02
ショートケーキがすきだったのに、どれを食べてもこれじゃないと思うようになった。
学校に気になる人がいたはずなのに、このひとじゃないと思うようになった。
大人になっていいなと思う人が現れても、いつもすぐになんだか違うとなってしまう。
なぜかいつも、大切な何かを忘れてしまっているような焦燥感に駆られている。
高校生、十六歳のある日。わたしは交通事故に遭って、一週間ほど眠りこけていた。たったの一週間、別に何があったわけでもないというのに·····わたしはそれからずっと、心の中に大きな空洞を抱えている。
医者はそれを「事故の後遺症ですね」と言ったけれど、十年経ってもその後遺症とやらは治らないものなのだろうか。どうして、どうして。こんなにも毎日息が苦しい。
「っはーーーーーー今日も疲れた・・・」
一人暮らしのマンションの扉を開け、ため息をつきながら中に入り靴を脱ぐ。重たい通勤用のカバンを早速投げ出したいのを堪え、テキトーに買ったコンビニ弁当と共にリビングまで運んだ。ここのところ残業続きで体はもうくったくた、しかも今日は休日出勤までさせられてしまった。
ようやく明日は休みだけれど、つい最近彼氏に振られたので予定もなくなったし·····いやまあ忙しくて滅多に会えてなかったし、いなくなったところでたいした問題じゃないんだけどさあ。なんなら会社の先輩のほうが好みなまである。でもあんなに熱心にアプローチしてくれたから付き合ったんじゃん?どうせ他にいい子ができたんでしょ?ほんと男ってのは信用ならない。タンスの角に足の小指をぶつけてほしい。
呪いの言葉を脳みそで連ねながらカバンを所定の位置に放り投げ、お弁当をいったん机に置いてわたしは手を洗うために洗面所へ向かう。鏡には非常に疲れきってなんだか老けた自分が写っていてげんなりした。いやまだ二十六歳なのにな·····まじか・・・。
現実から目を背けるように手洗いうがいをし、タオルで拭いて洗面所から出る。早く楽になりたくて歩きながら服を脱いだ。とっとと部屋着に着替えたい。このままじゃいい加減女としてヤバいと奮起して買ったルームウェアはまあまあ値段も張るだけあって肌触りがいい。正直もう着れたらなんでもいいんだけど、こういうかわいいやつ持ってないと男ウケも悪いもんねー・・・って最近振られたんだった酒飲も〜!
雑に部屋着を被って、お弁当をレンジに入れる。確か彼氏·····いや元彼と飲もうと思って買っていたチューハイがあったはずだ、と冷蔵庫を開けて目当てのものを掴んだ。お弁当が温まるのを待つまでのあいだ、いつもの習慣でスマホを握る。SNSのタイムラインはどんな時間でもそれなりに人がいるのでいい。どうやらみんな何かの特番について盛り上がっているようだったけれど、今から見たところで話なんてわからないだろうしそもそもテレビをつけることすら億劫だったのでわたしはだらだらとスマホを弄り続けた。レンジがチンと軽快な音を立ててお仕事を終えたことを教えてくれる。
あたたかくなったお弁当からは食欲のそそるいいにおいがした。とはいえ最近コンビニごはん続きなのでテンションは上がらないのだけれど。明日は久しぶりに自炊でもしようかなあ、と思ったけれどどうせ明日になったらしないこともわかっている。ああ、なんだかほんと、やんなっちゃうなあ。
テーブルについて弁当箱の外装を剥いで蓋を取り、プシュッと音を立てて缶を開く。いただきます、と呟いた後ひとくちチューハイを口に含んだ。甘ったるい味が口いっぱいに広がる。疲れたなあ、と思った。
「はーーーーーー」
最近のコンビニ弁当はおいしいけれど、味気ない。どれも似たような味がする。端的に言えば飽きた。もうちょっと仕事が落ち着いたら楽になるのかなあ。なんかでも、気づけばずっと、不幸みたいな気がする。
そんなことを思いながらスマホ片手に食事を続ける。行儀が悪いとわかっているけど咎めるひともいない。バズったしょうもない他人の投稿にクスッと笑っては虚しくなった。ああ、わたしはどこかで何かを間違えてしまったのだろうか。なんか絶対バリバリ稼いで自立した女にならなきゃ!という強迫観念みたいなものにいつからか取り憑かれてしまって、完全にいまではただの社畜に成り下がっている。
はあ、と再度ため息をつきながらコロッケを箸で掴み、画面をスクロールしようと親指を動かす。·····そんなとき、だった。
「・・・えっ?」
視界の右端が急に明るくなる。なに、と反射的にそちらを見ると同時にその眩しさが増して目を開けていられなくなった。なに!?電気か何か故障した!?
わけがわからないでいるもすぐにその光は落ち着いて、瞼を持ち上げられるようになったのでわたしはおそるおそる発光源に目をやった。そして飛び上がる。
「っな・・・!」
衝撃のあまり声がでない。·····見知らぬ男の人が、わたしに背を向けて倒れているのだ。うちのベッド横のカーペットの上で。しかも、髪の毛が、緑!!!!!!!!
なに!?泥棒!?と一瞬思ったがその緑髪の男の人はぴくりとも動かない。エッ死んでる・・・?どうしよ、っていうかさっきの光なに!?!?!?
わたしはコンビニ弁当を前に椅子に座ったまま動けずにいたのだが、さすがにこの1LDKにわたしと見知らぬ男の人(緑髪)(倒れてる)(光とともに現れた)は放っておけない。えっどうしようなんか武器になるもの持って起こした方がいい·····?傘?ナイフ?いや返り討ちにあったらどうしよ·····っていうかそれより先に警察!?!?
どうしたものか考えているうちに時間は流れるしお弁当も冷めていく。とりあえずこのままではいられないのでわたしはおそるおそる立ち上がり、抜き足差し足忍び足でその男の人のほうまで近づいた。もちろん何かあった時にすぐかけられるよう携帯は通話画面にして110をセットしている。いやていうかほんとなんで髪の毛緑なの?最近こんな色流行ってるの?・・・っていうかこれよく見たら地毛じゃない!?生え際も緑だよね!!!ってそもそもこのひと肌も白いんですけど!!!外国の人!?!?えっ地毛が緑になる遺伝子って他国には存在するんですか!?!?!?しないよね!?!?!?
混乱のあまりやたらと髪色にこだわってしまったわたしは、勇気をだしておそるおそるその男の人の顔を覗き込んだ。そして、息を飲む。
「·····やっと・・・」
・・・え???????????????
意思に反して飛び出た言葉、動いた唇にわたしはドン引いた。やっと?????やっと何?????いやいやいやいやなにこのシチュエーション待ち望んだみたいになってんの?????キャパオーバーで脳みそ狂ったか?????意味わかんない、と頭を掻いて改めてその人を見る。そしてものすごいことに気づいてしまった。
「せ、制服着てるじゃん·····」
な、なに???学生さんなの?????えっでっか·····180センチくらいありそうなんだけど・・・あと顔にクローバーの模様入ってるのこれなに?化粧???最近の若い子の流行りなの·····?
しかし学生だということがわかり幾分警戒心が落ち着いた。そもそもこのひとめちゃめちゃ寝てるし·····眼鏡かけたまま寝てるけど大丈夫なのかな·····っていうかすご、よく見たらこのコめちゃめちゃかっこいいじゃん·····。なんなのいったい、なんかもうこの世のものとは思えな・・・・。ん?
(もしかして異世界から来てたりして)
ふと思いついたその言葉に自分でバカバカしくて笑ってしまう。いやさすがにそれはいい歳してマンガの読みすぎだって。まあ最近仕事が忙しすぎてろくに何も追えてないけどさ·····。でもふと頭に浮かんだそれは、考えれば考えるほど現実味を帯びてきた。いやだって、なんかすごい光とともに突然現れたし。髪、緑だし。たぶん外国のひとだし。めちゃめちゃかっこいいし。めちゃめちゃかっこいいし!!!
「うーん・・・」
とりあえずわたしは声をかけてみることにした。警察に連絡、となってもいまの状況を説明して理解してもらえる気もしないので。
「·····あの、もしもし。もしもーし。すみません君、聞こえますかー?」
「ん・・・」
立ったまま声をかけるとそのひとは身動ぎして眉をよせた。うわ色っぽー·····本当に学生なのか?これ・・・。とりあえずわたしはしゃがんで、そのひとの腕をとんとん、と叩いてみる。
「あの、君ー。すみません、起きれますかー?」
「ん・・・。ん〜·····?」
「あ、あの〜。すみません、大丈夫ですー?」
起きそう、と思って少し強めにそのひとの腕を叩いてみる。すると彼はゆっくりとその瞼を持ち上げた。眼鏡の奥で、からし色の瞳がぼんやりとしている。
「あ、起きた·····。あの、大丈夫?」
「・・・ユウ·····?」
「え?」
からし色の瞳に暗めの黄緑色をした髪を持つ青年は、どこか焦点の定まっていない目でわたしを見て何かを呟いた。それがうまく聞き取れなくて、えっこのひと日本語通じなかったりする?大丈夫?と心の中で心配した途端。ガバッ!と勢いよくその人は起き上がった。
「っうわあ!?」
「は、わ、悪かった!!!驚かせて·····」
「あっよかった日本語通じるんだね」
「えっ?」
それにびっくりして尻もちをついたわたしに彼は慌てたように手を伸ばす。しかしわたしの言葉を聞いて、驚いたように固まった。
「はじめまして。えっと·····君、どうやってきたのかな?大丈夫?強盗·····とかじゃないよね·····?」
そう言うと彼は何故かショックを受けたように瞳を揺らし、一瞬唇を噛んだ後笑顔を作った。・・・なんだかまるで、泣いてしまいそうだと思った。
「・・・?どうし、」
「はじめまして。俺はトレイ・クローバー。ナイトレイブンカレッジに通う三年生で、魔法の実験中にここにたどり着いたみたいなんだが·····ここは君の家かな?」
どうしたの、と尋ねようとするとなんだかまるで用意していたセリフを喋るかのように彼はつらつらと自己紹介をした。トレイ・クローバー・・・?何故かその名前に引っ掛かりを感じつつも、それ以上に彼の口から飛び出たとんでもないセリフにわたしの思考は奪われる。ま、魔法·····?
「いま、魔法って言った·····?」
「ん?ああ。·····そうか、ここは魔法のない世界か」
「ないっていうか·····あの、えっと」
なに言ってんのこの男の子!!!わたしはどうツッコミを入れたらいいのかわからなくて口ごもってしまう。ま、魔法?この科学の時代に、魔法!?いやでも確かに謎の光に包まれてやってきたし、地毛が緑だし、魔法、魔法・・・。
わたしが混乱していると、トレイ・クローバーと名乗ったその男の子はにこりと笑った後胸に差していたキラキラ光る宝石のようなものがついたペンを手にした。
「ああ。まあ説明するより実際にやって見せた方が早いか·····ん?食事中だったのか」
「え、あ、はい」
「ちょうどいい。その弁当で実演しよう·····君、好きな食べ物は?」
「す、好きな食べ物?えっと·····なんだろ」
そう言われても咄嗟に浮かばない。わたしがもごもごしているうちにトレイくんは立ち上がりテーブルの方へと進んだのでわたしもそれに続く。なにこの子すご、めっちゃ強引じゃない!?驚きながらも好きな食べ物を決めかねていると、彼はまたなんだかなんとも言えない目でわたしを見た。なんなの!?
「じゃあこのフライの下敷きになっているパスタの種類を変えよう。カルボナーラは好きか?」
「え、う、うん·····」
完全にこの子のペースである。勢いに呑まれたわたしがこくんと頷くと、彼は何か不思議な呪文を唱えてペンを振った。どぅ、どぅーどぅる·····?
「ほら、召し上がれ」
「えっいま何したの!?」
「いいから」
特に光ったりもなければ、パスタの見た目も変わっていない。本当にこれに魔法がかかっていると?からかわれているのでは???しかしなぜだかこの男の子相手だと逆らえない。なんなんだこの感覚。でもどうしてか、妙に懐かしい気もするような·····。
なんて考えながらわたしは彼に促されるままにそのパスタを口にした。そして目を見開く。
「えっカルボナーラだ!!!」
「だろ?」
「カルボナーラじゃん!!!」
「うん」
「えっすご!!!ほんとに!?本当にあなた魔法使いなの!?すごっ!!!」
「ははっ、だからさっきから言ってるじゃないか」
トレイくんはそうやって少し呆れたように笑う。心臓がとくん、と跳ねるのがわかった。・・・いやいやいやいくらイケメンだからってこんな突然部屋に現れた不審な人物にときめくなよ自分!!!彼氏に振られた直後で冷静さを欠いてるのか!?
とりあえず落ち着こうともう一口食べるとやっぱりカルボナーラになってた。見た目はケチャップ味のナポリタンもどきのままなのに。えーーーなにこれすごい、面白い。
「気に入ったか?」
「う、うん」
「それはよかった。·····なあ、いきなりこんな形で現れて非常に言い出しにくいんだが」
「?」
トレイくんはそう言いながらゆっくりと唇を動かす。その言葉の続きを待ちながら首を傾げていると、彼は衝撃的な言葉をわたしに言ってのけた。
「よかったらここに住ませてくれないか?」
「は?」
「おそらく二週間で·····元の世界に、戻るから」
そう言ってトレイくんはからし色の瞳をわたしに向ける。·····なぜ、この目を見ると。頷きたくなってしまうんだろう。とんでもないことを言われているのに。
「え·····っと。な、なんで?」
「この世界に身よりも頼れるあてもなくてな。今は君だけが頼りというか」
「で、でも·····だからって、急にそんな、えっ」
「置いてもらっているあいだは家事もするし、絶対君に迷惑はかけないと誓う。だめか?」
いやだめに決まってるでしょ。冷静な自分はそう心の中で叫んでいるのに、どうしてか彼の頼みを無碍にできない自分がいる。・・・どうしてだろう、なんかこの子、ほんとうに初めて会ったような気がしないというか、なんというか·····。
「や、えっと、あの·····君とわたしいま初めて会ったんだよ?あのね、ほら、わたし悪い人間かもしれないでしょ、だから」
「そんなことないさ。わかるよ」
「わ、わたしの名前も知らないのに?」
「ああ」
そう言ってトレイくんはにっこりと笑う。そのあとなんだかとても優しい目でわたしを見た。
「自分が悪い人かもしれない、って言うくせに。俺のことは悪い人だと思わないんだな」
「っえ?え・・・あ、」
言われて初めて気づく。·····たしかに、彼が悪い人だと、思えない。どうして?どうして・・・どうしてなんだろう。困惑していると彼は座るわたしの元で屈み、そっとわたしの手を取って言った。
「一緒にいさせてくれないか?頼むから」
「え・・・っと」
「もしもいいなら、もう一度。君の名前を教えてくれ」
もう一度?わたしはその言葉にまた何か引っ掛かりを感じつつも、まるでそれ以外の選択肢はないかのようにトレイくんに自らの名前を教えていた。
そうしてわたしとトレイくんの、二週間の同居生活が始まることになる。
「とりあえず、わたしは仕事で疲れたのでシャワーを浴びようと思ってたんだけど·····っていうかトレイくん、お腹すいてない?」
いまひとつ状況は飲み込めていないが、いっしょに住むことが決まってしまったのでとりあえずそれを前提に今日からどうやって過ごしていくかについて考えないといけない。正直疲労であんまり頭が回らないんだけどとりあえず切り出してみた。するとトレイくんは愛想良く笑う。
「ああ、さっき食べたところだから大丈夫だよ」
「ならいいんだけど、とりあえず冷凍庫の中に冷凍食品ならあるからもしお腹すいたら食べてね。·····えっあれ、冷蔵庫とか電子レンジとかわかる?大丈夫?」
「問題ない。魔法の有無以外はどうやら似通ってるようだな、異国感はあるが」
「へー」
トレイくんのいた世界ってどんな感じだったんだろう。ちょっと気になる、また今度いろいろ教えてもらおう。·····でもとりあえずは目先の生活についていろいろ考えないと。
「そういえばトレイくんずっとその制服だと疲れちゃうよね?明日わたし仕事休みだからそこで一緒にいろいろ買いに行くとして·····問題は今日だなあ・・・あ、元彼の服でよかったら着る?」
「え゙」
「あ、やっぱそういうのいやか·····うーん、洗濯してるやつではあるんだけど·····どうしよ、コンビニにでも買いに·····って売ってるのかなあ」
下着くらいならあるだろうけど、と考えているとトレイくんがなんだか非常に狼狽えながら聞いてきた。えっ異世界に来た時はわりと冷静だったのにここでそんな焦る?
「そ、それより元彼·····っていうか、か、彼氏とかいたのか·····?」
「え、そんな枯れてるように見える·····?さすがに26歳なのでそれなりにいるけど」
「26!?」
かわいい部屋着でもこの干物女感はごまかせなかったのかしら·····と少し凹んでいるとトレイくんが素っ頓狂な声を上げた。え、に、26に見えない!?残業続きで疲れきって老けてる!?!?!?
「26·····十年か・・・」
「え、なに?十年?」
「ああいやこっちの話だ。東洋人は若く見えるっていうのは本当だな」
「あっ若見えのほうか!ならよかった!残業続きで最近ほんとヤバいからもっと上に見られたのかと思った·····っていうかトレイくんはいくつなの?」
「18だ」
「わっか!!!!!」
こんな大人っぽい18歳がいてたまるかよ!と思いながらもとりあえず自分が老けて見えていなかったことにほっとする。たしかにトレイくんからしたら東洋人が若く見えるのも仕方ないのかも·····わたしが18のときなんてもっとちんちくりんだったもんな·····。なんて考えているとトレイくんが心配するようにわたしを見てきた。いや改めて並んで立つと君ほんと背が高いしスタイルいいな、モデルか?
「コンビニ弁当を食べてるあたりでもしかしてとは思ったんだが、そんなに仕事大変なのか?」
「大変。まじ大変、社畜。あしたほんと待ちに待った休日なの、今日も休日出勤でさ·····」
「それは・・・」
おつかれさま、とトレイくんが優しく声をかけてくれる。ああ、このひとの声。なんかすごく落ち着くな·····なんだろう、懐かしいっていうか。不思議だ。
「さっきも言ったけど、俺がいる間は家事全部するから。晩ごはんも作るし、君さえよければ弁当も作る」
「えっトレイくんそんな料理できんの!?ってか家事するって本気のやつ?住居ほしさにとりあえず言ったもんだとばかり」
「通っているのが全寮制の学校だからそれなりにな。それに実家がケーキ屋で両親が忙しかったから長男の俺が夕食を作ってたんだよ」
「えっすご·····最強じゃん、モテるでしょ·····」
「それがあいにく男子校でな」
「ひぇええ!!!もったいなーーーーーい!!!」
びっくりしすぎて騒ぐとトレイくんは大げさだなあと笑う。自分が学生のときにこんな子いたら絶対好きになってるのになあ·····いや高嶺の花すぎて見てるだけになるだろうけど。
なんて考えていると、トレイくんは少し黙り込んでからゆっくり口を開いた。
「さっき元彼って言ってたけど·····服がまだあるってことは、もしかして引きずってるとか?」
気まずそうながらも単刀直入にそう言われてわたしは目をぱちくりさせる。すごいな若いって。初対面の妙齢の女にわたしなら絶対聞けないぞ。まあでも別に隠すことでもないしわたしは普通に答える。
「いやそうじゃなくてまじで最近別れたの。送り返すか捨てるか悩んでて、この休みで全部捨てようと思ってただけ。別に引きずってないよ、振られたけど」
「そ、そう·····なのか」
「うん。なんかいつもあんまり長続きしないんだよねえ、ほんとに好かれてる気がしないとか言われちゃって。まあ確かにあんまり恋愛とか興味無いんだけど·····愛情表現も特にしないし」
「えっ?」
「え、なに」
「あ、いや·····」
ため息混じりにそう言うとトレイくんは不思議に目を丸くしてわたしのほうをじっと見る。・・・なんかこの子、挙動が変わってるよな〜。まあ異世界人だしな?そう思っていたらトレイくんはなんだかもごもごしながら答えた。
「なんとなくその·····ちゃんと好意を伝えそうなタイプに見えるのにな、と思って」
「え、告白とか?」
「いや、それはともかくとして·····付き合ったら相手に尽くしたり、何かしてもらったらとびきり喜んだりしそうだな、と」
「ええ?そんなかわいい女に見える〜?ま、そう言ってもらえるのは嬉しいけどね」
なんだかんだ18歳、女に夢を見がちなのだろうか。それはそれでかわいいけれど、残念ながら現実はそんなに甘くないのである。
「·····っと、話し込んじゃった。とりあえずコンビニに買い物いこっか、最悪部屋着はなくても下着はいるだろうし」
「あ、ああ。ありがとう」
「あっでも髪の色緑はさすがにちょっと目立つかな·····帽子かなんか被る·····?まあ他人のことなんてそんなみんな気にしないかなあ·····」
「少しの間髪色を変えるくらいなら魔法でできるぞ?」
「えっほんと?すっご」
驚いているとトレイくんはまた万年筆を振った。髪の色が自然な黒になったので、目を瞬かせる。・・・うーん、しかし。
「どうした?じろじろ見て。似合わないか?」
「いや似合う、めっちゃ似合うんだけど·····なんかしっくりこないというか」
「はは、まあ地毛じゃないからな」
「そう·····だよね。でも·····」
「・・・緑のままのほうがいいなら戻そうか?どちらにしろ顔立ちが違うから黒髪でも目立つだろ」
「そうだね、そう·····しよっかあ」
そう言うとトレイくんがペンを振って髪色を戻してくれた。ああこれだ、としっくりくる。·····いやでも出会って間もないのに、どうしてこんなにも違和感を覚えたんだろう。なんだかまるで、昔から知っているみたいな・・・。
考え込んでいるとからし色の瞳に見下ろされてドキッとしてしまう。いやいや、別れたところだからってさっきからなにこんな年の離れた男の子にドキドキしてるんだわたしは·····。だけれどこの目に捉えられた自分になぜだか既視感のようなものを覚えた。・・・デジャブって疲れてるときになる脳みそのバグだっていうよね。コンビニ行ってシャワー浴びたら早めに寝よう·····他人がいて寝れるのか謎だけど。
うちからそう遠くないコンビニまでの道のりは、わたしのしている仕事の内容を話したりトレイくんの通っている学校について聞いたりしながら歩いた。魔法のある世界というのがいまひとつ想像つかなかったのだけれど、どうやら案外この世界と変わらないらしい。魔法も万能じゃなく、使えば使うだけ力を消費してしまうとかしっかり理論を押さえて勉強しないと使えないだとか。普通に教養として一般のひと(その世界にいるからって全員が全員魔法を使える訳ではないらしい)が勉強するカリキュラムも学ばないといけないんだって。なかなか大変である。
「魔法かー。すごいなー、わたしも使えたらいいのに」
「何かしてみたいことでもあるのか?」
「うーん。ベタだけど空とか飛んでみたいな〜。あと家事も瞬殺できたらいいなあ」
「家事とかはけっこう複雑だし、連続して行う動作が多いからなあ。魔法を使っても案外時間はかかるぞ」
「えーそうなんだ。残念」
もしも魔法が使えたら、を本当の魔法使いと話すのは楽しい。他にはどんな魔法を使いたいかな、と考えながらふと空を見上げる。少ないながらも星はちかちかと瞬いていて、半月がぽかんと浮かんでいた。綺麗だ。
「他には?」
「他かあ。うーん·····あ、十年前にちょっと戻ってみたいかも!」
「! ・・・どうしてまた」
ふと思いついて軽くそう答えるとトレイくんは目を見開いたあとなんだか真剣そうな顔をして聞いてきた。あ、いや。そんなちゃんと聞いてもらうような話でもないんだけど。
「わたし十年前に交通事故に遭って一週間くらい意識不明の重体だったらしいのよ」
「!」
「別に体は問題ないんだけど、なーんかそれからずっと何か大事なことを忘れてるみたいな·····何かが足りてないような焦燥感?虚無感?みたいなのがあってね・・・医者は事故の後遺症だって言うんだけど、どうにもしっくりこなくて。昔に戻ったら何かわからないかなって」
「・・・」
「でも昔に戻るなんて大変かな?あ、いやでもトレイくんは異世界に来てるわけだしできるのかなあ。それとも異世界って案外簡単に来れるの?」
響きだけ聞くとめちゃめちゃ大変そうな気がするけど。そう思いながらトレイくんを見上げると、彼は苦笑したあと遠くの方を見ながら言った。
「そりゃなかなか大変さ。数えきれないくらい失敗してやっと来れたんだ」
「わ、そうだったんだ·····頑張ったんだね。そんなにしてまで来たかったの?」
「ああ。約束したからな」
「約束?」
聞き返すとトレイくんはなんだか少し寂しげに笑った。・・・その笑顔に胸がぎゅっとなってしまう。そんな顔で、笑わないでほしい。
「ああ。まあほとんど無理やりみたいなものだったかんだけどな」
「ふうん·····?」
どういうことだろう、と探るようにトレイくんを見たけれど彼はこの話はここでおしまいとばかりに笑顔を作ったあと「それより、」と話題を変えた。話の内容はわたしの仕事内容に戻る。こんなしょうもない話、と思ったけれどわたしが異世界の話を気になるようにトレイくんも気になるのかもしれないな、と思い直して答えてあげた。時折彼が切なげにわたしのことを見ていたなんて知らないまま、それはもう、呑気に。
「もしかしてこの世界、通過が違うのか·····!?」
ふたりでコンビニに入って、かわいいキャラクターの一番くじをやってるのを見てわたしが「700円か〜一回だけやっちゃおうかなあ」と口に出したときトレイくんが真っ青な顔をして立ち止まった。
「ん、トレイくんの世界は何なの?」
「・・・マドルだ。異世界に来ても暮らして行けるようそれなりに用意して来たんだが」
「あら·····残念ながらここは円だね。まあもともと異世界の子の面倒見るってなった時点でお金はぜんぶわたしが払うつもりだったから気にしないで」
「そ、それはさすがに·····!」
「残業続きでろくに遊びにもいけなくてお金ならまあまああるから気にしなくていいよ。っていうかトレイくんがお金持ってたとしても学生に払わせらんないから気にしないでお姉さんに頼りなさい」
「お、お姉さん・・・」
トレイくんがなんだか口元をひくひくさせている。そんなに気にしなくてもいいのになあ。長男だから甘え慣れてないのかもね。
「この棚のほう日用品だから歯ブラシとか洗顔とか肌着とか必要なものカゴに入れといで。·····あ、あれだったらプリペイドカード渡しとこうかなあ気を使うだろうし。たぶんチャージ足りてるからどうぞ」
「な・・・何から何まで本当にすまない・・・」
「いいよ〜。じゃあわたし向こうのお菓子とか見とくね。あ、明日トーストで大丈夫?菓子パンがよかったら買うけど」
「なんでも大丈夫です・・・」
「あはは、突然敬語になった」
背が高くてすらっとしているトレイくんがどんどん小さくなっていく。それがなんだかおかしくて可愛くて彼らしくなくて、ちょっと笑ってしまった。
結局部屋着はなかったので歯ブラシや肌着エトセトラを買って帰り、トレイくんも観念したかのように元彼のスウェットを着た。やっぱり少し嫌そうだったけど、「スタイルいいと何着ても似合うね、元彼の服と思えない·····」と呟いたらちょっと嬉しそうだったのでかわいい。それから先にシャワーを浴び、トレイくんがシャワーを浴びてる間にぬるくなったチューハイを飲み干し、その日は眠りについた。わたしはベッド、トレイくんはソファである。
どうやらこの世界に飛んでくる前トレイくんの世界はまだ夕方くらいだったらしい。時差ボケもあってまったく眠くなさそうなトレイくんを横目に、わたしはもう本当に疲れていたしお酒も入っているのでソッコーで寝た。暇だったらそのへんの漫画読んだりテレビ見たり買っといたお菓子とかおにぎり食べてね、とだけ言って。初対面の男がいるのに我ながら神経が図太すぎる。でもなんかトレイくん相手に警戒心がわかないんだよなあ。
「おやすみ」とトレイくんに言われると、なんだか心の空洞が少し埋められたような気がした。あしたが久しぶりの休みだからというのもあるのだろうか?いつもならダラダラとベッドの中で携帯を触ってしまうのに、きょうは本当に久しぶりに満ち足りた気持ちで眠りに落ちた。
明日はトレイくんのお洋服を買いに行こう。ついでにこのあたりについていろいろ教えてあげたいな。なんの縁か時空を超えて出会ってしまったんだ。せっかくならたくさん楽しいことをしてあげたい。せっかく・・・そう、せっかく・・・・・来てくれ・・・・・たんだから・・・・・・・・。