「"オムライス"の言い方」

テレビ局という存在は自分の生活とはあまりにも非日常的すぎて、建物の中に入るには相当な勇気が必要だった。下手したらセンター試験を受けた時より緊張しているかもしれない。友人に手と足が一緒に出ていると笑われてしまったが、そのおかげで少しだけ肩の力が抜けた気がした。

「おっかしい!別に未来が出演するわけじゃないじゃん」
「そうなんだけど、こんなところに来る機会って滅多にないから落ち着かなくて……」
「まあ気持ち、少しはわかるけどね。私はどちらかって言うとワクワクが勝ってる!」

晴れやかな表情を浮かべる友人を見ると、これからの収録が本当に楽しみなんだという事がひしひしと、とても強く伝わってきた。心なしかいつも以上に身だしなみにも力が入っているように思えた。いつもおしゃれだとは思っていたけれど、今日はなんというか、

「すっごく可愛いね」

声に出すつもりはなかったけど気づいたら零れていた。
友人は嬉しそうに顔を綻ばせて「ありがとう!」と言う。目尻がわずかに下がって愛らしい笑顔だった。



案内された観覧席にはたくさんの人がいた。性別・容姿はそれぞれ違えど、共通して言えるのは大抵が揃って、目を輝かせてRe:valeとTRIGGERの登場を心待ちにしている事だった。
不思議な事に表情が皆似ている。とても幸せそうな顔だ。

「未来、さっきより落ち着いたね」
「そう?」
「うん。表情が柔らかくなったよ!」

自分ではそんなに違いを感じなかったが、友人が言う事が本当だとしたらこの場の空気が私をそうさせたのだろうと思った。
こんなに多くの人たちを魅了するRe:caleとTRIGGERが、今から現れるんだ。
CDジャケットの中ではない、私の目の前に。

再び強まった緊張で、生唾を飲み込んだぐらいじゃ潤わない程、喉がカラカラに渇いていた。





「こんばんはー!Re:valeの百と!」
「こんばんは。Re:valeの千です」

軽快なBGMとともにRe:valeが登場をした。CDジャケットより、友人のスマートフォンの中で笑う姿より、彼らは心なしか華やかに煌びやかに見えた。
明るくスマートな登場に観客席から黄色い歓声と拍手が沸き上がる。隣に座る友人に倣い、私も拍手をした。

「今日はなんと!あの超人気アーティストをゲストにお呼びしてます!」
「みんなもお待ちかねのアーティストだよ」
「それでは来ていただきましょう!TRIGGER!」

コツコツ、と。
先ほどより強くなった拍手の音と歓声の間から、ブーツの高い鳴き声が小さく、しかしそれでいて大胆に顔を出した。
息をのんだ。
強固な芯が1本と通っているみたい。羨ましいほどに真っ直ぐに凛と伸びた背筋が印象的だった。彼らは定位置まで来ると体を向き直してこちら側を見やった。

「こんばんは、TRIGGERです」

彼らがTRIGGER。
あのDIAMOND FUSIONを歌っていたアーティスト。
昨日まで睨めっこした公式サイトで得た知識をフル回転させた。

茶色い髪に程よく焼けた肌色のあの人は、十龍之介。
グレーの髪に堂々としたゆるぎない態度で前を見据えているあの人は、八乙女楽。
そして、もう1人。
淡い桜色の髪が私の目を引き付ける。
涼しげでつぶらな目元の中には深みのある瞳が浮かんでいる。

彼は――……九条天。
私がずっと、気になっていた人。

うっすらと浮かべた微笑みはとても清らかに思えた。
スタッフ、観客席、カメラの向こう側ーー……私が想像できない程たくさんの、不特定多数に向けられたものであるはずなのに、まるで私個人に微笑んでくれたような錯覚に陥った。
彼の目線がRe:valeへと移る。その仕草に合わせて髪がわずかに揺れた。見覚えのある色に目が釘付けになる。

「天くん、マジで天使……」

観客席の誰かがぽつりと言った。
“天使”という人間離れした比喩表現が似合ってしあうのも頷けるほど、九条天は完璧な人に見えた。
そんなところまであの人にそっくりだけど、

(違う。だってあの人は、)

カトラリーでつけられたトマトソースの軌跡が脳裏にぼんやりと浮かんだ。










「観覧、超最高だったね!」

NEXT Re:valeの観覧は終わり、友人と私はファミレスへ移動した。
友人はアイスティラミスを、私はイタリアンプリンを注文した。すぐに届けられたデザートを前にして友人は目を輝かせて「いただきます!」と両手を合わせた。先ほどの興奮が冷めやらぬ様子でいつもより声が大きかったが、そんな事少しも気にしていない様子だった。

「生の千さんマジで美しすぎ……!百さんも明るくて気が利いて、なのに爽やかイケメン!もう一生推す!絶対推すよ!」

デザートスプーンを唇に当てながら、うっとりとした目で宙を仰ぎ見る友人は本当に幸せそうだ。
私も友人に続いてイタリアンプリンを頬張る。焦がしキャラメルの絶妙な苦みと甘みが口いっぱいに広がり、頬が緩んだのがわかった。
友人はしばらく宙を見ていたが思い出したかのように瞬きをしてこちらに焦点を合わせた。

「未来はどうだった!?生TRIGGER!」

食い気味な友人の圧力に思わず体が後ろへと傾く。瞳はキラキラと輝いていて、私のコメントを待ちわびているかのように思えた。
私は友人のように感受性が豊かではないので、期待されているようなリアクションは出来ないのだけれど。

「……芸能人って感じだった」
「なんだそりゃー!そうだよ!アイドルだもん!!」

私の乏しい表出をカバーするかのように、オーバーなリアクションが返ってきた。友人は頭を抱えて大きく後ろにのけぞっている。周りの人たちが横目でこちらを見ている気がするのは自意識過剰ではないだろう。

「魅かれてないの?未来、絶対好きになってると思うんだけど!だってずっと天くんのこと見てたじゃん!」
「それは……知り合いに似てるなって思ってたんだ」
「知り合い!?あんな天使みたいな知り合いがいんの!?初耳なんだけど!」
「そんなに親しくはないんだけどね。なんとなく似てるなって思っただけ」
「へえ、どこが似てるの?」
「どこが……」



「TRIGGERの事をもっと知ろう!」というコーナーがあった。
百と千が交互に各々のパーソナルをクローズアップするような質問をしていくコーナーだった。百は九条天に「天の好きな食べ物は何?」と当たり障りない質問をした。
突拍子のあるような返答ではなかった。「おいしいお店知ってるよ!今度連れてってあげる!」と百が言い、「楽しみにしてます」と九条天が続けて話は終了した。
ほぼ全員が大して気にも留めず、そのまま次のトークへと意識が向いていたのに、私だけは違った。

頭の中で九条天の声がぐるぐると反響し、頭蓋骨の中で何度も衝突を繰り返した。
たった1つの単語。ほんの些細な、日常的にありふれた単語。
されど、私には衝撃的な言葉。


「"オムライス"の言い方」


文字通り目を丸くした友人が数秒遅れて「なにそれ」と間抜けな声を漏らしていた。
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