あの紅に揺られる



数時間前に通った道をホグワーツに戻るため折り返す。ホグズミード側にある入口まではアブラクサスさんが送ってくれた。帰り際、よかったら夏休みにはうちにもおいでと言われたので二つ返事で了承して手を振りさようならをする。笑顔を返してくれたアブラクサスさんは今日も紳士的でかっこいいなあと思った。

ホグズミードからホグワーツに続く道は少し薄暗い。わたしはぼんやりヴォルデモートさんといっしょにいた時間について思い返す。


教え方が上手だった。洋服を褒めてくれた。話を聞いてくれた。おいしいアフタヌーンティーセットを食べさせてくれた。

楽しかった。


でもなんだろう、まるで空を掴むような、砂がてのひらからこぼれ落ちるようなそんな感覚がした。ちょっといっしょにいたくらいでは彼について何もわからなった。
いや、そもそも大前提としてわたしは毎晩あの人と話をしているのだ。それでもなにもわかっていない。きょう久しぶりに直接対峙をして、改めて彼はなんだか薄いベール1枚隔てた向こう側にいるような気がした。何かを隠されていると言うより、なんだろう、何かが少し欠落しているような・・・。


(闇の帝王とはそういうものなのか?)



ただ、でも、やっぱり善意で優しくされているわけではない気がした。だからといって悪意があるのかと言われると、それも違うような気がするけど。あの人のことがほんとうにわからない。

まあわたしなんかが理解しようとするなんて、そもそもその時点で間違っているのかもしれないけど、さ。


ホグワーツ側の扉に到着し、コンコンとノックをすると同じ音が返ってきた。ルシウスさんからの、もう出てきても大丈夫だという合図である。
そういう手筈にはなっていたけれど、どうやってわたしの帰宅時間がわかったんだろうとふと考える。ずっとここにいたんだろうか、それとも。

(闇の印で知らされてたりして)


浮かんだ答えにゾッとして、わたしはぶんぶんと頭を振る。そっと扉を開いてホグワーツに到着し、ルシウスさんにお待たせと言った。
いつからここにいたの、とかどうやって帰りの時間がわかったの、とかは。聞く勇気がでなかった。





























「・・・ただいま」


自室について、ふうとため息をついた。
特に何もしなかったけど(いやけっこうしっかり魔法薬学は見てもらったけど)、ちょっと疲れたみたいだ。

皺にならないうちにワンピースを脱がないと。そう思っているのに気力が出なくて、かわいいにゃんこの卿のほうに行きごろごろと撫でてやる。ただいまだよー、と笑うと卿もおかえりと言ってくれているのかぺろりとわたしの手を舐めてくれた。かわいい。


「おかえり」
「っわあ!」

そう癒されていたとき、突然背後から抱きしめられる感覚がする。耳元に響く聞きなれた声に体温のないそれ。誰なんて聞くまでもない相手である。卿も見慣れた光景に気にせず欠伸をして向こうへ行く。


「りどる、」
「おかえりって言ってるんだけど?」
「た、ただいま」
「うん」


慌ててそう返すと腕に込められた力が強くなる。なんだか様子がおかしくて、少し考えながら瞬きしたあと口を開いた。


「し、心配してくれてたの?」
「・・・」


無言は肯定の意だろう。というかまあしていた喧嘩の内容からして火を見るよりも明らかなんだけどさ。



「ご、ごめんね。あの、無理して出て行って」



でも帰ってきたよと努めて明るく言えば、彼は深くため息をついた。




「・・・もう行っちゃだめだよ。とか言っても行くんだろうけどさ」



そう言われて口ごもる。実はすでに夏休みの間にまたお邪魔する約束をしてしまったのだ。さすがにもう学校を抜け出してまで、とは思っていないけれど。



「アオイ。そんなに知りたいことがあるなら全部教えてあげようか」
「え?」

突然の誘いにわたしは目を瞬かせた。リドルが腕の力を緩めてくれたので、慌てて彼に向き直る。
目が合った。でも、ヴォルデモートさんのあの妖しい輝きとは違う。同じ色だというのに。恐ろしいほどに違った。

リドルの瞳は揺れている。


「・・・アイツがなにを考えているのか僕にも正直理解できないんだ。 どうしても知りたいというのなら、ぜんぶ教えてあげるよ」

両の手のひらで顔を包み込まれ、あまりの近さにどきどきする。リドルは睫毛がちょっと信じられないくらい長い。そして、実体化していてもどこか異様な存在感を放つ。本当にここにいる人間ではないのだと、彼を形作るひとつひとつが訴えているようだ。

わたしはごくりと唾を飲む。リドルはゆっくりと瞬きをしている。


リドルがすべてを教えようとしてくれている。それを聞いていいのかわたしはわからなかった。
どうせタイムスリップするんだろう、くらいの予測はついている。でもそれは予測であって確定事項ではない。リドルはなにを教えようと言うんだろう。そもそも彼は、いったいなんなんだろう。わたしがこの世界において唯一知らない存在。わたしと同じ、このハリーポッターの世界においてのイレギュラー。

そう考えたとき、もしかして、と馬鹿みたいな考えが頭に浮かんだ。
わたしはほとんど反射的にその思いつきを口にする。



「・・・ねえリドル」
「うん?」

「あなた、は。わたしがいるからここにいるの?」



この目の前にいるトム・リドルは、わたしというイレギュラーによって発生した異分子なのではないだろうか。それは酷い思い上がりのようで、でも確信している自分もいる。

彼はもしかして本来であればここにいてはいけないものだったのではないだろうか。あってはならない存在。不適切で、不要な存在。そう、わたしと、同じ。


彼は少し目を細めた。



「そうだよ」


リドルの顔が近づく。あ、とわたしが言葉を発する前に額に柔らかい感触が降ってきた。気障な仕草にこんな時でもわたしはうっかり顔を熱くする。
彼はすぐに離れて、離れたかと思えばまた近づいて、ぎゅっとわたしを抱きしめた。また耳元で声が響く。


「僕だけは本当に君に会うために生まれてきたんだ」


その声は穏やかで優しくて。何故だかわたしは胸が苦しくなって彼の背中に手を回し同じように力を込める。

喉がカラカラに乾くような感じがした。


「・・・それがわかればもういいや。昨日は言いすぎてごめんね」



わたしと彼になにがあったのか。リドルがここにいるのはわたしがいるから。わたしのためにリドルが生まれたのだとしたら、それはもう途方も無いことだと思った。
きっと彼の口から事の顛末を聞くだけでは混乱して飲み込めなくなるだろう。わたしはこの世界の未来を知っているからこそわかる、未来を知るというのは恐ろしいことなんだ。まるでそれが世界の正しい形のような、正解のような気がしてしまうから身動きが取れなくなる。

わたしは実はいまこの時ですら怖くてたまらない。こんなに毎日一緒にいるジェームズを見殺しにしてしまうのではないかと。シリウス、ピーター、リーマスの死を当然のものとして受け入れてしまうのではないかと。そしてヴォルデモートさんの死も黙って見届けるのではないのかと。それが正しい形だと、抗うことすらせず傍観してしまうのではないのかと。

もうこれ以上知識は増やしたくないと思った。咄嗟の時にがんじがらめになって身動きが取れなくなりそうで。



「そろそろ着替えて出ようかな、晩御飯の時間だし」

わたしはこれ以上思考を続けるのが怖くなって、振り払うように明るい声を出す。おなかすいた、と間抜けに言うとリドルの力が弱まった。


「ね、リドル」


離してとは言えなくてただそう名前を呼ぶと、彼はそっとわたしの髪を撫でる。すうっと梳くようにされるのが少し気持ちよくて目を細めると、リドルはわたしを抱きしめたまま一度だけ頷いて離れた。


リドルには体温がない。抱きしめられていても特に何も感じない。でも彼が離れたとき、たしかに温度が下がったような気がして少しだけ寂しくなった。



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