▼▽▼
「っ」
勢いよく飛び起きて頭がふらつく。さっきまでのはいったい何。夢を、見ていたんだろうか。痛む頭をおさえながら顔を上げればそこは家の中で、やっぱり夢を見ていたのだろうかと眉を潜める。どこからどこまでが夢なんだろう。とりあえず立ち上がろうとして固まる。
「アンッ!」
「は、ろくん?」
尻尾を全力でふって無邪気に喜びを示すハロくんがいた。なぜ。なぜ、だなんて、ここが私の部屋じゃないからに決まってる。恐る恐る視線を這わせれば、なぜか壁のそばで両手をあげたまま固まっている降谷さんの申し訳なさそうな目とかちあって思わずそらしてしまった。ひゅ、と息を呑んだ音は私からしたのか、降谷さんからしたのかわからない。
「……ごめん、どちらにしろアウトなのは分かってたんだが、……ハロがいる方が安全かなと」
「、」
「意識を失っている好きな人の部屋をピッキングして忍び込んでベッドに寝かせるか、意識を失っている好きな人を自分の部屋に運んで介抱するか、……言葉にすると本当にどちらもアウトだろ」
「クゥン?」
「だからハロに見張ってもらうことにした。そこに寝かせた以外、なにもしてない。本当に」
アンッとどこか誇らしげに返事をするハロくんを見て、降谷さんにちらりと視線を向ける。微動だにせずさっきと同じポーズをしたまま立っている降谷さんに体温が下がる気がした。降谷さんが言うならそれは事実で、きっと、おそらく降谷さんはずっとそこに両手をあげて立っていた。きょろきょろと視線を彷徨わせて時計を見つけて私が気を失っていた時間をはかって後悔する。
「あの、あの、お、しごとは、」
「君はなにも心配しなくていい」
さすがにそれは言葉通りに受け取ることはできなかった。はくはくと口を動かして事の重大さに慌てている私を見て、いまだに両手をあげたままの降谷さんが苦く笑う。
「……どちらにせよ、今の俺は足手纏いだ」
「え」
「自分の言葉で好きな人の気を失わせて、とても冷静でいられる自信がなくて。八つ当たりで犯人を不必要に痛めつけてしまう可能性があるから、今日の仕事はヒロに任せることにした」
私のせいで、降谷さんのスケジュールを狂わせた事実に血の気が冷えていくのがわかる。
「君のせいじゃない。俺のせいだ。俺が君を泣かせたのが原因だから。ただの自滅だ」
「そ、」
「なあ、忘れてないか。俺、君に告白したんだけど」
この降伏のポーズもなんのためにしてるのか分かってるのか?なんて、ずっとあげている両手をひらひらと動かす降谷さんにびくりと肩が揺れる。
「ものすごい情けない告白だったし、まさか気絶されるほど嫌がられるとも思ってなくて正直泣きそうだけど、でも忘れられると困る」
「いやが、ったわけじゃ、」
「じゃあ嬉しいか?」
「そ、れは、」
反射的に顔を上げて青い目とばっちり視線が交わって縫い止められたまま間髪入れずに問われた声に口籠る。
「……わかってるよ。処理能力が追いついてないんだろ。いやとかいいとかの問題以前なのもわかってる。でも告白して気絶されたら、……理屈はわかってても泣きそうにはなる」
ゆらりと青色が揺れた気がしてまた目をそらしてしまう。
「でも美術品からは脱却できたみたいだから、……少し胸が痛いくらいは些末なことだ」
「え、」
「混乱し通してるところ悪いが、友達をやめて恋人になりたいという発言を撤回するつもりはない。それで君が俺を嫌になって離れるなら、……ストーカー規制法に引っかからない程度に駄々は捏ねるし泣くしすがるけど、頑張って諦める」
諦める、という言葉が、あまりにも降谷さんに似合わなくてそらした視線をおずおずと戻せば、降谷さんもどこか変な表情をしていてどうすればいいのかわからなくなる。
諦めてもらわないと私の大事な友達の降谷さんがいなくなるのに、降谷さんが諦めるという選択肢を取ると私の尊敬する降谷さんが諦めるわけがないのに、なんていう解釈違いに知恵熱が出てしまいそう。
「……まあ、言った本人が諦められるわけがないとは思ってたけど、君がその表情になるのは違うだろう。諦めなくていいのか?」
苦く笑う降谷さんに、はいともいいえとも答えにくい問いをされて声が出ない。
はい、と言えば友達がいなくなるし、いいえと言っても降谷さんには意味がない。
なんていうのは醜い悪足掻きだ。どちらにしろもう私と降谷さんは友達ではなくなった。聞いてしまったからには戻れない、言ってしまったからには戻らない。
「……俺は君に友達をたくさん救ってもらったのに、俺が君の友達の降谷を殺してごめん」
▽▽▽
アンッと吠えるハロに仕事ができるなと内心褒めながら壁際に立って彼女を見る。泣きすぎたせいで目元が赤い。目元を温めようかとも思ったけど、気を失った好きな人を自分の部屋のベッドに寝かせただけでも変態くさいのに、勝手に肌のケアまでしてしまったら変態を通り越してしまう気がしてそのままにした。これ以上彼女に近付かないように番犬の仕事を全うするハロ越しに眠る彼女を見て耳にイヤホンをつけワンコール、ツーコール。
「告白したら気絶された」
「え? ごめん電波悪いみたい。もう一回言って」
もしもしと言う暇も与えず言ったせいかヒロに謝られてしまう。何度も事実を伝えるのは胸が痛むが言わなければ話が進まないから仕方なく再度わかりやすく言葉を紡ぐために口を開く。
「告白したら号泣したうえに気絶された」
「ウワ悪化した」
「聞こえてたんじゃないか」
小声で再度呟けば、どうやら聞こえていたらしいのに聞こえなかったフリをしたヒロに苛立つ。
「……それは歓喜の涙で感極まって気絶したって話?」
「そうだったらこんなテンションで電話してない」
「うんそうだなごめんな」
「謝るな。振られたみたいだろ」
「フラれたんじゃないのか?」
「いいえともはいとも言われてない。まだ。だって気を失ったから」
「……歓喜の涙じゃなかったらもうそれ答え決まってないか?」
「まだ振られてない」
「……うんそうだなごめんな」
哀れみしか感じない謝罪に何も返せなくなる。自分でも無理のある擁護だとは思ったけど、まだとどめをさしたくないんだ。悪足掻きさせてくれ。
「そんでどうしたの」
「とりあえず俺の部屋のベッドに寝かせてハロを番犬に任命して俺は反省の意味も込めて壁際に立って両手をあげて降伏のポーズをとってる」
「ぶはっ」
まあ俺もこの状況を他人から聞いたらシュールすぎるし笑う自信しかないけど、人の不幸を笑うなコラ。おい。笑いすぎだぞ本当に。おいこら笑いすぎて泣いてないか。泣きたいのは俺だぞ。おい。
「はー笑ったごめんごめん。俺は荒療治かもだけど告白した方がいい派だったけど、さすがに気を失うレベルだったのは予想外だったな。二人のペースもあるのに余計なこと言って悪かった」
「……いやたぶんあれは伝わり方が最悪すぎたから」
笑いすぎて涙声にはなりつつも結局は真面目に聞いてくれるしなぜかヒロが反省し出してしまって申し訳なくなる。あれは普通の告白じゃなかった。伝わるにしても最悪すぎる。たぶん普通の告白だったらあそこまで号泣はしてない。最終的に気絶はされたかもしれないが。
順を追って説明すればイヤホン越しにヒロの唸り声のようなため息が聞こえてつられて唸りそうになる。本当にやらかしてしまった。
「あぁーーーー……鈍った?」
「……恋をすると人は鈍るのか?」
「一般人に背中取られるのはナシだな」
「本当にそれはそう思う。これでよく公安が務まってるなって自分で自分を締め上げたい」
「まあ命に関わるミスじゃなくてよかったな」
「銃で撃たれた時より心臓痛いけど」
「はは」
なんだその愛想笑いは。嘘だと思ってるのか。大袈裟に言ってると思ってるのか。本当なんだからな。銃で撃たれて麻酔無しで治療した時の方がマシな気がするレベルなんだからな。
なんて、ふざけてはみたけど本当に鈍ってしまったと反省する。
「これが本題なんだが。だから今日の件、任せていいか」
「はいはい。まあ鈍ってるゼロに来られても邪魔だし風見さんと二人でやるよ。風見さんにもあとでちゃんとお礼言えよ?」
持つべきものは信頼できる友達だと有り難く頷きながら苦く笑う。鈍ってしまった。鈍ったことに気付いた今は逆に神経が張り詰めていて少しの気配にも敏感だが、それはそれで周りとの連携に支障が出る。
「ちゃんと話し合っていつものゼロに戻ったら後から合流してもいいからな」
「どう話し合おうが今日中にはいつもの俺に戻れなさそうだから頼んだんだ。一日くれたらどっちに転んでも明日にはきちんと切り替える」
きっぱりと振られても、どうにかこうにか彼女を説得して時間の猶予をもらえても、今日中には無理そうなんだ。彼女の思う理想の降谷零とはかけはなれているんだろうな。まあ彼女が俺に夢を見過ぎなのもあるが、今回の背中を取られた件は本当にただの俺の落ち度だから猛省するしかない。
「まあ人間っぽくていいんじゃないか」
ヒロの言葉にぱちりと瞬く。瞬いて、目から鱗が落ちた気がした。
「……そうかもしれない」
「ん?」
「すごく情けない告白になってしまったけど、結果的にこれでよかったのかもしれない」
「……自棄を起こすなよ」
「自棄になったわけじゃない。彼女は確かに名実ともに友達にはなってくれたが、神様扱いや美術品扱いは抜けなかった。情けなさすぎて言ってることが支離滅裂すぎる俺を見せたことでようやく俺も普通の人間なんだと彼女も理解してくれるかもしれない」
突くならここだとわずかな希望の光が見えた気がして声が上擦る。
「……ゼロには頑張ってほしいけど、でも告白して気絶された相手に迫るとかちょっと警察官として見過ごせないけどな」
「ぐ」
面白おかしくからかうような声音だったがただの正論でしかない言葉に跳ねた気持ちがまた沈んだ。
ただ、話し合いをするだけだ。さっきみたいにみっともなく取り乱したりはしない。きっと。たぶん。
▽▽▽
睨んだ通り、彼女の態度がいつもと違う。いや告白をしたのだからいつもと変わらないわけがないが、そういうことではなく、彼女の視線や態度があからさまに変わった。
「じゃあ嬉しいか?」
「そ、れは、」
ずっと視線をそらさなかった彼女が今日は幾度となく視線をそらす。その変化に、わずかな期待を感じて大量のアドレナリンが放出するのがわかる。
ゆらゆら揺れる瞳の奥にはまだ枯れてない涙の影が見え隠れして肝も冷えるが期待をしてしまうのも事実。彼女の目の光が薄れていくのに反して俺の目が生きていく。
「……わかってるよ。処理能力が追いついてないんだろ。いやとかいいとかの問題以前なのもわかってる。でも告白して気絶されたら、……理屈はわかってても泣きそうにはなる」
ゆらりと涙の膜が目を覆ったのが見えたけど、それが溢れることはなかった。俯いた彼女は泣いてはいない。だけど確信した。一歩は踏み出せた。
「でも美術品からは脱却できたみたいだから、……少し胸が痛いくらいは些末なことだ」
「え、」
人間の枠に入れた。美術品から目をそらす人はいない。だってただの物言わぬ美術品だから。でも俺は美術品じゃないから、彼女にとって都合の悪い言葉を紡ぐ人間だから、目をそらす。
彼女と同じ立場に立てた。それだけで大きな一歩だ。
「混乱し通してるところ悪いが、友達をやめて恋人になりたいという発言を撤回するつもりはない。それで君が俺を嫌になって離れるなら、……ストーカー規制法に引っかからない程度に駄々は捏ねるし泣くしすがるけど、頑張って諦める」
諦めるつもりなんてない、というか、諦められるわけがないけど、それでもやっぱりさすがにそれを表に出すのは憚られて苦虫を噛み潰す気持ちで濁したのに、彼女が顔を上げて複雑そうな顔をする。やっぱり彼女は俺のことを知りすぎていてなんだか気恥ずかしい。
「……まあ、言った本人が諦められるわけがないとは思ってたけど、君がその表情になるのは違うだろう。諦めなくていいのか?」
せっかく建前上だけでも逃げ道を用意したつもりだったのに。
「……俺は君に友達をたくさん救ってもらったのに、俺が君の友達の降谷を殺してごめん」
ずっと降伏のポーズでハロに見張っていてもらったが手を下ろして名実ともに一歩を踏み出す。部屋の隅に置いていた彼女の荷物を手に近付けばびくりと肩が揺れたのを見てハロが番犬として仕事をしようとしたのを見て制す。ハロはえらいな。でももう番犬の仕事はおしまいだ。一声吠えていつも通り俺の足元にまとわりつくハロに微笑んで、彼女に荷物を渡す。反射的に受け取った彼女の手を引いてゆっくり立たせれば、ハッとした彼女が恐る恐る触れている手から逃げてさみしい気持ちになりながら玄関を指差す。
「好きになってごめんな。でも、本気だから」
その言葉を引き金に呆然とふらつきながらも隣の自分の家に戻ろうとする背中がいつもより儚く見えて痛ましかった。
ごめん。でも好きなんだ。