「はわ」
「はわ?」

 廊下の真正面を歩いていた女子が発した言葉が不思議すぎて思わず復唱してしまった。いやだって、はわ、ってなんだ。だけどすぐ理解した。口元をおさえて俺を見る目が覚えのある目だということに気付いて、ちょっと言動がおかしいがいつもの女子たちの亜種なら対応を間違えたかと内心眉根を寄せる。下手にリアクションをとるべきじゃなかった。どうしようか。なんて思っていたら芸術だなんだと大仰すぎる言葉に思わず笑ってしまった。だって言い寄られたことはあれど、そこまで大仰に褒められたことはなかった。ここまで大袈裟に言われると逆に気が抜けてしまう。それにこれ以上俺には近付いて来ない珍しい行動になんだか安心してしまう。それどころか一歩下がられた、珍しすぎる亜種だ。なんだこの子。

 二度目に遭遇した時も、やっぱり変な子だった。
 そんなに俺の顔が好きか、なんてそんな自惚れた台詞を言ってしまうほど奇妙だけれどわかりやすい女子に思わず笑う。
 変すぎて少し好感度が上がったというのに最後に言われた、命大事に、という唐突すぎる提案に好感度も何もないカテゴリに属されることが確定した。なんだこの子。なんだ命大事にって。

 彼女とはそれ以来会話することはなかった。視線を感じることもなく、あんなに俺の顔が好きだと態度でも言葉でも表してくれたのに、なんて勝手に裏切られた気持ちになりながらも彼女の顔すらおぼろげになった。
 だけどしばらくして萩原の悪癖に気付いてふと彼女の言葉を思い出してぞっとした。若い頃は無駄に無敵だと思い込む。それは自分にも言えることで。成績優秀だからと調子に乗っていたかもしれない。こんな狭い世界で一番だからと、俺がこの世で一番賢いわけじゃない。井の中の蛙なんだ。テストだから、試験官がいるからといって、いつ事故が起きるかもわからない。警察を目指すからにはいつも最悪の事態を考えて行動しなければいけない。国民を守るためにはまず、自分の体を大事にしないと守れるものも守れない。
 そう気付かせてくれた彼女の顔はほんの少しおぼろげになったままだけれど、声だけはなんとなく覚えている。
 それから一番調子に乗りやすい萩原にはもちろんみんなに、それこそ耳がタコになる程命大事にと言い聞かせて理解させた。口では相変わらず調子のいいことを言うことが多いけど、きちんと身を守ることを考えるようになったから良しとしよう。



 あいつが危ない。頭に血がのぼる。冷静にならなければいけない時に限って冷静になんかなれっこない。だって、どこから漏れた? それを考えただけで頭は煮えたぎったように沸騰してそこから先がかすみがかったように何も見えなくなる。心臓の音がやけに大きく聞こえる。はやく、はやく。

「降谷さん!」

 そこで聞こえた声に固まった。聞き覚えのある声だ。なんで君がそこに。おぼろげだった容姿がピースがはまるようにカチリと鮮明に見えて急がなければならないのに時が止まったかのように感じた。路地裏に隠れるようにして潜んでいた彼女は携帯を両手に少し慌てているようだった。あの変な子だ。俺の外見が異常に好きな、少し言動のおかしい子。
 慌てている俺を見て慌てながら、身振り手振りを交えながら話された内容に目を見開く。このビルに、2人が。
 だけど彼女の言葉を聞くうちにだんだんと煮えたぎる思考がクリアになっていく。ただでさえ追われているあいつが、俺が慌てて階段を駆け上ったことにより追い詰められたと思ったらどういう行動をとるかなんて、考えるだけで恐ろしい。命大事にのコマンドは確かに大事だけれど、いざという時には国を守るためそれを捨てなければいけない立場に俺たちは立っている。頭に血がのぼって、そんなことも考えられていなかった自分に叱責する。
 彼女の言葉通りなら、ヒロは今、一対一だ。それならまだ希望はある。

「そう、あの、警察の応援、呼ばないんですか? 代わりにかけましょうか?」
「……代わり?」

 なぜ、と目を見開く。

「制服着てないしプライベートでは?」

 そうではなく。いやそうだけど、そういうことではない。なぜ俺が警察だと信じ込んでいるのかが謎で固まっていれば彼女の記憶はどうやら高校の時のままで止まっているらしかった。女性のネットワーク末恐ろしい。
 とりあえず落ち着いた。わりと時間が経ってしまったが、激しい物音も俺たち以外の人の気配もしないことでヒロはきっと無事だという気持ちが高まる。交渉をしていてきっと長引いているんだ。そう、そうに決まっている。
 彼女を安全な場所に送り届けることはできないがそこまでしている時間はない。それにすぐそこが人通りの多い場所で、彼女ならきっと大丈夫だ。あとは俺に任せてと彼女を見送って深呼吸してビルを見上げた。
 大丈夫、冷静になった。ヒロならきっと、大丈夫だ。




 久しぶりに見かけた彼女はなぜか大型テレビを見上げて固まっていて思わず声をかけてしまった。命の恩人のことを調べるだなんて少しばかり心が痛んだけど一応念のために自分で全て調べて、白と太鼓判を押せたせいで少し態度が馴れ馴れしかったかもしれない。

「どうしたんだ?」
「ひえ」
「……まだ慣れないのか」

 思いのほか驚かれて申し訳なく思ったけれど、そのすぐあとに口元を押さえた仕草になんだいつものかと呆れて笑う。不思議な人だ。まるで未来が見えてるかのようなアドバイスばかり彼女にもらっている気がする。

「それで、どうした? また予言めいたことを言いたいのか?」
「え?」
「ほら、いつものアドバイスのことだ」

 だからつい、冗談めかしてそんなことを言ってしまった。

「観覧車と病院です。でももう大丈夫だと思うんですけど」

 なのに返ってきた本当に予言のような意味のわからない言葉に唖然とする。まさか本当に? いやそんなわけがない。ノリよく付き合ってくれただけだ。変な子だったじゃないか。

「……まあそれはあとでとして、君はこれからどこへ?」
「え? さあ……観光地巡りですかね……」

 そう納得させたのに二個目の質問に対してまた意味のわからない言葉を返してくるから戸惑う。観光地? 今から旅行に行く素振りも見せず、散歩のような荷物の軽さで、十年以上同じ場所に住んでいるこの街を、観光? 意味がわからない。
 彼女と別れて、念の為ヒロに電話して観覧車と病院で何かおかしなことが起きていないかと聞けば返ってきた答えに目を見開く。病院でおかしなことはないが観覧車に爆弾が仕掛けられている、と。そしてもうひとつどこかに爆弾が仕掛けられているらしいと。
 振り返れば彼女はすでにいなく、慌ててヒロに病院関係を調べてくれと頼んだ。
 まさか、本当に?

 あれから萩原たちも調べていたのか結局もうひとつの爆弾も見つけられて解除されて、観覧車に乗り込んでいたらしい松田もなんとか無事に地上に戻ってこれたらしい。彼女ともし会わなくても、萩原たちだけでなんとかなった。なんとかなった、が、彼女の言葉はやはり予言じみている。でももう大丈夫、とは、どういう意味だったんだ。萩原たちが解決することすらわかっていた? 彼女のおかしな言葉は全てほんとうに予言なのか? 唐突な命大事に、ヒロを探していたときも冷静さを取り戻せたのは彼女が声をかけてくれたから、今回は松田。もしそうなら、唐突な命大事ににかかっていたのは萩原か? そして、萩原が助かったから、もう大丈夫?
 いや、そんなことはない。そんな非科学的なことあるわけがない。あるわけが、ない。



 あるわけがないと思っていた。
 だけどもうだめだ。恩人を疑うのは心が痛んだけれど何度調べても彼女は白で、白だったけど心が晴れずに広げっぱなしだった俺の捜査網に救急への通報で再び引っかかった。なにか事故にでも巻き込まれたのかと詳しく調べればそれは事故の目撃者としてで。詳しく調べればその場には伊達がいて。記録には彼女に助けられたおかげで捜査員2人は無傷だったと書かれていた。今度は伊達を助けた。伊達を、助けた。4回は偶然で済ませられる数じゃない。彼女は俺の身の周りの人物を助けてくれている。
 そんな非科学的なことあるわけがないと思い込むのがもう無理がある。
 彼女にお礼をしなければ。もしまだ何かあるのなら、聞かせてもらわなければ。


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