軋む歯車

「ところであなた、どうしてここにいるんです?」

さっきまで漂っていた甘い雰囲気をぶち壊す、冷水の様な声が貫く。
鋭利な言葉は頭をトンカチで打つかのような強さを兼ね備えていた。
ぐわんと頭が揺れる。白けた目で一織はこちらを見ていた。

「そのドレス、あなたのものじゃないでしょう。誰に用意してもらったんですか?」

さすがは一織。相変わらず鋭い観察眼で私の触れてほしくない事を見抜いてくる。

「モモちゃんの友達って人が用意してくれたの。私をサプライズでパーティに連れて行って、モモちゃんを驚かせたかったんだって」
「それ、本当に友人ですか?騙されてるんじゃないんですか?」
「騙されてないよ!ちゃんとモモちゃん、知ってるみたいだったし。その人から私を連れてきたって聞いて飛んできてくれたんだって。でも、なんでサプライズが”私”だったんだろう?そりゃあ、突然いるはずのない私がいたらびっくりはするだろうけど」
「あなた、やっぱりバカですね」

十八番とも言えるため息と小馬鹿にした物言いがセットで舞い降りて、反射的に噛みつこうとしたところを一織が抑えこんだ。
私の行動などお見通しだと、言わなくても顔に書いてあった。

「あの噂のせいに決まってるじゃないですか」
「噂?」
「……あなたが百さんの彼女、という噂です」
「私がモモちゃんの彼女!?」

思わずボリュームの上がった声は強制的に遮断された。
口にあてがわれたグラスからミネラルウォーターが流れ込んできて、反射的にそれを飲み込む。
ふう、と2つの細い息の音と視線が重なり合った。

「いや、ないって!確かに付き合ってるって言われる事はあったけど、あれは仲のいいスタッフさんたちとの鉄板ネタっていうか……!真に受けてる人なんていないって!」
「ここは芸能界ですよ?真偽の程はどうでもいいんです。面白いと思われたら最後、尋常じゃないスピードで尾ひれをつけて噂は広がっていく。現に、そう思わせるような行動もしてますしね」

湿度の高い視線が肩に注がれ、はっとした。
そうだった。私、モモちゃんからジャケットを借りたままだった。
急いで脱がないと!!

「今更もう遅い……って、……っ!!なんて格好してるんですか!!!」

せっかく脱いだというのに、一織が慌ててジャケットを羽織らせた。
顔は真っ赤で、でも視線は明後日の方向を向いている。

「背中……丸見えじゃないですか」

まるでこれから襲い掛かる敵に言うみたいなセリフを弱弱しく吐いた。
まあ、確かに文字の通りではあるのだけれど。
(月雲さんが用意してくれたドレスは背中が大きく空いたデザインのワンピースだった)

「……フォーマルな場所に、過度な露出は相応しくありません。今は百さんの好意に甘えてそのジャケットを羽織らせてもらいましょう」
「う、うん。でも大丈夫かな。これ以上誤解してる人が増えたらモモちゃんに迷惑かけちゃう」
「大丈夫でしょう。天下のRe:valeなんですから、あなたとの噂なんて華麗にかわしてくれますよ」

一織の言葉に少しだけ肩の力が抜けた。刺々しく聞こえそうな淡々とした声のトーン。でも私にはちゃんとわかる。私を思い、励ましてくれてるんだって。
やっぱり一織には敵わないな。
頼りになって。いつも私を信じてくれて。本当に心強い存在。

「ありがとう、一織」
「別に、大したことなんて言ってませんけど」

口元を隠す右手。見慣れた照れ隠しの癖がとても可愛らしく、愛おしく思えた。
自然と綻んだ口から笑い声が漏れたと同時に緊張の糸が完全に解け、ようやく周りを落ち着いて見渡すことが出来た。
パーティも終盤に差し掛かっているのか、ゆったりとした空気が流れ始めているように見える。
「もうすぐパーティもお開きなのかな、」そう一織に振ろうとした瞬間だった。



磁石の引力のように強く、速く。私の意識は一点へ引き寄せられる。
強烈な衝動に音すらも止んだ。

捉えたのは、橙色の瞳。
大きく見開かれたそれは、驚きと困惑が混ざり小刻みに揺れている。

「みっちゃん!!!」

脊髄反射レベルのスピードだったので、自分が一番驚いた。
考えるよりも先に喉が震え、彼の名前を叫んでいた。
あれほど周囲の視線を気にしていたというのに、体も勝手に動いている。

行かなくちゃ。
そう、本能的に思ったのだ。



「沙也さん!!!」

けれど上手くはいかなかった。
ビン!と繋がれたリードが張り詰めたみたいに、私を上回るスピードと力がこちらを制止した。
あまりにも突然の事だったので状況が理解できなかった。くるくると宙を回る両腕が彼へと向かっているのに、その距離は縮まらない。
あっけにとられた顔をして、みっちゃんがぽかんと口を開けている。

「い、か、せ、ま、せ、ん、よ?」

掴まれた首根っこの力が強まる。振り向きたくなどないのに、意思に反して首が徐々に後ろへと傾いていく。
視界に入り込んでくる禍々しいオーラに、再び私の体は委縮した。

そこには夥しい影を纏った笑顔を浮かべた、岡崎さんの姿があった。
『GAME OVER』
暗転していく脳内にコミカルな横文字が浮かび、あっという間に沈んでいった。










「つまり、要約すると月雲さんに声を掛けられ、モモくんを喜ばせるためについてきてほしいと言われた。そして気づいたらパーティに連れてこられた……と?」
「はい。その通り、です」
「沙也さん、何か言うことは?」
「ごめんなさい!!もう知らない人に簡単についていきません!!」
「もう1回!!」
「もう、知らない人に簡単についていきません!!」
「絶対ですからね!もう二度と同じことはしないように!!はい。もう足を崩していいですよ」

パーティの帰り道、私はされるがままに事務所へと連行された。
正座を組み始めてから時計の長針が半分は回っている。

限界寸前だった私へお許しの声が下りた途端、その場に力なく崩れ落ちた。
解放された両足へ滞っていた血が巡り、突如襲われる痺れに悶え苦しんでいると、ユキさんが面白そうに人差し指で刺激を加える。
それは長時間の正座から解放された私には強すぎる刺激だった。
当人を睨みたくとも顔を上げることが出来ず、恨めしく地面を睨み続けるしかなかった。

岡崎さんの説教大会。
テストの点数が悪いとか、無茶をし過ぎた時だとか、何らかのよろしくない事があった時に呼び出されるこの儀式は、残念な事に事務所の恒例行事となりつつあった。
痺れに苦しむ私に横からRe:valeの2人が茶々を入れる。そこまでがセットだ。

「まあ、今回は弁解の余地がないかな。沙也にはもうちょっと危機感ってのを持ってほしいよ、モモちゃんは。もし騙されて事件にでもなったらどうするのさ」
「だって、月雲さんが大切な友達を喜ばせたいんだって言うから、力になりたいなって思って……ごめんなさい」
「沙也……!」

モモちゃんが瞳を煌めかせて私の頭を撫でまわした。
あまりにも激しいから髪が大分乱れてるだろうなと思った。その証拠に、横でユキさんが白目をむいて笑いをこらえてる。

「そうだ。月雲さんにモモちゃんへ伝えてって言われてた事があるの」
「えっ。なになに?」
「大分好みが変わったんだね。ボイン好きは卒業したのかい?だって」
「……あんにゃろう。まじで沙也の事、彼女だと思ってやがるな」

パーティで聞いた「天下のRe:valeなんですから、あなたとの噂なんて華麗にかわしてくれますよ」という一織の声が浮かんだ。
一織の言う通りだったよ。
色々言いたいことがあったのに、見事にかわされてしまったよ。

「とにかく!もう二度と同じことはしない。迷ったら事務所に連絡して、指示に従う事。いいですね?」
「はい。すみませんでした」



説教大会が終わり自宅へと帰宅すると、経緯を聞いた両親からもこっぴどく叱られ、2回目の説教大会が開催された。
まるで小学生みたいな軽率な行動だと言われ耳が痛かった。
返す言葉もないとはこのことだ。
ベッドに入れた頃にはすっかり日をまたいでいて、どっと疲労感が押し寄せてきた。
暖かな布団の中で、うつらうつらと今日の事を振り返る。

(嘘は言ってない。でも、言ったほうがよかったのかな)

今日の経緯を説明する際、端折ってしまったことがあった。
理由はうまく説明が出来ないから。深く追及されたら言葉に詰まってしまうし、話さなくても問題はないかと思ったのだ。

「月雲さんに声を掛けられてついていった」
決して嘘でも、間違いではない。けれど100%正ではなかった。
私を呼び止めたのは、別の声。
「その人に月雲さんのところへ案内された」のだ。





「おい、橘沙也」

その声色を聞いた途端、シャボン玉が割れたような音がした気がした。
バチンッ、と。まるで鋭い牙に突かれたかのように。突然で、予期していなかった破裂の音。
不思議な感覚に思わず足を止めてしまった。
見た事のない男の子が、私の名前を呼んでいる。





「あの子、誰だったんだろう……」

“見つけた”。
声に出さずとも男の子の瞳と笑みは、そう物語っていて。

微睡の中、ぼやけていくシルエットに反し力強い黄金の瞳だけは色濃く、はっきりと映っていた。