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「あの、」
「え?」
ポアロで食事、というか休憩するのにもようやく慣れた頃、唐突に声をかけられて間抜けな声を出してしまう。顔をあげれば緊張からかこわばった顔をした私と同い年くらいの男の人が立っていて首を傾げる。私店員さんじゃないですけど。いや座ってるからわかってますよねさすがに。
「急に声をかけてすみません、安室さんとは、その、どういったご関係で……あの、たまに朝一緒に通勤してます、よね」
ものすごく緊張しているのが伝わるほど声が震えていて察する。安室さんに恋をしているのだろうか。今時同性愛だなんて珍しくもなんともない。だけど悲しいことにまだ風当たりが強いのも理解してるし、それでも勇気を出したこの男性に心を打たれた。
それに、私にはとても言いたかった台詞があった。だから次に出るだろう言葉を待って少しわくわくしてしまう。
「お付き合いを、されているんでしょうか」
「安室さんとはお友達です!」
噛まずに堂々と胸を張って、けれど肩の力と気合がものすごく入ってしまったせいでわりと店内に響いて少し恥ずかしくなる。でもちょうどよかった。目の前にいる彼だけでなく、安室さん目当てに来ている人全てに私は伝えたかった。いや、なんなら全人類に伝えたい。私は降谷さんとお友達なのだと。降谷さん公認のお友達です。ふふん。
▽▽▽
彼女が男性に絡まれているのはすぐに気がついた。隣に引っ越しをしてもらってからほぼ毎日一緒に通勤をしていれば、絡まれるのも時間の問題だと分かっていた。でも彼女に絡むならいつも同じ席に座って俺に絡むあの女性だと思い込んでいて、注意を全てそちらに向けていたから対応に遅れた。まさか女性が行動するよりも男性の行動の方が早いだなんて思いもしなかった。あの表情や問いかけからして、きっと彼女に恋い焦がれている。
「お付き合いを、されているんでしょうか」
「安室さんとはお友達です!」
彼女の返答に店内が一瞬だけ静まり返る。ドヤ!なんて効果音が背景に散らばっているのが見えるほど堂々とした発言だった。
嬉しいはずなのに、喜ぶべき言葉なのに、望んでいた関係性なのに、じくじくと胸が痛む。
俺の心臓が痛むのとは打って変わって男の表情は少しずつ緩んでいくのが無性に気に食わない。
「でも、毎朝、」
「お隣さんなんです」
「……えっと、お付き合いはされてない、んですよね?」
「お友達です」
「……じゃああの、ぐだぐだと、情けなくてすみません、でもあの、いてもたってもいられなくなって、……あなたのことが好きだから、どうか、僕にチャンスをくれませんか」
ぴたりと時間が止まった。俺だけじゃなく、店の中のすべての時間が。一番最初に時が戻ったのは女子高生グループからでひそひそと、だけど興奮気味にやばいやばい告白じゃんと囁き合っている。年配のお客様は微笑ましそうに二人を見守っていて、俺は何も気にならないぞとどっしりかまえて新聞を読んでいたサラリーマンでさえちらちらと視線を動かしていた。
固まる彼女を横目にそんな様子に気付いたのかサッと赤くなったり青くなったりしている姿を見るに男は後先を考えられない性格なんだろう、だけど同時に猪突猛進なだけで裏表もないことがわかる。顔だって、女子高生グループが気持ち悪がらずにきゃいきゃいはしゃいでいるのだから女性受けも悪くはないのだと思う。身につけている服や時計や靴を見ても、変に高くなく、変に安くなく年相応のまともな身なりで、悪口を言う隙がない。
「……人目のあるところですみません、だけど、あなたの味方の多いところで言わないと知らない男に声をかけられるのはきっと怖いだろうと思って、」
「あ、あの、どこかでお会いしたこと……」
「小さな女の子を守っている姿を見たことがあるんです」
銀行の時だ。今思い出しても間に合わなければどうなったか考えるだけで寒気がする。
「一方的な片想いです。僕なんか震えて何もできなかった、……あっという間に全てが終わっていて、情けないです。なのに僕と同じように震えて、泣きそうなのにそれでも立ち向かうあなたを好きになりました。どうか僕にチャ」
ガシャン!とけたたましいお盆の落ちる音が真下から聞こえてハッとする。慌ててすみませんと拾いあげて休憩室へと逃げた。彼女の返事を聞きたくなかった。あんなに大きな音を立てても安室の方に視線を少しもよこさなかった、彼女の返事を。どんなに挙動不審でも、どんなに口から奇声をあげても俺の顔を見るのが好きな彼女が、店内すべての人間が俺を見るほど空気の読めないけたたましい音を立てたのに、見なかった。
落としたのはわざとじゃない、はず。無意識にこちらに視線をよこしてほしくて落としたんだろうか。そんなことはどうでもいい。大事なのは、彼女が俺を気にも止めなかった事実だけ。
俺が警戒すべきは彼女を手の届かないところに連れ去る神さまのような何かだけだと思っていたのに。
人間相手なら彼女の一番は降谷だけだと思っていたのに。少しの迷いもなく、俺の手をとってそばにいてくれると思っていたのに。
あんなにも簡単に彼女の視線を奪われてしまった。
▼▽▼
「あの、」
あまりにも私が黙り込んでしまっていたのか、気付いた時には真っ赤な顔から真っ青な顔に変わっていて申し訳なくなる。すみません。あまりの衝撃に。
最近ははじめてのお友達ができてうかれる幼稚園児のようなメンタルをしていたから恋愛感情だなんてレベルの高い感情にまだ精神年齢が追いついてこなくて固まってしまっていた。恋愛を知らないわけではない。そこまで鈍くない。ただ最近は友達になるならないだの友達と離れたくないだのそういったことに振り回されてばかりで他のことを考える余裕なんてなかったし、芸術のように美しい降谷さんとお友達になれて降谷さん目当ての人にどう、私はお友達なんですと言うか考えるばかりで、私がその感情を向けられる当事者になるとは思っていなかったから。
「え、と」
また思考の闇に落ちてしまっていてどんどん目の前の人の顔色を悪くさせてしまっていて申し訳なくなる。申し訳ない、のにあまりの衝撃に言葉が口から出てこない。この世界で告白されたことが衝撃で。だって、あちらこちらに眩い顔面偏差値の方がいらっしゃって、このポアロに来たことがあるのならもちろん梓さんを見たことがあるはずで、眩いばかりの外見だけじゃなくて内面だって眩くて、非の打ちどころのない人がたくさんいる中で私に告白してくれた意味が分からなくて。
哀ちゃんを守っている姿を見て、と言ってくれたのは聞こえたけど、あれだって結局なんの策もなく飛び出しただけで勇気と言えるものじゃなく無謀なもので、結局降谷さんに助けてもらっただけで褒められたものではなかった。
だけど、きっと、目の前の人は良い人だ。
私が怖がるかもしれないからと、降谷さんもいるこの人気の多い場所で正々堂々と告白をしてくれた。そういうことを考えられる人はきっと悪い人じゃない。恋愛のもつれがあったとしてもこの世界で私がこわいと思っている命の危機にあうようなこともきっとなさそうで、だけど。固まっていた唇をどうにか動かす。
「あの、ご、ごめんなさい。きっと、きっとあなたは良い人なんだと思います。でも、ごめんなさい、今は友達と話したりするのがとても楽しくて、それだけで私の容量はいっぱいで、今が抱え切れないくらい幸せで、だから、あの、ごめんなさい」
「……はい」
真っ直ぐな感情の返事はつっかえつっかえになってしまったけど、それ以外何も言わず受け入れてくれたこの人はやっぱりとても良い人なんだと思う。もしかしたら後悔をする日が来るかもしれない。それでも今は、降谷さんと話をするのが楽しくて、哀ちゃんにお姉ちゃんと言われるのが嬉しくて、安室さんがみんなに囲まれて幸せそうにしている日常をただ見ているので忙しくて胸がいっぱいで、そういうことを考えられなかった。
「じゃあもし、……もし、少しでもあなたの容量が広がったら、僕のことを思い出してくれると嬉しいです。あの、突然こんな注目を浴びさせてすみませんでした。真面目に聞いてくれて、答えてくれてありがとう」
思い出してくれると嬉しい、の言葉と共に名刺を渡されてつい受け取ってしまう。私に一度頭を下げて、店内のみんなにも頭を下げて男の人が出ていったのを私も頭を下げて見送る。真っ直ぐな思いにこたえるのがこんなにも精神的にくるものだとは思わなかった。誠意には誠意で返したくて、だけどあの返事でよかったのかわからなくて、男の人が見えなくなっても受け取った名刺に視線を落としてぐるぐると考え込んでしまう。
ひそひそと女子高生たちの話し声が聞こえてきて顔が熱くなる。まさかこんな恋愛漫画の青春真っ只中みたいな出来事が自分の身にふりかかるとは思わなかった。冷えてしまった飲み物で喉を潤してハッとする。あれっ。降谷さんがいない。
どこに、と視線を動かせばまだちらちらと視線を浴びていてまた恥ずかしくなる。それが騒がしかった客を迷惑そうに見つめる視線ではなく、微笑ましいものを見つめる視線だからまた居た堪れない。
降谷さんは忙しいからこんな私を横目に急なお仕事でも入ってしまってそっと抜け出したんだろうか。
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「ぴっ」
残った飲み物も全て飲みきったしこの生暖かい空気にずっと触れているのも気恥ずかしすぎると席を立って会計に向かおうと振り返った瞬間久方ぶりの奇声を発してしまった。びっくりした。降谷さんだ。てっきり急なお仕事でいないと思い込んでいたんですけど、普通に休憩だったんですか。びっくりした。目の前でにこりと微笑まれてうめきそうになる。裏で休憩していたからか、なんだか一段と輝いていますね。やっぱり休息は大事だと再確認する。
「おかえりですか?」
「あっ、は、はい。あの、お騒がせしまして……」
「僕もちょうどあがりの時間なので途中まで一緒に帰りましょう」
急用ができたんだろうか、言葉を遮られてしまって不思議に思う。私を使って早く外に出たいならもたもたしている場合じゃない。はいと頷いてまだなんだか生暖かい視線を向けてくる梓さんに会計をしてもらう。
からんころんと鈴を鳴らして外に出たのはいいものの、降谷さんの足取りが重たい気がして首を傾げる。
「あの……ひえまぶし」
不思議に思って声をかければ大人気俳優も霞んでしまうだろうレベルの満面の笑みを浮かべられて思わず目を細めてしまう。太陽を直に見つめてしまったかと思った。でも太陽のように目に悪いわけじゃないのでいくら眩しくても意地でも視線を落としませんよ。こんな満面の笑みはじめてなんじゃないだろうか。まぶしい。国宝。写真に収めたいけど駄目なのでこの貴重な満面の笑みは全力で目に焼き付けますね。
「……僕の顔、好きですよね」
好きとかいうレベルじゃないと思うし、降谷さんはもっとその容姿を誇っていいと思います。というのが言葉にできなくてこくこくと頷くだけ。笑顔がさらに眩しくなっていく降谷さんに顔面で人が死ぬかどうか実験でもしてるんですかという気持ちになる。降谷さんがそんなことしないのはわかってるし、私が勝手に眩しがってるだけなんですけども。
「……あなたの好きはやっぱり信用できません」
「えっ」
「一番というくせに嘘ばっかりだ」
ぼそりと、だけどしっかり私に聞こえるように呟かれた言葉にクエスチョンマークが頭の中を駆け巡る。あっ松田さんたちを見たときや哀ちゃんに会うときの挙動不審を言ってるんだろうか。でも降谷さんが一番ということに嘘はないのでやっぱりクエスチョンマークが消えてくれない。
「……一番ならちゃんと一番見ててください」
もう十分不審者レベルで見てると思うんですけど。
なんだかストーカー被害者にストーカー加害者がもっと真面目にストーカーしてと怒られているような気分になる。
「……返事は?」
「えっあっ、……えっ? は、はい」
「次嘘ついたら捕まえます」
「つか」
「じゃあ僕、こっちなので。送っていけなくてすみません。気をつけてくださいね。ちゃんといつもの道を通って帰ってくださいよ」
「えっちょっ、」
嘘をついたら捕まえる。
そう言われた気がする。そもそもいつ私が嘘をついたのか聞きたかったのに降谷さんは幼い子どもを言いくるめるかのように矢継ぎ早に小言を口にしたかと思えば一瞬で背を向けられたので呆然とするしかない。本当に嘘をついてしまったのなら大罪すぎるけど、嘘をついた記憶が本当になくてなす術も無くなってしまった。
とりあえずは降谷さんの言った通りいつもの道を歩いて安全第一に帰宅します。