指先の軌跡

歌ステは”Re:valeのキーボード橘沙也”としてのデビュー戦だった。
放送を皮切りに情報解禁の許可をもらえていたので、今まで報告したくても出来なかった人たちへと番組閲覧の招待状を渡していた。
1枚は文香に。2枚目はピアノの先生に。そして3枚目は、

「京歌さん!」

私を導いてくれた人に。

「沙也ちゃん!」

収録後、スマートフォンを見ればたくさんの人たちからラビチャが届いていた。その中でも興奮冷めやらぬ様子で、一番熱い熱量をぶつけてきてくれている人がいた。それが待ち合わせをしていた人物――……月詠京歌さんである。
京歌さんのラビチャは有難い感想やアドバイスでびっしりと埋まっていた。しかし文末は「まだまだ話し足りないから今度時間をもらえないかな?」という文章で締めくくられており、そういえばたかが外れた京歌さんはこんな感じだったっけ……と御門歌劇団時代の事を思い出して、懐かしみで頬が緩んだ。

待ち合わせのカフェには既に京歌さんが待ちわびていた。「沙也ちゃん、このケーキ好きでしょ?」とスマートに注文までしてくれて、相変わらずの隙のなさに惚れ惚れとする。

「沙也ちゃん、デビューおめでとう!」
「ありがとうございます!」

アイスティーで小さな乾杯を交わす。
京歌さんは何かと人目を引いてしまうので目立たないように変装をしていたけれど、こちらに向けられた笑顔は何1つ変わらず舞台役者ならではの華やかさを兼ね備えており、久々に至近距離で食らった私は思わず目を閉じた。(この眩しさはナギさんと通じるものがある気がする)

「にしてもびっくりした。沙也ちゃんがまさかRe;valeのキーボードになるなんて……」
「私もびっくりです。でもこうしてチャンスをつかめたのは京歌さんのおかげなんですよ!」
「私が?」
「はい!京歌さんがRe;valeの事をたくさん教えてくれたから、ユキさんが私の事を見つけ出してくれて……!」

京歌さんにRe:valeとの馴れ初めを差し支えない範囲で話した。2人はアイドルだし、京歌さんはファンだし、イメージを崩さないように伝えるのに必死だったけど、京歌さんは本当に嬉しそうに、時折愛おしそうな眼差しを向けて私の話を聞いてくれた。

「沙也ちゃんが居場所を見つけられてよかった。三月くんと一織くんにもいい報告が出来たんじゃない?」
「あ、はい。出来たと、思うんですけど……なんか、思ってた反応と違いました。私の思い過ごしかもだけど」

グラスの氷が溶け、崩れ落ちる音がした。
絶妙なバランスを保っていたように見えたのに、ほんの僅かに形が変わっただけで崩れてしまうなんて。

「……きっと、寂しいんじゃないかな」
「寂しい?」
「ちょっと前の沙也ちゃんと一緒なんだと思うよ」
「ちょっと前?いつですか?」

京歌さんの長い人差し指が私の唇に触れた。
伏目がちにこちらを見つめ、長い睫毛の間から覗く瞳は私を捉えている。

「それは沙也ちゃんが気づいてあげないと、ね」

優しく、悠然と、私を導くように京歌さんは言った。
話し方も、声も、仕草も、すべてが綺麗で、それでいて力強さを秘めていて、その魅力に魅せられた私は何も言う事が出来ず、ただかぶりを振る事しか出来なかった。










歌スタの録画を何度見たか、三月は数えようと思ったがすぐに辞めた。
皮肉にもナギが設置した豪華なAV機器たちのおかげで、リビングで見るより高画質・高音質に番組を見返す事となった。
画面の中では幼馴染の沙也がRe:valeの歌に合わせてピアノを演奏している。
クラシックをやっていた時と同じように煌びやかに自分を着飾って、けれどあのころと違い自分を主張しすぎず、Re:valeを魅せる事に徹していた。
彼女はRe:valeの一部となってそこにいた。
今まで自分に見せた事のないような恍惚な表情を浮かべて、その空間に酔いしれていた。

おもしろくない。
腹立たしさにも似た感情が三月を襲う。

「だっせー……」

ふかふかの枕が三月の弱音を受け止める。
画面の中では百と千が沙也に寄り添うように踊っている。まるで語り掛けるように百が沙也の方へ頭を寄せる仕草をした。心なしかその眼差しは歌詞で詠われているような、恋人を愛おしく思う視線にも見えた。
当の本人はそんな眼差しを向けられているとは微塵も思ってない様子で、懸命に鍵盤を見つめているのだが。

考え過ぎだろ。ただの演出だろ。
何度も自分に言い聞かせるが腹の奥底に眠るどす黒い感情は収まらなかった。
天井を見上げるように寝返りを打つ。真っ白の壁紙が無性に眩しく見える。
そんな些細な事でさえ、今は苛つきに変わった。

「そろそろ準備しねえと……」

三月は沙也と会う約束をしていた。
直接会って祝いの言葉を伝えるためだ。
ずっと応援し続けた身だからこそ、電話でもメッセージでもなく、ちゃんと向かい合って言葉で伝えたいと思った。

「ちゃんと言うんだろ……」

自分から誘ったのに億劫な気持ちが勝り「行きたくない」と思った。
こんな惨めな姿を兄のように慕ってくれている沙也に見せたくない。

「っし!!」

バチン、と乾いた音が寮中に響く。
あまりにも気持ちのいい音だったのでリビングでそれを聞いた大和が驚きつつ、「ミツらしいな」と感嘆の言葉を漏らした。










水面に浮かぶゼロアリーナと照らされるライトの揺らめきが、風で更に強くなった。
マフラーを巻き直して冷たい風から守るようにして暖を取る。
季節は年末に向かおうとしている。水辺の近くだとより一層寒さが強く、もっと厚着で来ればよかったと制服から覗くタイツを見て思った。

「みっちゃん、風邪引いちゃうかな……」

みっちゃんはアイドルとして世間の認知度が上がっている。なるべく人目につかないようにと、繁華街ではなくゼロアリーナを指定したはいいが、ここでは彼の体調を崩してしまうのではないかと自分の判断の甘さに後悔した。

「そんな軟じゃねーよ」
「わっ!」
「よっ、久しぶり!」

突然背後から私の頬に暖かいものが触れたと思ったら、ほっとはちみつレモンのペットボトルだった。私の反応が面白かったのか、みっちゃんはいたずらっ子みたいな笑顔を浮かべていた。

「みっちゃん、久しぶり!テレビ越しではよく会ってるよね!」
「それ、会ってるとは言わねえだろ」

みっちゃんは呆れ顔を浮かべながら「あそこに座ろうぜ」と近くのベンチまで誘導した。
2人で並んで腰かけてゼロアリーナ―を見つめる。ライトアップの光が強くて、ここからだと空に浮かぶ星は少ししか見えなかった。

「みっちゃん、私ね。Re:valeのキーボードになったよ」

私は彼の横顔に話しかける。こちらを見ようともしない横顔を更に覆い隠すように、風が彼の髪をなびかせた。

「そっか。Re;valeの……」

みっちゃんの声は消え入りそうだった。視線が水面に移ったかと思えば、振り切るような笑顔をこちらに向けて「おめでとう」と言う。全く気持ちが見えない、張り付いたかのような笑顔で。

「みっちゃん、私がRe:valeのキーボードになるの、嫌?」
「嫌じゃねえよ、嬉しいよ。おまえの努力が実ったんだから」
「嘘!そんなこと微塵も思ってない声してる!」

目を合わせてくれないのが悔しくて、ゼロアリーナと彼の間に割って入った。
ベンチに座る彼は私を見上げている。その顔はやはり笑ってなかった。

「……なんかごめんな」

先ほどよりも消えそうな、弱弱しい声だった。

「歌ステのおまえ見てたらさ、すっげえ楽しそうだったから、もしかして後に引けなくなって「オレが歌う歌の演奏をしたい」って言ってるのかもって思った。無理させてたらごめんな」
「みっちゃん、なんでそんな風に考えるの?そんなわけないじゃん」
「じゃあなんでRe:valeの演奏してんだよ!!」

みっちゃんが声を少し荒げていった。
すぐに我に返った様子で、顔を俯かせて、「オレの歌を……弾くんじゃねえのかよ」と独り言のように零す。

「……私、IDOLiSH7じゃないから」

ああ、そうか。
京歌さんが言ってたのは、あの時の事だったんだ。

「みっちゃんや一織と一緒のやり方じゃ上に行けなかったの。だからね、無我夢中でやれることやったんだ!そしたら、ユキさんが私を見つけて出してくれたの。今も一生懸命あがいて上を向いてる。みっちゃんたちに負けないように」
「オレたちに……?」
「じゃないと、みっちゃんと一緒にステージに立てる機会なんて巡ってこないもん!」

みっちゃん、やっと私を見てくれた。
初めてのライブを見たあの時と同じように、橙色の瞳に私が浮かんでる。
あの時よりは地に足がついたように見えるけど、みっちゃんにはどう映ってるだろう。

「私、あきらめてないよ。絶対、みっちゃんの歌を彩れる人になる!そのために今は出来ること何でもやるの!」

みっちゃんは安心したように、腑に落ちたように「……そっか」と小さく呟いた。
ゆっくりと立ち上がって、さっきとは違う私の好きな笑顔を浮かべている。

「おめでとう、沙也」
「うん!ありがとう!」

みっちゃんが癖のように、当然かのように私の頭を撫でる。久しぶりの感触が心地よくて、思わず顔が綻んだ。
私達を取り巻く環境が少しずつ変わってる。でもこの手の温度や感触、頭の撫で方はずっと変わらないままでいてほしいと、浅はかな事を願う自分がいる。

「沙也さ、」

それはきっと、みっちゃんも同じはずだと、

「綺麗だったよ」

思っていたのに。

みっちゃんの手が私の頬に降りる。
優しく包むような手つきで触れる。彼の体温が冷えた頬にじんわりと染みた。

初めてのライブを見たあの時と同じように、橙色の瞳に私が浮かんでる。
みっちゃんには今、私がどう映ってるのだろう。





「いたたたたたっ」
「やっぱり。おまえ、さてはまたうちのケーキドカ食いしたろ!?」
「なんでわかるの!?」
「この頬みりゃわかんだよ!!」

みっちゃんの右手はそのまま私の頬をつねった。
あまりにも強くつねるものだから少し涙目になりながら、解放された頬を労わる様に優しく撫で上げる。
みっちゃんは踵を返して「よし、帰るぞ」と少し先を歩き始める。
彼の背中しか見えないけど、それでよかったと思った。

私は何でも顔に出やすいと言われやすい。
特に距離が近い人には尚更で、手に取るように考えていることがわかるのだという。
みっちゃんに今考えてる事が伝わってしまったら、今後どうやって顔を合わせればいいかわからないもの。


キスされるかと思った、だなんて、
口が裂けても言えない恥ずかしい思い上がりをそっと胸にしまい込んで。