04



「じゃ、いってきまーす!今日晩ごはんいらないからよかったらトレイくんもたまには外で何か食べておいでね。ごめんね一人にして」
「ああ、気にせず飲み会楽しんでおいで。居酒屋ここから近いんだろ?」
「うん、だからたぶん友達と帰ってくると思うし心配しないで〜!じゃあ行ってきます」
「いってらっしゃい」

あれからいくつか日にちが経過し、今日は待ちに待った休前日。高校時代の友達グループで飲みに行く日だった。残業は免れないものの業後にはなるべく予定を入れず、毎日早めに帰るようにしていたけれど·····今日の予定はずいぶん前からスケジュールを合わせて店を予約していたものなのでずらせない。それになにより、今日の内容は特別だ。友達がプロポーズされて、婚約したから。みんなでそれをお祝いするのだ。

いつも通り玄関先でトレイくんにお弁当箱を渡されてありがたく受け取り、わたしは笑顔で外に出る。トレイくんはわたしが角を曲がるまで見送ってくれるから、いつとそこで振り返って手を振った。
好きになってしまったかもしれないと思った日から三日経った。だからといってわたしは十六歳の子供ではないし、普通に大人としてそんな感情に蓋をしてトレイくんとの期限付きの同居生活を続けている。

別に彼に思いを告げようとも思わない。告げたところでなんにもならないし、困らせるだけだからだ。それにわたしは歳を重ねた分知っている。大概の恋愛は時が経てば風化すると。
わたしと彼は、偶然たまたま長い人生の一瞬すれ違ってしまっただけ。異世界に来た時に住居を提供してくれたお姉さんとして、時々思い出してもらえたらいいなと思う。まあめちゃめちゃ家事をやってもらっているのでこう、住居を与えているというか最高のお手伝いさんが二十四時間家にいてくれているという感じなんだけど·····。


(もうすぐいなくなってしまうのかあ)

寂しい。寂しいな。
たった数日いっしょに過ごしただけなのに、なんだかもうトレイくんがいない人生に希望が持てない。













「「「婚約おめでとう〜!!!!!」」」
「わーーーーっありがとう!!!」

あのあと普通に仕事に向かい、若干残業はしたもののなんとか待ち合わせには間に合う時間に店に到着し、久しぶりに会うメンバーでキャッキャと楽しみながらおいしいごはんをつついてお酒を飲んだ。こうやって話しているとまるで高校のときに戻ったかのようである。十年って本当にあっという間だ。みんな変わらなくて安心したけれど、わたし以外全員彼氏ができていたのでいたたまれなくなりうっかり酒を飲むスピードは上がってしまった。
ひとしきりお祝いをし、みんなの近況を聞いたあとはどうしても男に振られたばかりの哀れなわたし(まあいまはトレイくんが家にいて気が紛れてるんだけど)の話になるしね·····!

「で、結局ユウはどんなひとがいいの?なんだかんだいっつも長続きしないよね」
「痛いとこつかないでよ〜。えーどんなひとだろ、もうなんかわかんないよ〜」
「あんま恋愛とか興味無いって感じだもんね。中学の頃まではどっちかというと惚れっぽい子だった気がすんのに」
「えーそうだったっけ」

仲良しグループのうちのひとり、中学からの腐れ縁の子にそう言われてわたしはごくりとハイボールを飲む。いやこのハイボールちょっと濃すぎない?ウィスキー入れすぎじゃない?もうけっこう酒飲んだから酔ってきてるんだけどな??そう思いながらも話すと喉が乾くのでなんだかんだで飲んでしまう。

「でもたしかに付き合うひとのタイプにも一貫性ないよね。言い寄られたからなんとなく付き合ってそのうち別れる、みたいな」
「おーおーなんだなんだ全員彼氏持ちだからってカウンセリングか?荒れるぞお前らほんとわたしの分まで幸せでいろよ」
「いいやつかよ」

あはは、と笑いながらまた一口飲む。なんだか頭がふわふわしてきた。別に彼氏なんていなくても友達がいれば楽しい。·····いやでもこの中からひとり結婚するんだよな。ひとり出ると続くってよく言うよね。全員結婚したらわたし飲んでくれる相手いなくなったりする?それはつらい。無理。

「まあアンタは仕事バリバリやってんの似合うからねえ」
「こんなに毎日弊社燃えろって思ってんのに?」
「逆に尽くしてくれる子は?もういっそ若い男でも囲っちゃえば·····」
「げほ!!!げほっ!!!!!」
「え・・・・」

なーんて、とからかい半分で言ってくる友達に現在思い当たる節しかないわたしは盛大にむせた。怪しさ満点のわたしの態度を見て、友人たちがサーッと引いていくのを感じる。

「えっまじ?囲ってんの若い男」
「ねえちょっと写真ないの?囲いたいレベルの男見たいんだけど」
「囲ってない!えっと、その·····し、親戚がいまうちにちょっとの間住んでるだけ」
「ほんと?なんかそれだけじゃなさそうな気がするんだけどアンタ見てると」
「ほんとほんとほんと!!!」

嘘だけど!わたしは誤魔化すためにごくごくと酒を煽る。ほんとかなー、と友人たちが目線を合わせているのが気まずい。その中でもいちばんタチの悪い友達が「大丈夫?ノーセックス?」とか言ってきたのでまたむせた。いくらなんでも8個下とセックスなんかできるか!!!犯罪だわ!!!!!

「ヤるわけないでしょ!ちょっとトイレ行ってくる!」
「ハイハイ気をつけ·····うわっ!?」
「はへっ!!!!!」

残り少しだったハイボールを飲みきって、そう宣言し立ち上がった·····瞬間だった。ぐらり。視界が大きく揺れる。

「ちょっとちょっと大丈夫ー!?」
「立って酒回ったか」
「けっこう飲んでたもんねー。大丈夫?吐きそうとかある?」
「・・・は、吐かない·····吐かないけど情けない、無念・・・拙者切腹いたす·····」
「馬鹿なこと言ってないの!店員さん水くださーい」

そして水を飲ませてもらい、友達に肩を借りて御手洗へ向かう。ウッ·····いい歳して情けない、死にたい·····飲みすぎたぐらぐらする・・・。気持ち悪いの領域にまではまだ達していないものの、視界が回ってしんどい。昔はもっと飲めてたはずなのに最近疲れと老いでどんどん酒に弱くなってる·····。

情けない、と思いながらたどり着いたトイレの個室の便座に座って顔を手で覆うわたしは知らない。テーブルの上に置きっぱなしだったスマホに「大丈夫か?帰りキツかったら迎えに行くから」とトレイくんからメッセージがきていることを。そしてそれを見た友人たちが「ノーセックスの男じゃない?」と盛り上がってしまったことを。そしてそしてわたしがべらぼうに酔っているのですぐ迎えに来てやってと連絡していることを。操作途中の状態でテーブルに出しっぱなしにしてしまっていたわたしの不注意である。普段ならそんなことはしない子たちなのだけれど、この店のアルコール度数がたぶん強すぎてみんな相当酔っていたようだ。神よ・・・。






















「アンタの親戚にこんなイケメンの外国人いるわけないじゃん·····」
「まじほんと今度詳しく聞かせなさいよ·····」

友人たちのそんな言葉が聞こえたような気がしなくもない。あんまり記憶がないのだけれど、気づいたらわたしはゆっさゆっさとなにかに揺られていた。
あたたかい。懐かしいにおいがする。心が落ち着く。きもちいいなあ、とわたしは広い背中に頬を擦り寄せた。ああ、ずっと。ずっとこうしていられたら・・・。


「起きたのか?」
「んあ・・・?」
「まだ寝ぼけてるのか。相当酔ったらしいな」
「とれいくん·····?」

優しい低音がすぐ側で響く。そこでわたしはおぶられているんだと気がついた。


「本当はタクシーに乗せてやった方がよかったんだろうが、泥酔者は敬遠されるんだな。知らなかったよ」
「はう·····」

そうか、トレイくんは未成年(いや異世界だと18歳がどういう扱いかわかんないけど)だから。泥酔したらどうなるとか知らないのかあ。そうだよなあ、まだ子供だもんなあ。たぶんこれくらいならタクシーも乗せてくれたと思うんだけど、うーん、そんなに酔って見えたのかなあ。なんてアルコールでやられた頭を動かしてみるも、どうにも思考はおぼつかなくて。

まあ、なんでもいっか。
トレイくんの背中、あたたかくて大きくて、幸せだし。


「あったかいねえ、とれいくん」
「そうか?」
「うん。背中もおおきい、あんしんする」
「そうか」
「うん」

トレイくんの声はわたしを甘やかす。いい歳して酒のペース配分も知らない、仕事にかまけてまともに家事もしていない、夜中にコンビニ弁当を食べながら酒を飲むようなダメな女を、甘やかす。

ずっとこうやって甘やかしていてほしくなってしまう。


「·····とれいくん」
「ん?」
「かえっちゃやだよ」
「・・・」
「ずっと、ここにいてほしいよ·····」

なんて。
そう思うのは彼がわたしを甘やかしてくれるからなんだろうか。彼がいるとおいしいごはんが食べられて、QOLが上がるからなんだろうか。わたしはまるで彼を都合のいい男みたいに思っているんだろうか。

·····ちがう。ちがう。ぜったいにちがう。



「·····わたし、へんなの」
「なにが?」
「とれいくんのこと、ずっとまえからしってる気がする·····」
「・・・」
「ずっとずっと、待ってた·····よう・・・な・・・・・」


トレイくんがわたしの腿に回している腕に力を込めた、気がする。けれどもわたしの頭はふわふわとした波に飲まれ、鉛のように重くなった瞼は視界を遮った。街灯がゆらめいて暗闇に消えていく。このひとといるとどうしてこんなに胸がくるしい。

ーーーおわりがあるとわかっていて、どうしてまたすきになってしまうのだろう。




「・・・寝た、か」

すう、すう。核心に触れるようなことを話している途中で寝息を立て始めたユウにトレイは苦笑する。
数ヶ月ぶりに会えたと思ったら、十年もの時が流れていた。そう知った時は酷く驚いたものの、共に時間を過ごしてみればあの愛おしかった恋人そのままで。·····けれども彼女からしたら自分は8個も年下の、異世界から来た全くの他人。弟や妹がいるせいか相手を甘やかしてばかりだった自分が、何もかもお金を出してもらい学生なんだから頼りなさいと言われる始末。けれどもその違和感すら案外悪くはなくて、結局どんな彼女でも自分が求めていた人物だったと知る。

·····ツイステッドワンダーランドに、連れて帰るつもりだった。何故かそれが当然だと思い、必死で何度も魔法実験を繰り返した。彼女の記憶が戻りさえすれば観念して着いてきてくれるだろうと思っていた。いまはまだ朧気なようだが、少しずつ彼女が自分のことを思い出してくれている手応えもあった。

けれども。
今日、居酒屋に迎えに行って。初めて彼女の友人たちを見て、彼女がいかに愛されているのかを知る。
毎日毎日残業続きで疲れきっているのに、それでもしっかり自分を奮い立たせて家を出る彼女を知る。彼女にも彼女の世界があるとわかっていたはずでその実まったく理解できていなかった。どうして自分を捨ててまで元の世界を選ぶのかとすら思っていた。共に生きているだけで幸せだなんて、若さゆえに抱けた幻想だったと知った。彼女が自分から離れてしまったのは当然だったと理解した。

寝息に合わせて自分の背で揺れる彼女が愛おしくてたまらない。けれどももし、彼女のために自分が元の世界を捨てろと言われたら簡単には頷けない。それは元の世界への未練もあるし、こんな寄る辺のない場所で彼女を幸せにしてやる自信なんてこれっぽっちもないからだ。


世界と世界は交わらない。いま見ている月も似通っているけれど、きっとまったく別のものなのだろう。·····いや、その証明はできないから。もしかしたら本当は、一緒なのかもしれないけれど。


「・・・」

残された時間は少ない。
このままどこか遠くへ行ければいいのにと、らしくもないことを思い唇を噛んだ。愛していると口にするだけで、幸せになれるならどれ程よかったのだろう。どうにかなると思っていたことすべてがあまりにも大きな壁だった。自分は思っていたよりも、未熟で早計だ。


















「ん〜・・・。ん?」

目が覚めると同時に、頭の痛さだとか体の重さだとか顔中になにかが張り付いたような感覚だとか口内の不快感が一気に襲ってきた。・・・自室の、ベッドで、ある。

「んん·····?」
わたし、いつ寝た·····?そう思いながら頭を掻くとなんだかいつもよりもつれている気がする。し、服に違和感も感じた。いやこれ昨日出社したときのままじゃん。


「は?」

そしてわたしは少しずつ思い出す。昨日は友達の婚約祝い飲み会だったこと。その店が出す酒はどれもアルコールが強かったこと。酔ったこと。·····それから?
・・・そういやトレイくんに、おんぶされていたような記憶がある。


「ギャーーーーーーーッ!!!!!」
「ど、どうした!?」

なにやってんの自分!!!!!そう思って叫ぶと同時に慌てたようなトレイくんの声がした。寝室とリビングを遮る引き戸は閉まっているし、彼はそこをわたしの許可なしに開けたりはしないのでそのままの状態でわたしは確認する。合わせる顔がない。


「わ、わたし、昨日めっちゃ粗相したよね!?」
「え?あ、ああ·····酔いつぶれたことか。俺が迎えに行けたからよかったけど、もうあんまり飲みすぎるなよ」
「ほんとにごめんなさい情けない恥ずかしい死にたい穴があったら入りたい」
「まあまあ。気の置けない友人との飲み会ならそういうこともあるんじゃないか?」

俺は酒を飲まないからわからないけれど、とトレイくんが苦笑する。恥ずかしい。ほんとうに死にたい。いまの君は「大人ってそういうものなのかなあ」と優しく流してくれるのかもしれないが、どう考えてもこれは本当にダメな大人の典型である。君がこの年になったらわかる。いかにわたしがダメ人間か。

「とりあえず出てこないか?二日酔いには味噌汁がいいと見たから一応作ってあるんだが」
「なにそれ·····どこまで·····どこまでわたしを甘やかすのトレイくん·····ダメになる·····」
「好奇心で調べて作ってみただけだよ。あ、でも先にシャワーにするか?」
「そうします・・・」

化粧がよれて見れた顔じゃないので、ほんと見ないで·····と俯きながらわたしはずずずと引戸を開ける。額に手を当ててあまり顔が見えないようにしながら改めてトレイくんに謝ると、彼はなんだか少し楽しそうに笑った。

「これに懲りたらもう飲みすぎるなよ」
「はい·····二度と・・・」
「うん。じゃあスッキリしておいで」

そう言った彼の声は本当に年下とは思えないくらい優しかった。生まれ変わったらトレイくんの妹になりたいな·····なんて思いながらわたしは替えの服を持って浴室へと向かう。洗面所の鏡に映る自分は本当にひどい顔をしていて死にたくなった。

浴室の扉を開けてバスチェアに座り化粧を落としながら昨日のことについて考える。たぶん会計立て替えてもらってるよね·····シャワー浴びたらみんなに謝らなきゃ·····あとトレイくんについて聞かれまくる気がする·····だってわたしだったら聞くもんな・・・。それから今日はお休みだし、せっかくならトレイくんをどこかに連れて行ってあげたい。トレイくんと出会って今日で一週間。もう折り返しだなんてあんまりにもあっという間だ。
顔中に馴染ませた化粧落としをぬるま湯で流し、洗顔石鹸を泡だてて頬に乗せる。二日酔いも酷くない、たぶんどこへでも行けると思う·····ちょっと気持ち悪いけど。トレイくんに何がしたいかお風呂から上がったら聞いてみよう。あーもう、普通に帰ってきて昨日の夜にそういう話したかったな〜!!!
明日は神社とかそういう日本っぽいところに行こうと前々から話していたけれど、今日は飲み会の後だし疲れてるかもしれないから当日考えることになっていたのである。トレイくんの気遣い、バッチリすぎて胸が痛い。

熱めのシャワーを頭から浴びる。お風呂にも入らず寝てしまったせいでもつれにもつれた髪の毛を解していく。こんな情けない女がなんでもできる、あんなに素敵なトレイくんにほんの少しでも恋心のような気持ちを抱くなんて年齢うんぬんの前におこがましくて泣きたくなった。わたしはハァーとため息をついて一度シャワーを止め、シャンプーを手に取る。こういうときは1回だけのシャンプーじゃ満足に汚れが取れないのに、2回洗うのは髪に良くないと聞いたことがあるせいで余計にげんなりした。まじでしばらくお酒は控えよう。そう固く決意する。














「いいよ、今日は昨日の疲れもあるだろうし普通に家でゆっくりしないか?」
「で、でも·····せっかく違う世界にいるのに·····。ごめんねほんと、飲み会別日にしてもらえばよかったね・・・」
「そんなことないさ」
「でも」

シャワーを浴び終えてリビングに戻ると、トレイくんがお水とお味噌汁と焼きおにぎりを用意してくれていた。もし食べられないならいいからと言ってくれたけれど、普通にめちゃくちゃ美味しそうでわたしはすぐテーブルについてご馳走になった。めっちゃ美味しかった。なんなのこの子。天才なの?そしてわたしたちは今日このあとどうするかについて話す。
しかしあまりにも気を遣われているようで申し訳なさで死にたくなっていると、トレイくんが笑った。

「忘れたのか?俺は異世界から来たからなんだって新鮮なんだ。よかったら君のおすすめの映画でも教えてくれないか?」
「え・・・で、でもそんな」
「ああ、もし同じ映画を二回見るのが嫌ならタイトルだけ教えておいてくれたら君のいない間に見ておくから気になってる作品でもいいが」
「いや、わりと何回でも同じの見るほうです」
「だよな」

だよな?わたしそんなにオタク気質なのわかりやすいかな?なんて考えながら味噌汁をまた啜る。ほんっとうにおいしいんだけどこれ男子学生が出していい味じゃないよ。

「なら今日はゆっくり映画でも見てごろごろしないか。明日はちょっと遠出するし、英気を養う日があったっていいだろう」
「・・・」

それは、その通りかもしれないけどさあ。


じゃあ·····とわたしは会員になっているサブスクの中から気に入っている映画をピックアップする。トレイくんの好みもあるだろうし、複数のジャンルで観たいものをいくつか挙げると彼はちょうどいまわたしが観たいなあと思っていたもののタイトルを言ってくれた。

ああ、こんなのずるいなあ。これで落ちない女いないでしょ、ほんと。ご飯を食べたあと、わたしとトレイくんはふたりで並んで家を出てコンビニに向かいスナック菓子やアイス、それからコーラを買って家に戻った。テレビを見るため並んで座る。そのとき一瞬だけトレイくんの手と自分の手が触れて、年甲斐もなくドキドキしてしまった。だいすきでだいすきで何度も観た映画だったけれど、トレイくんの隣で観るとまったく違うものみたいで。わたしはどうしたらいいのかわからない感情でいっぱいいっぱいになるのを、ポテトチップスを口に放り込んでなんとか押さえ込んだ。何回見てもクスッときてしまうお気に入りのシーンでトレイくんも笑ったからちらりとそちらに目をやる。

彼は、ん?とこちらを振り返ってわたしと目を合わせたあと、「おもしろいな、これ」と優しく微笑んだ。そのからし色の瞳に捉えられてもう動けないような気がしてしまう。ずっと、ずっと。そばにいられたらいいのに。


君と、こうして。幸せになれたらいいのに。




















「すごい異文化って感じがするな·····」
「そう?あ、ここで手を洗うんだよ〜」

そして翌日。わたしとトレイくんは電車に揺られて観光地へと向かった。駅を降り立った瞬間ガラリと変わる空気にトレイくんが息を呑む。かわいいなあと思った。そりゃぜんぜん違う世界の、歴史的な街並みなんてびっくりして当然だよね。きょろきょろとあたりを見回すトレイくんはいつもより少し幼く見えて、わたしはくすくす笑いながら彼のとなりを歩く。


「あ、亀だ〜」

駅から少し歩いたところに流れる川を何の気なしに見ていると、大きめの岩があってそこに二匹の亀がいた。かわいいねえ、とトレイくんに声をかけると彼はそういえばと口を開いた。

「後輩に俺のことをウミガメって呼んでくるやつがいるんだよな」
「ええ!?なんで」
「さあ·····」

変わったあだ名だなあ、と思いながらわたしはのそのそ首を動かす亀を見てトレイくんに聞く。

「実はめちゃくちゃ運動できないのんびり屋さんだったりする?」
「いや、普通だと思うが」
「だよね·····そして普通って言いながらどうせめっちゃできるんだよね·····」

もうさすがにトレイくんのことはずいぶん分かってきたのでため息混じりに言うと、そんなことないさと返ってきた。いや信じませんからね。あなたそういう男でしょう。


「そいつは人魚だからな。海の生き物のあだ名をつけるのが趣味らしい」
「に、人魚!?人魚なんているのトレイくんの世界!ファンタジーじゃん」
「ああ、獣人もいるぞ。ライオンとか」
「ライオン!?」

耳とか尻尾とか生えてるの?むしろ顔は獣なの?と聞くと顔は普通に人間で耳や尻尾だけ動物だと教えてくれた。何それかわいい。

「すごいなあトレイくんのいた世界。本当にぜんぜん違うところなんだ·····一度行ってみたいな」

他にもわたしの想像がつかないような人間·····人種?がいるかもしれない。なんて考えながら軽い気持ちで言うと、トレイくんは少し黙り込んだあとゆっくりと切り出した。


「・・・来るか?」
「えっ?」
「俺が帰る時。お前も一緒についてこないか」

川の側面に立てられている防護柵の上に腕を乗せ、亀から視線を逸らして水面が日光を受けてチラチラ光っているのをぼうっと見ていたわたしはびっくりして固まってしまう。
いま、なんて。


「どうだ。一緒に行かないか、ツイステッドワンダーランドへ」

ツイステッド、ワンダーランド・・・?

そんな名前だったんだ、と初めて耳にするそれにわたしは目をぱちくりさせる。トレイくんのいる世界。トレイくんの生きている、世界。


「·····どうやって?」
「二週間で俺は帰るって言ったろ。今回使用している魔法の制約がそれなんだ。二週間経ったら、俺の意思とは関係なく突然元の世界に戻されてしまう。このマジカルペンが光ってな」

そう言ってトレイくんは万年筆を見せてくれた。赤色の宝石が光に反射してきらりと輝く。


「これは魔法を発動する際に使う媒介のようなものだ。一週間前、俺はこれを使ってこの世界に来たから·····一週間後、おそらく自動的にここから魔法が出現する。まあ簡単に言えばこれに掴まってさえいれば元の世界にテレポートできるってわけだ。だからその時が来たらお前も俺といっしょにこのペンを握ってくれればいい」


どうだ、簡単だろ?トレイくんは笑う。
簡単·····簡単だ。簡単、だけど。


「·····それ、そっちに行っても。わたしはこっちの世界に戻ってこれるの?」
「・・・どうだろうな。頑張れば帰れる、とは思うが·····今回ここに来れたのはほとんど奇跡みたいなものだ。次また来れるかはわからない。いまは道が開いているから容易く戻れるが、この手の魔法は基本的に一回こっきりで道が閉じる。次にまたここにくるときは、別の方法を探す必要がある」


それじゃあ、わたしは。そのツイステッドワンダーランドとやらに行ってしまったら、一生そこで暮らさないといけないかもしれないわけか。
そんなの頷けるわけがない。聡明なトレイくんならわかりきっているだろう。·····なのに。なんで。どうして彼は、わたしを誘うんだ?


「·····なあ」
「・・・」
「一緒に帰ろう、ツイステッドワンダーランドへ」

それは、つまり。
つまり彼が。わたしのことを、もしかして。

ふと浮かんだそれはきっと自惚れなんかではない。なぜなら彼の瞳が雄弁に語っているからだ。·····わたしを、わたしなんかのことを。特別に、思っていると。


「・・・考えとく」

けれどもここでその“もしかして”に白黒つけられるほどわたしは子供ではない。大人になれば、いろんなことを。有耶無耶にして生きていく方がラクなのだ。ついていけないなんて簡単に言えない。だけど、ついていくなんてもっと言えない。

わたしがもしもあと十年若かったら、このひとの手を取って“どうぞよろしくお願いします”とでも微笑むことができたのだろうか。それとも結局わたしのことだから、すべてを捨てる勇気なんて出せなかったかなあ。トレイくんといれば、わたしは幸せでいられるだろう。たった数日一緒に過ごしただけだけれど、そんなのもう十分すぎるほどにわかりきっていた。

けれどもわたしとトレイくんは住む世界が違う。もしもわたしたちが同じところで生まれていて、同じところで育っていたらなんにも考えずただ笑っていられただろう。
だけど異世界になんて行ってしまったら、わたしは戸籍も身寄りも故郷も友人も家族も仕事も何もかもをなくす。何もかもをなくして一生を、たった一人の·····それも、8個も年下の男の子に捧げて生きていけるわけがない。そんなの、将来彼の重荷になってしまうのが目に見えている。


簡単にその回答を導き出したのに、それでもわたしは誘ってもらえたことが嬉しくて曖昧な返事で誤魔化してしまった。だって断って終わりなんて悲しすぎてできないよ。今日一日が終わったら、ちゃんとごめんと謝るから。だからどうかそれまでは、少しだけ浮かれさせていて。













「まずはあそこにお金をいれるの。お賽銭箱って言うのね。で、そのあとああやって鈴を鳴らして、それから二礼二拍手一礼」
「へえ、そんなルールがあるんだな」
「そうそう。ちなみにお願い事をいうときは住所と名前をいってから言うといいんだって·····異世界でもいいのかしら」
「どうだろうなあ」

その後わたしたちはそのあととりとめのない話をしながら目的地である神社にたどり着いた。やはり人気な神社なだけあってそれなりに人がいる。せっかくなので列に並んでいる間にトレイくんにお参りの仕方を教えてあげた。

馴染みのない風景にトレイくんはまた感嘆の息を吐く。それがかわいくてにこにこしながら見守った。あれはなんだと聞かれる度にわかる範囲で答えていく。あとでおみくじもしようか、と話しているうちに順番が回ってきた。

わたしとトレイくんは小銭を賽銭箱に投げ入れ、ガラゴロと音を立てて鈴を鳴らし、ぺこぺこお辞儀をしたあとパンパンと拍手して願い事をする。住所と名前を心の中で呟いて、そのままわたしはこう願った。

トレイくんが世界で一番幸せになりますように。・・・わたしもいつか、幸せになれますように。

さっき中途半端な態度を取ったことへの罪滅ぼしのようだけれど、わたしは本気で願っていた。トレイくんは、世界で一番素敵なひとだと思うから。ちゃんと、元の世界で。同じ世界に生きるかわいらしい同年代の女の子と·····彼にちゃんと釣り合う女の子と幸せになってほしい。
ぺこりとお礼をすると、なんだか胸が痛くて泣きそうになった。もしもいつかわたしが死んで生まれ変わることができたなら。そのときはどうか、トレイくんとちゃんと出会えますように。


そのあとわたしとトレイくんはおみくじを引きにいった。結果はトレイくんが中吉、わたしが小吉。待ち人の欄は・・・。

「その人次第·····ってそれはどうなんだ?」
「えっ、待ち人の欄に待つなって書いてあるんだけど·····そんなことある?」

さすが小吉・・・。と思いながら恋愛運のほうへ目をやる。

「精進しなさい、だって。なかなか手厳しいな」
「思うだけでは駄目·····間違いない·····」

他の項目もなんとも言えない結果で、わたしは黙って頷きトレイくんに声をかけた。


「結びにいこうトレイくん。くくりつけてやろうこんなおみくじ」
「くくりつける?」
「うん。あんまり結果がよくないときは·····といってもトレイくんは中吉だしどっちでもいいんだけど、微妙なときはそこに結ぶひとが多いの。ほらそこ、いっぱい紙が結ばれてるでしょ」
「ああ、あれか」

おもしろいな、とトレイくんは笑いながらついてきたのでふたり並んでおみくじをたくさんの結び目の隙間にくくりつけた。思うだけでは駄目、かあ·····。間違いない。その通りです。


それからトレイくんが社務所の方を指さして、あそこは何を売っているんだ?と聞いていきたのでお守りとか御札だよ、と答えた。せっかくだし見てみる?と聞くと頷いたのでふたりでそちらの方へ行く。あんまり普段こういうのは見ないからわたしも新鮮だった。


「あ、亀のお守りキーホルダーあるじゃん。かわいい〜」
「お、ほんとだ。でもなんで亀なんだ?」
「亀は縁起ものなんだよ、長寿だし。別の国でも幸運を運ぶって言われてるって聞いたような」
「へえ」

帰ったらその後輩に教えてやらないとな、まあ興味なさそうだが。とトレイくんは笑う。それを見てわたしは、せっかくだしとその亀のキーホルダーを二つ手に取った。

「これください」
「はい。二個で800円です」
「はーい」

ちょうどある、と財布を見て確認しお姉さんに払うと、それぞれ小さな袋に入れて渡してくれた。そしてそのひとつをトレイくんにプレゼントする。


「えっ·····」
「せっかくの記念だし。おそろいだよ〜」
「・・・いいのか?」
「うん。もちろん」

彼は驚いたように目をぱちくりさせた後、優しく微笑んだ。

「ありがとう。大事にする」

こんな小さな、子供だましのようなキーホルダーだけど。それでもトレイくんとおそろいだと思うとなんだかとても嬉しかった。

それからわたしたちは出店でつまめるものを買ったり、ところどころで写真を撮ったり、敷地内にある川で鴨が泳いでいるのを見たりしてのんびりと過ごした。トレイくんとのお出かけは本当に心が穏やかになる。わたしとトレイくんは終始くだらない話をしながら歩いた。ときどき無言の時間ができてもまったく気まずくなくて、むしろ居心地がよくて。

この先これ以上のひとは現れないだろうと思うには十分だった。思うだけでは、駄目なんだろうけど。