言葉の粒子が宙を舞う

ライブを終え、これから夕食をというタイミングで三月のラビチャが通知音を鳴らした。幼馴染の橘沙也からで、浴衣姿で楽しそうに微笑んでいる写真が送られてきていた。

「みっちゃんのファンに会いました。佐藤くんです。みっちゃんを見てると励まされて、勇気をもらえるって!今度詳しく話すね!」

三月のラビチャにはキラキラの絵文字と、王様プリンが親指を突き立てるスタンプが添えられていた。
写真にうつる”佐藤くん”はぎこちなくこちらにピースサインを向けている。隣に並ぶ沙也との距離は近く、肩と肩が触れ合いそうなほどだった。

「なんで一号とサッチーが一緒にうつってんの?」

画面が見えたのだろう環が、“佐藤くん”を”サッチー”と仲睦まじそうな渾名で呼んだ。「サッチー?」と三月が問うと環が続けた。

「クラスメイト。そっか、サッチーはみっきーのファンって言ってたから、一号とも仲いいんだな」
「クラスメイトなのか。どんな子なんだ?」
「サッカーがめちゃうまいって女子が言ってた。俺に前王様プリンくれたし、イイやつ」

「タマのイイ人基準はプリンをくれるかくれないかなんだな……」と大和が半笑いで言った。環は「一号もプリンずっとくれるからいいヤツ」と続けるので、大和はさらに苦笑した。

「そういえばサッチー、ずっと一号としゃべりたいって言ってた。一号の事、好きなんかな?もしかして2人で行った?」

環の発言に、場が静まった。いつもなら明るい三月の表情が途端に曇ったからだ。
無機質な食器の音がただ響く、何とも言えない間が広がる。
こんな時にいつも空気を和ませてくれるのはマネージャーである小鳥遊紡だったが、運悪く電話がかかってきて席を外していた。

「2人ではないでしょう。塚原さんと小林さん、田中さんも一緒のようです」

一織が美樹のSNSにアップされている写真を見せて言う。写真には一緒に行ったと思われるメンバーが全員映りこんでいて、複数人で行った事が汲み取れた。
「こいつらめっちゃ夏休み満喫してんな」と環が羨ましそうに言った。陸が画面を覗き込み、「あ!この子ナギのファンの子じゃない?」と話を膨らませた。それを機に話の方向は逸れ、三月の表情もいつも通りの柔らかい表情に戻ったので、場の雰囲気がまた和やかになった。

大和は向かいに座る一織を見た。平然と、涼しげな顔で夕食を口に運ぶその態度に何か言いたそうだったが、これまたタイミングよくマネージャーの紡が「すみません!注文を間違えてしまって大和さんのビールがコーラに……」と申し訳なさそうにジュース瓶を持って現れたので、その言葉は声にならずに消えた。





眠る準備をしていた頃、スマートフォンの着信音が部屋に鳴り響いた。

「みっちゃん?!」
「沙也?起きてたか?」
「うん!起きてた!みっちゃん、今日ライブだったよね?お疲れ様!」
「おう、サンキュー」

突然の連絡に舞い上がりベッドの上で足をバタつかせていたら「落ち着けって」とみっちゃんに釘を刺されたので、膝を抱えて座りなおした。
まさか電話をもらえるなんて思っていなかったので、本当に嬉しかったのだ。

「写真ありがとな。浴衣似合ってんじゃん」
「本当?変じゃなかった?」
「おう!最初、誰だ?って思ったわ。よく見たら沙也だったからびっくりしたよ」

みっちゃんは外にいるようで、夜風の音がスピーカー越しに届いた。
窓から入る風音が似ていたから、遠くにいるはずなのにみっちゃんがなぜだか近くに感じた。

「佐藤くん、みた?みっちゃんのファンなんだよ。佐藤くん、小柄でずっと悩んでたんだけど、アイナナのライブ映像みてみっちゃんがみんなに負けないぐらいエネルギッシュに踊る姿に感動したんだって!」
「まじかあ」
「まじだよ!東京公演も見に行くって!気合いいれてオレンジのソックス買ったって言ってたよ!」
「嬉しいな……」

夜だからだろうか。
みっちゃんの声は迷っているように揺れていた。今日も地方公演を終えたから、疲れがたまっているのかもしれない。

「……沙也、ありがとな」
「え?」
「オレにそれ伝えるために写真撮ってくれたんだろ」
「うん……!」

みっちゃんはすごいな。私の言いたい事、こうやって簡単にくみ取っちゃう。
超能力者みたい。魔法使いみたい。みっちゃんは私の事、何でもわかっちゃう。
この恋心以外は、だけど。

「明日も頑張れそうだよ。ごめんな、こんな遅くに」
「ううん!いつでも電話して!私もみっちゃんの声聞けると頑張れるの!」
「……そっか」

みっちゃんの声がまた揺れた。
声音は落ち着いていて、でもどんな心情を孕んでいるのかは風の音も混じっていてよくくみ取れない。

「……沙也」

ビュウ、と風が泣く。
先ほどよりも強くなった音が、私たちの間に無理やり入り込もうとしているようにも思えた。
スピーカーに一生懸命耳を押し当てた。みっちゃんの声を拾いたかった。



「浴衣、可愛かった」

先ほどまでの風音が嘘みたいに止んだ。
みっちゃんの声だけが、すとんと私の中へ綺麗に落ちた。
その声音はとっても優しくて。暖かくて。

「じゃあな。おやすみ」

私は何も言う事なく、いや、言えることなく通話が終わってしまった。
心臓がうるさかった。通話越しにみっちゃんに届いてしまうのではないかと思うほどに、バクバクと動き体中を火照らせていく。

「みっちゃん……?」

今までに聞いた事ないほど、優しく、暖かく、それでいて芯の通った声。

みっちゃんは男の人だ。
わかっていた。わかっていたはずなのに。
私の知らない、見た事のないみっちゃんが顔を出した気がして。

「本当にみっちゃんなの……?」

その場にいるはずはないのに、なぜか夜空に向かって囁いていた。





「……何言ってんだ、オレ」

繋がり広がる夜空の下、同じように顔を赤くして、うずくまる和泉三月の姿があった。
いつものように明るく「可愛かったぞ!」と言いたかったのに、色々な感情が入り混じってうまく言えなかった。

「沙也は……妹だろ」

まるで自分に言い聞かせるように言う。スマートフォンに触れると、画面越しに沙也がこちらに微笑んでいた。藍色と赤色の帯の組み合わせは大人びて見えて、沙也をより魅力的に魅せている気がした。
コンクールの日、ドレスを翻して去って行く姿を見て浮かんだものと同じ感情が三月の中に浮かんでいる。


彼女は美しかった。強かで逞しく、けれど繊細さも垣間見れるその雰囲気は正しく美しいという言葉がぴったりだった。
あまりの美しさに見惚れている自分がいた。

いつも感情表現が豊かで、泣きわめくたびに「みっちゃん、みっちゃん」と自分のところに頼ってくる沙也が可愛くてしょうがなくって、これが”妹”を思う感情なのだと割り切っていたはずなのに。

大和と触れ合っている光景をみて、モヤのような感情が渦巻いた。”佐藤くん”と沙也が呼ぶたび、似たような感情が腹の奥底からドロドロと沸き上がってきて、素直に喜びたいのにそれを許してくれなかった。

三月はこの感情を知っている。知っていたけど知らないふりをした。
認めたら終わりだ。
そう、思っていたから。


「妹じゃ……ないのかよ」


夜空に向かって囁く。
その声は誰にも届かず、藍色に沈んでいった。