▽▽▽

「ねえ、おじさんの恋話聞いてくれるかい? 君にしか話せないんだ」
「はぁ?」

 逃げたかったのに逃げられなかった。お姉ちゃんと関わっているからと少しだけ油断してしまった私の不注意もあるけれど、どう頑張ってもこの男にロックオンされたら逃げ切れないのはやっぱり要注意人物でしかないと警戒を高める。なのに鎮痛な面持ちで出てきた言葉に思わず呆れきった声が漏れ出てしまった。

「……君にしか話せないんです。彼女をちゃんとわかってくれるのが君しかいない」

 お姉ちゃんがお姉ちゃんじゃなかった時を思い出してぞわりと全身の毛が逆立った気がした。あんな恐ろしい思いはもう二度としたくない。と同時にその件に関してだけは戦友のような、共犯のような謎の連帯感を感じてしまう。だって、みんな理解してくれなかった。工藤くんも、博士も、そこにいるお姉ちゃんを見て不思議そうな顔をするだけだった。でもあれはお姉ちゃんじゃなかった。それを同じように理解してくれたのはこの男だけで、それだけで要注意人物のはずなのにどういうことなのか教えてほしいと藁にもすがる気持ちで自分から近付いた。お姉ちゃんがもとに戻った今は、できれば二度と近付きたくない男だけれど。
 そんな男に恋話をふられるなんて。全力で眉を顰めて拒否していることを示す。示したはずなのに我関せずに口を開く姿はやっぱり好きになれなくてため息を吐いた。

「最近いろいろとあって気持ちを自覚したのはいいものの、僕の敵は彼女を連れ去る神様か何かだけだと思ってたんだ。ほら、彼女、僕のことすごく好きでしょう?」
「……自惚れがひどい男ね」
「……そうなんだ、……人間相手だったら負けるわけないって自惚れてたんです。自覚してなかったけど、それでも、僕の敵は人知を超えた何かだけだと思ってたのに」
「ふられたの?」
「まだ、ふられてない」

 どうせこの間の白昼堂々告白事件で色々考え込んでしまっただけなんだろうけれど。その場にいなかった私にすらその事件はすぐに耳に入ったのだから、目の前で見てしまっては考え込むのもわかる。でもいつも胡散臭い笑顔を浮かべている男の笑顔が少し崩れているのを見て勝手にいつもびくついている仕返しをしてしまった。その攻撃が思いの外効いていることに内心驚いて、その真剣さにようやく少しだけ真面目に聞いてあげようかしらという気持ちになる。

「この間彼女に聞いたんです、恋人になる条件に顔は関係あるのかって」

 まあ真面目に聞いていてもいなくても目の前の男はこうして勝手に語りだしたのだろうけれど。

「顔は関係なくて中身が好きで全てが好きになるから恋人ができたら世界で一番素敵に見える、みたいなことを言ってたんです。だから、僕よりも?って聞いたんです」
「うわあ」

 心からのうわあが漏れてしまう。でもしかたない。いくら顔が良くても、いくらそれが好意のある男性からだったとしてもその発言はどうかと思う。のだけれど、目の前の男を引くほど崇めるお姉ちゃんは普通の質問と同じように受け入れた姿が容易に想像につく。

「うわあでしょう。僕も自分でうわあって思った。でもあんなに毎日好き芸術のようだ国宝にしたいとか言われてみてください。誰だって自惚れる」
「まあ……仕方ないわね」

 私の何が刺さるのかはわからないけれどお姉ちゃんは私にも心からの好意を全力でぶつけてくれる。それを私以上に、ほぼ毎日のように聞いていれば自惚れるのも仕方ない。

「そうでしょう? ……それで彼女、延々と悩むんですよ。自分で言うのも恥ずかしいですけど彼女視点では僕より素敵な人が存在するのがそんなに難しいことなのか湯気が出るんじゃないかってくらい考えて考えて考えて、……僕を恋人にするっていう選択肢を思いつかなかった。そんなに考えなくたって、それが一番簡単に解決するのに。もう、脈無しどころじゃないなって思って、そんなに悩ませてごめん冗談だから忘れてって逃げてしまいました。情けないって笑ってください」

 延々と悩む姿も想像に難くなくて思わず笑ってしまう。笑ってくださいとくださいと言ったくせに実際笑うとどこか拗ねたような空気を出すのに呆れもする。お姉ちゃんがああなのはわかりきってたことでしょう。

「ねばればよかったじゃないの」
「怖くて。目を回して倒れるんじゃないかっていうほど考えてるのに僕を恋人にすることを思いつきもしてくれないことに、もしくは思いついた上でそれは嫌だって思われてて濁されてるのかなんて考えたくなくて」
「……臆病なのね」

 はあ、と深くため息をつく姿に少しだけ同情する。肩を竦めて私の言葉を受け入れる様子もどこか空元気で、だけど私に言われたってどうすることもできやしない。お姉ちゃんにとって、私はただの小さな子ども。後ろ暗いどころではない組織に属していたことなんて知らない、私のことをただ小さな子どもと思っている彼女に私ができることなんてなにひとつない。それは目の前の男も、……建前上はきっと同じはずで、私に言ったところでなにひとつ状況が変わるわけでもないのにただお姉ちゃんをお姉ちゃんと認識している仲間だというだけで愚痴を呟いている。

「彼女に関してはね。ただでさえ、神様のような何かにも彼女を奪われないようにするのをどうすればいいのかわからない現状であんまり詰めて避けられても困るので。……なんてのは言い訳で、ただ振られるのが怖いだけです」
「……だからってグズグズしてたらそれこそ誰かに取られちゃうかもしれないわよ」

 だからつい、背中を押すような言葉を呟いてしまった。お姉ちゃんをこの胡散臭すぎる男相手に差し出すのは嫌だけれど、でもお姉ちゃんはこの男をものすごく信頼していて、私にとっては胡散臭すぎる男でもお姉ちゃんにとってはとても良い人なのだからと心を無理矢理納得させる。

「だから人間対策で周りを牽制しつつ彼女にもなんとかそういう目で見てもらおうととにかくデートを重ねてはいるんですけど、彼女にとっては友達との楽しいお出かけで。友達枠だから何か名目がないと奢れないのにその名目も底をついてしまってデートとも呼べないお出かけばかりになってるんですよね」

 三十路近い男が一体なにをしているのかしらと呆れてしまう。中学生じゃないんだから。組織にいて恋愛経験の乏しい私でもそれは悪手だとわかる。普通にお出かけばかりして普通に友情を深めていってるじゃないの。

「彼女から溢れんばかりの賛美を受け取るのももちろん嬉しいけど、でもその賛美は美術品カテゴリでしかないんですよね。好きな人から褒められるのはどういう意味でも嬉しいんですけど。でもやっぱり美術品だと恋人にはなれないので、一旦関係をリセットするべきだと思うんです」

 相談と言いながら私に相槌を打たせる暇もなく、ぶつぶつとひとり呟く目の前の男はこんなに馬鹿だったのかしら。それとも要注意人物だと警戒していたのは無駄骨だった?なんて思いたくなるほど今目の前にしゃがみこんで考える男は隙だらけで、背後に近付いてくる気配にすら気付かない。ああ、その次の言葉がなんとなく想像つくし、理由もわかるし、気持ちもわかるけど、私の第二のお姉ちゃんはさっきまでの会話の流れを知らないからそれを言葉通りに受け取って傷付いてしまう。でももう止められない。恋に浮かれた男の唇は動き続けているし、お姉ちゃんの歩みは止まらないし、私は恋愛に口を出せるほど経験豊富なわけでもないから何が最善策かもわからず黙って成り行きを見てるだけ。

  ▽▽▽

「どうしたら彼女と友達を辞められると思う?」
「……考えなくてももう辞められたんじゃない?」
「え?」

 俺はしゃがんで小さな共犯と話していたのに急に目の前の子どもが視線を上にあげるのを見てしゃがんだまま振り返る。ぼたぼたと水滴が落ちてきていて、その発生源に驚きを隠せなかった。
 大粒の涙を流した彼女が俺を見下ろしていた。

  ▼▽▼

「どうしたら彼女と友達を辞められると思う?」

 目の前が一瞬で霞んだ。でも降谷さんの顔が驚きに染まったのだけはちゃんと見逃さなかった。芸術を見逃すなんてそんな。
 なんて、ふざけてる余裕はあるように見えて、ない。だって滝のように涙が溢れて止まらない。
 せっかく、慣れてきたのに。
 せっかく、胸を張って友達です、と言えるようになったのに。
 なのに、なのに、友達になってと、降谷さんが私に言ってきたのに、どうして、

────どうしたら彼女と友達を辞められると思う?

 哀ちゃんが難しい顔で降谷さんと向き合っているのが見えて私の大好きな二人が何かを話している、邪魔をしてはいけないけどそこは通り道なのでと好奇心を隠しきれなかった罰なんだろうか。盗み聞きをするつもりなんてなくて、声をかけようと思って、だけど大きなため息の後に聞こえた言葉に何もかもとんでしまった。
 馴れ馴れしくしすぎたんだろうか。
 でも降谷さんが友達なのだからともっと踏み込んでくれと何度も言ってくれたのに。
 友達になってという言葉をそのまま受け取った私が愚かだったんだろうか。
 こんなことで嫌いになるわけなんてない。降谷さんはやることなすこと全て正しくて、降谷さんは正義のために戦っていて、だから、きっと、これも正しいはず。
 そう思うのに、胸が痛くて、息が苦しくて、目の前が霞む。

「神様か何かと同じくらいあなたのことが嫌いになったわ。お姉ちゃんのこと泣かせないで」

 降谷さんが立ち上がる前に哀ちゃんの声が聞こえた気がしたのに自分の嗚咽の声で何も聞こえない。子どもの前で、往来で、こんなに号泣するなんて情けない。せっかくお姉ちゃんと呼んでくれていたのに、こんなことで泣くだなんてきっと幻滅された。目があった気がするけどすぐに背中を向けられて落ち込む暇もなく、目の前に飛び出てきた降谷さんに硬直して涙だけを落とす情けない有様。

「ちがう、聞いてくれ、」

 壊れたスピーカーのようにそれしか発せなくなった降谷さんが珍しくて、悲しいのに、苦しいのに、笑ってしまう。滝のように流れる涙のせいでただの引きつった音にしかならなかったけど。降谷さんの前で何度号泣してしまうんだろう。その度にスマートに涙を拭われていたけど今回はものすごく慌てていて、私なんかよりよっぽど混乱しているように見える。

「もう友達と思えなくなってしまったんだ」

 慌てているように見えたのに、気付けばいつもの手腕で降谷さんの車の中に連れ込まれていていつの間に私は歩いたんだろうかなんて考える暇もなく聞こえた言葉にさらに涙が溢れ出る。

「だ、だからどうしてそんな間髪入れずに泣くんだやめてくれ、これメジャーな告白じゃないのか、察せないか? いやちがう俺が悪いな、ごめん、泣くな、泣かないで、くそ、こんな情けない告白になるなんて」

 ぐしゃぐしゃと綺麗な髪を掻き毟って吐き捨てる降谷さんの言ってる言葉がわからない。音としては耳に入るのに、理解ができない。

「君のことが恋愛対象として好きになってしまったから、友達じゃいられなくなったんだ、恋人になりたい、……そういう意味で、友達をやめたくなっただけで、だから、あの、泣かないで」

 ひゅ、と涙が蛇口を閉めたかのように止まる。涙は止まったのにえぐえぐと嗚咽が止まらなくて、意味のわからないことを呟いた降谷さんが本当に訳がわからなくていっそ意識を手放したくなる。

「……大丈夫か、ごめん、息できてるか、まずは落ち着いてくれ、君にはただ笑っていてほしくて、だから、その、……ごめん、……君には嘘をつきたくないからいつものように言葉が出てこなくて、ごめんしか言えない」

 落ち着いて息をして、と言いながら頬に触れる降谷さんの手が震えているのか、私が嗚咽に体を震わせているのか判断がつかない。降谷さんが何かおかしなことばかり言ってる気がするのも、私があまりに泣きじゃくるから脳がきちんと働いていなくて言葉通りに受け取れないだけなのかもしれない。
 友達を辞めたい、なんて言葉だけで号泣して、もうこれ以上情けないことはないのはわかっているけど、それでも瞬きをするたびに情けないカウントが回っている気がして肩身が狭くなる。

「好きなんだ、……好きしか言えなくてごめん。他の二枚の仮面ならいくらでも甘ったるい言葉で愛を伝えられるし、言葉も浮かぶ。でも俺は、俺の言葉だけで君に好きと伝えたくて、嘘は言いたくなくて、……あまりの語彙力のなさに自分でも落ち込むを通り越して驚いてるんだ。……いつまででも新鮮な気持ちでずっと好きだと言い続けられるが、……できれば泣いてない君に言いたい。泣かせたのは俺なんだが、……誤解で、だから、……ごめん、頼むから泣かないで」

 降谷さんの言葉が徐々に幻聴じゃなく本当だということに気付いて、どうすればいいのかわからなくなる。聞き間違いだと思いたくても、言葉通り降谷さんはずっと好きの二文字を私に向かって投げてくる。
 私の耳がおかしくなっただけかもしれないとそう思いたくても何度も、何度も、何度も何度も何度も耳を滑るのは、好き、の二文字で、逃げられない。

「俺は今、君に最低なことをしてる。守ると言った口で泣かせた。一度約束を破っておいて信じてもらえるかわからないが、……告白を断られたから守るのをやめるなんてこと絶対しない。だからちゃんと、……いや、…………」

 ピシリと固まったまま動かなくなった降谷さんはまさに美術品のようで、本当に綺麗だと、今の状況も一瞬忘れてしまうほど見惚れてしまう。だけどそんなふうに現実逃避ができるのも一瞬だった。

「……ふ、」
「……」
「……ふらないでほしい…………」

 今度は私がぴしりと固まる。降谷さんは固まったって美術品だけど、私が固まったってただの私でしかなくて、だから何か言葉を返さなきゃいけなくて、でも何も言葉が思い浮かばなくて、固まったまま。

「ちがう、いや違わない、ふらないでほしい、けど、……強要したいわけじゃなくて、……君を保護していたつもりの俺がふらないでだなんて君に言うと脅迫もどきなのはわかってるんだけど、……あの男みたいに忘れられたくない」
「あの、おとこ」

 唐突に私と降谷さん以外の第三者が出てきて、それもなんだか憎々しげな言い方に思えて驚いた私が涙を止めてはじめて発した言葉がただの鸚鵡返しになってしまう。降谷さんが憎々しげに言うあの男とは赤井さんのことだろうか。でもこの幸せな世界の降谷さんと赤井さんにはそこまで憎々しげな声音になるほどの確執などないはずで、だけど私にはその人しか思い浮かばなくてさっきまで声が出なかったのが嘘かのように思わず復唱してしまった。

「ほら、忘れてる。……君に、白昼堂々迫った男のこと。……俺は白昼堂々君を泣かした男だけど」

 白昼堂々迫った、なんて大仰な物言いに一瞬首を傾げそうになったけれど、急に鞄の中が重たくなったような気配がして思い出す。鞄の中にはポアロで私に告白をしてくれた男の人の名刺が入ったままだった。

「……あの男みたいに、好き、ごめんなさい、で思い出すこともなく忘れられる存在にはなりたくない」

 それをまるで察したかのようにちらりと私の膝の上にある鞄を見て眉を潜めた降谷さんの放った言葉に唖然とする。

「降谷さんのこと忘れるわけ、ない」
「わかってる。でもそういうことじゃなくて、……俺とあの男は同じなんだ。ただ君を好きになって、君に好きになってもらいたい」
「あの人と降谷さんは全然ちが、」
「いいや、同じだ。君の神様じゃなくて、友達じゃなくて、恋人になりたい、……あの男と同じただの人間なんだ」

 ずしりと鞄が重くなっていく気がする。
 全然違う。あの男の人だって、たぶんきっと、とても優しい人だとは思うけど、それでも降谷さんと同じなんてことない。ふるふると頭をふればふるほどなぜか膝の上が重たくなっていく気がして、泣きすぎたせいなのか頭も痛くなる。

「むしろ、あの男より最低な人間だ。名刺だけ渡して君からの連絡を待つ余裕もないし、君を泣かせるし、……君を守ると言った俺が一番君を傷付けてる。ごめん」

 降谷さんは最低なんかじゃない。いやいやとかぶりを振り続けていたのに急に動かなくなって、そっと両手で頬を固定されたのに目を見開く。潤んだ視界のせいでうつる瞳がきらきら宝石のようで、やっぱり降谷さんは見た目も中身も綺麗で、最低なんかじゃない。
 そう思ったのにつめたい青色が揺れて熱を持った気がして、かたくかたく目を閉じる。見たくない。こんな降谷さんは知らない。今までたくさん見てきたのに、そんな色は知らない。

「……手に入らなくてもいいから、そばにいて」

 私が降谷さんから目を閉じて逃げたせいで傷付けたのか、降谷さんの声が震えた気がした。視覚を塞いだせいで耳を侵食する声が熱くて、耳も塞ぎたくなる。のに、体が動かない。固定されているのは両頬だけのはずなのに。

「やっぱりいやだ、なあ、俺と同じ意味で好きになって。……なんで恋するとこんな支離滅裂な思考になるんだ。あの男はなんであんなに潔かったんだ。俺は無理だ。君に否定的な言葉を言われたら涙が出てくる自信があるし、今みたいにいい年した大人が子ども染みた態度でずっと駄々を捏ね続ける。君の嫌がることはしたくないし、泣かせたくないけど、でもこの気持ちをなかったことになんかできない。どうすればいいんだ。教えてくれ……」

 降谷さんの吐息が顔に触れて、目を開けていなくても距離が近すぎることに気付いてとうとう私の脳は耐えられなくなったらしい。ぷつりと何かが切れた音がして、痛いほどの静寂が私を襲った。


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