「エッ」
「うわなにこわ」
急に手を高らかに上に持ち上げられて固まる。肩外れるかと思った。こわ。いつも朗らか優しく垂れた目がなんだか釣り上がっている気がして何か怒らせるようなことをしただろうかと眉を潜める。一瞬考えて、考えることを放棄した。だってしてないと思う。そもそも怒らせるほど最近会話してないし。いつからだろう、この幼馴染みとそこまで会話をしなくなったのは。中学に上がってすぐくらいだろうか。小学生の価値観と、中学生の価値観はまるで反対で、環境が変わったせいもあってあまり話すことがなくなった。別に仲が悪くなったわけじゃない。気まずいことも特にない。すれ違えば久しぶりとにこやかに挨拶して近況を話し合ったりする。ただ言葉通りあまり話すことがなくなった、それだけ。
でもさすがにこの高らかに腕を持ち上げられた行動はあまりの突拍子のなさに気まずい雰囲気が流れる。
「なに? 新種の虫とかついてた?」
いや虫でこんな突拍子のなさを見せたことはないから違うだろうけどそれくらいしか思いつかなかったから。萩原はずっと固まったままで私の声なんてまるで届いてない。
「これ何」
「これ? どれ? 虫?」
萩原寄りに腕を持っていかれているから私には見えにくいよ。どこについてるか教えてくれないと。というか何かついてるなら萩原がとってくれればいいと思う。なんて思いつつ萩原は相変わらず私の声が届いていないようでじっと持ち上げた私の腕を睨み付けていて、首を傾げる。ほんとなに。
「これ」
「いやそれはとっちゃダメじゃん」
何かついてるならとってくれればいいのに、と心の中では思っていたけど、まさか萩原の「これ」が私のつけていた指輪にかかっているとは思わなくて思わず突っ込む。いや本当それはとっちゃダメじゃん。なにって指輪じゃん。見りゃわかるじゃん。なんでとるの。なんで私の腕持ち上げたの。
ようやく解放された腕を今度は自分の意思で持ち上げて萩原が取った私の指輪を取り返そうとするのにそれより高く持ち上げられてまるでいじめっ子といじめられっ子の構図だ。
「いや返してよ」
「なんでとっちゃダメなの」
「指輪だからですけど……???」
訳のわからないことを言う萩原に思わず敬語になってしまった。なんでもなにもそれはおしゃれだからですけど。虫やゴミがついてるなら取ってくれたら感謝するけど、それはただの窃盗じゃん。
「なんで薬指にはめてたの」
「ダメなの?」
「誰にもらったの」
「会話のキャッチボールしようよ。私の返事聞こえてる?」
「聞こえてる。誰にもらったの」
聞こえてた。聞こえてないと思ってた。だってあまりにも一方通行の尋問だったから。
「おかあさん」
こんな一方通行な尋問もどきに素直に答えてあげる私とても優しい、だなんて自画自賛をする。なのに萩原からまた返事がもらえなくてやっぱり聞いてないんじゃないのと視線をいつまで経っても返してもらえない指輪から萩原にうつした。いつもタレ目なそれが釣り上がっていて驚いたのに、その目がいつも以上に垂れ下がってることに気付いて目を瞬かせる。今日、萩原の目情緒不安定だね。
前は私と同じくらいか少し小さかったくらいの視線の位置がいつもより高いことに気付いて取り返せない指輪のことはひとまず置いて口を開く。
「てか背伸びたね」
「あぁうん……中3になった途端伸びて……成長期に入ったんだと思う……たぶんまだ伸びる」
「よかったじゃん」
「うん」
「まだ返してくれない?」
世間話の間に挟めばもしかして返してくれるかもだなんて思ってさらっと混ぜてはみたものの相変わらず萩原はどこか上の空でいい加減なんなのか問い詰めたくなる。なんなの。
「……おばちゃんからもらったの?」
「そうだよ」
萩原がようやく再起動してくれたことにびっくりして今度は私が無視しそうになったけど慌てて頷く。
「なんで?」
なんで???
「ええと……この間大片付けしたら昔のアクセサリー色々出てきたからお古あげるって、もらった」
もう少し大人になったらこっちもあげるね、と綺麗な箱を大事そうに抱えたおかあさんにこくこくと頷いたのは記憶に新しい。あの綺麗な箱の中身もきらきら輝いていて楽しみだけど、そもそも中学生の私からすれば千円以上のアクセサリーは高額で宝物だ。その時の気持ちを思い出せば訳もわからずに奪われたままなのが今更ながらに腹立たしくなってきて萩原を睨みつける。
「返してったら」
「……ごめん」
ふん、と立腹しながら放った言葉に覇気がなさすぎる声と指輪が返ってきて、しゅるしゅると怒りが溶ける。えっそんなしょんぼりしなくても。なんなの萩原、ほんとに情緒不安定なの。
「……なんだったの」
「いや、……うん、ごめん」
「訳わかんない」
まあいいやと指輪を付け直そうとすれば謝罪していたはずの萩原がまた私の邪魔をしてきて眉を潜める。
「もうなに」
「なんでそこにつけるの」
そこ、と言われて妨害するように私の薬指を包み込む萩原の手に視線を移す。背も伸びたから当たり前かもしれないけど手もなんだか大きくなっている気がする。小さい頃も手を繋いだ記憶がないから、気、だけだけど。
「人差し指でいいじゃん」
「指輪といえばここっぽくない?」
萩原につかまれている指以外を動かして言いながら他の指につけた姿を想像したけど、やっぱりしっくりくるのは萩原に隠されている指だ。
「指輪といえばここって認識があるなら空けておくべきじゃない?」
「なんで?」
「……いや、……だって、そこは好きな人にはめてもらう場所じゃん」
ぱちくり、と目を瞬かせる。なるほどずっとなんだか情緒不安定だったのはそういうことか。
「ロマンチックだねぇ……」
思いの外しみじみとした声が出てしまう。さすが中学に上がってからなんだか女の子にモテはじめた男の子の言うことだ。その顔と、優しさと、こういう少し夢見がちでロマンチックなところが女の子にモテるんだろうな。
「そういうの、興味ないの?」
「興味ないというか、うーん、ただのおしゃれのつもりだから」
「……ふーん。ねえ、もう一回見せて」
最初から素直にそういえばよかったのに、と思いながら指輪を渡す。それと同時に掴まれていた薬指も離してもらえて手をぐーぱーして萩原を見上げた。太陽に透かしてくるくると指輪を観察する姿はどこか様になっていて、でも様になってるだけでやっぱりちょっと今日の萩原は何がしたいのか訳がわからない。
「返す」
「ん」
満足したのかそう言ったくせに一向に私の手に指輪をのせてくれない。
「左手貸して」
「え?」
「左手」
今日の萩原はほんと謎だし今までで一番めんどくさい。
そう思いながら素直に左手を差し出す。手のひらに指輪を乗せて返してくれるかと思ったのに、くるりと手を回されてするりと指輪が私の薬指を滑っていく。
訳がわからないけどやっぱり様になる姿に一瞬固まったけど、ようやく戻ってきた指輪にホッとする。
「うん。まあ、……今日のところはこれでいいや」
「何が?」
情緒不安定は急に店仕舞いしたのか今日一の満足そうな笑顔に今度は私が間抜け面を晒すことになってしまった。本当に何がしたかったの……。
2020/07/30