ノットシミラー・シンデレラ

高校に入学して間もない頃だったと思う。友達としての距離が少しずつ縮まり、込み入った話も出来始めていた頃だった。
2人でいくつかの雑貨屋を回り、休憩がてらにクレープを食べている時に好奇心で聞いてみた。

「沙也って好きな人いる?」

生クリームにかぶりつこうと開けられた大口は、そのままの形で静止された。睫毛が2回ほど羽ばたき、急にしおらしい態度で口を噤んだ。口にせずとも態度が先ほどの質問を肯定している。

「へえ、誰?うちの学校の人?」

予想外の反応だった。
いつも元気で明るく無邪気な笑顔を浮かべる印象が強かった友人が初めて垣間見せた可愛らしい一面に、文香は嬉しくなった。感情が行動にも現れ、無意識に沙也の方へと身を寄せたので、2人がけのベンチにはもう1人が座れそうなほどのスペースが生まれている。

「ううん。近所のお兄さん」
「お兄さん?年上?」
「うん。幼馴染なの」

文香はどきりとした。照れを交えてはにかむ友人はお世辞抜きで可愛かった。「恋をしているかは目元を見ればわかる」と姉が得意げに言っていた時は話半分に聞いていたが、今ならその意味がわかる。
ほんのりピンク色に目尻が色づき、瞳に浮かぶハイライトが宝石のように揺れている。先ほどとは打って変わって小さな口でクリームを頬張る沙也はまるで別人に見えた。

三月がアイドルを目指している事。彼女がピアノを弾く理由。幼馴染たちとの関係性や思い出。色々な話を沙也は文香に語った。
彼らの事を語る沙也はとても活き活きとしていた。あまりにも幸せそうに話すので、時折嫉妬にも似た感情を抱く事もあったが、沙也は文香にも存分に心を開いてくれたので、あっという間にちっぽけな醜い感情はどこかへ消え失せた。

2人は親友になった。
共に学校生活を送り、一番近くで彼女を見てきたからこそ思う事が文香にはある。

それを彼女に告げたことは、1度もないのだけれど。










「最近嫌な雰囲気だよね」

文香は肩肘を付きながら、目の前に広がるスクランブル交差点に目もくれず空へ溶かすように言った。
チョコレートフラペチーノを一口啜るが、心なしかいつもより苦みが増しているように感じた。私たちは同じタイミングでため息を漏らす。目が合い、また同じように重ねて深く息をついた。
私達の気分を盛り下げている原因はスマートフォンの中にあった。

「ここのところ異常だよね、ゴシップ」
「しかもでたらめばっかり!」

IDOLiSH7は認知度が増し、自他ともに認める立派なアイドルとなった。サウンドシップの件もあって快く思わない人たちも少なくはないが、それ以上に応援する人たちが増えていた。
ところが吹いている追い風を妨害するかのように、悪意あるゴシップが出回り始めている。大半の人たちは気にも留めないような半信半疑な内容が多かったが、IDOLiSH7を応援する側からすると許しがたいもので溢れていた。

『和泉三月は和泉一織のオマケだった!』

出所も定かじゃないネットニュースの煽りが私の神経を逆撫でた。
そんなわけがない。あるはずがない。じゃあどうしてみっちゃんは1人でバラエティ番組に出演出来ているの?オマケなら一織や他のメンバーと一緒に出演するんじゃないの?ライブのトークを誰よりもうまく広げているのは誰なの?
みっちゃんの努力を、たまたま訪れた幸運だったみたいに、”オマケ”なんて安っぽい言葉で片付けられて堪るか!

「知ったような口で彼らを汚さないでほしい」

フラペチーノの容器が力に耐えかね、音を立てて凹んだ。変形したプラスチックカップを見て浮かんだのは一織の横顔だ。

IDOLiSH7の人気に伴い一織も四葉くんも仕事で学校を休むことが多くなっていた。
ここの所休み続きだった一織が午後の2時間だけ授業を受けに来たので、休み時間の合間に声を掛けると「なんだ、沙也ですか」と心ここにあらずな声が戻ってきた。
一織は一息つく間もなくすぐに帰り支度を始め「時間なので、それでは」と大して会話もせずに教室を後にした。

忙しさに疲れているだけかもしれない。私の考えすぎかもしれない。
けれどあんな一織の表情を見るのは久しぶりで、

「和泉くんは………だね」

悲しみを孕んだ声音に、ひどく胸が痛んだ。

「文香ごめん。よく聞こえなかったからもう1回言って」
「ううん、大丈夫。ところで話があるって言ってたのって何?」
「あ!そうそう!本題はこっち!」

鞄から1枚の封筒を取り出した。白無地の封筒は外からでは何が入っているかはわからない。カウンターチェアを回して文香に向き合い、まるで賞状を渡すみたいにそれを差し出す。

「文香に見に来てほしいの。私の新しいステージ!」

文香は口をぽかんと開けたまま受け取った。答え合わせをするように封筒と私を交互に見て、中に入っているものをゆっくりと引き出す。
数秒後、彼女が突然抱き着いてきたものだから周りの人たちの視線を集めてしまい少し恥ずかしかったけれど、彼女が涙ながらに喜んでくれた事が嬉しくて、私は笑顔になった。

カフェに隣接するレコードショップのスピーカーがピアノの音色を響かせている。
それは文香の耳にも届いたようで、彼女が目を閉じて聞き入っている様を、私は脳裏のキャンパスに焼き付けるように、じっと、静かに見つめていた。










どこかに伺う際は事前にアポイントメントを取る事。
一織が昔、涼しい顔で言っていた社会人の常識とやらを私は早速破ろうとしている。
右人差し指は小鳥遊事務所のインターフォンのボタンの前で右往左往していた。

文香と別れた後、どうしても一織の横顔とネットニュースのゴシップが頭から離れず、居ても立っても居られなくなり、小鳥遊事務所の行き先を調べていた。
感情が勝り何も考えずに無我夢中でここまで来たが、いざ呼び出すとなるとやっと顔を出した理性が「何しようとしてるの?」と冷静に冷たく割って入った。
どうせ顔を出すならもっと早くか、すべて終わった後にしてほしい。

それでもこの胸のざわつきをどうにかしたかった。
私の思い過ごしだったらそれでいい。
「おまえ、なんでこんなところまで来てるんだよ」って、いつもみたいに呆れながらも笑ってくれればそれでいいんだ。



「はい。小鳥遊事務所です」
「あ、あの!私、橘沙也と言います。突然すみません。こちらに小鳥遊紡さんか、和泉三月、和泉一織はいますか……?」
「えーと……ファンの子、かな?」
「いえ!あ、いや、ファンではあるんですけどただのファンじゃないって言うか……」

意を決してインターフォンを押し、早速後悔した。
「だから言ったのに。自業自得です」と脳内で一織のボイスが再生された。
本当だね、一織。アポイントメントって大切なんだね。
厄介なファンが凸って来ている図にしか見えないね。
どう説明しても、もう手遅れな気がするよ。

「HIガール!こんなところに迷い込んでしまうなんて、アナタの羽はイタズラがお好きなようですね」
「ナギさん!!」

恥ずかしくなるような口説き文句を何食わぬ顔で言えてしまう美形が私の後ろに立っていた。
予期せぬ救世主に思わず縋った。色々な意味でナギさんが眩しく見えて、目を細めないと直視できなかった。(本当に何度見ても美形すぎて近くに立つことが烏滸がましく感じる)

「ナギくん!!ダメだよ声掛けちゃ!」
「バンリ、心配ありません。この子はミツキとイオリの知人です。ただのファンじゃありません。紡とも知り合いですよ」
「え、そうなの?」

先ほどまで対応してくれていた事務員さんが飛び出してきたが、ナギさんがフォローしてくれたのでどうにか事務所に通してもらえた。
案内されたソファに座り、申し訳なさに居たたまれず縮こまっていると、隣に座ったナギさんが「沙也、大丈夫です。リラックスして」と背中を軽く叩いてくれた。
本人は悪気がないのだろうがナチュラルなボディタッチと、日本人男性にはない距離の近さに緊張し、落ち着くどころか体が更に力んでしまう。もしこれが文香なら卒倒している事だろう。

「橘さん……でしたっけ?今日はどういったご用でいらしたんですか?」
「あ、はい!突然すみません。みっちゃ……和泉三月と一織の顔が見たくなって……」
「いいですよ、普段通りで。三月くんと仲が良いんだね」

事務員さんは緊張した私を見かねたのか優しく微笑んでくれたので、ほんの少しだけ肩の力を抜くことが出来た。
出されたお茶を一口啜ると更に気持ちが和らいで、やっと息が深く吸えた気がした。

「私、一織とクラスメイトなんです。久しぶりに一織が登校したんですけど、なんだかいつもと違った気がして……最近変なネットニュースがたくさん出てるし、2人の事が無性に気になって、顔が見たくて……少しだけでいいので、みっちゃんと一織に会えませんか?」
「ごめんね。三月くんも一織くんも今日は別々の仕事があって、帰りが遅くなるみたいだ」
「そうですか……」
「沙也、アナタがみたネットニュースはどんな記事です?」

ナギさんに促され、渋々と忌々しい記事をスマートフォンで表示した。
見出しを目にしただけで2人の表情は曇り、空気がわずかに重くなる。

「ナギさん、みっちゃんはこの記事の事、知ってますよね?」

ナギさんは私に答えず、ただじっとスマートフォンに浮かぶ記事を眺めていた。
沈黙が肯いている。腹の奥底に沸々と、マグマのような熱くどす黒いものが蠢き始める。

「……ひどいです」
「沙也……?」
「みっちゃんがこの記事を少しでも本当だと思ったなら、みっちゃんのファンにも、一織のファンにも失礼です!みっちゃんの努力をオマケなんて言葉で片付ける程度にしか彼を見れない奴らに、惑わされてほしくない!!」

気が付けばその場から立ち上がっていた。息が上がる。
やり場のない怒りにも似た感情を体の中に抑え込むのに必死だった。

いつも前を向いているみっちゃんをそんな風に俯かせている奴が憎い。
一織にあんな悲しい顔をさせる奴が憎い。
私の大好きな人たちを苦しめる奴らが憎くて、腹立たしくて仕方がない。

「事務員さん!!お名前を教えてください!!」
「はっ、はい、大神万理です」
「大神さん!来週の金曜日、みっちゃんと一織は仕事ですか?」
「どうだったかな、マネージャーに聞いてみないと詳細は……」
「2人に伝えてください!夜、歌ステを見るようにって!!」
「歌ステ!?な、なんで?」
「それは見てのお楽しみです!」

ナギさんに向き直ると少しだけ目を丸くして私を見ていて、その表情は少しだけみっちゃんを彷彿とさせる。ナギさんがいつもみっちゃんの隣にいてくれてる証だ。そう思うと胸が熱くなった。

「ナギさん、いつもみっちゃんを支えてくれてありがとうございます。私、みっちゃんの俯いた顔、首が痛くなるぐらい、思いっきりぐんと上に向けてやりますから!だから一緒に隣で見てて!」


私が笑うと、ナギさんも同じように笑い返してくれた。
「モチロンです。ベストショット、アナタにお見せしますよ」と軽いジョークを交えて微笑むその立ち振る舞いは、正に王子様そのものだった。