信じていたひとつ

「夏祭り?」
「そう、一緒に行かないかって、佐藤くんたちが」

いつものように岡崎事務所に閉じこもっていたら、文香から突然電話が鳴り響いた。なんでも今日、小さな花火大会と祭りがあるらしく、それに参加しないかという誘いだった。
内心面倒くさいと思いつつ、文香と一緒に行けるのはありがたいお誘いだった。

「浴衣着て行こうよ。私と、美樹と、芽衣の4人で。佐藤くんたちもサッカー部の人たち連れてくるって」
「浴衣かあ……」

自分のクローゼットの中身を思い返したが、幼少期に1度着たきりのものしか思い浮かばなかった。持ち合わせていない。私は私服で十分だ。

「もちろん、私の貸してあげるからね!」

文香はなんでもお見通しだった。「沙也、面倒くさいと思ったでしょ?」と言われ思わずギクリとした。電話越しに文香が小さく笑っている。

「じゃあ私の家に着て。お風呂入って着付けしよ。沙也と一緒にお祭り行けるの楽しみだなあ」

さすがは親友。私が断れない方法を熟知している。
またね、と通話を終わらせると深いため息が出た。確かに文香たちとお祭りに行けるのは楽しみだし、華の高校生だからこういう学生らしい思い出を作れるのはいい経験な気がする。
けれどわざわざ浴衣を着ておしゃれをしてまで行く必要があるのか……という思いが巡り、いまいち気乗りしなかった。

「ポチ、夏祭り行くんだって?」
「いいじゃん、楽しんで来いよ」

同じRe:valeのバンドメンバーである蟻田さんと木場さんが私の通話を聞いていたようで囃し立ててきた。(悲しい事に事務所内ではすっかり”ポチ”という渾名が浸透してしまっていた。)
ドラムの村田さんはスティックをくるくると回し、「やっと女子高生らしい遊びをし始めたか」とまるで親みたいな発言をした。

「でもせっかくの合わせの日なのに……」
「大丈夫だって。千さんも新譜をかいてるみたいだし、また嫌って程合わせの時間なんて出来るって」
「友達の誘い断っちゃ悪いだろ。たくさん遊んで来いよ」

今日は数少ない合わせ練習の日だったが、あまりにも私が事務所に入り浸っているのでバンドメンバーは心配していたらしく、「ポチがやっと女子高生らしい事をしてくれる」と言いながら練習室から追い出すように私の背中を押した。(というより文字通り追い出されたという方が正解かもしれない)



文香の家に着くとたくさんの着物がリビングいっぱいに並べられていて、より取り見取りとは正しくこういう状況を指すのだと思った。(文香のお姉さんはアパレルで働いていて、毎年夏になるとお店の浴衣を2〜3着買ってくるそうだ。1度も袖を通したことのないものもある、と文香は困ったように笑った)
なんでも後から美樹と芽衣もここへ来るらしく、みんなで着付けをするという話になっているようだ。

「これなんか沙也に似合いそう」
「そうかな。どれでも一緒だよ」
「こら。あからさまに面倒くさそうにしないの!」
「だって誰に見せるでもないし……」
「本当に沙也って両極端だよね、昔から」

発表会のドレス選びはテンションが上がるのに、と文香に言われてはっとした。確かにドレス選びは楽しい。昔はあんなに嫌だったのにいつしかあれもこれも着たい、だなんて考えるようになった。けれど私服は別で、女の子らしい服装より動きやすいカジュアルなものが好きだった。浴衣は暑いし動きにくいし……と考えるから気後れしてしまうのかもしれない。

「じゃあこう考えなよ。三月さんと和泉くんに見てもらうなら、どれを着たい?」
「みっちゃんと一織に?」
「そう!沙也の大好きな人たちに見せるために着るって考えたら決めやすいんじゃないかな?」

私は浴衣に向き直る。2人に見てもらう、そう思ったら確かに先ほどよりも浴衣選びに前向きになれる気がした。実際2人に会うわけではないのだけれど。

「うん!それ、すっごく似合うと思うよ!」

私が1着の浴衣を手に取るのを見て、文香がとても嬉しそうに言った。






「お待たせ!」
「おー!こっちー!」

着付けも終え、集合場所に行くと佐藤くんを始めとしたサッカー部の人たちが顔を揃えていた。佐藤くんは以前”沙也くん”になる時にスラックスを借りた事があったので、挨拶を交わす程度には話す間柄だ。

「みんな浴衣いいじゃん」
「でしょー?惚れんなよー!」

美樹が誉め言葉を軽々とうまく返す。慣れた対応に驚きつつも私ははぐれないように文香の隣に並んで歩いた。少し進むとたくさんの出店が立ち並んでいて、賑やかしい風景が広がっていた。

「橘さんめっちゃ楽しそうだね」

そんな私を見て、隣にいた佐藤くんが話しかけてきた。突然声を掛けられた事に驚きつつも、男子の中では一番話しやすい人だったので、少し安心した。

「お祭り久しぶりだからちょっと目移りしちゃった」
「わかる!屋台の飯ってどれもうまそうに見えるよな!食べ歩きしたくなる」
「ついつい買い過ぎちゃうよね。結局食べきれなくて持ち帰ったりして……」

はっとして口を噤む。無意識に「そういえば昔みっちゃんが買い過ぎた焼きそばを持ち帰ってくれて〜……」と続けてしまいそうになった。
佐藤くんとみっちゃんは目線の高さが似てるからかもしれない。ここにみっちゃんはいないのに。
佐藤くんは不思議そうに私を見ていた。

「屋台寄ってく?他の奴ら、めっちゃ先に行っちゃったし」

気づいたら文香をはじめ、他の人たちの姿が見えなくなっていた。人の流れも多いからはぐれてしまったのだろう。近場には佐藤くんしか見知った顔が見えない。

「かき氷買おうよ。ちょうど橘さんと話したいとも思ってたんだ。あの端で一緒に食おう」

佐藤くんに促されるがまま、私はかき氷の屋台へと向かった。
私はブルーハワイ、佐藤くんはレモン味を選び、人目を縫ってたまたま空いていたベンチに並んで腰かけた。
夜空には花火が上がっていた。仄かに香る火薬のにおいが鈍く鼻を撫でた。

「橘さんて和泉と仲いいよな」
「一織?」
「そう。和泉が話すのって、四葉と橘さんぐらいじゃん。俺、話しかけても2、3言で会話が終わったよ」

ははは、と佐藤くんは笑う。確かに一織は社交的ではないので、クラスメイトだからと言って親し気に話すタイプではなかった。2,3言で終了する会話の光景がいとも簡単に頭の中に浮かんだ。

「俺さ、実は……IDOLiSH7のファンになったんだよね。和泉の兄さんが推しなの」
「みっちゃんが!?」
「ははは。さすが、めっちゃ仲良さげじゃん」

佐藤くんの好感度が急上昇した。みっちゃん推しだなんて見る目がありすぎる。思わず興奮のあまり握手したくなってしまったが、冷静になってぐっとこらえた。
「簡単に男に触れるな!触らせるな!」というみっちゃんの言葉が、まだ私の中でぐるぐると回っているのだ。

「近づきたいとかそういう邪な感情じゃなくて、誰かに言いたかったの。橘さんは幼馴染だし、一番聞いてほしかったんだよね」
「嬉しい!みっちゃん、絶対喜ぶよ!」
「そうだと嬉しいな……。今ツアーライブやってんじゃん?チケット取れたから東京公演行くんだ。橘さんも行くの?」
「もちろん!文香と一緒に行くつもりだよ!」
「おっ。じゃあ会場で会えたら会おうぜ。ツアー評判いいし、めっちゃ楽しみだよな!」
「わかる!今度はどんな演出とセトリなんだろう、今からわくわくだよね!」

夜空に綺麗な花火が咲いているというのに、私たちはそっちのけでIDOLiSH7談義をした。佐藤くんは小柄なのにエネルギッシュにステージで踊り、また切れのあるトークを披露するみっちゃんに勇気をもらえるのだそうだ。同じような悩みを持っているからこそ、みっちゃんが眩しく見えて憧れる、と。
その言葉を聞いて涙が出そうだった。みっちゃんに伝えてあげたい。一言一句間違えず、そのままの声を彼に届けてあげれたら、どれだけ励まされるだろうか。



佐藤くんとラビチャを交換し終えたころには花火も終わり、ぞろぞろと人並みが駅へと流れていた。私達は人が少なくなった時を見計らい、好きなだけ屋台を回った。
満足するほど買い漁った頃にはぐれていたメンバーとも合流し、各々が帰路につこうとしていた。

「ねえ佐藤くん、一緒に写真撮ろうよ!」
「え、なんで?」
「みっちゃんに見せたいんだ。みっちゃんのファンだよって!佐藤くんの話をしたいの!」
「ま、まじ……!?俺、全然普通の服なんだけど……」

いそいそとインカメで自分の身だしなみを整える佐藤くんは、まるでデートに出掛ける前みたいだ。そんな光景が微笑ましくて思わず笑ってしまう。
文香に頼み写真を撮ってもらった。佐藤くんは照れが前面に出ていてうまく笑えていない、カチコチの表情だったのでそれが面白くてまた笑ってしまった。

「橘さん、人の顔見て笑うってひどくない……?」
「だってめっちゃ緊張してますって顔にかいてあるんだもん!」
「沙也、笑い過ぎ」

文香は私をなだめる様に背中をぽんぽん、と叩いた。
そしてカメラを構えて言う。

「私達も一緒に撮ろう。せっかく浴衣着たんだし」
「うん!佐藤くん撮ってー!」
「おお。いくよー」

無機質なシャッター音が響く。レンズに向けて私は満面の笑みを浮かべた。
この写真もあとでみっちゃんと一織にも送ろう。
だって今日はIDOLiSH7のファンと、みっちゃんのファンと出会えて話をできた、記念すべき日なんだから。
この喜び、楽しみを、2人にもありったけ伝えて、共有したい。


私はIDOLiSH7の一員ではないけれど。
2人の幼馴染っていう特等席はまだなくなってはないよねって、確かめるように。