「変なコ」

大学の講義を終え、雫が跳ねるアスファルトの上をゆっくりと進んでいた。
友人から借りた”Re:vale”のCDが濡れないよう、鞄を大事に抱きかかえながら歩いているからか、いつもより傘を持つ手が不安定だ。
雨足はどんどん強まっていく。傘の柄を握る力をさらに強め、後10メートルほどの自宅に向かった。

「あれ?」

そこにはビニール傘を指して佇んでいる人物がいた。
店の前で止みそうもない空をじっと見つめたまま、静かに佇んでいる。

「あ、あの……」

私の声に反応し、その人の顔がゆっくりとこちらへ向いた。
マスクと眼鏡越しに覗き込んだ瞳が私を捉える。
あの人だ。やはり間違っていない。あのオーラの違う常連さんだ。

「店開いてないですか?すみません。今開けます」

急いで鍵を開け、常連さんを中へと案内した。
いつもいるはずの父の姿はそこにはなく、明かりもついていない店内は静まり返っている。

「すみません。適当に腰掛けてください」
「こちらこそすみません。まだやってないときにいれてもらって」
「とんでもないです。あのまま外にいたら風邪ひいちゃうし」

カウンターに自分の荷物を置き、店内の明かりをつけた。
閉まっていたタオルをいくつか取り常連さんへと差し出す。
常連さんのカーディガンは水を吸い、色がほんのりと濃く色づいていた。

「どうぞ。よかったら使ってください」
「……ありがとう」

タオルを手渡し、カフェエプロンを纏うためにカウンターへと再び踵を返した。
とりあえず父がいない間、私が出来る事はしなくては。
急ぎ足でキッチンへと回ろうとした時だった。

ガシャン。
左手が鞄に触れ、プラスチックが割れるような音が響いた。
私は青ざめた。床に友人から借りた”Re:vale”のCDが3,4枚、バラバラに落ちていたからだ。(しかもその数枚には立派なヒビが入っているように見えた)
やってしまった。
そう思ったが、時はすでに遅かった。
CDの光景を眺めたまま私は立ちすくんでしまった。

「……好きなの?Re:vale」

常連さんの声で一気に現実へ引き戻された。
ようやく体が動いたので床に散らばったCDを拾い集め、悲惨な現状をまじまじと受け止めた。
これは弁償をしなければならないレベルの破損だ。
申し訳なさでいっぱいになった。

「いえ。私の友人がファンで……Re:valeを知らないって言ったら貸してくれたんです」
「で、そのRe:valeファンの友人が大事にしているCDを粉々にしてしまった、と」

間違っていない。ありのままの事実だが、言葉にされると相当くる。
グサグサと鋭い刃で背中を刺されている気分だ。
いけない。お客さんの前で何をしているんだ。
早くお手拭きとお水を用意しないと。

「すみません。見苦しいところ見せちゃって。すぐに準備しますね」

CDを入れていたビニール袋にしまい込み、鞄ごと奥の戸棚へ押し込めた。
BGMをつけ、カトラリーとお水、お手拭きを準備して手渡す。
常連さんの注文はいつもと同じオムライスだった。
父は買い出しに行っていたようであと5分ほどで戻るとメールが入っていた。
セットのサラダを盛りつけながら、父がすぐに調理できるようにオムライスの下ごしらえを済ませる。
常連さんはいつものように窓をじっと覗き込み、鈍色の雲を眺めていた。

不思議な人。
こんな生憎な天気でも外を眺めているだなんて。

店内には私たち2人だけ。
トントンとまな板を叩く包丁の音もきっと、常連さんのもとへと届いているだろう。
不思議な感覚だった。
言葉を交わしているわけではないのに、2人だけの空間を共有できているという事がなぜだか少し嬉しかった。

「お待たせしました」

出来上がったサラダをテーブルへと運んだ。
窓の外からゆっくりと視線が動き、鮮やかな緑が瞳に映った。
白く細い指がカトラリーに触れた瞬間だった。

「ねえ。キミ、”お父さんのオムライス”以外で好きなモノってある?」

常連さんの瞳が私を映した。
あまりにも突然の事に驚き、思わず目を見開いてしまった。
そんな私の様子が面白かったのかもしれない。常連さんの口元がわずかに緩んだように見えた。

「その……お父さんのオムライスって言い方、やめてくれませんか……」
「なんで?好きなんでしょ?」
「そうなんです、けど……」

なぜからかわれているのかは分からないけど、取り敢えず話題を逸らすためにも質問に答えよう。
私が好きなもの――……。いくつか考えたけどこれといって思い浮かばなかった。
(我ながら思いつくのが”父のオムライス”しかない、というのも年頃の女として悲しい気もした)

「変なコ」

またもや辛辣な発言を零しながら、常連さんは1枚のメモ用紙を差し出した。
そこにはピンク色のペンで書かれた見慣れた丸文字が、たくさんの言葉をつづっていた。

「さっきCD落とした時にここまで飛んできたみたい」

それは紛れもない友人の手紙だった。
どうやら先ほど貸してくれたCDの中に入れてくれていたようだ。
Re:valeのお勧めの曲や小ネタなどが丁寧にまとめられている。
そんな中、最後に書かれた1文が目に入った。

“未来が気になってるTRIGGERのCD、1枚持ってるから入れておくね!聞いて覚えるように!!”

“TRIGGER”。
その文字を見て胸がドクンと脈を打った。
スクリーンで釘付けになった映像が頭の中をよぎる。

「未来お待たせ!待たせて悪かったね……おや、お客さん、いらっしゃいませ」
「こんにちは」
「急いで作りますね。少々お待ちください」

カラン、と鐘の音が鳴り、父が買い物袋を携えて店へと戻ってきた。
手を洗いエプロンを身に付けた父は、私が下ごしらえを済ました食材を使って調理に取り掛かった。
私はお客さんに小さく会釈をしてテーブルを後にし、鞄をしまい込んだ戸棚へと向かう。
袋をあさると、一番ヒビの割れたケースが目に入った。

「これがTRIGGER……」

“DIAMOND FUSION”。
そう書かれたケースに3人の男の人たちが映りこんでいた。
ヒビのせいで顔がよく見えなかったが、常連さんとよく似た髪色がそこに見え隠れしている。

「未来、どうした?嬉しそうな顔して」

父に話しかけらえるまでの数分間。
気が付けば、ずっとその髪色に見入っている自分がいた。
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