名もなき羽化

「私はもう二度と、無断外泊などいたしません……」
「声が小さい!!」
「私はもう、二度と!無断外泊……――っ!!!!」
「おかりん、そろそろ解放してあげたら?相当キてるよ、コレ」

突然押し寄せる刺激に悶絶していると、こちらの様子を伺うように2つの見慣れた顔が頭上から現れた。
救世主が来たと言わんばかりに縋るような眼差しを向けると、片方が楽しそうに柔らかく笑った。

「何?もっとしてほしいって?しょうがないな」
「ユキさ!!!――――ッ!!!!!!」

人差し指で軽くつつかれただけなのにどうしてこんなに苦しいのか。
声にならない悲鳴を上げながら私は地面に蹲った。

「ダメです。沙也さんには事の重大さをしっかりと理解してもらわないと困ります。これでもまだ足りないぐらいです!!」
「あちゃー。おかりん相当ご立腹だ。ドンマイ、沙也」
「逆に僕は褒めてあげたいけどね。どんな口説き文句で入れてもらえたの?見かけによらずやるじゃない」
「ユキくん、褒めないで!!今回は何もなかったからよかったもののパパラッチ、はたまたファンに見つかっていたらどんな大変な事になっていたか……」
「ねえ、本当に何もなかったの?憧れのみっちゃんのベッドで寝てたんだ。実はあんなことやこんなこと……」
「ベッド!?」

岡崎さんの顔面がみるみる白くなっていく。それは私も同じだった。
当の本人は「あれ?おかりんに言ってなかったの?」と悪びれもなく言う。

「聞いてませんよ!?ベッドで寝てたんですか!?女子高生が男性のベッドで一晩!?しかも相手は他事務所のアイドル……!?」
「同じ事務所ならいいの?」
「いいわけないでしょう!!!」

岡崎さんがぐるりとこちらを睨み、反射で背筋が伸びた。
じりじりと距離を縮め、にっこりと微笑んで両肩を掴まれる。
とても凄まじい力で。

「沙也さん、本当に何もなかったんですよね?なにも、なかったですよね?」
「はい!!何もないです!!黙っててごめんなさい!!」
「もう1度、何があったか隅々まで報告してもらえますか?隠し事なく、すべてを」
「は、はい!!」

岡崎さんの含みのある笑顔と圧に耐え切れず、私はすべてを包み隠さず話した。
ゼロアリーナで佇んでいたところ、みっちゃんが迎えに来てくれた事。
そのままアイナナの寮に入ってお風呂を借り、晩御飯をご馳走になった事。
気が付けば寝落ちしていて、岡崎さんの着信で目を覚ました時にはみっちゃんと一緒にベッドにいた事。
けれど悲しいほどに何も起こらなかった事……。

「お母さまから沙也さんが見つかったと連絡を頂いたものの、心配になって連絡してみてよかった……ラビチャが既読にならなかったから変だと思ったんです」

岡崎さんから連絡が着たのは、始発電車ぐらいのド早朝だった。
急いで岡崎さんが迎えに来てくれたおかげで人目につかずに寮を出ることが出来たが、その後改めて開かれた大説教会は現在もなお進行中である。
そろそろ正座に耐えかねた足が限界を迎えようとしていた。

「いいですか、沙也さん。あなたは未成年です。ご両親から託されている以上、あなたを守る義務があります。ましてやうちは芸能事務所です。今回のような事が再び起こった暁には……」
「ごめんなさい!しません!絶対にしません!!ごめんなさい!本当にごめんなさい!!」

岡崎さんは本当に怖かった。
普段温厚な人ほど怒ると怖いというのは本当なんだと思った。
「わかりました。今後は気を付けるように」とようやく許してくれ、私はゆっくりと足を崩した。(が、すかさずモモさんとユキさんが指でつつくので、ひたすら襲い掛かった強烈な刺激に1人堪えてうずくまった)

「でもさ、どうして1人でゼロアリーナにいたの?」

モモさんが不思議そうな声で言った。
私はなんだか顔を上げたくなくて、地面に向けて、声が籠る様に呟いた。

「一織とケンカみたいになっちゃって、頭を冷やしたくって……気づいたらゼロアリーナにいたの」

明日仲直りしろってみっちゃんに言われたけど、結局一織に会わないまま飛び出してきちゃったな。
それどころじゃなかったとはいえ、せっかくもらったチャンスを棒に振ってしまった。
やるせない思いでいっぱいになる。

「それじゃあ明日仲直りすればいいじゃん」
「明日?」
「あれ?言ってなかった?明日は……」

まるでタイミングを見計らっていたかのようにユキさんが私のふくらはぎに触れる。
再び訪れた強烈な刺激が、モモさんの言葉を聞かせまいとでも言うように、全身の感覚をふくらはぎへと集中させる。

「まだお預けだよ、ポチ」

確信犯は余裕綽々と涼し気な笑みを浮かべて、こちらを見下ろしていた。










「和泉一織くんだよね?」

IDOLiSH7はNEXT Re:valeのゲスト出演の撮影でテレビ局に着ていた。
リハで本調子の出ない陸を気遣いモモがくれた休憩の時間、台本に目を通し直そうとした矢先の事だった。
白のスラックス。グレーのベストに奇抜なグリーンのネクタイ。
派手な配色で身を包んだ見知らぬ男に呼び止められ、一織は足を止めた。

「おお。写真で見るよりイケメンだね。本当に高校生?」
「はあ……誰ですか、あなた」
「ああ、ごめんね。ちょっとキミと話してみたくてね」

一織は猜疑心いっぱいの眼差しで睨み付ける。
男はそんな事気にも留めず、飄々とした態度で手に持っていた缶コーヒーを啜った。
太々しい男だと、一織は思った。

「2年かかった。認めてもらうまでに」

独り言のような口調だった。
男は宙を見つめて、懐かしむように言った。

「俺が一番時間かかったけど、他の奴らも似たようなもんでね。真剣に音楽に向き合ってる人だから、簡単に認めてはくれないんだよ」
「突然何ですか、あなた」
「まあいいから、最後まで聞いてよ」

去ろうとする一織を制止して、男は続ける。

「そんな人が一目惚れしたって言うんだ。すぐに迎えに行くって。正直嫉妬したね。どんな奴かと思ったらまだ高校生の、赤ん坊みたいな顔したガキだった。でも演奏は全然違うんだよ。たまげたなんのって」

軽薄な態度で笑い缶コーヒーをカフェテーブルに置くと、反動で甲高い音をたてて鳴いた。
男は一織と向き直るようにして立つ。

「あの子は努力型の天才だ。並みいるプロだけじゃない、あのユキさんにも認められるなんて相当だよ。この短期間でも急成長してる。今日はキミの見た事のないあの子が見れるはずだよ」

これは沙也の事だ。
口ぶりから今日の収録に沙也も参加するのだという事は明白だった。
男は一織の感情を読み取るように一瞥した後、息を抜くように笑った。

「そういえば自己紹介がまだだったね。村田っていいます。Re:valeのドラム担当」

「沙也って昔からあんな感じなの?」と当たり障りのない話題を添えて手を差し出すが、一織はその手を取らなかった。
村田はすべて見透かしたようにまた笑う。

「収録の後でいいから沙也と話してやってよ。ここ最近ずっとキミの事で落ち込んで空回りして、ユキさんに怒られっぱなしなんだ」

通りざまに一織の肩を軽く叩き、村田は奥の方へと消えていった。
しばらくして、通路の奥から聞きなれた声がした。
「村田さん、」と呼ぶ声はいつもより弱弱しく、消えてしまいそうだった。

「沙也……」

ぽつりと、小さな声が零れた。
無意識に声が出てしまったという表現が正しかった。
呼んだつもりなどなかったのに、数秒後には忙しない音が奥からどんどんこちら側へと近づいてきて、一織は我に返った。

奥には沙也がいる。
そして来ている。
確実に、こちら側に。

「一織!」

言葉を失った。

呆れたわけではない。
認識するのにラグが生じたのだ。
普段の幼馴染とは風貌が違う女性が目の前に慌ただしく現れ、黒目がちな瞳がこちらを捕らえている。

「一織だ。本当にいた……」

普段と雰囲気が異なっていても、声は幼馴染そのものだった。
沙也は一織を見て安心したように笑ったかと思いきや、態度を一変させて眉を吊り上げ、顔を真っ赤にして一織へと詰め寄った。

「私怒ってるんだから!一織のせいで長時間正座する羽目になったんだから!!」
「突然何ですか!言いがかりはよしてください。言っている意味が分かりません」
「直接的に関係なくても、一織のせいなの!!一織も悪いの!!」

駄々をこねる子供の様にわめいたかと思いきや、深い深呼吸をして一織と距離をとった。
先ほどとは打って変わった、真剣な表情でこちらを見ている。

「ちゃんと見ててね。本当は言葉で伝えたかったけど、一織には見てもらうのが一番だと思うから」

本当に沙也なのだろうか。
凛とした表情で、自信を持った表情で微笑む彼女はとても大人びて見える。

まるで知らない人みたいだ。
一織は本音を奥底に押しやった。
先ほどの村田の言葉を認めてしまうようで、なんだか悔しかった。

「またあとでね」

まるで学校の昼休みみたいに軽い口調で沙也は言う。
ピンヒールの音を奏でながら沙也はスタジオへと向かっていく。
それはまるで、これからの始まりのカウントダウンのようだった。





「Re:valeさん、スタンバイお願いします!」

スタッフの合図を受け、Re:valeとバンドメンバーはステージへと向かっていく。
脇見もせず、真直に、凛とした表情を浮かべて。

テールスカートの裾が靡き、極彩色がちらりと顔を見せ、人の視線を引きつけた。
控えめな光量に調節された小さなスポットライトが彼女を照らし、ドレスの輪郭をぼんやりと映しだした。

大人びたデザインのドレスだった。
白でも青でもオレンジでもない――……IDOLiSH7のライブを観に来ている時とは違う、自分たちを全く連想させない、力強い黒とピンク色の配色が彼女を包んでいる。

(なんでそんなところにいるんです)

拳を握った。
感情的にならず理性を保とうと、静かに歯を食いしばった。
彼女はこちらに見向きもしなかった。
その視線は輝かしいスポットライトを燦燦と浴びる主役の背中に向けられている。

(あなたは私が――……)

ギターの音色を逃すまいとキーボードの音が重なる。
それを皮切りに重なりあったさまざまな音が空間を埋めていく。
満たされた空気を纏ったRe:valeが動き出すと、その場にいた皆の視線が彼ら2人へと奪われた。

一織もそのうちの1人だった。
先ほどまで見入っていた彼女を見る猶予など微塵も与えられず、圧倒的な力に引き寄せられる。

充満する光や音の粒が彼らを十二分に彩っていく光景を、一織はただ見つめる事しか出来なかった。
直接的に彼女を見てなどいないのに、漂う音の粒子の中に仄かに彼女を感じる。



物心ついた時から一緒だった。
沙也の事なら何でもわかっている気でいた。
彼女の奏でる音色が大好きだった。
コンクールで優勝できなくても、彼女の音楽の才は秀でているものだと確信していた。
そう。していたはずだったのに。





「OKです!すごいよかったよー!」

自然に沸き上がった拍手に、彼女は晴れやかな笑顔でこちらを見る。
一織にはその笑顔がなんだか憎らしく思え、とても惨めな気持ちになった。