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「なんだか遠いわね」
「いえあの……遠いですよね」
出会い頭に哀ちゃんに言われた言葉に誤魔化そうと声を出して、できないと悟って諦めて苦く笑う。哀ちゃんが言う、遠い、は降谷さんとの距離。通勤時間が久々に一緒になったのに昨日の出来事のせいで諸手を挙げて喜ぶことができなかった。気まずくて。でも降谷さんは満足そうで、それは私が降谷さんに好かれていることを覚えているからで、覚えているからこそ降谷さんは満足していて昨日のような接触はされなかったけど、覚えているからひたすら気まずくて距離が開いてしまう。
その距離感を哀ちゃんが見ていたんだろう。誤魔化すことなんてできない。これがコナンくんならまだ、探偵相手でも色恋沙汰には未だ少しウブだから誤魔化せたかもしれないけど、哀ちゃん相手だと無理だ。まだ面と向かって話したことはないけど、歩美ちゃん相手でもバレたと思う。
「……あっちの浮かれた様子を見る限り、変に拗れたりはしてないようでよかったけど」
「……哀ちゃんが私なんかよりよっぽど大人で、立つ瀬がないです」
号泣姿を見せた私がそもそももう何も言えるわけもないんですけど。
「私、ただの子どもだからお姉ちゃん泣かせた仕返しにしばらく嫌がらせはしたわよ」
「エッ」
「……嫌いになる?」
「どっ、えっ、そんな、いや、あの、私を守ろうと思ってくれたんですよね? だからその気持ち自体はすごく嬉しいんですけど、そもそも泣いたの自体が私の早とちりで安室さんは悪くないのでその」
「そんなのは承知の上で、でも泣かせたのは事実だからちくちく嫌がらせしてただけよ」
殊勝な表情に驚いて、嫌ったりなんてするわけないと慌てて否定したら、さっきまでの殊勝な表情はどこへやらフンとふてぶてしい表情に早変わりした哀ちゃんに口があんぐりと開きそうになる。
「……お姉ちゃんのこと私より知ってるくせに泣かせたの、許せなかったんだもの」
含みのある言葉に一瞬びくりとしたけど、私が哀ちゃんのことを知っているからびくりとしただけで、哀ちゃんは純粋に私を慕ってくれていて、そのお姉ちゃんは私のことだと思い直して気を引き締める。
「もし私が……今すぐには無理だけど、私のこと全部教えたら、お姉ちゃんも私に全部教えてくれる?」
気を引き締めたのに哀ちゃんの言葉が突拍子もなさすぎて、大胆すぎて、駄目だった。小学生の秘密を教えてくれるなんて、なんて微笑ましいとにっこり笑ってしゃがみこむべきだったのに私の表情が引きつって声も出なかった。かろうじて拗ねたようにそっぽを向いたままの哀ちゃんに私のこの緊張感は伝わらなかっただろうけど、慌ててさっきよりもきちんと気を引き締める。
「私の全部って?」
年齢だとか、どこに住んでいるのだとか、一応は哀ちゃんだって小学生のふりをしているんだからそういう類のことかもしれない。そういう他愛のない秘密の話をするのだとしても、一応しゃがみこんでこそこそ話にふさわしく少し距離を近付けた。
「お姉ちゃんが、お姉ちゃんじゃなかった理由」
毅然としたようにも見えるし、怯えているようにも見える瞳が私を射抜いて今度こそ取り繕えなかった。真正面で顔を突き合わせて誤魔化せるわけもない。
「……それは、なにかと引き換えに教えるようなものじゃ」
「私の秘密、想像以上にトップシークレットよ。言ったら嫌われるどころじゃない……でもそれでも、お姉ちゃんのことを知りたいの。訳もわからないまま、またあんな思いをするのは嫌なの」
切実な訴えに胸が締め付けられる。嫌なの、と震えた声で、哀ちゃんからも一歩近付いて小さな手でぎゅっと握りしめられて抗うことなんてできなかった。
「私のことをお姉ちゃんだと思ってくれてるのなら、そんな、なにかと引き換えにだなんてこと言わないで、ただ可愛くお願いしてくれたら……私にできることならなんだってしてあげるから」
「……じゃあ、おしえてくれる?」
ぎゅ、と小さな手で指をさらに強く握り締められただけなのに胸を鷲掴みにされた感覚に陥りそうになったけどどうにか踏ん張る。
私にできることなら、本当なら全部今すぐぶちまけたい衝動に駆られるけど、でも少し重くなった口を開く。
「でも、あの、哀ちゃんは嫌かもしれないけど、安室さんと一緒じゃないと言えないんです、あの……どう説明したらいいのかわからないので相談もしたいし、……大事なことなので」
哀ちゃんが自主的に対価として教えようとはしてくれたけど、私の秘密を教えるということは哀ちゃんの秘密も最初から全て知っていたということを開示することでもあって、……それを言った瞬間、哀ちゃんに嫌われる覚悟もしなくちゃいけない。責められたっておかしくない。どうして降谷さんの周りだけ助けて、お姉ちゃんは助けてくれなかったのと責められるのは当然だ。いくら私が最初は夢だと思っていたとしても、時間軸がぐちゃぐちゃだったとしても、最初からここで現実を生きてる哀ちゃんにそんな理屈、通じるわけがない。
私がただ哀ちゃんに嫌われ軽蔑されるのが怖いからという気持ちの方が大きいけど、哀ちゃんは主人公であるコナンくんに近いから、もし私の秘密越しにコナンくんに情報がいって複雑な事態になるのをどうにか抑えてもらうためにも降谷さんに同席してほしい。降谷さんだって色々何か考えているだろうし、私のせいで足を引っ張っちゃ駄目だから。
「……あなたのこと、独り占めしたいんだから教えたくないって言うに決まってるじゃない」
「独り占めとかそういう問題じゃなくて、……こう……」
「………………いいわ。一緒でいいから教えて」
私が言い澱んでいる間に覚悟を決めたのか苦虫を噛み潰したような表情でも哀ちゃんの可愛さが崩れることはなかった。
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「……ほらやっぱり最大のライバルだ」
お疲れのところすみませんという申し訳ない気持ちと気まずい気持ちと今から話すことに対する緊張感が色々ないまぜになりながらぴんぽんを鳴らす。出てきたラフな格好の降谷さんに視線が泳ぐ。髪濡れてませんかお風呂上がりですかすみません。話す内容のせいで緊張してるのか、玄関先とはいえあれ以来初の降谷さんのお宅ということに緊張してるのか判別がつかないけどどうにか深呼吸して気持ちを落ち着かせて口を開いて返ってきた言葉に頭を悩ませる。
降谷さんのはいなのかいいえなのかわからない言葉に玄関先で今日あった出来事をもう少し細かく伝えれば腕組みをして壁に頭をもたれさせて盛大にため息を付いた姿が様になりすぎて一瞬固まってしまう。ため息、ということは。
「やっぱり、あの、……言わない方がいいですかね」
「公安の俺的にはいいよ。あの子の君への態度を見てると絶対に君に不利になるようなことはしないと思うから。君が覚悟を決めたならそれを見守るだけだ」
「公安の……?」
降谷さんの広すぎる懐に感動するのも忘れて呟く。公安の降谷さん的にはってどういうこと?
「ただの降谷零的にはすごい嫌だ。ただでさえライバルなのにこれ以上条件一緒にしないでほしい」
次いで告げられた言葉に、ぐ、と喉が詰まる。またスイッチが急に切り替わった気がして目が泳ぎそうになるのを堪える。ただの降谷零というのはつまり、そういうことで、何も言えなくなってしまう。
「……あの子の好きと、俺の好きの意味は違うが熱量はそう変わらない気がするからな。それに、君は俺よりあの子に対して甘いから嫉妬もするさ」
「……いえあの、この話を哀ちゃんにすれば、嫌われると思うんですけど、その、……哀ちゃんを守ってほしくて」
言われた通りきちんと忘れずにいるのに降谷さんの雰囲気が変わった気がして頭がそれ一色で働かなくなりそうなのをどうにか振り払ってまとまらないなりに声を出す。
哀ちゃんに私の理由を説明すれば、私はきっと嫌われる。奇跡的に嫌われなかったとして、お姉ちゃんとは二度と呼ばれなくなる。だって私は、どう言い訳をしようが事実哀ちゃんのお姉ちゃんを助けられなかった。そんな人間をお姉ちゃんだなんてもう、きっと呼べない。
「……」
「ううう」
いずれは何もかも知るだろう降谷さん相手に隠す必要なんてないのかもしれない。でも、何もかもが変わってしまったこの世界で生きている人たちに私のこの中途半端すぎる知識を伝えて逆に変な先入観に囚われてしまったり、情報を撹乱してしまう不安が拭えなくて口籠る。松田さんや萩原さんや伊達さんや景光さん、全員が生きていることによって黒の組織の内部だって色々変わっているかもしれない。そもそも私の知っているあやふやな知識自体、完結済みの作品ではなかったしミスリードだってあるかもしれない。
「……君があの子を必要以上に目をかける時点であの子も俺たちと同じなんだなということはすぐわかったし、君の持っている情報にまでは届いていなくてもある程度はわかってる、つもりだ」
「え、」
ひたすら唸っていた私の頭の上に落とされた声は優しくて顔を上げる。言われた言葉を噛み砕いて、驚いて降谷さんの顔をじっと見つめてしまった。
「俺があの子に関してできることは保護、それだけだ。状況に合わせてその保護の仕方がどうなるかはわからないから君の望む通りになるかはわからないけど」
固まる私をよそに続けられた言葉に涙がにじむ。
「……君が言い淀むということは物語通りの俺なら知らなかったことが何かしらあるんだろ。でも君に色々な人を助けてもらった結果、優秀な友達がいて、助け合えて、君が見ていた俺よりずっと先に行けてる。これは君の手柄でもあるんだから何かしたいことがあるならとりあえず俺に聞いてみればいい。なんでも聞いてあげる、なんて言えたらいいんだが、まあそれは……無理なこともある、かもしれない。でもできるかぎり君の望みを叶えたいという俺の気持ちは本当だから。それは信じて」
安心して、胸がいっぱいになって言葉がなにも浮かばなくてこくこくと頷くことしかできなかった。そんな私を見て優しく頬を緩ませてくれた降谷さんに、どう感謝をすればいいのかわからない。
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降谷さんの都合に合う日時を聞いて、哀ちゃんに誰にも内緒で来れる?だなんて誘拐犯でしかない発言をして迎えた当日。緊張で吐きそうになったり話す前から胃がキリキリして一分一秒がとても長く感じてしまった。そんな私を見て落ち着けと苦く笑う降谷さんに頷くものの落ち着けるわけがない。
誰にも内緒でと言ったものの絶対に内緒で来れるわけがない。哀ちゃんを信用していないわけじゃなくて、探偵は秘密の匂いがすると寄ってきてしまう生態だから。哀ちゃんに私の家を教えて、一人でたどり着くのか、一人でたどり着いたとしてその体に盗聴器が仕掛けられたりしていないのか、色々不安はある。
「会うのが遅いか早いかの違いだけですけどたぶん僕は一緒に出迎えない方が彼女は喜ぶと思いますよ」
「いっしょにいてください……」
「言葉だけ聞くととても嬉しいんですけどね」
だから待ち合わせの段階から降谷さんも一緒にいてほしいと我儘を言った。緊張のせいで頭が真っ白になってなにを口走ってしまうかわからないから、見張ってて欲しかった。あと単純にもうすぐ嫌われるかもしれないという心細さで、そばにいて欲しかった。
遠目に哀ちゃんの小さな姿が見えてばくばくと心臓がわけのわからない早さで音を奏で始めた。一歩一歩小さな足で近付く哀ちゃんにどうにか覚悟を決めようと深呼吸をする。
「僕が唯一君に勝ってるのが、秘密の共有なので本当は教えたくないんですけど」
「絶対こんな男よりお姉ちゃんにお似合いの良い人が他にいると思うの」
「それは同感です。でも僕がこの人じゃないともう駄目なのでそんな人が現れても叩き潰します」
意を決して大きく息を吸って、こんにちは、と私が口を開く前にばちばちと火花が散る音がして声を出せなかった。あの、当人をほったらかしで喧嘩しないで……。当事者のくせに一言でも発したら藪蛇をつつきそうな話題に息を潜めて見守ることしかできない。
「たとえ僕が付き合えなかったとしても、僕以上の誰かが現れない限り邪魔をします」
「心の狭い男は嫌われるわよ」
「それが意外と嫌われないので安心して邪魔ができるんですよ」
唐突に降谷さんが哀ちゃんを見つめながら自分の襟元の後ろあたりをとんとんと指差して首をひねる。ギスギスとした会話はなぜか続いたままで、訳が分からなくて哀ちゃんに視線を向ければものすごく嫌そうな顔をしていてギョッとした。いくら会話内容がなんだかギスギスとしてるからってそんなあからさまな不快な表情は見たことがなくて固まる。
やっぱり降谷さんと同伴は嫌だっただろうか。少し考えたらそれもそうだ。哀ちゃんは降谷さんの正体を知らない。組織の人だと思い込んでいても仕方がない。怖いのに、来てくれた。なのに私は嫌われてしまうだなんて自分のことばかり考えて、哀ちゃんの気持ちを少しも考えていなかった。挙げ句、今も緊張してこんにちはの第一声も出せていない。哀ちゃんの勇気を見習うべきだ。せめて挨拶を、
なんて、反省していた瞬間哀ちゃんが襟元に手をやって何かを地面に叩きつけてとどめに小さな足でダンッと何かを踏み潰して思考もなにもかもが固まる。
「えっ」
あまりの衝撃に第一声が間抜けな声になってしまった。えっ今のはいわゆる盗聴器というかそういう。
「……教えたのは僕ですけど、君にとってはおまもりだったのにそんなことしていいんですか」
「私の意思に反したおまもりはおまもりじゃないわ」
「……それでも君の最後の砦だったと思いますよ」
「もし私がお姉ちゃんに騙されていたとしても、別にいいの」
「どうして、」
「……後悔したくないの。もう失いたくない。二度とあんな気持ちになりたくない。理由を知りたい、ただそれだけのわがままよ」
わがままよ、だなんて言いながら哀ちゃんの貫くような視線があまりにも真っ直ぐすぎて涙がこぼれてしまった。
「泣くのが早すぎます」
呆れたように笑みを浮かべた降谷さんが私の頬に柔らかいハンカチを押しあてて優しく涙を拭ってくれて、素直にハンカチを受け取った。私は何度降谷さんのハンカチを洗濯して返しているんだろう。降谷さんの前で泣きすぎて申し訳ない。
「君にとってのおまもりは君が壊してしまったしここをくぐったらもう後戻りはできませんよ。彼女を信用する気持ちもわかりますが、ただそれだけで僕が何者かもわからないのについてきて本当に後悔しないんですか?」
降谷さんはそういう、自分を悪いように見せる癖をやめたほうがいいと思う。降谷さんがやることなすこと全て私なんかには到底考えつかない、全てが計算されきった行動なのはわかってる。わかっていても本当は正義の心で満ち溢れた降谷さんを知っているから、わざと悪い人のように振る舞う姿を見てしまうとやきもきしてしまう。
だけどこのセキュリティのしっかりしたオートロックをくぐったら後戻りができなくなってしまうのは事実で、哀ちゃんを見つめる。私のことを嫌いになって私から離れたくなったとしても、私の事情を知ってしまえばもう今まで通りの日常は過ごせないかもしれない。保護してほしいと頼んだけど、子どもは確かに保護されるべきだけど、それでも、哀ちゃんの意思に反した強制のような保護になってしまうかもしれない。嫌われるのは仕方ないことだけど、でも哀ちゃんに悲しい思いをこれ以上背負わせたくない。
なんの前情報もなくただ覚悟しろと言われても哀ちゃんは困るだろうけど、私はただ哀ちゃんの幸せを願うしかできなくて歯痒くなる。
「お姉ちゃんが信じてるから、お姉ちゃんは私の命の恩人だから、本当なら死んでたかもしれないから、……お姉ちゃんが信じてる人がもし悪い人でも後悔はしないわ」
「……僕もこの人が信じる君を信用して同じテーブルについてるので一緒ですね」
また涙がこぼれそうになるのを降谷さんに貸してもらったハンカチをおまもりのように握りしめて、ぐ、とどうにか耐えた。
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私の部屋のはずなのになぜか私よりもスムーズにお茶を入れた降谷さんに感動する暇はなかった。哀ちゃんを目の前に、降谷さんに隣に座ってもらって緊張に視線が泳ぐ。
「私、……安室さんと出会えたのが夢だと思ってたんです」
「……え? ……あの、惚気を聞きにきたんじゃないんだけど」
勇気を振り絞って放った第一声に哀ちゃんが戸惑いの表情で呟いて固まりそうになる。確かにこれだけ聞くと、なんだか惚気というか、意味がわからない。どうしよう、とちらりと降谷さんを横目で見れば、ふ、と楽しそうに微笑んでいて余計に混乱する。
「いえすみません。言葉だけ聞くと熱烈な告白のようで嬉しくて。真面目な話なのにすみません。……比喩じゃないんですよ、これ」
「は?」
降谷さんが助け舟を出してくれたけどやっぱり言葉選びが悪すぎて哀ちゃんがイライラしはじめてるのがわかって余計に焦ってしまう。
「違うんです。あの、……私、この世界の人間じゃなくて」
はく、と哀ちゃんの唇だけが動いて空気が震える。
「私にとってこの世界は、大好きな物語のひとつだったんです」
▼▽▼
「私を見て驚いていたのは、可愛すぎて、なんていう理由じゃなかったのね。私のことを、知っていたから」
「それは本当に可愛すぎて驚いただけです」
思わず反論してからあまりの空気の読めなさに自分の太ももをつねる。反射的に言葉が出てしまった。誤解されたくなくて放った否定がまた違う誤解を生みそうで後悔する。でも私の返事なんて関係なかった。哀ちゃんは俯いたまま、私の声は届いていない。
「……私、を、知っているのね」
「……はい」
暗く、静かな声に、私の声も沈みそうになる。でも、私が悲しむのはお門違いだ。
「……秘密はこれで全部?」
「全部、ではないですけど、……私に関することは全部話しました」
懺悔のように全て哀ちゃんに話した。きっと訳のわからない話だったと思う。降谷さんは当人だからまだ受け止める器が出来上がっていたけど、哀ちゃんにとってはなにもかも遠い話で、話の内容も訳のわからないことが多かったと思う。あなたは物語の中のキャラクターで、私はその物語を好きだった一読者で、夢の中でその物語をこうなったらもっと素敵だったのにな、なんて考えで動いていたらそれが現実になってしまいました。そんなこと急に言われても受け入れられるわけがない。物語を知っているならどうして私は、お姉ちゃんはこんな人生を送る結果になってしまったの、そうなじられても仕方がない。
「……じゃあ私も全部話すわ」
「え、」
ふ、と顔を上げた哀ちゃんとばちりと視線があって固まる。
今、何を言われたの?
「だから、……もうすでに知ってるだろうけど私の口から私の秘密を全部教えるの」
「どうして、」
「お姉ちゃんはお願いするだけでいいって言ったけど、やっぱりフェアじゃないもの」
「おねえちゃ、…………ちが、違うんです、私、私は、……助けてあげられなかった、お姉ちゃんなんて呼ばれる資格、ないんです、ごめんなさい、ごめんなさい」
あの話を聞いて尚、お姉ちゃんと呼び続けてくれる哀ちゃんの言葉を聞いて私の手と握りしめていた降谷さんのハンカチに水滴がぼとぼとと落ちていく。哀ちゃんの目の前で二度も号泣することになるなんて思いもしなかった。これ以上幻滅されたくないのに。
「どうして? お姉ちゃんは私を助けてくれたじゃない。あんなに震えて、腰が抜けて、それでも銃の前に飛び出して私を助けてくれたじゃない」
「それ、は、でも、私は、」
ただ前に立っただけ。降谷さんがきてくれなければどうなっていたかなんてわからなかった。
「……どうしてこんなに強情なの。どうやって説得したらいいのよ」
「それは僕も知りたいですよ。僕の場合は弁明してる最中に気絶されましたし。だから今の状況は僕の時と比べるとまだ良い方ですよ」
「……参考にもならないしなんの慰めにもならないわよ」
ふわふわと2人が会話してるのがなんとなくわかって、でも何を話してるか自分の嗚咽の音のせいでわからなかった。おまもり代わりに握りしめていたハンカチの本来の使い方を思い出して顔を覆う。哀ちゃんは突然突きつけられた事実を泣きもせず受け入れ、私を責めもせず向き合ってくれているのに、大人の私がただ泣いて視線すら向けられないなんて、なんて情けない。
「ねえ」
うるさい嗚咽音を響かせていても耳元で声がして気付かないわけがなかった。びくりと肩を跳ねて反射的に振り向けば机を挟んで目の前に座っていたはずの哀ちゃんが私の真横に立っていて、その真っ直ぐな目と視線がかちあう。情けなくもまたハンカチに顔をうずめようとした私よりも早く、ぱちん、と彼女の手が伸びてきて固まる。両手で私の涙に濡れた頬をはさんで逃がさないとでもいうように拘束してきた哀ちゃんに狼狽した。
「そんなに自分を責めないで。どうしようもないことなの。黒く染まった私にも、光り輝いている探偵にだってどうにもできなかった。ただの一般人がどうにかできる問題じゃないの。なんの後ろ盾もないただの人なんて一瞬で消されるだけよ。どうにかしようなんて思わなくてよかった、夢だと思ってくれててよかった、あなたと出会えてよかった。……ただの普通の人なんだからもう二度と私のことも助けようだなんて思わないでほしいけど」
一言一言幼子に言い聞かせるように懇々と私の目を見て告げる哀ちゃんの顔を見たいのに、涙が溢れて滲んでしまう。これじゃ逆だ。どうして私が慰められてるの。私は大人で、哀ちゃんはこんなにも小さな女の子なのに。思わず腕が伸びて、気付いた時には哀ちゃんが腕の中にいた。自分でも驚いたのに、哀ちゃんなんかもっとびっくりしただろうに、早く離さなきゃと思うのに、子どもの体温が熱くて、生きていると実感して意思とは正反対に強く強く抱きしめてしまう。
「お姉ちゃんと呼んでくれるなら、妹を守りたい気持ちもわかって、」
掠れた声で言った言葉の意味は哀ちゃんに正しく伝わっただろうか。