無事に試験を終えて迎えた日曜日。
花束を携えて何度も歩きなれた廊下を歩いていた。
仮免試験の結果は52点と、ギリギリラインでの合格だった。
終了間際、単独で捨て身に飛び込んだ行動を大幅に減点されていた。
衝動で動く癖を直さなければならない。
まだまだ課題は山積みだ。

「……はあ」

ふと窓ガラスに映った自分を目にし、思わずため息が零れた。
試験終了後から数日、何度このため息をこぼしたかはわからない。
あれは試験会場から控室に移動し、鏡を覗き込んだ時だった。

「何これ!!!!」

そこにあったのは今まで見慣れているものとは異なる容姿。
髪と瞳の色が、父と瓜二つの青色に染まっている自分だった。

「うるさいっての」
「いたっ!」

七絵特製の冷えピタがおでこに貼られる。
静かにしろと遠回しな抑制。
いつもなら親友の言葉を素直に受け入れるが、今は動揺が隠せなかった。

「個性の影響で外見が変化するなんてよくある話でしょ。一々騒ぐな」

確かにそう。そうなんだけど。
もう少しぐらい驚いたり、何かリアクションがあってもいいんじゃないだろうか。
(そういえばさっき一緒にいた人たちは、全員何も言ってくれなかった。)
生まれて17年、見慣れていた容姿が変わるという事は、自分にとっては大事件。相当なビックニュースだ。

“そのうちわかるさ”

ふと父が言った昔の言葉が浮かんだ。
この変化はいずれ訪れる出来事だったということだろう。
黙っていたのは私を驚かせようとしていたに違いない。
やられた。
また父の思惑にまんまとはまってしまったようだ。





「彩海ちゃん!病院はマナーモードにしてね!」

看護師さんの声で自分の携帯電話が鳴り響いている事に気付き、慌てて画面を覗きこむ。
着信者の名前をみて表情筋が力み、自然と顰め面になった。

「もしもし、お父さん?」
『仮免合格、おめっとさん。ギャングオルカから聞いたぞ!だいぶぎりぎりだったらしいな!』
「……よくご存じで」
『お前よく受かってたな!』

電話越しの父の笑い声は大きく、電話機がキーン、と音を鳴らした。
思わず耳から電話を離す。
神経を逆なでするその笑い声に苛つき、父にかぶせるように声を少し張り上げた。

「ねえ!私、髪が青くなったんだけど!」

父の笑い声も徐々に収まる。
ああ、それな。
まるで今思い出したかのような物言いで、父は続ける。

『お前が”魚人化”の個性を大分コントール出来てきたっつー証拠だ。よかったじゃねえか』
「じゃあお父さんも昔は違う色だったの?」
『ああ。お前と同じような髪色してた』

なるほど。
口ぶり的に、ギャングオルカも私がこうなる事を知っていたのだろう。
稚魚という独特な言い回しも納得できる。

「ねえお父さん。どうして私にメールブルーって名前を付けたの?」

以前つけてもらったコードネーム。
父が私に教えた”青の女性”という意味を持たない事は調べて知っていた。
Mer bleu。
フランス語で、青い海を指す言葉。
なぜ父は私に別の意味を伝えたのだろう。
その真意は何なのだろう。

『そっくりだろ。その色』

声のトーンを下げて、父は静かに言った。
私は窓ガラスに目をやる。
太陽の光を受けて鈍く光る紙からは角度によってさまざまな”青”が見える。
確かに、海という表現は近いかもしれない。

『海は良い。母なる海って言うぐらいだしな』

それで青の女性か。
父のロマンチストな一面を垣間見て、思わず苦笑した。
普通に青い海って言えばいいのに。
昔から父は変なところにこだわりがある。

「じゃあいずれかは青くなるからって理由だったわけね」
『それだけじゃねえよ』

父は1つ間をおいて言った。

『彩海。青ってどんな色か知ってるか?』

抽象的な質問がきて、言葉に詰まった。
どう返せばいいのだろう。父が意図していることがよくわからない。

『じゃあ宿題な。サムシングフォー。これ調べとけ。じゃあな』
「サムシングフォー?」

父は私の声に返事もせず、早々と一方的に電話を切った。
結局何が言いたかったのだろう。
腑に落ちないまま携帯電話をしまい、携えた花束を持ち直して扉の前に立った。

深く長い深呼吸を1回と、リズミカルなノックを2回。
ジンクスのような儀式を終えて扉を開けば、窓から差し込む光が私を照らし出す。

「彩海ちゃん」

おばさんが穏やかな笑顔で私を出迎えてくれた。
私は花束を手渡し、何度も座り慣れた椅子に腰を掛ける。

「仮免試験、合格おめでとう」
「ありがとう。ちょっとギリギリだったけど……」

彼が先に結果を報告していたみたいだ。
おばさんは目を細めて、ゆっくりと目じりを下げた。

「焦凍に聞いてた通り、とても綺麗な青色ね。彩海ちゃんに似合ってるわ」

数日間、あれだけ受け入れられなかった髪色。
おばさんに褒められると悪い気はせず、少し照れ臭くなった。
昔からおばさんは褒め上手だ。
そういうところが魅力的だし、おばさんのような人になりたいと思う。

「ねえおばさん。サムシングフォーって知ってる?」

ふと、先ほどの父との電話の事を思い出した。
そうだ。もしかしたらおばさんは知ってるかもしれない。
昔から博識で、私と彼にわかりやすい言葉でたくさんの事を教えてくれた。
だから私はおばさんに何でも話してしまうし、つい何でも聞いてしまうのだ。

「サムシングフォー?」
「うん。お父さんがね、私にメールブルーってコードネームを付けてくれたの。でね、青ってどんな色なのか知ってるかって。サムシングフォーっていうのを調べたらわかるって言うから……」

私の拙い説明を、おばさんは頷きながら聞いてくれている。
最後まで聞き終えるとにっこりと微笑んで、近くの戸棚からメモとボールペンを取り出した。

「素敵な名前ね、メールブルー。サムシングフォーももちろん、知ってるわよ」
「え?何?」
「サムシングフォーはね。欧米の結婚式の時、花嫁さんが身に付けると幸せになれるっていわれてる4つのもの」
「4つ?」
「ええ」

・Something Old
・Something New
・Something Borrowed
・Something Blue

「……あ」

さらさらと綺麗に書かれていく単語。

"Something Blue"

そのうちの1つに目を引かれ、思わず声を漏らした。
おばさんは優しい手つきで私の髪を撫でる。

「青色って幸せの象徴なのよ。ほら、幸せの青い鳥って言うでしょう?」

幸せ。
人魚という個性を持つ以上、私がずっと縁のないものだと思っていたもの。

「彩海ちゃん、素敵なプレゼントをもらったわね」

おばさんの言葉に、父が伝えようとしてくれていたことを理解した。


“おかあさん……あのね、彩海って人魚だから……みんなをフコウってのにしちゃうんだって……”


幼い頃私が言った言葉。
きっと、父も母もそれを覚えていたのだろう。
だから父はこのコードネームをくれたんだ。
“幸せ”になれるように、してくれたんだ。

「私がこうして楽しい時間を過ごせるのも、彩海ちゃんがいるおかげね」

涙が溢れて止まらなかった。

私はなんてばかなんだろう。
ずっと1人で悩んでいた。
私は人魚だからみんなを不幸にしてしまうんだと。
そして自分も幸せになどなれないとさえ思っていた。
あわよくば消えたいとまで願った。

私はこんなにも多くの人たちに支えられ、愛されているというのに。

「おばさん……ありが、とう……」

彼との関係がまだ修復していない時。
私が歌を歌うことで、おばさんを支えていたと思っていた。
けれど、そうじゃなかった。
おばさんは私を本当の娘のように、暖かく、優しく見守って、たくさんの愛情を注いでくれていた。
おばさんが私に歌を求めてくれたから、コントロールは拙くても歌声の個性を使うことが出来ていた。
おばさんはずっと、私を支えてくれていた。


小さな子供が泣いているかのよう。
ぼろぼろに泣いている私を、おばさんは優しくなだめる様に抱きしめてくれている。

「大好き、だよ」
「私も彩海ちゃんが大好きよ」


私はたくさんの人に愛されている。
おばさんのおかげで大切なことに気づくことができた。

視界の端に入った、海色の青。
今はそれが、とても愛おしく思えた。


Something Blue

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