デジャヴ

その日はなかなか眠れなかった。
目を瞑るとぶわっと体をまさぐる様に感覚が蘇って、雷に打たれたみたいに全身に電流が走り出して、鼓動が早くなって、息苦しくなって。
やり場のないもどかしさをどうにかしたくて、ベッドの中でジタバタして、襲い来るものに抗ってみてもそれは落ち着くことは全然なかった。

暖かさ。鼓動。アルコールが混じって少しツンとした、でも親しみのある香り。
たった数分の出来事。生きている年月からしたらほんの少しの間。
そんな刹那的な感覚だというのに、私の体には色濃く、はっきりと、鮮明にインプットされてしまった。
でもわかってる。
こんなに特別な出来事みたいに意識してるのは私だけなんだって。
あれだけ酔っていたのだから、きっと彼の記憶には残ってなどないって。

そう考えたら鳩尾のあたりがキュッと締まって、苦しくて。
なんだか寂しいな、って、
そう、思ったの。










右足も快方に向かい本調子を取り戻した頃、突然、親友の様子がおかしくなった。
正確にいえば態度がいつもと違う。
和やかな昼休み、いつもなら他愛のない話をしながらお昼を食べるのに、親友は話を振ろうとはしてこない。こちらから水を向けても相槌を打つばかりで会話が弾まない。
何か言いたそうな顔でじっとこちらを見つめるばかりだ。

「文香、もしかして……私に言いたい事ある?」

しびれを切らして触れる。文香はペットボトルのお茶を一口飲み、細い息を吐いた。
何とも言い難い間には圧迫感があって、つられてこちらも息をのむ。
頬杖を突き、伺うような眼差しを向けて、文香がようやく口を開いた。

「言いたい事ってわけじゃないんだけど……沙也が積極的な子になったんだって知って、少し寂しくなっただけ」
「積極的?何に?」
「ずいぶんと熱い抱擁を交わしたみたいじゃない?」

思わず噴き出した。
何も飲んでなどいなかったのに大きくむせ込む私を眺める文香の顔は、目も口も横に細く流れていた。
一旦落ち着こう、そう言い聞かせているというのに、私の心臓は意に反して爆走する。

なんで文香が知っているの?
あの日、みっちゃんは酔っぱらってしまって序盤の記憶しか残っていないと言ってたのに。口ぶりから嘘をついているようには思えなかった。
あの時偶然出会ったのは九条さんだけだ。九条さんが他の人に言いふらすようには思えない。と言う事は、私が気づいていなかっただけで他の人にも見られていたという事?

そしたらみっちゃんの耳にもきっと届いてしまう。
そうしたら、どうしよう。
私、どんな風にこれから接したらいいんだろう。



「まさかあの国民的人気アイドル、Re:valeのモモにハグかあ……」
「…………へ?」
「へ?……じゃないでしょ!」

肩をがしりと掴まれ、前後に大きく揺さぶられた。
「沙也!あんた!なんて羨ましい事を!!」と文香は恨めしそうな目で叫んでいる。
ぶれぶれの視界の中、遠くに浮かぶ水色のシルエットが何かを食しているのが見えた。恐らくあれは報酬のプリンに違いない。
許すまじ、四葉くん。
おかげでメトロノームのように振り回される事になったではないか。

「念のため確認だけど、沙也、やっぱりモモの事……」
「だからモモちゃんはそういうのじゃないってば」

耳打ちをする文香にジト目を向けると、「やだなあ、冗談だって!」とごまかす様に笑った。

「な、言ったろ。ももりんと一号はたぶんそんなんじゃねえぞって」

プラスチックスプーンを咥えた四葉くんがひょっこりと現れた。右手には残り少ない王様プリンを大事そうに携えている。
目が合った途端、「一号とのプリン同盟は解散な。一号、最近プリン全然くれねえし」と突然の破局を告げられた。
こんなにも簡単に新しい補給源へ寝返ってしまうとは、私達の仲は相当浅く脆い関係だったらしい。

「一号はペットみたいなもんってももりんとゆきりんが言ってたし。いおりんがきなこを可愛がるのと同……」
「四葉さん?」

急に割って入ったのは一織。
強引に話を遮ったので、四葉くんは何かを察したように残りの王様プリンを口に運んで押し黙った。
こほんと一つ咳払いを落として一織が続ける。

「突然失礼しました。急な用事を思い出したものですから、仕方なく」
「用事って?」
「仕事の話です」

これ以上詮索させまいというわざとらしい言い回しで会話を締めくくる。
私と文香は深く追及しない事にした。一織から力強い視線を向けられたからだ。
一織は「ほら、行きますよ」とこの場から引きはがす様に四葉くんを連行していった。

「……一体、何だったんだろうね?」

2人で顔を見合わせて、同じことを呟いた。
あまりにも綺麗にハモったのでおかしくなって、自然と笑みが漏れ出る。
一頻り笑い合った後、文香は段々と落ち着きを取り戻し、静かな声で言った。

「和泉くんからしたら、おもしろくはないだろうね」
「えっ。確かに、偶然ハモったぐらいでは一織は笑わないだろうけど……急にどうしたの?」

文香は息をつきながら短く笑う。
その含みのある笑みの意味を探ろうにも、昼休みの終了を告げるチャイムがそれをさせてはくれなかった。










「あれ?一織も早退?」

あと1時間の授業を残したところで教室を出ようとしていたら、同じように荷物をまとめて去ろうとする一織が目に入った。
四葉くんは帰る気配はなく机に突っ伏して眠っていたので、IDOLiSH7の仕事があるわけではなさそうだけれど。

「ええ。あなたもですか」
「うん。テレビの収録が入ったの」

一緒に教室を後にして、玄関までの道のりを進む。
校舎には授業開始のチャイムが響き渡り、広がっていた喧騒が一気に落ち着きをみせた。
見計らっていたかのように、普段は賑わいに溶ける微かな音が主張する。
パタパタと、ゆっくりとしたリズムで階段を降りていく私達の足音が耳に届いた。

「収録って……あなた、右足はもう大丈夫なんです?」
「平気だよ!時々動かしにくさを感じる時はあるけど、ほぼ元通りだもん!けど……ちょっと緊張してるから不安はあるんだよね。1人のお仕事って初めてだから」
「1人?」

先に踊り場に降りた一織が足を止めたので、つられて私も立ち止まった。
こちらを見上げる一織の眉間には深く濃い皺が寄っている。

「どういう仕事なんですか?」
「ただのピアノ伴奏だよ。1人っていうのは、見知った人がいないって意味で」
「Re:valeじゃないんですか!?」
「う、うん。花巻すみれさんっていう女性シンガーの伴奏……」

信じられないとでも言いたそうな表情だった。
なんでこんなリアクションをされないとならないのだろう。

「女性の伴奏者を探してたんだって。歌ステで私の演奏を聴いて気に入ってくれたみたいで、依頼が来たの」

依頼が来た時、事務所の人たちはみんな祝福してくれた。最初は不満そうにしてたユキさんでさえ「まあ、ちゃんと帰ってくるならちょっとの散歩ぐらいは許してやるか」と最後には背中を押してくれたというのに、一織はまた不機嫌になっている。
思い返せば私が演奏者としてデビューしてからずっとこの調子だ。
正直、あまりいい思いはしない。

「そうやってまた怒る!なんで一織はいつも……ッ!!」

突然、視界が落ちた。
少し間をおいて階段を踏み外したのだと気が付いた。
こけら落としの時といい、短期間で2回も階段から落ちる事になるとは。





「……あなたはバカなんですか!不注意にもほどがあるでしょう!!」

一織の言う通りだ。私はバカだ。
感情的になって注意散漫になって、危うくこけら落としの二の舞になるところになるなんて。

一織は私を受け止めてくれたようで、2人一緒に床に座り込んでいた。
不可抗力とはいえ、抱き着き・抱きしめられているこの状況に頭がひどく混乱した。
これは本当に一織なのだろうか。記憶の中とは違う、繊細ながらも逞しい腕と体が支えてくれている。
互いの息の音がすぐ近くにまで聞こえる距離に、私は今、いる。

……兎にも角にも、離れないと!

「いたっ!」
「ちょっと待って。今、解きますから」

鋭い痛みに動きが静止される。私の髪が一織の胸元の校章バッジに絡まったようだ。

「……少しだけ、我慢をして」

ピンと張った髪を緩めるためだろう。一織はゆっくりと頭を引き寄せる。少し躊躇うように、けれど優しい手つきで。
これではまるで、一織が私を抱き寄せてるみたい。

(みっちゃんの時と、にてる……)

一織の首筋に私の息がかかるのがなんだか恥ずかしくてゆっくりと呼吸をしたつもりなのに、意に反して息は浅くなった。
心臓がバクバクとうるさくて、顔から火が出そうなほど熱くて。
鼻腔を一織の香りがくすぐって、頭がくらくらする。

私達、学校で何してるんだろう。
私達は幼馴染で、それ以上でも、それ以下でもないはずなのに。
みっちゃんも、一織も、どうしてモモちゃんとは違うように意識しちゃうんだろう。

なんで。どうして。
そんな言葉が頭の中をループして、ぐちゃぐちゃになってる。





「取れましたよ」と、一織が耳元でくすぐるように囁いた。
ゆっくりと顔を上げた先。とっても近くで私達の視線がぶつかり合う。

一織の瞳に浮かぶ私の顔は思った通りに顔が真っ赤で、思ったのとは違う表情を浮かべていて、それは一織も同じで。



私たちは、どうかしているみたいだ。