職場体験も無事に終わり、再び戻った日常。
学校を終えた私は、久しぶりにおばさんの病院に出向いていた。
「あら彩海ちゃん。久しぶりね。今日は彼氏と一緒じゃないの?」
「お久しぶりです。あの子は彼氏じゃなくて、ただの幼馴染で……」
「それにしてはすごく仲がいいように見えたけどね」
言いたいことだけ言って看護師さんは颯爽と去って行った。
都合のいい物言いに、私は思わず苦笑する。
「私はもう、彼の隣にはいられないよ」
私は今日、自分自身に区切りをつけにきた。
おばさんにもう一度会って、それで終わり。
もう轟家の人たちを不幸にさせないために、関わらない様にしようと決めていた。
今までは病院へのお見舞いは私の日課だったのに。
こうして出向くのは、彼とお見舞いに行った日以来だ。
「……おばさん、元気かな」
いつもならすぐに病室へと向かうのに、躊躇してしまう。
私は受付近くのホールのソファに腰掛けた。
こんな自己満足で、またおばさんに顔向けしていいのだろうか。
おばさんをおじさんを――彼を苦しめ続けてきたのは私だ。
もう会わずに、ただ元気になる姿を見守り続ける方がずっといいのではないだろうか。
『人魚の歌声は人々を魅了する――しかしそれは不幸を呼び起こす悪魔の音色だ。』
何度も読んだ本の一文が頭の中をループする。
わかってる。
わかってるんだ。
私はあの人たちの傍に居てはいけない。
「もしかして、奏出彩海さん?」
突然名前を呼ばれ、顔を上げればそこには小さな女の子が隣に腰掛けていた。
歳は小学生ぐらいだろうか。
母親と思われる女性も並んで座っていて、互いに目が合い小さな会釈をした。
「やっぱりそうだ!雄英体育祭みたよ!すごかったね!」
「こ、こらレミ!失礼でしょ!」
レミ、と呼ばれた女の子は小さなピースサインを向けた。
女性は申し訳なさそうに頭を下げながらレミちゃんを制している。
「ありがとう。見ててくれたんだ」
「うん!レミ、お姉ちゃんの歌声聞きたい!」
「え?」
「いつもここで歌ってるでしょ?ねえ、歌ってよ!」
レミちゃんは目を輝かせてこちらを見つめている。
なんて真っ直ぐな瞳だろう。
こんな熱い視線を向けられたら、断れないではないか。
「じゃ、じゃあ……」
"本当にいいのか?この子も不幸にして?"
肯定の返事をしようとした途端。
頭の中で、声が聞こえた気がした。
"この間のネイティブだって、お前の歌声があったから最後まで動けなかったんだろ?"
違う。
あれはヒーロー殺しの個性の影響が強くて。
"本当に?"
"本当にそうだと言い切れか?"
"こんな小さい子まで不幸にするのか?"
「奏出さん……?」
名前を呼ばれ、私は我に返った。
「私からも是非お願いしていいかしら」
「え?」
「レミも私もよくここの病院に来るから、あなたの歌がとても好きなの。とても心が暖かくなる、素敵な歌声だから」
レミちゃんの母親は微笑む。
その笑顔はなんだか、おばさんの笑顔を彷彿させた。
「はい……」
気が付けば承諾の返事をしていた。
ソファから立ち上がり、レミちゃんの手を取る。
「―――………」
私がメロディーを口ずさむと、周囲の人たちの視線が集中した。
静まり返ったホールには私の歌声だけが響いている。
なんでかな。
さっきまであんなに肩が重かったのに、今は嘘みたいに軽い。
そしてなによりも、周りの人たちの表情がとても穏やかだ。
「やっぱりすごい!彩海ちゃん、すごいよ!」
歌い終えると、所々から拍手が聞こえてきた。
周囲の人たちの優しさに触れて、私の胸がなんだかひどく熱くなる。
「噂通り、素敵な方のようですね」
背後から突然聞こえてきた声に、私は思わず振り返った。
そこには見知らぬ男性が1人佇み、小さな花束を手に抱えている。
ラッピングから、私も行きつけだった花屋さんで作ってもらったものだとすぐに分かった。
「とてもいいプレゼントをもらいました。ありがとう」
男性は私に向けて手を差し延ばす。
遠慮がちにその手を取ると、男性は微笑んだ。
私、まだ歌ってていいのかな。
ほらだって。こんなに素敵な笑顔をたくさんもらえたよ。
みんな、とっても幸せそうだよ。
"ダメだ"
頭の中で大きく警報音が鳴り響く。
何かがおかしい。
直感的にそう思った。
心臓の音がどんどん大きくなっていく。
「やっと……」
握る手の力が強まる。
隠されていた笑顔から、狂気が見え隠れした。
背筋に凍りつくほどの悪寒が走る。
「君を手に入れられる……!」
「!!」
一瞬で右腕全体に蔓が絡みつく。
私は咄嗟に男に目がけて水の砲弾を投げかけた。
しかし、蔓があっという間に水分を吸収していく。
「ごちそうさま」
男の両手足から伸びる、大量の蔓は周囲の人たちを襲う。
フロア内は一気に怒号と悲鳴に包まれた。
「僕の個性は蔓(ツル)。水を使っても無駄だよ。全部吸収して、成長に費やすからさ」
確か今年の1年生でも同じ個性がいた気がする。
私とは最悪の相性だ。
下手に個性を使えば、すべて吸収される挙句、男の個性を強化してしまう。
「奏出さんの歌をきかせてくれたお礼に、あなたを含めてたくさんの人たちをゆっくりと傷つけてあげるね」
「!?」
先ほどよりも狂気じみている、男の笑顔。
「自分のせいで関係ない人たちが死んでいく。ヒーローのくせにね!!!」
高らかに響く、男の笑い声。
ごめんなさい、みなさん。
私が歌わなければこんなことにはならなかったのに。
"所詮、お前は自分の運命から抗えないんだ"
頭の中でまた、声が聞こえた気がした。
ill omen
prev|list|next
top