secret

ゼロアリーナのこけら落としまであと数日。
モモちゃんの歌声が私たちの音に重なった事は、まだ1度も、ない。





「おまたせー!はい、これ沙也の分!」

柔らかな笑みを浮かべながらチョコレートシロップのたっぷりかかったフラペチーノを持って現れたのは文香だ。もう片手には彼女の分であろうキャラメルマキアートを携えている。テーブルへカップを丁寧に下ろすと、私の向かい側にゆっくりと腰かけた。

「この時期によくフラペチーノを飲めるね。風邪ひかないでよ?」
「大丈夫だよ!年中アイス食べてもピンピンしてるし!」
「さすが沙也というかなんというか……」

文香は半ば呆れながら、両手をカップに添えて暖を取っていた。そういえば、「末端冷え性なの」と言う回数が年々増えていたなとぼんやりと思い返した。

「本当にひかないでね?こけらおとしまで日もないんだから。体調管理は念入りにしなきゃだよ?」

返事の代わりにかぶりを振る。「本当にわかってるのかなあ」とさっきよりも呆れた眼差しを向けながら、口をとがらせた。

「大丈夫!当日は熱が出たって、体がボロボロになったって、這ってでも行くよ!だから文香も来てね!」

チケットの入った封筒を差し出すと、文香は吹き出す様にして笑った。「体がボロボロって……マンガじゃないだから」って言いながら、眉毛を下げて、嬉しそうに受け取ってくれる。その顔を見てたらなんだかくすぐったくって、こっちまで嬉しくなってきた。

「あれ?2枚入ってる?」
「うん。……余っちゃったの。よかったら佐藤くんとか誘って来てくれないかな」
「天下のRe:valeライブのチケットが余るなんてことある!?」

文香がドルオタモードになった。真剣な眼差しで、宛ら重大な任務を与えられた戦士のように、「絶対に無駄にはしないよ」と言うので、ちょっとしたコメディを見ているような気分になった。最近の文香は、お茶らけたナギさんと同じような雰囲気を醸し出す事が多い。「なんかナギさんと似てきたね」と言うと「恐れ多いこと言わないで!!」と目を見開いて言われた。そういうオーバーなリアクションもなんとなくナギさん似てると思ったが、黙っておくことにした。(なんとなく周囲からの視線を集めていた気がしたから)

余っていたんじゃない。渡す予定だった人を見つけられなかったんだ。

(京歌さん。モモちゃん、今とっても大変なの。友達なんでしょう?モモちゃんのこと、励ましに来てくれないの?)

御門歌劇団。一緒にお茶を飲んだカフェ。時間の合間を縫って、思い当たるところを巡って見たけれど、京歌さんは出会えなかった。御門ではあまつさえ香穂子さんにさえ会う事が出来ず、熱烈なファンと勘違いされて門前払いされてしまった。
願掛けのように、一縷の望みにかけて京歌さんの分のチケットを手配したけれど、結局見つけ出すことは出来なかったのだ。

「やっぱり私なりに、出来る事を精一杯頑張るしかない、かなあ」

声に出すつもりのなかった決意の独り言が零れ、向かいにいた文香がきょとんとした顔でこちらを見た。けれどすぐに笑って「うん。そんな沙也のこと、応援してるよ」と、励ましの言葉をくれる。
なんて優しい人。彼女の励ましはいつも私の胸の内を温めてくれて、穏やかな気持ちにさせてくれる。決して踏み込みすぎず、突き放さず、そっと寄り添うように。

「文香ってすごいよね。本当、背中を押すのが上手。文香に言われたらなんだってうまく行っちゃいそう」
「それは言い過ぎでしょ。それに、沙也だって励まし上手だよ?」
「私が?」

キャラメルマキアートを一口飲み、ほっと息を吐いて、彼女はこちらを見やる。
小首をかしげながら薄く微笑んで、何かを思い返す様に遠くを見つめているように瞳をわずかに揺らして。

「この間のライブの和泉くん、とっても嬉しそうに見えたよ。沙也が励ましたんでしょ?」

ドクンと音を立てて胸が揺れた。
本当に不思議。小鳥遊事務所での事は文香に伝えていないのに、まるで全て知っているかのように彼女は言う。

「……違うよ。励ましたのは私じゃない」

今でも目を閉じれば浮かんでくる。まるで昨日の事のように、簡単に。





視界を彩るフレームのように七色に光る無数のライト。それは、輪郭がぼやけて真ん丸く、ゆらゆらと揺れている。まるで蛍の光みたい。
後ろから数えた方が早いくらいステージから離れた座席から、たくさんの光の一部となって、その光景をじっと見つめていた。

たくさんの光に包まれた幼馴染はとても幸せそうな表情で、照れ臭そうに、でも嬉しそうに笑ってた。
つまらなそうに、用意された課題を黙々と単調にこなすんじゃなくて、自分の本当にやりたい事を、自分の意志で、一生懸命やりとげようとする姿だった。


アイドルの、IDOLiSH7の”和泉一織”がそこにいる。


不思議だね。あんなに近くにいたのに、一織のことならなんでも分かっている気がしてたのに、そんなこと全然ないんだもの。
躓いても、俯いても、私がいなくても前を向けるようになったなんて、知らなかったよ。



(早くこっちへ)

IDOLiSH7が客席に向かって手を差し伸べる度、そう言われている気がした。
変なの。最近まで俯いてたのはそっちのはずでしょう。
私があなたたちを励ましたつもりだったのに、





「……いつも励まされるのは、私の方なの」

別に落ち込んでたわけじゃなかったけど、あのライブは私の背中を強く押してくれた。
続いてTRIGGERの事もあり、私のやる気は焚きつけられ、きたるこけら落としに向けてフルスロットルで毎日過ごしている。

「なんかいいよね、沙也達って」
「そう?」
「うん。正しく切磋琢磨って感じ。お互いを大切に思ってる事が伝わってくるもん。そんな大切な幼馴染に大御所の彼氏が出来たら、そりゃあ心配するよねえ〜」

思わず机に額をぶつけた。とても大きな音が響いたので、再び店内の注目を集めてしまった。文香は気にもせず、「HN、王様プリン様より、『一号とももりんって付き合ってんの?』というお便りをいただいております」と耳打ちをする。「新プリン同盟というものを発足したの」と、いたずらっこのような笑顔も添えて。

エスパー文香の正体が明らかになったところで、これでもかという程に頭を振った。
もちろん縦ではなく横にだ。

「あれほど違うっていったのに!なんで!?」
「付き合ってないのにケーキを食べさせてもらうのはなんで?」

ぐうの音も出ない。

「……モモちゃんとユキさんは、私の事ペットとか、人形だと思ってるの。メメちゃん人形みたいな」
「あのお世話遊びができるメメちゃん?」
「そう。まるで赤ちゃんにするみたいなことしてくる」

文香は少し間をおいて、肩を小刻みに揺らし始めた。必死にこらえるように、でも隠し切れないその笑い方が癪に障る。じっと睨みつけると「ごめんって」と軽く咳払いをして、涙目でこちらをみた。

「すごい納得した。想像できるもん。本当テレビのまんまなんだね、Re:valeって」
「まあ、あながち間違いではないです……」
「でも安心した!週刊誌とか見てたらどんなに怖い人たちなんだろうって思ったけど、沙也のこと可愛がってくれてるんだね!」
「可愛がってくれてるとは、思うけど……揶揄ってる方が多いと思う」
「それが可愛がってるんでしょ。なんか親近感がわいて、こけら落としがより楽しみになっちゃった!」

文香は嬉しそうに、晴れやかな笑顔を浮かべる。
その笑顔を見たら何も言えなくなって、私はフラペチーノをちびちびと啜るしかなかった。










楽しい時間はあっという間だ。文香のバイトの時間が迫り、私とモモちゃんの付き合っている疑惑の弁明をしたところでお開きとなった。
ノロノロとした足取りで最寄り駅に向かう。先ほどまで温かい店内にいたためか、吹いた風が思ったより冷たく感じ、思わず身震いした。

「いけない。文香にも風邪ひくなって言われたし、気をつけなきゃ」

同じようなことを毎日岡崎さんにも口酸っぱく言われてたなあ。芸能活動は体が資本だから、十分注意するようにって。
「岡崎さんってお母さんみたい」と漏らしたら真っ黒な笑顔で15分のお説教がプレゼントされたのはつい最近の話だ。

「特に今はゼロの熱狂的な信者も過激な行動を取りかねません。十分に注意するんですよ!絶対に明るい、人目の付く道を通って帰って……」

偶然通りかかったユキさんが「年頃のお父さんみたい」と同じようなことを言うもんだから、「ええ!もうお父さんでもお母さんでもなんにでもなります!!」って更にお説教が長引いた。(流れでユキさんも私と同じようにお説教を受ける事になって、通りかかった社長が笑っていたのはまた別の話だ)
岡崎さんのお説教も、すべては”こけら落としを成功させるため”。

(大丈夫。絶対に何があっても、Re:valeのステージを最高のものにする!)

まるで神様に祈るように誓った。
当日は熱が出たって、体がボロボロになったって、這ってでも行くんだ。
絶対にやり遂げてみせる。










(だからこんなの、どうってことないんだよ)

奥歯を食いしばった。
湧き上がる冷や汗を必死で拭う。ドクン、ドクンと心臓が脈を打つたび、意識が向きたくない方へと向かう。
まるで別の生き物みたい。静かにしろと、主張をするなと言い聞かせてもそれは歯向かってくる一方だ。

(ダメだ。考えるな。集中しろ。今はダメだ。絶対に成功させないといけないんだから!お願いだから……)

「ねえ」

振ってきた声に心臓が跳ねた。
今は誰にも見つかりたくなかった。見られないように会場の片隅でただひたすらじっと耐えていたというのに。

(放っといてください。お願いだから、一人にして)

残念ながら私の思いなんか届くはずもなく、声の主は私と目線を合わせるようにしゃがみ込み、こちらを捉えた。

「怪我をしたんだね」

灰桜の瞳が逃がすまいとこちらを覗いている。力強い瞳に思わず息をのんだ。けれど今は引くわけにはいかない。

「言わないで!みんなには言わないでください。お願いです。絶対にこのステージを成功させたいんです。絶対にやり切れるから!!!」

ドクン、ドクン、と脈を打つたびに右足が疼く。足首は、熱を持ち腫れあがっていた。
痛みはどんどん増していく。
けれど、それがなんだ。

主役はあんなにボロボロになっても、何度でも立ち上がる。なんてことないみたいに、辛くても笑って、優しい嘘で繕って、身を粉にしてもみんなに希望を与える。
私はシンデレラなんかじゃない。主役なんかじゃない。
彼らを彩る音だ。主役を輝かせる職人だ。
一番辛い彼らを支えるのが、私たちの仕事なんだ。



「……わかった。誰にも言わないからおいで。このままここにいるわけにもいかないでしょう」

その人は笑った。慈しむような眼差しを向けて、こちらへと手を差し伸べてくれる。

「2人だけの秘密ね」


“現代の天使”。
人差し指を唇に添えてそっと微笑む九条さんを見て、その言葉は正しくこの人を体現していると思えた。