものすごく不安で心配で、……気持ちはわかるのに、軽率なことを言いました。ごめんなさい」
普段なら身長差で俯いていても降谷さんの表情が見えるのに、見えないくらい頭を下げられて思わず首を振る。降谷さんが謝ることじゃない。私が出しゃばり過ぎただけなのに。降谷さんだって好きで怪我してるわけじゃない。ああいう風に言ったのだって本気で私が顔さえ守れば喜ぶ人間だなんて思ってなくて、ただ私を和ませようとしてくれただけだって、降谷さんの謝罪で急激に冷えた頭だとちゃんと理解できる。カッとなってしまった私が悪いのに。
「ごめんなさい」
「ちが、私の方こそ、勝手なことばかり言ってごめ」
「本当にごめん」
私の言葉を遮ってまで謝る降谷さんに、え、と言葉が止まる。
「ちゃんと反省してるんです。でも、僕の表情を見て怒らないでください」
「え?」
頭を下げていた降谷さんが顔をあげて目を見開く。どうして、……どうして嬉しそうに微笑んでいるの。
「あなたが、……あなたが友達として怒ってくれて、それが嬉しくて顔が緩んでしまうんです。反省はしてます。自分の怪我を軽く見て、あまつさえ心配してくれてるあなたに対してふざけて失礼な物言いをして、……それは本当に反省してるんです。でも、それ以上に、あなたに友達だと言ってもらえたことが本当に嬉しくて、……困りました」
言われた言葉を頭の中で反芻して、理解して、さっきとは違う理由で体がカッと熱くなる。恥ずかしさに逃げ出してしまいたいけど、微笑む降谷さんはしっかりと私の手首を掴んでいて逃げられない。
「ずっと意識的に僕と友達をしようと頑張ってくれてたのも嬉しかったです。けど、さっきのは意識せずに友達として怒ってくれて、ようやくあなたに自然と友達として受け入れてもらえたんだと、そう思うとそれが嬉しくて」
「な、そ、」
私の口から意味のある言葉が出なくなって、熱で魘されるときより体が火照っている気がして狼狽を隠せない。きっとわかりやすいくらい頬も赤く上気して、握られた手首からものすごく早くなった脈拍も伝わっているだろう。恥ずかしくて身動ぎするもまるで歯が立たない力の差にもう諦めて降伏する道しかなかった。
「……手、離しますけど逃げないでくださいね」
逃げたところですぐ捕まる。し、恥ずかしすぎて逃げる気力もない。
宣言通り手を離してくれてすぐ触れられていた場所を隠すように触れて一歩後ずさる。視線はもう降谷さんに向けられなかった。あんなにこにことした、嬉しそうな降谷さんは目に焼き付けたいほど綺麗だけど、それ以上にその笑顔の原因のせいでいたたまれなくなって見られない。
「僕達、友達ですよね?」
「そ、……うです、ね」
「はは」
優しく甘い笑い声が溢れてまた熱が上がる。もうやめてほしい。湯気が出てきそうなほどの羞恥。
「友達に心配かけてごめんなさい。次からは少しの怪我もないように気を付けます」
さらりと私の言えなかったことを気軽に約束する降谷さんに驚いてずっと彷徨わせていた視線をあげてしまう。
「もう怪我はしません」
「そんな、……無事なら、それでいいですから」
枷にはなりたくない。怪我はして欲しくないけど、その約束のせいで行動に支障が出る方がつらい。ただ、死なないでくれたらそれでいい、強がりでしかないけど、降谷さんの邪魔はしたくなかった。
「ただ、痛みに慣れないでほしくて、」
「もう悲しませたくないので怪我しないようにしますけど、もしまた怪我をしてしまったら手当てしてくれます?」
「……素人手当より病院に行って綺麗に治してもらってください」
私はそんなことできる立場じゃない。いや友達なら手当ぐらい普通にするだろうけど、降谷さんにとって手当ってきっと特別なものだろうから。
「病院には行きます。けど、腕の包帯の交換なんて、僕一人じゃ難しいですし」
いや降谷さんなら余裕でしょう。と尚も食い下がる降谷さんの発言につい心の中で即答してしまった。降谷さんなら利き手の包帯変えも余裕でできると思う。それに心なしか棒読みだった。
「手伝ってください。友達でしょう?」
「……安室さんの方がきっと上手にできますよ」
「一人じゃ無理ですよ」
「……わかりました」
ふ、とかすかな笑い声が聞こえて固まる。にこにこ笑顔の降谷さんの肩越しにお客さんが一人、微笑ましそうに私たちを見つめていた。ぱちりと目があって更に笑みが深くなる。
「すみません、お会計でしたよね」
「いえいえ、とても可愛らしいやりとりを見れたのでお気になさらず」
さっき以上に体に熱を持つのがはっきりわかる。降谷さんはさも今気付いたかのように対応したけど、絶対、絶対に降谷さんは気付いてた。気付いていて、ここでやりとりしたくせに!
なんてしらじらしい!
「安室さんのばか! また明日来ます! 騒がしくしてすみませんでした!」
「また明日」
「本当に気にしないでいいのに」
ばか!と再び罵ってしまった。でもこれくらい許されたい。だってあんな、降谷さんだけならまだしも、見知らぬ人にあのやりとりを聞かれてたなんて、とんだ、恥だ。明日、どんな顔で降谷さんに会えばいいのかわからない。
────────
「また明日」
「本当に気にしないでいいのに」
カウンターに座る人の返事は脱兎のごとく逃げ去った彼女には届かなかっただろう。俺の返事も果たして聞こえていたかどうかわからない。ふ、と笑って視線を交わす。
「中学生みたいなやりとりで可愛かったのでもっと見ていたいくらいでしたよ」
「はは」
確かにこの年齢で友達になるならないであんなにも大騒ぎしていたらそう言われても仕方ない。言動は本当に懐の広いお客様のようだが、本当の客なら俺だってこんな青春真っ盛りみたいなやりとり、ここで繰り広げなかった。さらりと流して、あとで問い詰めた。はずだ。たぶん。
こんなにも自分の感情を曝け出したのはこのカウンターに座る男がただの客ではなく、変装したヒロだったから。
「あの人のおかげで色々スムーズにいけてるんだから感謝してくださいね」
とん、と自分の喉を指し示して微笑む。彼女が気付いたあの時あれはあれで声のトーンも変えてたらしいし実際、松田達にも気付かれなかったからそのままでもよかったのかもしれないが念には念を入れて変装をより完璧にすることができた。
「ああ。うん。気をつける。俺もいつか面と向かってお礼言いたいな」
「……」
「何その顔」
「いや、……友達取られたくないなの顔」
「本当に青春真っ盛りで面白いんだけど。そういう、あいつは俺の友達だからお前は遊ぶなみたいなやつは小学生くらいで終わらせとくやつだろ」
「遊ぶなとかは思ってない、が、俺が一番大事とかいうくせに一番距離が遠い気がするから」
友達であれだけ渋られてたのに、頑なな彼女が絶対に受け入れるのに時間がかかると思っていた姉という呼称をわずか五分で順応したんだから、この扱いの差に少し嘆いてもバチは当たらないはずだ。だってただの友達と、姉を受け入れる時間の差、普通逆じゃないか?
「……ほんと青春してるなあ」
呆れたような言葉でも、視線が優しすぎてなんだかくすぐったくなった。
2019/12/20