憧れが羽を生やして飛んでいく

「思い返せばいろんなことがあったね」
「ああ。一瞬だった。あまりにも一瞬だったからこんなに時間が経ってるとは思いもしなかったさ」
「びっくりしたよ!ダーリン、いきなり「拾った」って言うから何かと思ったら……」
「僕も初めての経験だったからね。犬を飼った事なんてなかったから不安でいっぱいだったけれど、ちゃんとしつけをすれば問題ないね」
「お2人とも、そのぐらいにしてください。じゃないとそろそろ……」

「ふざけんなー!!!私は犬じゃない!!!!」

私の叫び声にケラケラとお腹を抱えて笑う人に、白目をむけて口元を隠す人。その様子を運転しながら眺めるマネージャー。
カオスな空間に私は苛立ちながら、笑い続ける目の前の2人をきつく睨み付けた。

「悪かったって。ちゃんとあとでおやつを上げるから機嫌を直して?」
「そうそう!モモちゃんが後で最高においしいケーキをご馳走してあげる!」

何がどうしてこうなった。
自問自答してもよくわからない。
3人の男たちに囲まれて乗り込んだ車は、私の自宅へと向かっている。
本当に思い返せば色々なことがあった。
私は目まぐるしい日の事を思い返した。





「え、卒業?」
「そう!もう御門で教える事はないよ!おめでとう!」

本当に突然だった。いつも通りに出向いた御門歌劇団を文字通りに門前払いされた。
ミューフェスのあの日から研鑽を重ね、嫌味を言われる回数も減り、なんと一部の公演で演奏させてもらえる機会までいただけた。
(大好きな京歌さんと香穂子さんと一緒に舞台に立てた事は本当に嬉しかった。あの高揚感は忘れられない、最高の思い出になった)
最初は忌み嫌い誹謗中傷ばかり投げつけてきた人たちも徐々に認めてくれて、順調満帆に行けていると思った矢先、突然の”卒業宣言”を言い渡されたのだ。

「嘘……この先どうすれば……」
「あらあらまぁまぁ。なんとかわいそうに」

たまたま通りかかったのだろう香穂子さんが項垂れる私を見かけるなり、スッと片手を差し出してくれた。訳も分からず右手を乗せると「よし。お手が出来たわね。えらいわ」と意味の分からない誉め言葉を残して去って行った。
この流れからしてアドバイスをしてくれるものだと思っていたのに……まあそれはそれであの人らしいか、と無理やり自分を納得させた。(ちなみにこれが私と香穂子さんの最後である)

そんなこんなであっけなく御門歌劇団とのお別れを食らった私は、再び振出しに戻ってしまったのだ。



「にしてもどうやってなるんだろ……我ながら勉強不足で不甲斐ない……」
「事務所にデモCD送ったりって話もよくドラマとかで見るよね!」
「確かに……。でもその前に経験もつまないと……」

御門歌劇団はミュージカルだ。人の歌声に合わせる、という事は学べたが、今度はバンドの演奏を学んでいかなければならなかった。

「ライブハウスに行ってみる、とかもいいかも」
「でもライブハウスだとバンド組まないと沙也は演奏できないでしょ?」
「確かに……」

うーん、と唸り声をあげて悩んでいたら、目の前に突然スマートフォンが飛び込んできた。この画面には見覚えがあった。綺麗に手入れされた爪がキラリと光を反射している。

「これやってみれば!?」

声の主は美樹だった。興奮気味に突き出していた画面はRabbiTubeだった。カラフルに彩られたピアノに向かう人たちのサムネイルがずらりと並んでいる。

「ストリートピアノ?」
「そう。バンドじゃないけど、いろんな人たちに演奏を聴いてもらえる。経験を積むにはばっちりだよ!私、撮影するし!」

ストリートピアノとは公共の場所に設置されたピアノの事で、誰でも自由に演奏ができるものらしかった。演奏した様子をアップロードしているRabbiTuberはたくさんいて、J-popやアニソン、クラシックや即興曲と、ジャンルはさまざまなもので溢れていた。

「TRIGGER弾いてよ!沙也なら絶対にまた再生数稼げるって!」
「美樹、どうせそれが目的なんじゃ……」
「まあね!またTRIGGERに見つけてもらえるといいなって思ってる!」
「それ、美樹じゃないけどいいの?」

そんな流れでストリートピアノの動画を撮影する事になった。美樹リクエストのTRIGGERを始め、クラシックや色々なアーティストの曲をリクエストされては弾いていく。美樹のアカウントで私の演奏はアップされ着々と再生数も伸びていき、ちょっとした有名人になることが出来た。(といってもそんなに爆発的な知名度ではなく、ストリートピアノ界隈で名前を覚えてもらえるようになった、程度だ)その中でも特に多くリクエストを受けるアーティストがいた。

「君、Re:valeの曲をお願いできる?」

演奏の順番待ちをしていたら声を掛けられた。こうしてお願いされることは初めてではなかった。
サングラスに帽子といういかにも怪しげな人だったが、気にせず答える事にした。

「いいですよ。曲は何がいいですか?」
「なんでもいいよ。君が弾きたいと思った曲で」

なんとも投げやりなリクエストだ。幸い、今日は奏者もそんなにいないし、人の集まりも少なかったので、演奏時間を多くとれそうだった。いつもついてきてくれる美樹も今日はいなかったので少し寂しい気持ちもあり、声をかけてくれたのが嬉しかったので、私の中のサービス精神が刺激されてしまったんだと思う。

「わかりました!楽しんでもらえるよう、頑張りますね!」

私はRe:valeの曲をメドレーにアレンジして弾いた。元々聞いたことある、程度のアーテイストだったが、京歌さんがRe:valeの大ファンだったので布教という名の英才教育を受け、御門での特訓時代にすべての曲をアレンジして弾けるほど、Re:valeの曲を聞き込んでいた。

京歌さんがあそこまで陶酔する理由がちょっとだけわかった気がする。
聞けば聞くほどこの人達の音楽は奥が深かった。決して妥協を許さない真摯さが音楽に現れている気がした。



演奏を終えると拍手喝采を浴びた。気が付けば観客もたくさん集まっていて、ピュウ!と口笛まで吹いて讃えてくれる人もいた。嬉しい恥ずかしい気持ちでピアノから離れると、少し離れたところに先ほどの人が立っていた。

「どうでしたか?ちょっとは楽しんでもらえたでしょうか」
「うん。とってもよかった。最高だったよ。ありがとう」
「そんなに言ってもらえるなんて……!光栄です!ありがとうございます!」
「ねえ、この後時間ある?ちょっと付き合ってほしいんだけど」
「え?」

このくだり、もしかしてもしかしなくてもナンパというやつではないだろうか。
初めての経験で驚き固まっていると、その人は私の手首をがっしりと掴んだ。

「キーボードを弾こう。もっとRe:valeの曲を弾かせてあげる」

あまりの驚きに声が出なかった。
だってサングラスの隙間から覗いた眼差しは、とても見覚えがあるものだったから。

「初めまして。Re:valeの千だよ。君をRe;valeを彩る一員としてスカウトしてあげる」

こうして私はユキさんと出会い、スタジオへと連行された。
キーボードの前に立たされ「はい。じゃあ弾いてみて」と強引に楽譜が渡され、言われるがままに演奏をした。
最初は「うん」「そうね」とか肯定的な返事が多かったのに、だんだんと言葉少なになって「そんなもん?」「もっと違う表現できないの?」「一辺倒。ありきたり」と要求がエスカレートしていった。
それが悔しくて翌日もスタジオに出向き演奏をした。すると今度は「昨日の方がよかった」「魚が二足歩行をしている、そんな幼稚な世界がみえるよ」「さすがに松ぼっくりは食えないさ」と抽象的でよくわからないコメントが羅列され、私は爆発した。

「絶対に認めさせてやる!!!」

まるで漫画の負け犬のようなセリフを投げ捨て、私はひたすら練習をしてたくさんスタジオに出向いた。
モモさん、マネージャーの岡崎さんとも知り合いになって、他の諸々の関係者とも顔見知りになり、いつしか私がスタジオにいる事が当たり前になった。

そんな矢先、ユキさんが思い出したように言ったのだ。

「そういえばまだ僕たちと契約交わしてないね、ポチ」

某魔法少女のような誘い文句に、思わず開いた口が塞がらなかった。その顔が面白かったのか、ユキさんは白目をむいて笑いだす。

「どういうことですか!?だってRe;valeは2人組のアイドルでしょ!私がそこに入れるわけないじゃないですか!」
「何、ポチはRe:valeになりたいの?それならまず人間にならないとね」
「私は人間です!!!!ポチじゃない!!!橘沙也です!!!」
「オレとユキの間を引き裂こうなんて……!そうはさせないんだから!」
「モモさん!!!」

気がついたら彼らのペースに持っていかれ、私はわなわなと両手を震わせた。
「ごめんごめん、」とモモさんが笑いながら一息ついて、私に向き直る。

「契約ってのはバンドメンバーとしてってこと。新曲用に演奏して録音したり、たまに番組やライブで演奏するメンバーだよ。ちょうどキーボードの人が辞めちゃってさ。新しい人を探してたんだ」
「そう。そうしたらポチがRabbiTuberとして活躍してたから、拾いに行ってあげたんだよ。よかっただろ、飼い主が見つかって」
「拾いに行った……?!」
「だって君、訴えてたじゃないか」

からかい通しだったユキさんが、真面目な口調で言った。
でもその眼差しは不思議と優しくて。

「音楽が好きです。大好きでたまらないんだって。だからもっと羽ばたかせてあげたくなったんだよ」

思わず涙が出た。京歌さんに言われた言葉が頭にぽつりと浮かんだ。
「大丈夫。いつかきっと、わかってくれる人が現れるから」
そう、ミューフェスを見たあの日に行ってくれた言葉を。

京歌さん、本当にいたよ。
私の目の前に現れたよ。

「ようこそ、Re:valeの世界へ。言っておくけどそんなに甘い世界じゃないよ。大丈夫?」

ユキさんは挑発するように、悪戯っぽく言った。
私は涙を拭って力強くかぶりを振る。

「もちろん!上等です!!」





こうして私はRe:valeのキーボード奏者になった。
数か月前の私なら「IDOLiSH7じゃない……」と贅沢な事を言っていたかもしれない。けど、今の私は違う。

絶好のチャンスを逃したりするものか。
そう、やっとスタートラインに立つことが出来た喜びを噛みしめ、武者震いする体を抑え込んでいた。