Be cool!

間もなく、ゼロアリーナのこけら落とし3日目の幕が上がる。
TRIGGERとIDOLiSH7は合同ユニットの衣装に着替えを終え、それぞれ指定された舞台袖で待機していた。
一織はいつもより落ち着きがなかった。挙動不審とまでは言わないがどこか間が悪そうで、頬がほんのり赤らんでいる。それを見かねた陸がひょっこりと顔を覗かせて、からかう様な笑顔を浮かべた。

「一織、もしかして恥ずかしがってる?」
「べ、別に……そんな事ありません」
「照れちゃってー!大丈夫。一織、めっちゃ似合ってて可愛いよ!」
「かわっ……!!」

先ほどよりも赤みが増した顔を見て「一織、顔真っ赤!」と陸が重ねて笑うので、一織はわなわなと口を震わせた。文句が飛び出そうになったところで「キミたち、静かに。もっと緊張感を持ちなさい」と天が制したので、一織のフラストレーションは発散されることなく喉元にとどまった。むず痒そうに、悔しそうな表情で陸を静かに睨んでいる。
噛み付くような視線に気づきながらも、陸は動じることなく笑顔を浮かべたままだった。憎らしいほどに晴れやかなそれは、一織の神経をさらに逆撫でする。

「今日、沙也ちゃんと一緒だもんな!いいとこ見せたくて緊張してるんだろ?」
「そんな事ありません。さっきから何なんですか、あなたは」
「隠さなくていいって!可愛い奴だ……」

カツン、と高い音が耳に届いた瞬間、目の前の陸が止まった。
目も口も真ん丸く開けて、けれど少しして煌めきを宿して瞳が揺れた。
小さな声が漏れる。それは感嘆の感情を孕んでいるような、小さな音だった。

何かに操られているような。頭に糸がつけられるみたいな。
自分の意志が介入しない動きが起こった。力強い引力が、一織の顔を振り向かせる。



飛び込んできたのは、極彩色のピンク色。
大人びたシルエットのドレス。凛と響くヒールの音。
玲瓏たる深い瞳。――……その眼差しには身に覚えがあった。

「……沙也?」

微笑みが口角に浮かんだ。
名前を呼ばれ綻んだその顔に、いつものようなあどけなさは感じられない。
本当に沙也なのだろうか。
信じられないとでも言いたそうに、一織は大変驚愕した様子で、幼馴染らしい人物から目を離せないでいた。

「一織のお腹が見える!」

突然、人差し指でわき腹を付かれ「ひっ」と弱弱しい声が漏れた。
その反応が面白かったようで沙也は子供のようにころころと笑った。「何するんですか!!」と顔を真っ赤にして声を荒げる一織を見て、沙也はどこか安心したように息をつく。

「一織の待機場所、私達の入場口とめちゃくちゃ近いんだね!思わず立ち寄っちゃった!」
「偶然見つけた雑貨屋……みたいなノリで言わないでもらえます?」
「そうだよ沙也ちゃん!本番前だし、もうちょっと緊張感をもたないと!」
「陸?今なんて?」

天の切れのある突込みに、沙也は体を揺すって笑いだす。
あと数分でライブが始まるとは思えないほどの温度感に、一織は大きく肩を落とした。楽し気に笑い続ける幼馴染へお小言を言おうとした時だった。

「あなた、その足……!」

真っ赤に腫れあがった幼馴染の右足に気が付いた途端、一織の目は怒りと戸惑いと混乱にかわるがわる光った。一方で、沙也の楽し気な笑顔が苦笑いへと歪み転じる。
2人のあまりに目まぐるしいやり取りに、「忙しい子たち」と、天が呆れたように呟いた。

「村田さんに言われちゃった。一音でも外したら、ステージから降ろすって」
「その足でステージに上がる気ですか!?正気を疑います。こんなんじゃ満足に演奏も……」
「出来るよ」

食い入るように被せて沙也が言った。
ドクン、と一織の心臓が大きく跳ねる。

「……一織は私が出来ないって思う?」

勝ち気な字面。
けれど反して震えるのは、声。

(怖いよ、舞台の上に立つのは)

自分たちを励ましてくれたある日の沙也が言った言葉がふっと降りた。
目の前の瞳は力強く、けれどわずかに揺れている。
どれだけ綺麗に着飾って大人びて見えても、今ここにいるのは、等身大の橘沙也だ。

一織は気が付いた。今まで、当たり前のこと過ぎて考えた事などなかった。
ピアノのコンクールはたくさん見に行った。けれど、勝負直前の彼女を目にするのは初めてだ。
思え返せば不思議だ。感受性豊かで感情が見えやすいというのに、どれだけ緊張していても自分たちに見せる態度はいつも逞しく前向きで、弱弱しさなどとは無縁だった。心配させまいと、自分たちの前では気丈に振舞ってきたんだろう。

(俯き方を知らないんじゃない。気づかないフリをしている。そうやって沙也は進んできたのか)





「思いません。沙也なら最高の演奏をする。それも、今まで以上のものをね」

その言葉に沙也は頷くような瞬きをして、「ありがとう」と祈るような声を小さく零した。
吹っ切れた、ぱっと明るい顔を浮かべ去っていく沙也の背中に向けて一織がぽつりと呟く。

「どうしてあんなに不器用なんでしょう」
「仕方ないでしょう」

流すまいとでもいうように、天が言葉を拾った。
一織は内心驚きつつ、怪訝そうに眉をひそめる。

「だって彼女は…………だから」

タイミングよくスタッフの合図が走り、声はかき消された。
「行くよ、」と仕事モードに切り替わった天に聞き返すこともできないまま、一織はステージへと向かって走り出した。










ゼロアリーナこけら落とし3日目。
会場には”Re:vale”2人の声が伸び伸びと、高らかに響き渡った。
重なり合う音色。輝かしくまばゆい光。満ち足りた温かい空間。

私はきっと、この日の事を一生忘れない。



「沙也さん??まず言う事があるんじゃないですか?」
「ご、ごめんなさ……」
「何を??」
「怪我の事、黙っててごめんなさい!!!!」

もちろん、岡崎さんのこの怖い顔も、一生忘れない。
てか、忘れられない。
隣では「擁護できねえわ」と、村田さんがへらへらと笑っている。

不思議なものでライブ中はあれほどなんともなかったというのに、終わった途端に痛みが爆発して立っていられなくなった。村田さんが私を担ぎ、すぐに病院に連れて行ってくれた。
診断結果は中等度の捻挫。幸い骨に異常は見られなかった。
Re:valeとTRIGGER、IDOLiSH7は小鳥遊事務所で打ち上げの真っ最中で、そこにはバンドメンバーも参加しているらしい。
「行きたい!ゆっくりなら一人で歩けるからいいでしょ!?お願い!」と駄々をこねて連れてきてもらったが、到着早々待ち構えていたのは、鬼の形相で立ちはだかる岡崎さんだった……。

「続きは明日です。明日ですからね」と、念押しをして岡崎さんが解放してくれた。
怖い。怖すぎる。
迫りくる明日の事を考えたら体がめちゃくちゃ震えてきた。

「沙也!捻挫だって?痛みは大丈夫?」
「モモちゃん!!」

通された部屋に入ると、真っ先にモモちゃんが声をかけてくれた。
表情はとても晴れやかで、ここ最近見え隠れしていた陰りは見当たらない。
部屋にいた人たちの視線が一気にこちらへと向いた。

「ちょっと目を離した隙に怪我するなんて、困ったワンちゃんだよ。今度首輪とリードを買ってこよう。大丈夫。散歩は足が治ってからにするから」
「インドアなダーリンがお散歩!?とってもラブリー……」
「飼い主の義務は果たさないとね」
「…………か」

何が首輪とリードだ。
ふざけてる。ふざけすぎてる。
私が一体、どんな思いで……。

「バカー!!!!!!!」

火山の噴火みたいに、ぷつんと音を立てて切れたものが溢れだした。
目の前のモモちゃんに噛み付く勢いで詰め寄ると「沙也さん、堪忍!ごめん!落ち着いて!」と慌ててこちらを宥めてきた。
けれどそんなもので今の私は止まらない。

「私はモモちゃんが、ユキさんがずっと心配で!2人とも大丈夫だって言うから、でも全然大丈夫じゃないから……どうすれば力になれるかわかんなくて……とにかく絶対に今日は成功させるって決めて頑張った!!ライブは大成功で、モモちゃんも、ユキさんも、めちゃくちゃ楽しそうで……えっと、もう!!何を言いたいかわかんなくなっちゃったじゃん!!!バカー!!!」
「逆ギレ!?ごめん!オレが悪かった!許して!痛い!痛いよ!?沙也さん!?結構力強いのね!?」

肩たたきをするみたいにモモちゃんの胸元を交互に叩いた。駄々をこねる子供じみた行動だってわかってる。
それでも感情が抑えきれなくて、処理しきれなくて、どうしようもできなくて。

「わたし、側にいる事しか思いつかなかった。何にも役に立てなかった。ごめんなさい。ごめんなさい、モモちゃん……」
「そんな事言わないでよ」

ふわりとモモちゃんの香りが強くなって、体中が温かくなる。
ふいに訪れた感覚に、堪えていたものがあふれ出てしまった。

「沙也はオレを、ユキを支えてくれたよ。一緒に居てくれて、一緒にステージに立ってくれて、本当にありがとう」
「……迷惑じゃ、なかった?」
「迷惑なもんか。すっごく心強かった」

ずるいなあ。モモちゃん。
顔は見えないのに、声がとっても優しいんだもの。
そんな風に言ってもらえたら、止められないよ。

「よかっ、た。モモちゃん、歌えて本当に良かったあ……っ」

周りの事なんて頭から飛んで、小さい子みたいにわんわんと泣き喚く私に、モモちゃんは抱きしめたまま何度も「ありがとう」と囁くように言う。
この当たり前は失わずに済んだんだ。
頭を撫でられる度、そう思えた。
そしたら尚更涙が止まらなくて、モモちゃんのジャケットをたくさん濡らしてしまった。

よかった。本当に良かった。
モモちゃん。ユキさん。
私は2人が大好き。
2人が築いたRe:valeが、大好きだよ。

「オレたちも大好きだよ、沙也」

まるで私の声が聞こえたみたいに、モモちゃんが囁いた。










こんなに泣いたのは『fonte chocolat』での悔し泣き以来だ。
しゃっくりまで出てきたものだから、小鳥遊さんがお水を持ってきてくれて「顔、洗いますか?」と声をかけてくれた。
ひどい有様を見せた後だったので穴にも入りたい気分だったけど、「お2人のやり取り、とても素敵だったので、もらい泣きしちゃいました」と優しく微笑んでくれたので、好感度が完ストする勢いで爆上がりした。

「沙也さん、よければこのタオルを使ってください」
「はい。ありがとうございます」
「いえ。残りの打ち上げ、たくさん楽しんで帰ってくださいね」

小鳥遊さん、本当に良い人が過ぎます。



冷たい水道水で洗ったおかげでようやく正気に戻れた気がした。
あの空間に再び戻るのは勇気がいるけれど、せっかくだし思う存分楽しみたい。
だって今日は、最高な1日だったんだ。
まだまだ余韻に浸っていたいもの!

「……沙也」

ドキリとした。
打ち上げの部屋に戻る道中、1人の人影が佇んでいた。
両腕を組んで壁にもたれて、俯いていたかと思ったら、瞳がぎょろりとこちらに向いて、ゆっくりと頭が上がる。
物憂しそうな目が、私を覗いている。

「みっ、ちゃん」

声が突っかかった。
その視線は私を責めているかのようで、思わず目を逸らしてしまった。
じりじりとみっちゃんはこちらに向かってきている。

「さっきはうるさくしてごめんね!他の事務所で失礼だったよね」
「その言い方、いつもモモさんとあんな事してんのか?」
「してないよ!今日は色々あったし、感極まって……」
「にしても前々から距離が近すぎだろ」

目前まで近づき、壁へと追い詰められた。
逃がしははしないとでも言うように、片手をついてこちらを見下ろしている。
ドラマでは何かが始まるかもしれないが、残念ながら甘い雰囲気は皆無だ。
刺々しく、責め立てる口調。
こんなみっちゃん知らない。私の知ってるみっちゃんじゃない。
こんな否定的なみっちゃん、初めてだよ。

「……みっちゃん、私、何かした?」

アイドルになってから。Re:valeのキーボードになってから――……私達が進む度、見えない壁みたいなのが出来て、それは厚みを増している。
このままじゃきっと、私達どんどん遠くの人になっちゃう。
そんなの、嫌だよ。

みっちゃんはいつも優しくて。
厳しく𠮟られる時もあるけど、その裏には暖かみを孕んでいて。
決して私を否定したりしなかった。
私を拒絶なんてしなかった。
でも今のみっちゃんは、

「……みっちゃん?」

咎めるような目つきで睨んで。逃げ出さないように壁に追い込んで。
嫌だよ。こんなの私の知ってるみっちゃんじゃない。
私の知ってるみっちゃんは……。





「…………他のヤツに、触らせてんじゃねえよ」

圧し掛かる重みと、香りと、暖かさに混乱する。
もたれかかるように、崩れ落ちたみっちゃんは、私の肩に顔を埋めていた。
熱い息が首筋にかかる度、くすぐったくて体が跳ねた。
反動でずり落ちないようにか、無意識か、みっちゃんの右手が私の頭に添えられる。

もうわからない。
突き放されたと思ったら近づいてきて、でも突然優しい声で囁いて。
冷たい事ばかり言うと思ったら、前と同じような事を言う。
どれが本当のみっちゃんなの?
私の事、どう思ってるの?
私、わかんないよ。
みっちゃんが、全然わかんない。



「みっちゃん……みっちゃん?」

重みが徐々に増し、規則正しい寝息が聞こえてきた。
これはもしかして、寝落ちという状態なのではないか。
どうしよう。怪我をしている私じゃみっちゃんを運べないし、誰か人を呼ばないと……



「…………もしかしてお邪魔したかな」



精一杯、出来る範囲で首を振った。もちろん水平方向に。

「キミ、よくボクに見つかるね」

ため息交じりに零しつつ、偶然通りかかった九条さんは私からみっちゃんをめんどくさそうに引き離す。
目を覚ましたみっちゃんが寝ぼけて「まだ飲めますってえ」と叫んだので、「うるさい!」と九条さんが冷ややかに制すのだった。