親愛なる人へ

三月と一織はナギと万理伝いに沙也からのメッセージを受け取った。
ナギはまるでここなの放送開始を待ちわびている時のように「ミツキ、来週の金曜日は一緒にテレビ見ましょう。ワタシ、重大なミッション任されました!」と心弾ませた様子で言ったので、三月は気圧されつつも「わかった!わかったから落ち着けって!」と二つ返事で承諾した。


歌ステとは毎週放送される音楽番組で、大衆向けの長寿番組だ。
今回は『冬の歌』をテーマに放送されるSP特番となって、通常よりも多くのアーティストが出演する予定となっている。
偶然にも当日はIDOLiSH7全員が歌ステまでには寮に戻れそうだったため、「せっかくなので皆さんで一緒に見ませんか?」と紡の発案に応じる事となった。





「沙也から観覧席のチケットをもらったので、今日は会場に来てます。和泉くんはどこで観るの?」
「寮でメンバー皆と観ます」
「そっか。沙也、どんな風に出てくるんだろう。楽しみだね」

心なしか軽やかに見える文香のメッセージに苛つき、一織は颯爽とラビチャを閉じた。
代わりに開いた出演アーティストの一覧表を食い入るように睨み付ける。
この中で”ユキさん”と合致するアーティストは4人、”ユキさん”が渾名だとして、その可能性があるとすれば9人該当者がいる。それだけでも多いが、アーティストではなくバンドメンバーの1人だったとしたら、”ユキさん”はここに名前が出ていない事になる。

無意識に深いため息が漏れた。無意識に力んだこめかみを指でぐっと押し伸ばす。
一織は焦躁した。あまりにもヒントが少なすぎる。
この番組を見ろというのだから沙也が出演する事は分かり切っているというのに、どこの誰とどのような事をしているのか、皆目見当もつかなかった。

「沙也ちゃん、テレビに出るなんてすごいね!」

陸がニコニコと笑いながら一織の隣に座った。テレビからは「歌ステ冬SP、この後すぐ!」とミスター下岡が楽しげ話す番宣CMが流れている。紡と万理、社長までも揃ってリビングに顔を出していた。

「一号、テレビに出る事自慢したかったんかな」
「そういうわけじゃないと思いますけど」
「じゃあなんでみっきーといおりんに観ろって言うの?」

環の言葉が沈黙を生んだ。テレビから流れる明るいBGMがより一層この場を冷たくする。
一織は無意識に三月へと視線を向けたが、それから逃げるように向こうはテーブルの縁を、焦点の合わない目で見つめていた。

「ただ純粋に、三月さんと一織さんに見せたいんじゃないでしょうか」

清らかなソプラノの声が空間を包むように降りた。
声の主に視線が集まるが、本人はそれを優しく受け入れるように穏やかな笑みを浮かべた。

「沙也さんは誰よりもお2人に見てほしいんだと思います。ご自身の姿を」

紡は沙也の夢を知っているわけではなかった。
連絡先は交換しているが、詳しい話をする間柄でもない。それでも彼女の言葉には不思議と説得力があった。まるで沙也の気持ちを代弁しているようにも思えるほど、三月と一織の中にストンと収まった。

テレビからは番組の開始を告げる軽やかなBGMが流れる。
皆の視線がテレビへと集まった。再び生まれた無言の空間は、三月と一織の余裕のない心を少しだけ落ち着かせてくれた。










「初めて楽譜を受け取った時ね、シンデレラってこんな気持ちだったのかなって思ったの」

舞台袖で私が突拍子もない事を言ったので、ユキさんとモモさんが目を丸くしてこちらを見た。

「夢みたい。でもこんな私でいいのかなって。ユキさんの作った宝物に私が触れていいのかって、怖くなった」
「今も怖い?」
「怖いです。いつだって怖いよ。でも、背中を押してくれる人がいるから、私は前を向くって決めてるの!」

ユキさんが私の方へと歩み寄る。
白とネイビーを基調にした衣装のスーツを着こなして、上品な仕草の裏に隠し持つ色香が見え隠れして、なんて綺麗な人なんだろうとしみじみと思う。
首が自然と後ろに傾いて、ユキさんの瞳を見つめた。

「君はシンデレラなんて可愛いものじゃないよ」
「は?」
「自分を美化しすぎだ。君がシンデレラならもっとお姫様みたいに丁重なもてなしをしてあげてるよ」
「知ってますよ!!例え話ですって!!!」

モモさんはお腹を押さえて笑っている。なんだかそれが無性に悔しくて、恥ずかしくて、ちょうどよくスタッフさんに「スタンバイお願いします」と声を掛けられたので颯爽とその場を後にした。
背中にモモさんのまだ止まない笑い声を背負いながら。

「おっかしー!確かにシンデレラではないよね、沙也は」
「美人なわけじゃないしね。可愛げはあるかもだけど」
「それ言ったらまた沙也が怒るよ、ユキ」

2人は仲良く話しながらステージに上がってきた。
会話は聞こえないけれど私を見て笑ってるので、さっきの話がまだ続いているのだろうと思った。「いつまでも笑わないでください!」という嫌味を込めてジトっとした視線を送る。

「ラッキーで訪れた、魔法使いにもらえた幸運じゃない。ただの美しいシンデレラだったらとっくに見切りをつけている。君は自分で掴んだんだ、この座をね」

ところが2人して爽やかなウインクで返してくるものだから、アイドルというものは何という生き物だと舌を巻いた。
先ほどのお茶らけた雰囲気はどこかへ飛んでいき、ステージの照明が彼らを照らし始める。
観客席にはピアノのコンクールとは比べ物にならない程の多くの人がいた。圧巻な景色に武者震いが起きる。
思わず息をのんだと同時に、脳裏に2人の顔が浮かんだ。
こんな時にも2人の事を考えてしまうなんて、私は意外と肝が据わってるのかもしれない。


すごいね。みっちゃん、一織。
2人はいつもこんな景色を見ていたんだね。


「それではRe:valeで、TO MY DEAREST!」

ミスター下岡さんの声を合図に、鍵盤へと丁寧に指を落とした。
Re:valeの歌声が私のピアノと録音されていたメロディに重なって震え、広がっていく。
スポットライトが煌めいて、近くで歌い踊るモモさんとユキさんを彩っていく。私もその光に交じりたくて、まるでラッピングのリボンをかけるような気持ちで音を奏でた。

みっちゃん、一織、見てる?
下ばかり向かないで私を見て。
前を向くって大事な事、教えてくれたのはみっちゃんだよ。
だから私、今こうしてステージに立ててるんだよ。


ユキさんとモモさんが、私が弾くピアノを中心として踊り舞う。
蕾が閉じるように収束して、華が咲くように開いて、雪が舞い降りてきているみたいに宙を愛し気に見つめて――……。

心地いい空間に身を委ね陶酔しながら、惜しみながらも最後の鍵盤に触れる。
私が最後に奏でた音が止みゆっくりと訪れた静寂は、割れるような拍手喝采によって埋め尽くされた。










「今の、沙也さん……でしたよね?」

あまりの衝撃に静まり返る彼らの目を覚まさせたのは、小鳥遊紡の声だった。
「あのRe:valeと共演……?」と壮五が目を見開いて、驚きを隠しきれない様子で言った。和泉兄弟は2人してまだ事態を飲み込めず、目を点にして固まっている。

Re:valeのTO MY DEARESTはクリスマスソングだ。最初にピアノのメロディーに合わせて奏者の手元がアップで映りこみ、カメラは徐々にRe:vale2人に焦点を合わせた。
歌い踊る2人を中心に映し出される映像に、途中から黒塗りのグランドピアノが見え隠れし始めた。
百と千がピアノを囲うように踊り、時には奏者に寄り添うような仕草の振付をして、フレームの中に何度も奏者が映りこんだ。

それは正しく橘沙也だった。
ヘアメイクのおかげで普段より大人びた雰囲気だったが、間違いなく沙也本人だった。
ネイビーのドレスにあしらわれたレースとスパンコールがスポットライトに反射して、彼女の恍惚な表情をより魅せていた。
Re:valeの世界を十二分に彩っていた。

「素敵な子だね。一織くん、君をスカウトした時に一緒にいた子だよね?」
「は……はい」
「こんな素晴らしい武器を持っている子だったんだね」
「武器……?」
「君にも届いていただろう?」

小鳥遊社長は三月と一織を見た。その表情は何かを懐かしむかのようにも見えた。

「この曲を聴いてほしい。Re:valeを見てほしい。顔を上げて、こっちを見て……そんな熱い思いが伝わってきたよ」



その言葉に、三月と一織は思わず顔を見合わせた。
番組はフィナーレを迎えたので、陸が「もう1回見ようよ!」とHDDを操作してRe:valeの曲を巻き戻した。
イントロのピアノパートを合図に、再び皆がテレビ画面へと視線を向ける。

紡がいる場所からは和泉兄弟の顔は見えない。
けれど、何となく2人とも泣き出してしまいそうな、切なく脆い横顔に思えた。