ばき。鈍い音が鳴って、固まる。ぷらん。右腕に感覚がなくなって、何が起こったのかはわからなくても骨が折れたのか脱臼したんだとそれだけはわかった。目の前で私の腕を掴んだまま死人のように蒼白に顔色を変化させたゾロがあまりにもかわいそうで、感覚がないというより痛みを感じる暇がなかった。

「……、っ、」
「ゾロ、大丈夫、わざとじゃないのはわかってるよ、大丈夫」

 ゾロはただ、私を呼び止めたかっただけ。ただ、未来の大剣豪であるゾロの力は私には強すぎて、ちょっとばかし体がついていかなかっただけ。悪気がないのはわかってる。未だ離れない手首から伝わる体温の低さに、驚く。罪悪感からとても冷え切っていて、ほんの少し震えている。可哀想なほどに。被害者と加害者が逆のような気がして苦く笑ってしまいそうになる。そもそも運が悪かっただけの事故だから私達は被害者でも加害者でもないけど。

「ゾロ、大丈夫、大丈夫だから」

 自由に動かせる左手で私の手首を掴んでいる大きくて無骨な手を握り込む。びくっと、大袈裟なほどに驚いたゾロに大丈夫と伝えたくてぎゅうぎゅうと握りしめる。事故なんだから、気にしないで。なんて、無理なことは口にはしない。気にしないことなんて、きっと無理。だから私は大丈夫だよと伝えることだけ努める。

「ゾロ」
「、わ、るい」
「うん。でも大丈夫」

 震える声で紡がれた謝罪を受け取りながら大丈夫と繰り返す。まんまるく見開いた片方の目から涙がこぼれ落ちそうで心配になる。そこまで気に病まなくたっていいのに。
 どんな大怪我をしていても死にそうには見えなかった未来の大剣豪が、怪我の一つもしていないのに死にそうになっていて、胸が詰まる。

「わざとじゃないのはわかってる、事故だよ、大丈夫、すぐに治るよ、大丈夫」

 私が大丈夫と言えば言うほどゾロはどんどん血の気を失って困ってしまう。どうしよう、まずはゾロを落ち着かせてあげたいのに。

「どあっ医者! おおおおおれが医者だァ! どうしたんだ何があったんだ喧嘩か?!」

 ふたり張り詰めていた空間がぱちんと割れて、チョッパーが慌てふためきながら私の足元をくるくると走り回る。ゾロもハッとしたようでようやく意識が戻ってくれたことにホッとして、体温の戻ってきた手からそっと手を離す。

「喧嘩じゃないよ、ちょっとした事故で」
「おれが骨を折った」
「折っ、言い方がやだなあ。事故だよ、わざとじゃないのはわかってる。ゾロは悪くないよ、大丈夫、ね、チョッパー、大丈夫だよね?」

 語弊がある言い方をするゾロに苦く笑う。チョッパーに見せようとしゃがもうとして、体温は戻ったものの未だ張り付いたように離れない手にしゃがめなかった。ふたりして動かないのを見かねたチョッパーが人型になって途端にお医者さんの目で私の肩をそのまま見てくれてほっとする。目に見える怪我をしているのは私だけど、ゾロも目に見えないけど怪我をしている患者だと見抜いてくれた。そっとしてくれた。さすがチョッパー。

「うん、ゾロ、折れてないよ、脱臼だ。処置したいから一緒に来てくれるか?」

 私じゃなくゾロに聞いて、こくりと頷く姿を見てようやく空気が動いた気がした。





 処置している間も手は離れなかった。迷子になるまいと必死におかあさんにしがみつく小さな子どものようなそれに本当に可哀想になってしまって外れた腕より胸が痛む。ゾロが離れないからとりあえず服の上からだったけどくるくると包帯を巻いて固定された腕は全然痛くないのに、小さな子どもみたいなゾロが視界に入ると途端に胸が痛くなる。事故なのに。そんなに思い詰めなくて良いのに。チョッパーは気を遣って処置が終わればふたりきりにしてくれた。

「ゾロ、大丈夫だよ」
「三週間」
「ルフィ達みたいに牛乳飲んで骨治ればよかったんだけど、さすがに私そこまで人外じゃなくって……」
「掴んだだけで、三週間だぞ」
「……まあその、未来の大剣豪様だもん」

 ぽとりぽとりと言葉を落としていくゾロは小さな子どものようでとても未来の大剣豪には見えないけど、でも事実そうだから、苦く笑う。

「もうお前に触れねェ」

 触ってるじゃん、などという軽口を叩ける空気ではない。

「掴んだだけで三週間なら、……殺しちまう」

 ぞっと冷えた音で落とされた言葉に震えそうになる。そんなことしないのわかってるのに。ゾロだって仲間を殺したりなんてしないのに、どうしてそんなに怯えるの。

「人間は呆気なく死ぬ」
「死なないし、触れる」

 思わずした反論に、ぎり、と歯軋りの音が聞こえた。

「もう、お前に触れねェから、……」

 すり、と親指で手首を撫でられて、さっきの意味が分かった。触ってるのに触れないと言ったのは、もうこの手を離してしまったら「次」からは触れないということで、だからゾロは頑なに最後の触れ合いを離そうとしないんだ、たぶん。
 ベッドから立ち上がる私に視線は寄越さないくせにずっとちりちりと私の肌を突き刺すゾロの罪悪感に苦く笑う。いつもはチョッパーが座っている椅子にちょこんと大きな体を縮こませて座っているゾロに近寄る。びく、と何にも恐れないゾロが今はただ私に怯えている。なんだか私がゾロをいじめてるみたい。大丈夫だよって言ってるのに。

「じゃあ私が触る」
「は」

 ゾロの足と足の間に私の足をねじ込んで、ゾロの太腿にお尻を乗せた。片方の太腿なのに、しっかりしたソファに座ったかのような安定感に頬が緩みそうになる。私の突拍子のない行動にゾロはかちこちに固まっていて、まるで本当に椅子のよう。びくともしない。視線がゆらゆら揺れてびくびくはしてるけど。

「ゾロから触るのは駄目でも、そもそも私は良いよって言ってるのにゾロが勝手に言い出してるだけだけど、……別に私から触るのは良いでしょ。私が全力で殴ったってゾロ、かすり傷もできないだろうし。殴んないけど。触るだけだから」

 かちこちに固まって聞いてるんだか聞いてないんだかわからないゾロに足をゆらゆら揺らして語りかける。本当は気にせず今まで通り接してほしいけど、ゾロが頑なだから、私だってこんな方法を取るしかできない。はあ、とため息をついてゾロの胸板に頭を預ける。また、びくっ、と揺れる。でも手は離さない。そんなに名残惜しいなら、今まで通りでいいじゃん。確かに今日はちょっと運が悪くて脱臼しちゃったけど、事故なのに。

「ゾロのばーか。私が良いよって言ってるのに」
「っ」

 ばーか、ばーか、と、罵る言葉に力が出ない。だんだん悲しくなってきた。良いよって、言ってるのに。大丈夫だよって、言ってるのに。

「……お前だって、馬鹿じゃねェか」

 絞り出すような声が震えて届いてゾロの胸板に頭を預けたまま視線だけ上げる。

「お前が痛ェとか、言わねェから、触れねェんだろ」
「え?」
「さっきだって、痛ェだのなんだの、言わなかった。大丈夫しか言わねェ。力加減調節しようにも、お前が何も言わねェから、お前が我慢するから、おれは馬鹿だから言われなきゃわかんねェのに……触れるわけ、ねェ」

 唸るように落とされた言葉に目を見開く。
 私、ゾロを慰めてると思ってた。だけど本当に、私がゾロをいじめてた。全然慰められてなくって、寧ろ私が言葉を紡げば紡ぐほどゾロは頑なになってしまったのか。私が、痛いだのなんだの、言わなかったから。だって痛くなかったんだもん。ゾロの方が痛そうな顔してて、そっちにばっかり気がいって。痛くなかったんだもん。本当だよ。
 なのに、ゾロの言葉を聞いて、肩が熱くなってきた。じわじわと目に水の膜まではっていく。

「ゾロ、さっきは本当に、我慢してたとかじゃなくて本当に痛くなかったの」
「……」
「でも、今、いたい、いたくなってきた、だから、……撫でて」
「痛かったら言うか」
「うん」

 かちこちに固まっていたゾロの筋肉がふわりと和らいで、ずっと掴まれていた手首から熱が離れる。寂しく思う前に、そっと無骨な手が肩に触れてびくりと反射的に反応してしまった。

「今のはびっくりしただけ」
「そうか」
「痛かったらちゃんと言うから、もう触らないなんて言わないで」

 ぐず、と鼻を啜ってゾロの胸板に顔を押し付ける。おう、と返事が聞こえて、そろりそろりと不器用に撫でさすりはじめたゾロに安堵した。

2021/06/14