光の群れからはぐれてしまった

御門歌劇団。女性の役者だけで構成される歌劇団で、幅広く根強いファンが多く支持している。
母が一時期ドはまりしていて、「男役の人はカッコよくて美しくて、そりゃあもう夢中になっちゃうわあ……」とうっとりとした表情で言っていたのは記憶に新しい。
そんな歌劇団だから関係者もさぞかし気品があって、立ち振る舞いが綺麗な人が多いと思っていた。コンクールの日、勢いよく扉が開いた先に、どこで買ってくるのだろうと思うような奇抜なシャツを着たおじさんが「優勝おめでとう!ようこそ御門へ!」と両手を広げて入ってきたときは何が起こったのかわからなかった。



「すごいラッキーだよ。あの御門歌劇団に知り合いの伝手で入れるなんて」
「別に入団したわけじゃないけどね。歌稽古の時にまだデモテープが仕上がってない曲の伴奏をやらせてもらってるだけ」
「いや、それでも相当すごいでしょ」

お弁当を食べながら文香に近況を報告していると、近くを四葉くんが通った。気怠そうな足音だけど、両腕には大量のお菓子が抱えられていて表情は心なしか嬉しそうに見えた。

「四葉くん、あのお菓子全部もらったのかな」
「きっとそうだよ。四葉くんと壮五さんの人気、あのライブの日以来うなぎ上りだもん!アイナナのファンも増えてってるなーって思う事、結構増えたよ」
「そっか。じゃあこれも要らないかなあ」

私の机の上には先ほど購買で購入した王様プリンが1つ、ぽつんと佇んでいた。四葉くんは席について鞄の中からお弁当箱を取り出して、嬉々として食事を始めた。

「いや、王様プリンは別腹でしょう!渡しに行こう!」
「う、うん。そうだね」

文香は私以上にかなりアイナナに陶酔している。プリン同盟で手に入るアイナナの情報を、文香は心待ちにしているようだった。
そんな親友の嬉しそうな表情を見つつ野菜ジュースの残りを啜っていると、文香と数秒間見つめ合った。文香の瞳が迷ったように揺れ、間を置いてぽつりと言った。

「この間さ……和泉くんとお昼食べてた?」
「うん。みっちゃんがお祝いにお弁当とケーキ作ってくれて、一織が持ってきてくれたの!だから2人で一緒に食べた!」
「そういうことだったんだ。ちょうど放送室から家庭科室にいる2人が見えたから、ちょっとびっくりしちゃった」
「嘘!もしかして……他の人に見られた?」
「ううん、大丈夫だと思う。あっちの棟にいたの放送委員ぐらいだったけど、気づいたの私だけだったから」
「そっか。よかった……」
「でも気を付けてね。和泉くん結構人気だし、変に勘繰る人も出てくるかもしれないよ。この間如月さんが告白してたらしいし」
「え!?あの如月さん!?」

如月さんとは隣のクラスの読者モデルをしている子だ。スタイルもいいし可愛いしで密かにファンクラブも結成されていると噂を聞いたことがある。
前から一織は何でも卒なくこなすし、女の子から告白されたなんて話はよく聞いていたけれど、如月さんのような人にまで告白されるなんて。

「一号、プリンはー?」

もっと掘り下げようとした矢先、四葉くんのマイペースな声がそれを遮った。お弁当はもちろん、両手いっぱいに抱えられていたお菓子はほとんどが平らげられていた。驚きつつも王様プリンを手渡すと、四葉くんは嬉しそうに蓋を豪快に開けてプリンを頬張った。
綻んだ顔のまま、プリンを飲み込み「そうそう、」と四葉くんが言う。

「俺たちテレビにでっから。ちゃんと見ろよ」
「テレビ!?」
「そう。ミューフェス」
「嘘!?」

文香が驚きのあまり椅子から立ち上がった。四葉くんは「塚っち相変わらずリアクションでけえな」と言いながら席に戻って行った。文香は立ち上がったまま、両手を口に押えて固まっている。頬は真っ赤になって瞳は潤んでいた。

「アイナナが……ミューフェスに……」
「文香、取り敢えず座って……」

親友は静かに涙をこぼした。静かに天を仰ぐようにして視線を上に向け、「神様ありがとう……」と呟いて。





御門歌劇団は女性の役者だけで構成されている輝かしく華々しい劇団だ。しかし光強ければ影も深い。決して甘い世界ではなかった。

「では見習いさん、こぎげんよう」
「……お疲れ様でした」

棘のある挨拶がまるでアイドルのファンサのように軽々しく飛んでくる。私は歓迎されている立場ではなかった。名前さえちゃんと呼ばれず”見習いさん”と揶揄され、「まあ、なんて愉快な演奏なんでしょう」「主役は私達で、あなたは引き立て役なんですのよ」「演奏なしで進めてもいいかしら?あなたの音があるとなんだかうまくテンポがつかめないの」と否定的な言葉のオンパレードだ。
しかし私は言い返さなかった。いや、言い返せなかった。
彼女たちの皮肉はもっともな意見が多かったからだ。(それに乗じて関係のない誹謗中傷も時折降ってきたが、気にしない事にしていた)

けれど、捨てる神あれば拾う神あり。
そんな中でも神様は存在していた。

「お疲れ様、沙也ちゃん」
「京歌さん……!お疲れ様です!」
「今日も頑張ってたね」

にっこりと微笑むその表情に私は釘付けになった。
京歌さんは中性的な顔立ちに高身長で、男性・女性どちらに見られてもおかしくなかった。”美しい”という言葉がぴったりだったし、演技力やカリスマ性が凄まじく”京歌様”と呼び信仰的なファンが多いのも納得できた。こんな私を蔑むわけでもなく、いつも優しく声をかけてくれる、本当に非が見つからない完璧な人だった。

「全然です。どうしても一人よがりな演奏になっちゃうんです。学校で伴奏した時はこんなに苦労しなかったのになあ……やっぱり大変ですね。プロの道を目指すっていうのは」
「そうだよね。ここにいる人たちは向上心が強くて、その分気が強い人も多いから厳しい言葉もたくさん言われちゃうかもだけど……絶対沙也ちゃんのためになるはずだから、あんまり落ち込み過ぎないでね」
「はい!ありがとうございます!」
「あらあらまぁまぁ〜、微笑ましい光景だこと」

おっとりとした口調で入ってきたのは同じく劇団に所属する香穂子さんだ。京歌さんとペアを組んでいて、この2人は素人の私から見ても別格だという事がすぐにわかるほどだった。香穂子さんは私を批判するも擁護する事もなく、京歌さんと話しをしているとふらっと寄ってきては会話に入ってくる。

「京歌が相手してくれてよかったわね」
「はい!私、京歌さんとお話できるのが密かな楽しみなんです!」
「全然密かじゃないわ。しっぽが丸見えよ」
「しっぽ?」
「あなた、犬みたいだもの。ポメラニアンってところかしら。京歌がくるたびぶんぶんとしっぽを振り回してる」
「ポメ……?」

思わず自分のおしりを見るがしっぽなんてものは当然ついていない。困惑した私の顔を見て「あらあらまぁまぁ」と香穂子さんは笑い、部屋を去って行った。
振り返ると京歌さんは笑いをこらえているようで、小刻みに肩を震わせていた。

「ごめんごめん。あまりにも沙也ちゃんの反応が可愛かったからつい……」

京歌さんはツボに入ったようでしばらく笑っていたけれど、ようやく落ち着きを取り戻したところで「さて、」と私に向き合った。空気が変わる。私は固唾を飲んだ。

「じゃあ今日も始めようか。反省会」

京歌さんは御門の中で一番優しい。けれど、同時に一番厳しかった。
荒々しい言葉ではなく丁寧に、的を射たアドバイスを細かくくれる。
私のレッスンは終わりではない。むしろ今から始まると言っても過言ではなかった。

京歌さんが私の演奏に合わせて歌声を響かせる。声のトーン、息遣い、声量、さまざまな要素を瞬時にくみ取って私の演奏でこの歌声をどう魅せるかに集中した。
私はまだスタートラインに立ててもいない。
輝かしいステージは遥か向こうにあるけれど、挫けてなんていられない。

こうして前を向いてって背中を押してくれる人がいるのだから。



「京歌さん。IDOLiSH7が今度、ミューフェスに出るんです」

レッスンの途中、私は京歌さんに話しかけた。
まるで独り言みたいな話に、京歌さんは黙って相槌を打ってくれている。

「みっちゃんと一織がまた一歩先に進んでる。悔しいけど、本当は見たくないけど、私はちゃんと見ないといけないと思うんです」

京歌さんには私が何を目指しているのかは話をしていた。IDOLiSH7のことも。2人が幼馴染なことも。そして私がずっとあがいている事も。全部。全部。

「一緒に見てくれませんか。1人だとくじけそうな気がするから」

京歌さんは穏やかに微笑んでかぶりを振ってくれた。私もつられて優しい笑顔になる。
脳裏にIDOLiSH7のステージの光景が浮かんだ。私になんて目もくれず、2人が遠くを見つめて、たくさんの人たちに手を振っている映像が、色濃くはっきりと浮かんでいた。