こころと心臓と胸が痛い

「沙也さん。ご挨拶が遅くなり誠に申し訳ございません。改めまして、先日は大変ご迷惑をお掛けしました。重ねてお詫び致します」

和やかなカフェの雰囲気とは相反した表情で、机に頭が付くくらい深いお辞儀をした。柔らかく細い髪が揺れる。なんて美しいのだろうと思わず見とれてしまったが、頭を振って我に返った。

「迷惑だなんてそんな事、ないですから!頭を上げてください!全然へっちゃら!私、丈夫が取り柄なので!」

少し大げさなリアクションをして自分の右頬を思い切り引っ張ると、小鳥遊さんはバツが悪そうな表情を崩し、小さく笑ってくれた。
ほっと胸を撫でおろしたと同時に店員さんがやって、ティーコーゼを被せたポットと2人分のカップとソーサーを手際よく並べ、続けてフルーツタルトを2つ、テーブルを飾り付けるように置いた。
シロップが掛かったつややかなフルーツを前に私たちの目は同じように輝く。

「すっごくおいしそう!早く食べたいです!食べてもいいですか?小鳥遊さん!」
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます!ほら、小鳥遊さんも一緒に!」

私の提案を受け入れた小鳥遊さんは小さな口でブルーベリーを迎え入れる。間もなくして表情をぱっと明るくして、「すごくおいしいです……!」と小さく零した。
こちらも倣ってキウイフルーツを頬張る。酸味と上にかかるシロップが絶妙にマッチしていて舌が唸るほどの絶品だった。

「こんなおいしいお店が事務所の近くにあるなんて、羨ましいです!私なら毎日通っちゃうかも……」
「気に入って頂けて良かったです」

小鳥遊さんが微笑む。その表情は柔らかく、先ほどの居た堪れなさは感じ取れない。

よかった。
小鳥遊さんが悪いわけでもないのに、あんな悲しい顔するんだもん。
こっちが居た堪れなくなっちゃうよ。



私と小鳥遊さんは小鳥遊事務所近くのカフェにいた。
JIMAの前に学校で起こった、一織の騒動について直接謝罪がしたいと呼び出されたのだ。

あの騒動の事は学校中で噂になり、大事件のように扱われる事となってしまった。
大した怪我ではなかったのに学校から両親・事務所へ連絡が入り、私はこっぴどく怒られた。(特に岡崎さんはめちゃくちゃ怖かった。「二度と自分から危ない事に足を突っ込みません」というパワーワードを正座したまま何度も復唱させられた)
おじさんとおばさんには直接、小鳥遊さんからは電話で謝罪をされたけど、私が勝手に飛び出しただけなのに謝られるのは道理でない気がして「私が勝手にやったことだから謝らないでください!もうこの話は終わり!」と半ば強引に断ち切ったので、私の中ではとっくの昔に終わった、過去の出来事として風化していた。

それなのに律儀に「お時間が経ってしまいましたが改めてお詫びをさせてください」と連絡がきたものだから、小鳥遊さんの気真面目さに驚いた。断ろうにも食い下がらない力強さに根負けして、私はケーキをご馳走してもらう事となったのだ。

「あのあとね、男の子たちもちゃんと謝ってくれたんですよ」
「伺いました。ちゃんと謝罪してくださったと、一織さんから。アイドルを……目指している方たちだったんですね」
「一織と四葉くん、学校で大変そうな素振りとか全然見せないから。楽々アイドルになって調子乗ってる!って思われちゃったのかも」

小鳥遊さんがカップにハーブティーを注いでくれる。カップから漂う湯気越しにみる小鳥遊さんの表情は、心なしか曇りがかったように見えた。
「全然そんな事ないんですけどね……」という声は重く、私が知らない苦難やハプニングをたくさん乗り越えてきた事を示唆しているように思える。

「でもちゃんと届いたから、もう大丈夫!アイナナ、すっごく素敵だったもん!」
「はい!ありがとうございます!」

小鳥遊さんはまるで自分が褒められたかのように、本当に嬉しそうに笑う。こっちもつられて嬉しくなって笑った。先ほどまでの気まずい空気はすっかりどこかへ行ってしまった。
折角だし小鳥遊さんといろんな話をしてみたいなと、切り出そうとした時だった。

「やっぱり沙也ちゃんだ!こんにちは!」

深めに帽子を被り、伊達メガネのレンズ越しに微笑みを浮かべる人が私の名前を呼んでいた。また1人その後ろに立ち並ぶ人物も容姿が見えないように服装を工夫しているように見えたが、すぐに誰だかわかった。

「七瀬さん!一織!」
「静かに」

挨拶などなく、冷水を浴びせるかのような口調で私を制す。その物言いにわずかな苛つきを感じたが、客数は少な目と言えどここが一般客のいるカフェであったことを思い出し、すぐさま両手で口を塞いだ。
「今さら塞いだって遅いですよ」と一織が呆れたように言った。

店員さんが待ち合わせと勘違いしたのか水を持ってきてくれ、七瀬さんが小鳥遊さんの、一織が私の隣に並ぶように腰掛ける事となった。
一織が私をじろりと睨んで言った。

「どうして私達のマネージャーとあなたが一緒にいるんです?」
「私と小鳥遊さんが一緒にいちゃだめなの?」
「私達のマネージャーはとても多忙なんです。あなたのわがままに付き合わせていたら悪いでしょう?」
「何その言い方!わがままなんかじゃないんだけど!」
「わ、私がお誘いしたんですよ!久しくお会いできませんでしたし、沙也さんとお話したいなと思って……!」

小鳥遊さんがなだめる様に割って入るが、私と一織はお互いに視線を外さず、火花を散らす勢いで睨み合い続けた。

なんで会って早々、こんなにケンカ腰で絡んでくるんだろう?
私は何もしてないのに!
ただ小鳥遊さんと、楽しくお茶をしていただけなのに!!

「一織!注文しないと!ウーロン茶でいい?」
「はい。それで大丈夫です」
「わかった!オレも同じのにしようかなあ!すみませーん!」

気を利かせてくれた七瀬さんが強引に私と一織の間にメニュー本を広げたので、意図せず睨み合いは終了となった。
店員さんが伝票を片手にテーブルへとやってきたので、七瀬さんが注文を伝える。

「マネージャー。少し相談したい事があります。この後少しいいですか?」

タイミングを見計らったかのように、一織が小鳥遊さんへ声を掛けた。
まるで私などいないかのように真っ直ぐに小鳥遊さんだけを見るその姿勢は、なんともわざとらしく、また挑発的な態度に思えた。

「今日はこの後会食がありまして、ちょっと……」
「それなら今、少しだけよろしいですか。そんなに長くはなりませんので」
「わ、わかりました」

戸惑いながら、伺うように小鳥遊さんは私と一織の顔を見つつ、「沙也さんすみません、少しだけ失礼しますね」と声を掛けて席を外した。
一織は横目でじろりと再び私を睨み、席を立つ。
訳の分からない幼馴染の態度に、私は苛つきを隠せなかった。

「何あれ!!めっちゃ感じ悪い!!」

目の前の水を一気に飲み干す。
豪快な音を立ててグラスをテーブルに置く、粗ぶった私の態度に、七瀬さんは驚きを隠せない様子だ。

「私達の、私達のって、なんで嫌味たらしい言い方するんでしょう!?私に小鳥遊さんが取られるとでも思ったんですかね!?今だってわざとらしく2人だけで話に行って……!!私がそんなに邪魔なんでしょうか!!」
「取られると思ってるかはわからないけど……あの2人、よく話してるんだ。2人っきりで」
「え……」

七瀬さんは苦笑しながら「はい、どうぞ」と、水の入ったピッチャーを差し出してくれた。
私は急に大人しくなった。
素直にグラスを出し、七瀬さんが注いでくれた水を口に含む。冷たい水が喉からみぞおちに落ちる感覚が走った。

「聞いても適当にはぐらかされちゃうんだ。一体、何を話してるんだろう……」

面白くなさそうな声だった。その口ぶりからして、一織と小鳥遊さんは結構な頻度で話をしているんだろう。

アイドルとマネージャーだ。仕事の相談なんていくらでもあるだろう。
何もおかしい事じゃない。
当たり前のことなのに。

「そういえば沙也ちゃん、Re:valeさんと一緒にテレビ出てたよね!観たよ!すごくかっこよかった!」
「あ、はい……ありがとうございます」
「ねえ、Re:valeさんってどんな人?怖い人だったりする……?」
「どうしてそんな事聞くんですか?」
「実はオレたち今度……」
「七瀬さん、ストップ」

いつの間にか一織と小鳥遊さんが戻ってきていた。
一織は会話を中断するように割って入り、私の隣に再び腰掛けた。

「申し訳ございません、橘さん。あなたは別事務所の方なので詳細はお伝え出来ないのですが、Re;valeさんがどんな方たちなのかお伺いできればと思いまして。お聞かせ願えますか?」

「一織さん!」と制す小鳥遊さんの声も聞き入れず、威圧的な態度で一織はこちらを捉える。
“橘さん”という皮肉たっぷりの呼び方が癪に障る。
七瀬さんと小鳥遊さんは息を止めて私たちの様子を見ていた。

「沙也さん……?」


プツン、と、何かが千切れるような音だった。


「ちょっ、何を……っ!?」

我ながら強引だと思う。
言葉を最後まで紡げないよう、残っていたフルーツタルトを半分に割り、無理やり一織の口に押し込んだ。
一織の口からフォークを引き抜くと、そのまま残った最後の一口を自分の口へと運ぶ。
咀嚼して飲み込み、グラスの水を一気に飲み干した。

「小鳥遊さん、とってもおいしかったです!ごちそうさまでした!七瀬さん、うるさくしてすみません!」

そそくさと荷物をまとめて小鳥遊さんと七瀬さんに深く頭を下げる。
2人はぽかんと口を開けたまま、「い、いえ……」と口を揃えて言った。
出入口までたどり着いたところでテーブルを振り返ると、幼馴染が口元を隠し、顔を真っ赤にしてこちらを見ていた。

「怒りたいのは、私の方だから!!!!」

溢れてきた涙を見られたくなくて、思わず店を駆けだした。
扉に結ばれた鐘が揺れ、カランカランと甲高い音を奏でて鳴いている。
普段なら気にならない些細な音がひどく煩わしいものに感じた。





あの保健室からー―……いや、歌ステから、私と一織の中には亀裂のようなモノが生じている。
手当てしてくれた時、前より一織に少しだけ寄り添えたと感じたのは、私の思い上がりだった。
学校で話すことなく、ラビチャも無言のまま、私たちの距離はどんどん離れていく。



「あんなになるまで怒ってたなんて、どうして?教えてよ、一織……」

目を見開いて、顔を真っ赤にしてこちらを見る一織が脳裏に焼き付いて離れない。
行く宛もないまま、無我夢中で走り出す。
呼吸が粗くなればこの痛みが和らぐ気がして、必死に足を動かして走り続けた。


「小鳥遊さんじゃなくて、私と話をしてよ……」


私の言葉は、白く空に浮かんだと思ったら泡のように、呆気なく消えていった。
なんて脆く、弱弱しい。
でも、それでいいんだ。
こんなひどく情けない、子供じみた恥ずかしい嫉妬心なんて、誰にも見られることなく消えてしまえと思っているのに。

胸には重く苦しい何かがつっかえたままで、
とても痛くて、とても苦しくて、不思議と涙が止まらなかった。