晴れのち雨

「超完璧じゃない?」
「うちらの手にかかれば楽勝でしょ!」
「本当だ……沙也ってわからないよ!すごい!」

放課後の教室。文香と芽衣と美樹の3名に囲まれ見世物のように舐め回すような視線を向けられていた。
いつも通りのシャツにネクタイとベージュのセーター。そして足元はスラックス。
クラスメイトの小柄な男子、佐藤くんから借りたスラックスを私は履いていた。
(佐藤くんはサッカー部で現在部活動中だった。このスラックスは部活が終わるまで返却する予定となっていた)

そう。私は男子生徒になりすましていた。
胸元にさらしを巻き、頭にはショートウィッグを被り、軽いメイクをして出来上がったのが『沙也くん』である。
芽衣と美樹から誘いを受けた”トリチャレ”用の動画を撮るために、”橘沙也”とわからないようにするという条件を出したら、なぜか男装する羽目になってしまった。

「童顔だし、細身な方だし、遠目で見たら男と女、どっちかわかんないって言った文香のアドバイス通りだった!」
「いいねー!年上のお姉さんとかに好かれそう!かわいいよ沙也くん!」

全く嬉しくない誉め言葉だ。
細身とは胸の事を指しているのであれば、文香とたっぷり話し合いの時間を設けなければならない。後でとっても濃密で楽しい女子会を開催する事になりそうだ。

「よし、じゃあ音楽室へ行こうー!今日吹奏楽部オフでしょ?」
「文香、撮影任せてもいい?」
「おけまる〜!」

文香が今まで使っていなかったJK用語を使うようになっている事に驚きつつ(たぶん2人のテンションが移ったのだろう)、3人に半ば連行されるような形で音楽室へと向かった。
ドアを開けるとそこには見慣れた姿が1人、ぽつんと机に座って何やら作業をしていた。

「一織……?」
「……沙也?」

一織は私を見て3度ほど瞬きをして驚いたように目を丸くしていたが、すぐにまたいつものように呆れた様な表情へと変わった。何かを言う前に、文香が遮るように割って入った。

「和泉くん、どう?沙也くん、なかなかかわいいでしょ!」
「はあ……まあ好みの人もいるんじゃないですか?」
「よかったね沙也!和泉くん、可愛いって!」

可愛いなどと一言も言っていないのに、文香の中では先ほどの皮肉が誉め言葉に聞こえているようだった。
芽衣と美樹は少し離れたところで、私達のやり取りを見守るようにして眺めている。

「わざわざスラックスまで借りて……何でこんな事をしてるんです」
「TRIGGERの曲を弾いて動画を撮る事になったの。私ってわからないようにするならいいよって条件出したらこんなことに……」

深いため息が聞こえた。一織の言いたいことは痛いほどにわかる。
「くだらない。まあ言うまでもないですね」そう顔に書いてある。私にはしっかりとはっきりと見えていた。

「では楽しんで」

一織はそそくさと荷物をまとめて教室を後にした。数秒の間をおいて芽衣と美樹が興奮気味で近寄ってきた。
動画を撮ってほしいとお願いをしていた時ほどではないけれど、目が輝いてテンションが高ぶっている事がわかる。

「和泉くんまじイケメンすぎー!超緊張したー!」
「わかる。同じ教室にいるだけで満たされるよね。マジ眼福」
「四葉くんもイケメンだし、2人ともよく普通にしゃべれるよね」

うちのクラスで2人はとびきりのイケメンと評価されている。文香によると下心を持って近づく女子が2割、逆に神々しすぎて近づけない女子が7割、その他が1割だそうだ。(わたしはこの中の1割に分類されるらしい。2人は近づけない女子に入るのだろう)
四葉くんはイケメンだと思うけど、一織は幼い頃から一緒にいるため正直カッコいいかどうか、などとは考えた事はなかった。
クラスメイトが黄色い歓声を出して喜んでいる様はなんとも言い難い光景だ。

「とにかくパパっと撮影しちゃお。じゃないと佐藤くんにスラックス返せなくなっちゃうしね」

パンパン、と文香が手をたたき、この話題を終わりにした。
私は沙也くんとしてピアノに向かい、SECRET NIGHTの始まりの音を響かせた。










「一号、トリガーのライブ行くの?」

最後の一口、王様プリンを大きく飲み込んだ後、四葉くんは不機嫌そうに尋ねてきた。
不機嫌そうなのはこの話題になってからではない。最近の四葉くんはいつもこんな調子で、不機嫌というより不調なのかなと少し心配をしていたけど、『プリン同盟』の時は喜んで王様プリンを平らげているし、体育の時間は機敏に動き大活躍だったため、体調は問題ないと思われた。
ちなみに一号とは私の事。本人曰く、「みっきーの一番最初のファンだから、一号」だそうだ。なかなかいいあだ名をつけてくれたと思った。

「行かないよ。なんで?」
「この間トリガーの話してたじゃん。ライブがどーのって聞こえたから」
「あー、あれは違う話。ライブに行くのは芽衣と美樹だよ」
「へー」

本当にどうでも良さそうな声だった。四葉くんは自分で買っていた2個目の王様プリンの蓋を開けてスプーンでカスタードを掬おうとしていた。
私の隣に座っていた文香が様子を伺うようにして一息置いた後、四葉くんに話しかけた。

「四葉くん、IDOLiSH7の次のライブって予定あるかな?見に行きたいなって思ってたんだけど……」

四葉くんの動きが一瞬だけわずかに止まった。だが文香の問いには答えず、スプーンを忙しなく動かし残りのプリンを口の中へ流し込んだ。
ほとんど飲むようにして2個目を完食し、一息ついた後、ぽつりと四葉くんは言った。

「……わかんねえ」

四葉くんはそのまま立ち上がり、教室を出てどこかへ行ってしまった。
怒っているような、歯がゆそうな、辛そうな表情だった。

「私、いけない事聞いちゃったのかな……」

文香はあれから六弥ナギさんにすっかりはまってしまい、次のライブを楽しみにしていた。路上ライブでも予定が会えば1人で向かい、熱心に応援していた。
最近IDOLiSH7が活動していない事をずっと心配していたので、耐え切れず四葉くんに聞いたんだろう。
親友は申し訳なさそうに俯いている。そんな顔を見るのは辛かった。

「ねえ一織、教えて!」

私は気がついたら一織に詰め寄るようにして立っていた。
一織は机で予習をしていたようだったが、私の声かけにシャーペンの動きを止めた。
たぶん何を聞かれるかは予想がついてるんだろう。
一織の前の席の人はどこかに行っているようだったので椅子を借り、向かい合うようにして座った。

「なんで最近、IDOLiSH7は活動してないの?」
「そういう質問は事務所にお願いします。次回の活動予告はHPや広報SNSで配信しておりますので」
「そういうのいいから!教えてよ!」

思わず身を乗り出して、強気な口調で言い放ってしまった。
一織は怯む様子もなく私をじっと見つめている。

「四葉くんに次いつライブあるのっていったらわかんねえって言ってた。辛そうだったもん。なにかあるんでしょ……?」

四葉くんの足音はとても悲しい音をしていた。IDOLiSH7で何かトラブルが起きてしまったのではないかと思えてならなかった。
文香もきっと薄々勘づいているのだろう。だから勇気を出して聞いたに違いない。

「解散……しちゃうの……?」

恐れていた、口に出したくない言葉を落とした。
せっかく2人がアイドルになれたのに、解散するなんて考えたくもなかった。でも先ほどの四葉くんの反応をみるとどうしても悪い事ばかりが頭をよぎってしまうのだ。

「……理由は言えませんが、私達は活動を自粛しています」

痺れを切らしたように、一織が小声で言った。
一織からIDOLiSH7の事について聞けたのは初めてだった。話してくれないと思っていたので拍子抜けしてしまい、間抜けに口がぽかんと開いてしまった。

「ただ活動休止中なだけ。あなたが心配しているような事にはなりません」

だから早く口を閉じなさい。そう言われて自分が相当間抜けな表情になっていることに気づかされた。
咄嗟に口元を隠し止めようとしたけどどうしても抑えきれず、音になって一織に届いてしまった。

「よかったあ……一織が言うなら安心だね!」

溢れ出た安堵のため息と笑い声。不安な気持ちが吹き飛んでいった。
よかった。私の考え過ぎで。一織が言うなら間違いない。
またIDOLiSH7が。あのキラキラと輝いた世界に私達は行くことが出来るのだ。

「本当、あなたはどうしてそんなにすぐ表情を変えられるんですか」
「んー……一織より感受性豊かだから?」
「嫌味のつもりですか?」

他愛もない軽口をたたいていると予鈴がなった。心配そうにこちらの様子を伺っていた文香のもとへと向かうと、背中を軽く両手で叩いた。文香は驚きこちらを見ていたが、私の顔を見るなり微笑んでくれた。
何も言わなくてもわかってくれたようだ。文香の笑い声から不安の色が抜けている。



「……本当、甘いですね、私は」

授業開始のチャイムが学校中に響き渡る。
同時に美樹の携帯のマナーモードが誤って解除されていたようで、チャイムに重なって通知音が教室に響き渡ってしまい、先生に没収されてしまった。
何やってんだよーとムードメーカーの男子生徒が美樹を囃し立てる。
教室中に響く笑い声に気を取られていて、気づいていなかったんだ。

快晴だった青空に鈍色の雲がゆっくりとかかり、「もうすぐ雨が降りそうだ」と人々が囁いていた。