「夢の草原で会いましょう」

前回の反省を活かして、一織に教えてもらった通りにアポイントをちゃんと取った。
約束の時間の5分前には到着したし、手土産も持った。
パパラッチに見つかって変な噂が立たないようにって岡崎さんが送ってくれたし、前みたいな失敗は犯してないはず。なのに。

「君、上手だねえ。よし、次は……定番の『ラ・カンパネラ』をお願いできる?」

私は今、小鳥遊事務所でひたすらピアノを弾き続けている。
頭の中がクエスチョンマークで充満したまま、再び鍵盤の上へと手を揃えた。





ゼロアリーナのこけら落としはRe:valeがフィナーレを飾る。
その中座でTRIGGERとIDOLiSH7が特別ユニットを組んで歌い・踊るという企画があった。
今日はその合同練習が小鳥遊事務所で行われると聞いていた。もちろんその曲はすべてバンドメンバーとして私も演奏する予定だ。
その名目にかこつけて、「練習の様子を見たい」と小鳥遊さんにお願いをした。「是非!」と快諾してくれたし、すぐに彼らの練習場へと案内されると思っていた。
しかし、私を待ち構えていたのは、ウサギを抱えてニコニコと笑顔を浮かべている人当たりのよさそうなおじさんと、以前お会いした事務員の大神さんだった。

「IDOLiSH7に会いたければ、この僕を倒してからにしなさい」

まるで少年漫画のようなセリフを吐き、「こっちこっち!」と促されるままに通された場所はピアノが置かれたラウンジのような場所で、IDOLiSH7やTRIGGERの面影すら見当たらなかった。

「じゃあ、最初はショパンのエチュード……」

混乱する私を尻目に、何も態度を変える事なく、平然と曲をリクエストするこの人には見覚えがあった。
以前一織をスカウトした人だ。ということは、この人は小鳥遊事務所の社長さんだ。
そんな偉い人に指示されれば従うしかない。
訳が分からないまま指定されたショパンを弾く。終わればリスト。再びショパン。ベートーヴェン……終わりなく続くリクエストは、すべて超技巧曲と言われるクラシックばかりだった。

(こんなに人当たりよくにこやかに笑っているくせに、この人、超ドエスだ!!!!)

このスパルタ具合は身に覚えがあった。以前教示を受けていたピアノの先生だ。……いや違う。一見にこやかで、でもやる事はシビアなのは、京歌さんの方が似ているかも……しれない。

リクエストされた『ラ・カンパネラ』は右の小指をこれでもかというぐらいに酷使する。
こんな指使いの曲は久しく弾いてなかったので、何かの拍子に指が飛んでいくのではないかと思う程きつかった。

(けど、なんか懐かしいかも。Re:valeに出会う前みたい)

ストリートピアノをしていた頃は、同じような難易度の曲を続けてリクエストされることはザラだったし、どんな曲が来てもいいようにと指慣らしを念入りにしていた。
あの時も目の前の事を夢中でこなしたっけ、なんて思い出に浸ってたら思わず笑みがこぼれた。

音楽って楽しい。
音楽に出会えた私は幸せだ。これ以上ない幸運を手にしたんだ。
そのきっかけをくれたのは、みっちゃんだ。

(みっちゃんに聞こえるかなあ。届くかなあ)

事務所の構造も分からないし、どこにいるかもわからない。
けれどなんとなく届く気がした。
側で聴いてくれている小鳥遊社長と大神さんのために。
遠くにいるみっちゃんのために。
今はこの音を届けたい。

一織もまだ落ち込んでるかな。
ごめんね、最近Re:valeのために動くことが多くて、2人の様子を伺う余裕がなかったの。
でも今日は2人のために来たよ。
2人のために、音を届けに来たよ。

届いて。届いてほしいな。
私、ここにいるよ。
あなたたちに、会いに来たんだよ。





鍵盤から手を離すと、重なる拍手が広がった。
けれどその音は先ほどとは広がり方が違い、別の空間に漏れ出てるような音をしている。
顔を上げると理由が分かった。閉じられていた扉が開いていたからだ。
そしてそこには目も口も丸く開かれた一織と、並んでこちらを覗き見る七瀬さんとTRIGGERの九条さんがいた。
「どうして沙也がここに……?」と、一織が困惑した声で言う。
その表情はこの間ほどではないけど、少し影が降りているように思えた。


(一織に、会いに来たんだよ)


応えの代わりに鍵盤を抑えた。
私の大好きな曲を。世間が、ファンがどう言おうが私にとっては記念すべき、大切な曲。
“一生懸命”を見つけた一織が、”一生懸命”センターを務める曲――『Perfection Gimmick』。

気分も上がって、つい歌い始めてしまった。
あんまり上手くないし、本人たちがいる目の前で歌うのは照れ臭いけど、それでも今は歌いたかった。
間奏の拍手に合わせ、左足でタップ音を響かせる。まるでストリートピアノの時のように、全身で、ありったけで音楽を表現する。

変なの。なんでそんな泣きそうな顔してるの。
一織に笑ってほしくて弾いてるのに。

「沙也……?」

みっちゃんも来てくれた。
IDOLiSH7とTRIGGER、マネージャ―や事務員さんたち。どんどん観客が集まってきて、部屋の熱気が上がる。

届いた。みんなに私の音が届いた。
そう思うと嬉しくなって、先ほどまであんなに疲れていた指が嘘のように軽やかに動き始める。


「始まりなのさDon’t look back――」


繋ぎ続けた次の曲に合わせてナギさんが歌声を重ねてくれる。
続けて壮五さん、四葉くん、七瀬さん――……。
みんなでピアノを囲んで、1つのメロディを作り上げる。
なんて楽しい空間だろう。なんて素敵な人たちだろう。
この人たちがみっちゃんと一織の大切なメンバーなんだね。
こんな素敵な人たちに出会えたんだね。
それって、とっても幸せな事だよ。



みっちゃん、顔を上げて。
俯いてるなんてらしくないよ。
前を向くって大切な事、教えてくれたのはみっちゃんだよ。

一織、泣かないで。
自分を見つめ勇気を、自分を信じる大切さを教えてくれたのは一織だよ。
一織の一生懸命は、ちゃんと届くよ。
私に届くんだもん。七瀬さんに届かないはずがないよ!



思いをメロディーに乗せる。
きっと2人には届いてる。
だって私達、ずっとこうしてきたんだもん。
ずっと側にいるっていうのは難しくなっちゃったけど、思いを音に乗せることは出来るから。
だってこれは、私の武器だから!!
ね、そうでしょう?





「怖いよ、舞台の上に立つのは」

拍手喝采を浴びて、深い深いをお辞儀をして、みっちゃんと一織をいの一番に、まっすぐにとらえた。
蛇に睨まれた蛙のよう。
ドキリとしたように肩に力が入る。その仕草は2人もそっくりで、ああ、やっぱり兄弟だなあなんて思ったら、思わず笑みがこぼれた。

「一織、あなたに何がわかるんですか?って顔してる!」
「なっ……!してませんよ!」
「言っておくけど、規模は違うけど、2人より小さい頃からたくさんステージに立ってきたんだからね!私の方が先輩なんだから!」

眉間に皺を寄せてこちらを睨む一織は、私の知ってる一織だった。

「視線って思ったより正直だもの。落胆の色って超わかりやすいし。うまく弾けた!って思ってもイマイチだったりするし。ネガティブなものほど届きやすいし……」

みっちゃんと目が合った。
この間みたいに視線を逸らすことなく、橙色の瞳が私を捉え続けている。

「でもね。私は2人がいたから前を向いて来れた。むしろ俯き方を知らない。だって、せっかくみっちゃんと一織が見てくれてるのに、カッコ悪いところは見せられないもの!」

どんなもんだ!と言うように、勝ち誇った笑顔を浮かべていたら、小さな笑い声が漏れ出た。
音を辿ると右手を小さな口元を当てて、上品に肩を揺らす灰桜の色が目に留まった。

「ねえキミ、男装してトリチャレに出てた子だよね」
「え!?なっ!?どうしてそれを!!」
「やっぱり。すぐに分かったよ。音色が囁いてる。『大好きだ』って」

九条さんが目を細めて「大好き」だなんていうからドキリとしたけど、私の思いが届いたんだと思ったら照れくさくて、嬉しくて、私はまた笑顔になった。

「よし!じゃあお昼にしましょう!」と大神さんの声を皮切りに、その場にいた人たちが一斉に捌けはじめる。
ナギさんが別れ際に「沙也、バッチリでした。ミツキ、真っ直ぐ顔を上げてましたよ」とウインクを飛ばしてくれた。(相変わらず威力はすさまじいので細目でそれを見つめ返した)

「みっちゃん!一織!」

2人のジャージを掴んで呼び止める。
この間感じた隔たりは感じない。
この間感じた影は見当たらない。

みっちゃんは涙ぐんだ瞳でこちらを見下ろしている。
照れ臭そうに一織がこちらを見下ろしている。
よかった。私の大好きな2人が、ここにいる。
こんなに近くに、体温を、息遣いを感じ取れる距離に、いる。

前まで当たり前だったもの。
でも、今は当たり前じゃなくなったもの。
悲しいけど、受け入れないといけない。
でも、決して二度と、会えないわけではないから。





「また会おうね。次はステージの上で、……」

ピアノのコンクールとは違って、アイドルのステージは煌びやかでとても綺麗。
たくさんのペンライトが織りなす輝きは、まるで太陽を反射する草原のよう。
それはとても夢のような空間。言うなれば、そう――……。





「夢の草原で会いましょう」





訝し気に、意表を突かれたように、軽く首をかしげて、けれどすぐに微笑んで「何言ってんだよ」とみっちゃんが私の頭を撫でる。
一織も優しい眼差しで、うっすらと笑みを浮かべる。
まるで小さい頃に戻ったみたいに、私たちはくすぐったそうに笑い合った。