▽▼▽

「おはようございます。いい引っ越し日和ですね」
「えっ」

 ぴんぽん、と鳴らされてこんな朝早くに勧誘かなあなんてドアスコープを覗いたら国宝にしたいレベルの顔面がドアップで写って腰が抜けるかと思った。ばくばくした心臓を押さえながら玄関を開ければにっこりと放たれた言葉にこれは夢かと固まる。固まりたかった。失礼しますと私の横を通り抜けていく何人もの作業着の方に気圧されて家主のはずなのに端に避けてしまった。なぜ。段ボール箱を抱えて入ってきた人たちを呆然と眺めていたけど慌てて降谷さんに向き直る。

「えっあのっ」
「ちょっと場所変えてみましょう。ちゃんとこの部屋も残しておきますから。急にいなくなられると困るので、僕のそばにいてもらいます。簡単に鍵が開けられるここと違ってセキュリティも万全ですよ」

 ちょっと待ってください情報が多い。
 というか恥ずかしながら大号泣していたこの間はやっぱりピッキングして入ってきてたんですね。私だからいいですけど無実の人の家にはピッキングして不法侵入しちゃ駄目ですよ。
 一番引っ掛かったのがそこだったけど、あえていうならこれなだけで全部突っ込みどころ満載でもう何から手をつけていいのかわからない。

「確かにこの部屋で寝起きしてあっちこっちに行く確率が高いですけど、一番最初はふとした瞬間に学校にいましたし、気付いたら雑踏の中を歩いていたこともあったので、この部屋が特別かどうかと言われると別にそうでもないような気もしますよ」
「それでもここが一番確率が高いのは事実なので。もし他の人がここに住んでそういうことになったら大変なので一応保存はしておきます」
「……安室さんが住むようなレベルの家賃、払える気がしないんですけど」
「大丈夫です。ここと家賃は変わりません」
「……友達に家賃を払ってもらうなんてこと普通はないので、もし安室さんが不足分の家賃を払ってくれるおかげでここの家賃と変わらないだけなら、もう友達じゃなくなりますけど」

 恐る恐る言えばなんの問題もないと言わんばかりににっこりと微笑まれる。まあ降谷さんがそういうことに考えが行きつかないわけもなく、何もかも抜かりなく準備はしてくれてるとはわかっていたけど。わかっててもつい言葉にしてしまった。

「僕も引っ越したんです」

 私が今払っている家賃と変わらない値段の場所をわざわざ調べて、セキュリティやら治安やらその建物の持ち主の経歴やら何やら全て完璧に白なんだろうなあと察せられるその笑みを見て私も笑うしかない。ものすごく安全な建物なのはわかるしありがたいけど、でもやっぱりこの、家主さえ当日に知る急な引っ越しは唐突すぎると思うんです。あと降谷さんの住んでる家が私にあわせたせいでグレードダウンさせてしまったんだろうなあと思うと申し訳ない。

「離れないって約束しましたよね?」
「しましたけども」

 そんな物理的な距離の近さのことではなかった。降谷さんもきっとそれはわかってくれてるはずなのに。押しが強すぎる。
 そうしてる間にも着々と家主を置いてけぼりにしながらも引っ越しの準備は進んでいて遠い目になる。

「ちゃんと職場にも近いですよ」
「……ありがとうございます」

 押し負けてとうとうお礼を言ってしまった。私が降谷さんを大好きでやることなすこと大正義だと思ってるから一万歩くらい譲って家賃のことしか言及しませんでしたけど、普通そもそも友達は勝手に引っ越しさせてきませんからね。

  ▽▼▽

「ほらハロ、挨拶して」

 夜逃げ屋さんもびっくりなほどはやく新居に連れてこられてさっきまでいた部屋と同じくらいの家賃だといったくせにどこかワンランク上にしか見えないマンションに肩身が狭くなりながら廊下を進んでけば、アン!と元気よく挨拶をして紹介されたハロくんに思わず胸を抑える。いつのまに会ってたんですか。可愛いですね。撫でていいですか。

「寂しすぎてあやうくあなたの名前をつけるところでしたよ」
「えっ」
「ものすごく唸られたのでやめました」

 私が私でなかった時に降谷さんも寂しがってくれたのは、ものすごくストレートな言葉でたくさん伝えてもらったから知っているけど、まさかそんな危うい展開になりかけてただなんてさっきとはまた違う意味で胸をおさえてホッとする。

「……この子もあなたは知ってたんですか」
「名前くらいしかわからないし、もう本当ここから先は予測不可能すぎて。……まさかまた安室さんと話せると思ってなかったので、現実逃避しちゃって、その……ちゃんと読んでればよかったですね……」

 でもあの時はもう二度と降谷さんに会えなくなったと思い込んでいたから読み進めたくなかったんです。降谷さんと友達になったはずなのに私を知らない降谷さんをこれ以上見たくなくて。せめて読んでたら変わった未来も教えることができたかもしれないのに本当に役立たずで申し訳ない。

「いいえ、あなたにはもう充分助けてもらいました。次は僕があなたを守る番です」

 えっ。いや、私だって命の危機を助けていただいたのでじゅうぶんおあいこになると思うんですが。
 と思ったし顔にも十分出ていたと思うのだけど、降谷さんの反論は許さないと言わんばかりの笑顔と断言に唇が動かなかった。
 そして通された部屋はやっぱり前の部屋と同じくらいの家賃だなんて嘘ですよねと思うくらい綺麗で呆然とする。

「友達は友達の家賃払わない……」
「ここの家賃は最初からこれだった。俺は何もしてない。差分なんてもちろんないから払ってないし、君も気にするな」

 繰り返し呟けば再度念を押されただけだった。降谷さんが言うならそうなんだと思う。本当に家賃は変わらないし、降谷さんは何もしていないんだと思う。でも、降谷さんは何もしていないのかもしれないけど、降谷さんの部下が何かしてくれたのかもしれない。それくらいの屁理屈は降谷さんならこねそうだ。だけど、まあ、もういいや。甘んじて受け入れさせていただこう。この世界で降谷さんのお友達として生きていく覚悟を決めたのだから、セキュリティは安全な方がいい。この世界で安心して眠れる家は大事だ。

「……ところで君、友達でも嫌なことは嫌だってちゃんと言わないと駄目だぞ」
「え?」

 そうと決まればなんだか少し広くなった気がする部屋の模様替えでも考えようとポジティブな方に思考をうつしていれば降谷さんが悩ましげな声を出して首をひねる。確かに降谷さんが言った言葉は大事なことだけれど、引っ越しや安全面や家賃の話し合いをしてただけなのに急に話題を変えたりしてどうしたんだろう。

「セールスの押し売りとかちゃんと断れるか? いやここはそういった煩わしいものも来ないが」

 急に話を変えたのかと思っていればどうやらそうじゃなくて、自分をセールスの押し売りと同等の扱いをして私の心配をしてくれていたらしい降谷さんに思わず笑ってしまった。

「ちゃんと嫌なものは嫌だって断れますよ」

 連れてきた張本人のくせに、でも君なあ、と私の返事を怪しむ降谷さんにくすくすと笑いがこみ上げて止まらない。

「降谷さんしかこんなことしてこないし、降谷さん相手に嫌なことなんて何もないですよ」
「……相変わらず神様扱いだな」

  ▼▽▼

「……安室さん、いつ寝てます?」
「いつって。夜ですよ」

 通勤途中にあるポアロ前に行って安室さんとおはようの挨拶をしスケジュール報告をする日常が、お隣に引っ越ししたことにより毎朝同じ時間に途中まで通勤しながらスケジュール報告をする日常になって気付いたことがある。
 降谷さん、寝てない説。
 昨日、いや、今日、二度寝するには微妙な時間に起きてしまってそれならばと本来起きる時間までは買って積んでいた本を読むことにしてのんびりと過ごしていた。ら、かたん、とお隣で帰宅する音がした。二度寝するには微妙な時間に、帰宅する音が。お疲れ様です、と、じゃあ今日はおやすみなんですね、と思っていれば私と同じタイミングで扉を開けた降谷さんに驚いて綺麗な二度見をしてしまった。降谷さんにはまだこの顔に慣れないんですねなんて見当違いなことを言われたけれど。いや顔には一生慣れる気はしないんですけど驚いたのはそれのせいじゃないんです。

「……寝てないですよね」
「寝てますよ?」
「私の言ってる寝る、は、続けて7時間は眠ることです。寝てないですよね」

 にこ、とその綺麗な顔面で誤魔化そうとしたって無駄です。国宝レベルの美しさに心臓を鷲掴みにはされますが、この件に関しては誤魔化されません。

「……普段は寝てます。が、最近は少し忙しくて」
「私の心配するより、自分の心配してください。引っ越したから忙しくなったんなら元の場所に戻りま」
「戻りません。別に引っ越したから忙しくなったんじゃないです」

 戻りましょう、の言葉は降谷さんにさらわれてしまって口がもごもごと中途半端に動く。そんな笑顔じゃ誤魔化されないけど、だからって降谷さんに討論で勝てるわけもなくどうすればいいのかわからなくなる。忙しいのは本当だろう。本当に眠れないくらい忙しいだけなんだと思う。降谷さんにしかできないことで、代われる人がいないから仕方のないことなのかもしれない。

「でも、……心配なんです」
「もう少ししたら落ち着きますから」
「……7時間眠れます?」
「……4時間ですかね」
「駄目です」

 はい、なんて嘘をつかず、正直に答えてくれた(んだと思いたい)降谷さんに少し絆されかけたけど首を横に振る。4時間は駄目です。というか4時間睡眠は落ち着くって言いません。

「命大事にって言いましたよね」
「そうですね。おかげで助かりました」

 そうじゃない。確かに萩原さんをどう助ければいいのかわからなくてなんともあやふやな進言で運命が変わってくれたのは私としても助かったんだけど、でもそうじゃない。

「きっかけはそうなんですけど、でも私は安室さんを笑顔にしたくて、安室さんを幸せにしたくてあれこれ言ってたんです。だからあなたが一番ちゃんと命大事にしてください」
「ふ」
「ひえ。……何笑ってるんですか誤魔化されませんよ、ちゃんと寝てください」
「はは」

 暖簾に腕押しとはこのことなんだなあと遠い目になる。降谷さんには幸せに笑っていてほしいけど目の前で笑われると思考回路がなくなってしまうので困る。
 それにしても、私が降谷さんを知らなければ寝ていないことにも気付けなかった。だって何も塗っていないのに肌はこんなにきめ細やかで、唇だってリップも何もしていないのに乾燥知らずで、髪の毛だって栄養が行き届いてるのか艶々さらさらで、極め付けに睡眠不足のくせにクマがない。ポーカーフェイスかっこ物理。美。やっぱり国宝にするべきでは。

「……またおかしなこと考えてません?」
「睡眠不足の今でさえ芸術のように美しいのに安室さんがきちんと睡眠とったら美の化身になるのかなあって」
「ははは」

 えっそのあからさまに棒読みな笑みはなんですか。また友達ではない感じをやらかしてしまいましたか。だって降谷さんの美貌が完璧すぎてつい。

  ▼▽▼

「寝てます?」
「寝てます」

 絶対嘘だと思いながらも顔を合わせるたびに聞くのが日課になってしまった。降谷さんは私の予定を聞き、私は降谷さんの睡眠時間を聞く。いくらスケジュール報告とはいえ相変わらず正直すぎて女性がそんな開けっ広げにプライバシーを話すなと理不尽に怒られ、降谷さんは息をするように睡眠時間を誤魔化しておこ、おこ……怒れたらいいのになあ、と遠い目になる。怒るだなんておこがましいことできやしない。だって降谷さんは別に遊んでいて夜更かししてる訳じゃない。遊ぶ暇なんてない。正義のために頑張って夜も眠らず国を守ってくれているのだから。
 正義を貫く降谷さんを好きになったけど、ここも現実だと受け入れてしまえばまた見方も変わってしまって手放しでかっこいいと言えなくなってしまった。物語を読んでいるときは一コマで場所を移動したり機密情報を一ページで手に入れたりしていたけど、現実だとそうはいかない。時間は有限で、移動時間はもちろん必要だし、描かれることのない睡眠や食事の時間だって必要で、物語のように降谷さんの日常をこなすには現実の時間が足らなすぎる。

「ちゃんと寝てますよ、本当に」
「……私に付き合って一緒に歩いて通勤しなくてもいいんですよ。車で行った方が時間短縮もできるし」
「睡眠時間も大事だとわかってますけど、友達との時間も大事なんです。この数分の時間を取り上げられると寂しくて仕事に支障が出ます」

 仕事に支障が出る、だなんて脅し文句を使われたことにぐうの音も出なくなる。心配なことには変わりはないけど、寂しいと言われて少し気持ちが暖かくなる私はなんて扱いやすいんだろうと自分でも思う。ちょろい。降谷さん相手だけだからいいかと思うけど、でもその降谷さんを寝かしつけたいのに丸め込まれていては意味がない。まあ降谷さんに勝てるはずもないのは最初からわかってた。わかってたけど。
 でも根気よく言えば少しは寝てくれるかなと期待して顔を合わせるたびについ小言を言ってしまう。しつこいと嫌われないか少しだけ心配になるけどつい口が動いてしまう。

「……でも睡眠時間が少なすぎると寿命が短くなっちゃいますよ。百歳超えても私とお話ししてくれないと、それこそ寂しいです」
「……あなたの人生設計長いですね」

 私の人生設計というより、降谷さんの人生設計です。降谷さんに百歳超えても笑って楽しく生きててほしいから、それを見守るために私も長生きする必要があるだけで。

「百歳になる長いお付き合いになっても僕に飽きたりしません?」
「えっ飽きるわけないですよ。もし私が安室さんのこと怒らせて喧嘩別れとかしちゃっても遠くから見守るのくらいは許していただけると……」

 言葉にしてから警察官にストーカー宣言をしてしまったことに気付いたけどでも許可を取れるなら今のうちにもらっておこうと撤回はしない。呆れたように笑う降谷さんは私がストーカー宣言をしたことに気付いてしまっただろうか。

「友達なら喧嘩しても仲直りするでしょう。あと僕が嫌われて喧嘩別れする可能性はないんですか」
「ないです」
「相変わらずですね。まあもしそんなことがあったとしても地の果てまで追いかけて仲直りしますけど」

 私が降谷さんから離れることはないと思うんだけど、ないと思うけど少しだけ鳥肌が立ってしまった。仲直りかっこ物理な感じがした。いや私が降谷さんから離れるなんてことは絶対に起きないんですけど。
 なんて考えていて気付く。ストーカーの許可をもらいたかったのにさらりと受け流されてしまった。くそう。言質をとろうと思ったのに。降谷さんなら口約束でも一度言ったことは守ってくれると思ったから今のうちに許可をとりたかった……。


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