学校に到着してすぐ、美樹が物凄い勢いで私に詰め寄った。思わず2、3歩ほど後ずさりしてしまった。美樹は私の手を引いて、生徒たちが少ないところまで移動した。辺りに人がいないことを確認すると、耳打ちするように囁いた。
「この間撮った動画あったじゃん?めちゃくちゃ再生数伸びたの!!通知鳴りやまなくてやばかったんだよ!」
なんでも先日先生にスマホを没収をされてしまった時の着信音は動画の伸びを通知する音だったらしい。トリチャレは元々ライブツアーを盛り上げるためのファン間でのプチイベントのようなものだったが、TRIGGER自体の人気が凄まじいため、ツアーが終わった今もなお勢いは衰えず、動画は再生数がうなぎ上りだという。
「でさ……沙也くんにお願いがあるんだ」
「その呼び方をするって事は……もしかして……」
「大丈夫!許可をもらいたいだけだから!」
美樹はスマートフォンのメールフォルダを表示して私に差し出した。差出人はテレビ局。題名は『映像提供のお願い』となっている。
「Re:valeのNEXT Re:valeって番組知ってる?」
「うん。たまに見る程度だけど……」
「今度TRIGGERが出演するんだって!その時にトリチャレの話題を振るらしくて、動画の1例として流していいかってお願いが来てるの!」
「テ、テレビに流れるって事!?」
「そう!すごくない!?私と芽衣は全然問題ない!って感じ……沙也はどう?だめ?一応顔もあんま映ってないし、男装もしてたから沙也ってわかる人はいないと思うんだけど……」
美樹は興奮を抑えきれないようで、とても早口だった。確かに美樹の言う通り顔はほとんど映ってないし、髪型も変えてるから私と断定される可能性は低いだろう。
本当は抵抗があったけれど、私がOKを出せば2人の”TRIGGERに認知される”という願いが番組を通して叶うのだ。見てるかもしれない、という噂ではなく、本当に見てもらえるんだ。
「うん……いいよ。TRIGGERに見てもらいたいって言ってたもんね」
「沙也!!!ありがとう!!!」
美樹は本当に嬉しかったのだろう。目を潤ませて、私に熱い力強い抱擁をした。
本当は少し複雑な思いもあった。私はみっちゃんの歌声を彩る人になるという目標があったから、演奏者としてテレビに出るなら和泉三月の歌を彩るバンドメンバーとして出たかった。
動画に”私とわからないようにする”と言ったのも、もちろん個人を特定される事を恐れてという理由もあったが、”橘沙也”として演奏をしたくなかったからだ。
とはいえ美樹のこの様子を見ていると断るなんて出来ないし、憧れの人たちに認知してもらえる機会なんて滅多にないのだから、出来るだけのことはしてあげたかった。
「放送日決まったら連絡がくるらしいから、ラビチャ送るね!めっちゃ楽しみにしてて!!」
教室に戻ると美樹は軽いステップで自分の机へと向かった。
美樹、満面の笑みだったなあ。笑顔の人を見るとこっちも元気になるから不思議だ。
教室に入ると病欠をしていた文香の背中が見えたので軽く背中を叩いて挨拶をする。
病み上がりだからこそ、美樹から分けてもらったこの明るいパワーを伝搬させないと!
「文香!おは……はっ!?」
「沙也……」
そこには目がいつもより2倍ほど大きく腫れあがった親友がいた。
あまりの変貌ぶりに驚き、心配よりも動揺が勝ってしまった。そのぐらい別人だった。どれだけ泣けばこのような顔になるのだろう。
「どうしたの!?何があったの!!」
「IDOLiSH7が…………」
文香は顔を俯かせてしまった。体調が悪いのだろうか。心配になり両肩を掴んで軽く揺する。
まったく反応がなく、ますます心配になる。
「一号、何やってんの」
振り向けば四葉くんが気怠そうに、こちらを不思議そうに眺めていた。
制服が軽くはだけている。多分寝坊をしたんだろうな……と安易に予想がついた。
「四葉くん!!!」
突然、文香が覚醒した。
私を押しのけて四葉くん目がけて走り出す。四葉くんも突然の出来事を飲み込めず、「は!?なに!?なになに!?」とめちゃくちゃテンパっている。
「野外決定おめでとう!!!!!絶対行くね!!!沙也と!!!絶対チケット取るから!!!!!」
普段は温厚で騒いだりしない文香が大声を出すものだからクラス全員が驚き、一瞬にして静寂が訪れた。
四葉くんは文香の顔を見て驚き、「わかった!!ありがとう!!けど保健室行けよ!!!まじ怖ええ!!!!」と半泣きで絶叫している。
なんでもIDOLiSH7の野外ライブが決まった事が相当嬉しかったらしく、一晩中泣き通していたらしい。嬉しいの表現も人それぞれなんだな、と両極端な例をみながら一人戦慄していたのは黙っておくことにした。
「文香、おはよう」
「おはよう沙也!今日は頑張ろうね!」
休日、私と文香は『fonte chocolat』にいた。文香は表情はいつものように温和で優しげだが、目が血走っていてただならぬオーラが醸し出されていた。マジだこいつ。この言葉は文香のような人を指すのだろう。
今日はIDOLiSH7の野外ライブチケット発売日だ。「和泉くんの家で申し込みをしたらきっと取れる気がする」という信憑性が低い謎の願掛けで開店早々幼馴染のケーキ屋さんに集合していた。申し込み開始までまだ時間があるので、2人でケーキを注文してお茶をすることにした。
文香はレモンケーキを注文した。「ナギさんのカラーだからきっと……」とブツブツと囁くその様子は今まで見た事のない文香だった。彼女をここまで変えてしまうなんて六弥さんって何者なんだろうか……。一度会った事があるはずなのにそんな事を考えてしまった。
「沙也は結構涼しい態度してるけど、ライブ行きたくないの?」
「え?」
思わず口に運ぶはずだったチョコレートケーキが口からお皿にポトリと落ちた。確かに文香と少なからず温度差に違いはあるかもしれないが、私だって本当は行きたい。特等席に座ってペンライトを振って、みっちゃんと一織を応援したい。
「行きたいよ。めっちゃくちゃ!でも……実はちょっと悔しいんだよねえ」
「悔しい?」
「私はスタートラインにも立ててないのに2人はどんどん先に行っちゃってるから……羨ましいー!ずるいー!って思ってるのはあるかも」
でも願わくば、ペンライトを振るならば流れる音楽が私が奏でたものであってほしい。ライブ形式によってはバンドマンも同じ空間にいる事もある。完全なる”観客”ではなく”IDOLiSH7を――和泉三月と一緒に立つ側”になりたいのだ。
コンクールは野外ライブの後にある。その頃には今よりも焦燥感が強くなっているだろう。ライブを見たら私は焦りに焦って失敗をして、また1位を逃してしまうのではないか――そんなネガティブな思考が浮かんでくることがよくあった。
「でも三月さんと和泉くんは沙也が居てくれた方が嬉しいと思うよ」
文香はいつもみたいに穏やかに笑って言った。その言葉に驚き、手元のフォークはお皿にカラン、と音を立てて落ちた。文香は続ける。
「沙也だってコンクールの時、2人がいるから頑張れるでしょ?」
「……うん。めちゃくちゃ頑張れる」
「それと同じだよ。沙也が見てくれてるって心強いと思うよ」
目から鱗だった。私はいつも自分の事しか考えていなかったんだなと物凄く恥ずかしくなった。そうだ。2人だって頑張ってステージに立ってるのに、私がこんなちっぽけなくだらない嫉妬心にかられてどうするんだ。
「文香の言う通りだ。みっちゃんも一織も、近くで応援してあげなきゃ!」
「そうだよ!三月さん、この間みたいに絶対ファンサしてくれるって!」
「そしてそのままナギさんは私に……」ブツブツとまたあの文香が出てきた。さっきまでとても感動的な事を言ってくれたのに、もしかして六弥さんに気づいてもらうための作戦なのでは……そんなはずはないけれど思わず疑ってしまいたくなるレベルの執着ぶりだった。
ケーキを完食し、私達はお喋りに花を咲かせた。時間は刻々と過ぎていき、あと数分で申し込み開始時刻となる。
文香がひたすら携帯でリロードを繰り返していた。私は文香に言われるがままにページを表示して、先ほど指示された内容を頭の中で反復し、入念にシュミレーションしていた。
「沙也!押して!」
「はい!!」
ほぼ条件反射で申し込みボタンを押した。私の端末は真っ白いページのまま固まっていた。その様子を脇見した文香は早々に私を見捨てたようで、自分のスマートフォンを忙しなく動かしている。(優しい文香がどこかに行ってしまった気がしてとても悲しかった)
「……ッ」
「文香?!どうだった!?」
「…………た」
「え?」
ガタン。大きな音を立てて崩れ落ちた文香は顔を伏せているので声がよく聞き取れない。
耳を澄ませて、彼女の声を待った。
「……負けた…………」
チケットは取れなかった。
文香はあと1歩というところまで申込画面が進んでいたが、最後の最後で取れなかったようだ。
声になっているようでなっていない嗚咽をもらし文香は沈没した。
私はというとライブにいけない悲しさはあれど、驚きの方が勝っていた。少し前まであの広い会場に数えるほどしかいなかった観客が、たった1分もしないうちに全席を埋めてしまうほどに集まってしまったのだ。
IDOLiSH7の人気が凄まじい。初めから見守ってきた側だからこそ、人気の加速に驚きを隠せなかった。
「もしもし……!」
文香は屍と化していたので、断りもせず着信に応じた。電話はみっちゃんからだった。
あの酔っ払っていた時以来の電話。喜びを隠せず、思わず声がいつもより高くなった。
「沙也!元気してるか?今大丈夫か?」
「うん大丈夫!ちょうどIDOLiSH7のチケット申し込みしてたところだよ!」
「お!どうだった?」
「残念だけど無理だった。すごいねえ。みっちゃんたち、物凄い人気だね!」
「だろ!?みんなびっくりしたぜ!マネージャーなんか泣いちゃってさあー」
みっちゃんとの電話が嬉しくて楽しくて笑い声をあげていたら、目の前の文香がぐしゃぐしゃな泣き顔でこちらをきつく睨み付けた。その迫力ある顔が怖すぎて思わず目を逸らした。このままここで電話をしていたらヤラレル。本能的にそう思って場所を移動した。
「でさ……実は沙也と友達の分のチケット、マネージャーにお願いして取ってもらってたんだよ」
「え?」
「この間ナギが迷惑かけたろ?あの後もめちゃくちゃライブも来てくれてたし、オレからのお詫びって事で!手配出来たら一織に渡しておくな!」
「いいの?私だってまだコンクール優勝してない……」
電話の向こうでみっちゃんは大声で笑った。その声を聞いたら不思議とみっちゃんの顔が浮かんだ。
テレビ電話なんてしてないのに、不思議とみっちゃんが今どんな顔してるかわかった気がした。
「何でコンクール優勝しないとライブ行けない事になってんだよ!当たり前だろ?オレは沙也に来てもらいたいんだよ」
優しい声音だ。みっちゃんのこの声が私は大好きだ。
「うん……!行く!絶対行く!!」
「おう!絶対来いよ!ファンサしてやるからな!」
みっちゃん、きっと今目の前にいたら私の頭を撫でてくれてたでしょう?
私分かったよ。
「楽しみにしてる……!」
何となくだけど、私の耳元でとても心地よい柔らかな音が響いたの。
いつもみっちゃんが私に触れてくれた時に聞こえる音。
離れてるのに不思議だね、みっちゃん。