『TRIGGER』

「未来、1人で行けそう?大丈夫?」

うん。
そう声を出そうとした途端、大音量の咳が代わりに飛び出した。

「先生には一応連絡入れておいたからね。無理そうだったらタクシー使うのよ。じゃあ仕事行ってくるね」

母は苦笑交じりに手を振り、私の部屋を後にした。
定まらない焦点を3度目の瞬きで合わせ、腋に差し込んでいた体温計をゆっくりと引き抜いた。

“38.7℃”
中々いい数字を叩き出している気がする。

昨日、友人とカフェへ訪れ有意義な時間を過ごした。
帰り道、大雨に降られてしまい、寝て起きたらこんな状態になっていた。
気怠い体を起こし、痛む関節を労りながら着替えを済ませる。
ダメだ。予想以上にキツイ。
ここは母の厚意に甘える事にした。

「未来。タクシー使うんだろ?もう呼んであるからおいで」

父の段取りの良さに涙を流して喜びたい気分だった。
小さくお礼を言ってタクシーに乗り込むと、一気に体が脱力する。
自然と瞼が下りてきて、体が眠りを欲していた。



「びっくりしたよ!未来、何回呼んでも動かないんだもん!」

これは昨日の友人とのやりとりだ。
なぜ比較的新しい記憶が夢に出てくるのかはよくわからなかったけど、これも熱のせいだと思う事にした。

「何でだろう……私もよくわかんなかったけど、見入っちゃったんだよね」
「あのアイドルに無頓着な未来がね……意外だね」
「アイドル?」
「え?知らないで見てたの?」
「うん」
「嘘!!信じられない!!あれだけ教えてあげたのに!!いい?未来が一生懸命見てたあの人たちはね………」



『TRIGGER』



はっ、とした。
友人の声ではない、男の人たちの重なった声がその名前を呼んでいた。
どうやらタクシーの中で流れているラジオのCMらしい。
タクシーもちょうど到着したらしく、私が起きるのを待っているようだった。

「すみません。ありがとうございました」

熱のせいなのか、先ほどの声のせいなのか、心臓がやけに早く動いていた。
受付を済ませ待合室のソファに腰掛けると、自販機で購入したお茶でのどを潤した。
冷たい感覚が火照った体を落ち着かせていく。
再び瞼が自然と降り、私の視界は真っ暗になった。
けれど私の頭は休む気配もなく、忙しなく動いていた。

”TRIGGER”
私が昨日、目を奪われていたモノ。

どうしてあんなにも引かれてしまったのだろう。
それはきっと、あの”色”のせいかもしれない。
常連さんに似た髪色をしていたあの人の微笑みが、私の脳内をぐるぐると回っている。

(綺麗な色、だったな……)

朦朧とした頭でもその色は色濃く記憶されていた。
シックな色合いの衣装は色白の肌とその髪色を際立たせているようにも思えた。

(体調が治ったら調べてみようかな……)

「……さん」

(とりあえず今は治すことに専念しないと……)

「七瀬さん……七瀬……さん!」

重苦しい瞼が、看護師さんの声を合図に一気に上がった。
声を出せない代わりに私はゆっくりと立ち上がる。

「……あれ?」

そして脳内にたくさんのクエスチョンマークが浮かんだ。
どうして私の名前で全く知らない人が同じように反応し、動いているのだろう。

「あら、ごめんなさい。今呼んだのは未来さんじゃなくて陸さんの方なの。同じ苗字だから聞き間違えちゃったかしら」

どうやら間違えたのは私の方のようだ。
いつもよりも倍遅い思考回路がやっと追いつき、看護師さんと向かいの七瀬さんに会釈をした。

「気にしないでください。苗字一緒だと反応しちゃいますよね」

七瀬さんはそう言い残し、とても人当たりの良い笑顔を向けて診察室へと入っていく。

(本当にそうだな。七瀬なんてあまり多くもない苗字なのに)

私は再びソファに腰を下ろし、目を閉じた。
リズミカルな音楽と優美なダンスを頭に思い描きながら。
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