05



そのあとわたしたちはそろそろお腹が空いたねと定食屋さんに入り、窓際の席に通された。そこであたたかいお茶を啜りながらそれぞれどれにするか決めて注文する。店内はいい匂いに満ちていて、楽しみだねとふたりで笑った。

「お、これ面白そうだな」
「このへんの観光マップ?」

そこでふとトレイくんが窓辺に置いてある小さな冊子に手を伸ばす。その表紙にはこの街の魅力が丸わかり!とポップな字体で書いてあった。トレイくんがそれを横向きに広げてテーブルに置いてくれたので、ふたりで一緒に覗いてみる。

「わー、グルメ情報いっぱい載ってる」
「おいおい、これからランチだぞ?」
「そうだけど、デザートも食べたいじゃん?·····あっここのケーキ屋さんおいしそう」
「ほんとだな。あとで行ってみるか」
「うん!」

元気に返事をしたあと、地図を指でなぞりながらここのちりめん細工のお店も気になる〜!だのがま口ポーチもかわいいな〜!だのとひとりでテンションが上がってしまった。キャッキャと楽しんでいると、なんだかトレイくんから視線を感じる。どうしたの、と振り向くと、彼はびっくりするくらい甘い目でわたしを見ていた。その笑顔があんまりにも優しくて、心臓が飛び跳ねてしまう。

「な、なに?あ、ご、ごめん·····ひとりで騒いで」
「いや」

いけないいけない、と慌てて取り繕って謝ると、彼はより眦の皺を深める。


「かわいいなと思って」
「!
·····お、おとなを、からかうんじゃありません」
「本気だよ」
「〜〜〜ッ、」

そう言ってお茶を啜るトレイくんの頬は少し赤い。わたしも瞬間的に顔が熱くなったから人のことを言えないくらい真っ赤になっていると思うけど、それでも彼も頬を染めてくれていることがあまりにも嬉しくて、·····愛しくて。
・・・やっぱり、このひとと。いっしょに、生きたいと。

「·····あの、トレイく」
「はーい、セットの味噌汁と漬物で〜す」
「「!」」

そう口を開いた瞬間、店員さんが元気よく汁物を運んできてくれたのでわたしはハッと口をつぐむ。·····わたし、いま。なんて言おうとしてた?

まずい、と反射的に口を押さえると、トレイくんは少し残念そうな顔でわたしを見た。


「どうしたんだ?」
「あ·····えっと」

もごもごと口を動かすわたしをトレイくんはじっと見ている。ああ、困るな。このひとの前じゃ、嘘なんてつけなくなりそうだ。

だけれどわたしは、大人だから。

「なんだったっけ、忘れちゃった。お味噌汁おいしそうだね、いただきまーす」
「・・・」

トレイくんはそれ以上探ってこない。彼も手を合わせていただきます、と呟いたのを見て。ほっとしたようななんとも言えない気持ちでわたしは味噌汁を啜った。ああ、熱い。もう少し冷ましてから飲めばよかったなあ。

運ばれてきた御膳はどれもとっても美味しかった。とてもおいしかったけれど、トレイくんに嘘をついてしまったせいかどこか味気なく感じてしまって。もう引き返せないところまで来てしまっていると知る。思うだけでは駄目なのなら、せめて諦められたらいいのに。





定食屋を出てからは、トレイくんがあえて明るく振る舞ってくれてわたしはそれに乗っかるように笑顔を作った。本当に、甘やかされてフォローされてばかりである。けれどもさっき流れてしまった微妙な空気は落ち着いて、わたしはちりめん細工の店やがま口専門店を楽しんだ。トレイくんはお土産屋さんの模造刀にちょっとテンションが上がっていて、かわいくてうっかり買ってあげてしまいそうになった(さすがに断られたけど)。

そうして途中途中気になるお店に立ち止まって寄り道しながら次の目的地であるケーキ屋さんにたどり着く。人気のお店のようだったが、タイミングがよくそこまで並ばずに入れたのでラッキーだったねと笑った。店内は壁も家具も木製で統一されていて、かわいらしいけれどなんだか落ち着く素敵な空間だった。

「今月のおすすめはー·····ショートケーキとベリーのムースとミルフィーユかあ。どれもおいしそ〜!あ、チョコケーキとモンブランもおいしそう·····」
「せっかくだから二つ好きなのを選んだらどうだ?君さえよければ俺と分けよう」
「えっいいの·····トレイくんほんと甘くない?」
「甘いも何も全部ご馳走になってるからな·····ほんと男として情けない·····」
「いやトレイくん学生だし、いつも本当に家事やってもらって助かってるから気にしないで!」

勢いよくそう言うとトレイくんはありがとうと苦笑する。まじでわたし!!!トレイくんのおかげで!!!幸福度爆上がりしたのでむしろふんぞり返って!!!!!
そう思いつつも、ここでその通りにしないのも逆に気を使うかなあとわたしはお言葉に甘えることにした。

「じゃあやっぱり今月のおすすめから選んじゃおうかなあ。 ベリーのムースとミルフィーユ頼んでもいい?」
「ああ、もちろん。·····ショートケーキはいいのか?」
「えっ?」
「いや、なんとなく気になって。君がその二つがいいならそれにしよう」

トレイくんがすみません、と店員さんを呼ぶ。そしてムースとミルフィーユ、それから紅茶を注文してくれた。オーダーを聞いた店員さんが一礼して去っていくのにわたしもぺこりとお辞儀をする。そのあと水をひと口飲んで、そういえばと話した。


「昔はショートケーキが一番好きだったんだけどねえ」
「·····好みが変わったのか?」
「うん。·····うーん?」
「?」
「なんかね、突然変に感じるようになったんだよね。高校生のときだったかなあ?あー、そうそう事故に遭って無事に回復して、退院祝いに家族とお気に入りのケーキ屋さんに行った時だ。すごく好きだったショートケーキがあったはずなのに、これじゃないって思うようになって。」

わたしはそのときのことを思い出しながらぽつりぽつりと話す。そう、あの感覚は。とても奇妙でいまだによく覚えている。

「いや美味しかったしそこのケーキ屋さんの味が変わったわけでもないんだけど·····なんかそこからどの店でショートケーキ食べてもなんか違うって思うようになっちゃったんだよね。何が違うって言われてもわかんないんだけど」
「・・・」
「昔はそれでもなんとかしてこれだってショートケーキに出会いたくていっぱい食べ歩いたんだけど、結局出会えなくてねえ。ちょっと疲れちゃって、そこからもう食べるのやめちゃったんだ」

なんか違うって思い続けるのってけっこうしんどくてさあ、と苦笑しながら言う。そしてトレイくんの方を見ると、彼は何故か唇を噛んで眉を寄せ、わたしを凝視しながら瞳を揺らしていた。

「と、トレイくん?」
「・・・ッ、何でもない。ちょっとお手洗いに行ってくるな」
「え、あ·····う、うん」

がた、とトレイくんが彼らしくもなく大きく音を立てて椅子から立ち上がる。そしてお手洗いのほうへと早足で行ってしまった。·····び、びっくりした。なんだか、まるで。


(泣いちゃうんじゃないかと思った・・・)



なんて、ね。まさかまさか。そもそもいまの話の中に泣くポイント一切なかったし。·····どうしたんだろ、お腹でも痛くなったのかなあ。なんて思っていると紅茶が運ばれてきたのでそれを受け取る。ショートケーキ以外のときはお砂糖をひとつ·····と心の中で呟いて白いキューブを茶色い海に沈める。そういえばこれも、いつからのこだわりだったっけ?ショートケーキを食べなくなって久しいのに、なぜかいつも頭に浮かぶこの文言にわたしは首を傾げた。

そのあと戻ってきたトレイくんはいつも通りだったし、運ばれてきたケーキは二つともとても美味しかった。また食べに来たいなとふと思い、けれどもトレイくんとそれを叶えることはできないんだと気づくとなんだかとても虚しくなってわたしは無意味に紅茶をスプーンでかき混ぜた。










・・・そして、帰り道。

「今日は本当に楽しかったね!ありがとう」
「ああ、こちらこそ。ありがとうな」

そう言ってはしゃぐわたしのポケットの中のスマホには、さっきトレイくんとお揃いで買った亀のキーホルダーがぶら下がっている。さすがにちょっとやりすぎかなあと思いつつ、どうしてもそうしたかったのだ。だってわたしがトレイくんと過ごせる時間は残りわずかなのだから。そしてトレイくんも、いつもわたしが持たせているタブレットにそれをつけてくれた。元の世界に帰る時は外して持っていく、と言いながら。

ずいぶんと日が落ちて、赤色が夜の闇に飲まれゆく。わたしとトレイくんは今日来た道をゆっくり歩いて引き返していた。今日見たもの、食べたもの、買ったもの。取り留めのない話をしているうちに駅は近づき、必然的にわたしたちは今日あの話をした川にたどり着く。大きな岩は相変わらずそこにあったけれど、亀はもういなくなっていた。


わたしは意を決して、口を開く。

「・・・あのさ、トレイくん」
「なんだ?」
「今日の、·····その、トレイくんの世界に、一緒に行かないかって話·····なんだけど」
「·····うん」

ごくり、一度唾を飲む。これを口にするのは、やっぱり少し躊躇われた。
でも、ちゃんと言わなきゃ。大人だからと有耶無耶にしたけれど、大人だからこそけじめをつけないといけないこともある。いつまでも引っ張ってなんていられない。いつまでも、年下の男の子を待たせるわけにはいかない。


「・・・ごめんね。やっぱり、わた·····」
「一週間後に聞いてもいいか?」
「えっ」

しかし、決意をした言葉はトレイくんに途中で遮られた。


「別に急いで結論を出してほしいわけじゃないんだ。俺の世界についても全然話せてないし、もしかしたらあっちに行っても帰る方法もあるかもしれない。だからもう少しゆっくり考えて、それから決断してくれないか」
「トレイ、くん·····」
「頼むよ」

頼まれたって、わたしは。そっちには行けないよ。そう思ったけれど、真剣な顔をしたトレイくんにそんなことは言えなくて。わたしの勇気はみるみる萎んでこくりと一度だけ頷いた。
ああ、困っちゃうな。思わせぶりなことをするのが、一番よくないってわかっているのに。

「ありがとう」

それでもトレイくんは優しく笑ってくれる。きっとわたしの中で結論が出ているのを知っていて。
太陽はもうとっぷりと沈み、空は一面真っ暗になった。頼りない街灯の光だけではこの暗い夜道の中、迷子になってしまいそうだ。












そして結局あれから何も言い出せず核心にも触れられないまま。わたしは今日もトレイくんの作るおいしい朝ごはんを食べ、おいしいお弁当を持たせてもらい、仕事をして帰ってトレイくんの作ったおいしい晩御飯を食べる日々を過ごしている。トレイくんのおかげで仕事はすこぶる順調だ。私生活が充実していると仕事もうまくいくらしい。

そしてあの観光地デートから三日、次のお休みまでの折り返し地点にきたところで。いつものように先輩に承認印を押してもらおうと声をかけたら予想もしなかったことを言われた。

「今度飯行かない?」
「へ?」

突然のことにわたしは目をぱちくりさせる。しかし先輩は何事もないかのような顔をして、わたしの出した書類に目を通しながら話を続けた。

「·····うん。大丈夫、ほら」

そしてぽん、と承認印を押してわたしにその書類を返しながらもう一度繰り返す。

「今度飯行かないか?お前の空いてる日に。今週でも来週でもいいから」
「え·····と、それは·····」

デートのお誘いですか·····!?そう驚く間もなく、デートの誘いだよと言われた。え!?あなた!!そんなこと言うキャラでしたっけ!?!?


「か、からかってます?」
「まさか。で、いつならいけそう?」
「え、えっと·····」

わたしはびっくりしながらも自分の予定を考える。え、え!?うちの部のエースに、将来有望な高嶺の花に、こんなハイパー優良物件に、わたしなんかが誘われている·····!?

「な、なんでわたしなんかを」
「ん?なんか急にかわいくなったからさ。このままじゃ取られそうだなって·····あ、もしかしてもう彼氏いる?」
「い·····ません、けど」
「ならよかった」

そう言って彼は楽しそうに、からかうように笑う。·····あ、この顔。ちょっとトレイくんに似てるな。わたしこういうタイプのひとが好きだったのかなあ、もしかして。

なんて頭の隅で考えていると、今週は?と詰められた。今週。今週は。まだトレイくんがこっちの世界にいてくれる。

「今週はちょっと、用事が·····」
「じゃあ来週の休みにどう?」
「それなら·····大丈夫、です·····」

俯きながらそう言うと、先輩はまたよかったと笑った。来週の予定ができた。今週が終わり、トレイくんがいなくなっても、わたしにはまだ予定もあれば仕事もある。だってわたしはこの世界で生きているから。簡単に全てを投げ出して、異世界になんて行けないから。

じゃあまた店見とくね、と言われたのでわたしはこくりと頷きお礼を言って先輩から離れた。きっと少し前までのわたしなら手放しで喜び浮かれ、当日何を着ようだの化粧はどうしようだのとウキウキしていたはずだ。なのになぜかわたしは、来週になったらトレイくんはもういないんだという現実のほうにばかり頭がいって、胸が痛くてたまらなくなる。
だめだ、だめだ、しっかりしろ。あのひとはたったの数日で、わたしの前から消えてしまうのだから。












それからはさらにすごい勢いで時が流れ、先輩とも特に変わらず普通に今まで通り働き、あっという間にその日がやってきた。本来なら待ちに待っていただろう、休みの日。そう、あの休日出勤の日から丸2週間経った、トレイくんが帰ってしまう日。
最後の日は何をしたい、どこに行きたいと以前聞いたとき、「実はもうプランは練ってあるからそれについてきてくれないか」と言われた。結局その後もどこに行くのか明かされないまま当日を迎え、わたしはトレイくんの作ってくれるおいしい最後の朝ごはんを味わって食べた。

「忘れ物ない?」
「ああ。ちゃんと君に買ってもらった物も詰め込んだ」
「魔法でコンパクトにできるってすごいねえ、便利」
「そうだな。・・・いろいろ、本当にありがとうな。いっぱい金も使わせてしまったし」
「あはは。わたしこそいーっぱい家事してもらっちゃった!本当にありがとう」

じゃあ行こっか、そうわたしたちは微笑んで、順番に靴を履く。トレイくんが家を出て、それからわたしも続いて扉の鍵を締めた。次にここに帰ってくる時は、ひとりなんだ。
そう考えると胸が苦しくてなんだか泣きそうになってしまう。·····違う、いまじゃない。泣くのはぜんぶ終わってからでいい。わたしは無理やり笑顔を作って背の高いトレイくんを見上げる。

「今日はどこに行くの?」
「さあどこだろうな」
「えー、着いてからのお楽しみってやつ?」
「気に入ってくれるかはわからないが」

トレイくんは笑いながら言う。きっと君とならどこに行ったって楽しいよ、そう思ったけれど口にするのはやめておいた。そしてわたしとトレイくんは一歩ずつ歩いていく。何度も一緒に歩いたこの道。何の変哲もないただのそれに、酷く胸が締め付けられた。


そのあとわたし達は駅に着き、トレイくんが言った方面行きの電車に乗り込み、揺られること数十分。ここだとトレイくんが立ち上がったのは、遊園地の最寄り駅だった。·····出かける時、あんまりお金を使わせないところに行こうとしがちな子なのに。珍しいなあと思いつつふたりで降りると、トレイくんはにやりと笑ってぺらりとした紙を見せてきた。

「えっ」
「当たったんだ。この遊園地のチケット、福引で」
「え!?ウソ!いつ!?」
「一週間くらい前かな。買い物帰りに回したら1等がでた」
「えええええ!!!!!すっご!!!!!」

びっくりしすぎて大声を出すとトレイくんは嬉しそうに笑う。ああ、この顔。年相応っぽくて、かわいくて、好きだなあ。

「付き合ってくれるか?遊園地」
「もちろん!遊園地なんて久しぶりだから嬉しい!」

むしろはしゃいじゃうよ〜!なんて言いながら改札を出ると、遊園地へ続く道のりは既にテーマパークのように賑やかで楽しげでもっとわくわくした。わあ、楽しみだな。どうか、どうか。今日という日がトレイくんにとって、とてもいい日になりますように。



















トレイくんとの遊園地はとても楽しかった。待ち時間はのんびりお話をして、パレードを見たり。着ぐるみのキャラと写真を撮ったり、お土産屋さんを見たり。アトラクションに乗る時に眼鏡を外すトレイくんにちょっとドキッとしたりもした。そして楽しい時間というのはあっという間に過ぎてしまう。
時刻はもう午後4時半。昼過ぎにランチは食べたけれどそろそろまた小腹が空いてきたので、どこかカフェでも入る?と聞いた時。トレイくんが、「先にバラ園に行きたい」と言い出した。

この遊園地にはたくさんお花が咲いているのだが、中でもバラはセールスポイントらしくいたるところで宣伝がされている。そういえばそっちの方にもカフェがあるって書いてたしちょうどいいな、と道中見かけたポスターを思い出してわたしは二つ返事でOKした。それにしても、バラを見たいなんて。トレイくんはオシャレだなあと思う。

そしてわたしたちは歩を進め、遊園地の中でも端の方にあるバラ園へ向かった。少しずつお日様が傾き出して、空がオレンジに染まっていく。








「わあ、綺麗·····」

そしてたどり着いたバラ園は、とても美しかった。色とりどりのバラが所狭しと並び、場所によってはハート型になるように整えられていたり、アーチになってくぐれるところもある。絶景だった。

「すごいな、こんなにいろんな種類のバラがあるとは」
「ほんとだね·····」

その風景に圧倒されながら、わたしとトレイくんは道なりに歩いていく。すごいなあ、綺麗だなあ·····なんてありきたりな言葉を繰り返すわたしに、トレイくんは少し笑ったあと口を開いた。


「・・・俺の通う学校の、所属している寮にもバラ園があるんだ」
「へー!そうなんだ」
「薔薇の迷路、っていうんだけどな」
「おしゃれだねえ」

学校の中にそんなところがあるなんてすごいなあ。そんなことを思いながらわたしはトレイくんの話に相槌を打つ。

「·····ちょうどこれくらいの時間だな。夕日が落ちてきた頃。うちの寮では定期的に寮生でお茶会のようなものをするんだが、ひとり他寮の生徒でよくそれに参加する子がいてな」
「ふんふん」

お茶会って珍しいなあ、お上品な学校というかお金持ちの通う学校なのかな?なんて思いながら先を促すように頷いた。トレイくんは続ける。

「たまたまその子と薔薇の迷路で二人きりになることがあった。いつもその子は俺の後輩やモンスターと一緒にいたからなかなかないタイミングだ」
「へえ。モンスターもいるんだねえ、すごい」
「・・・ああ。」

モンスターって聞くとなんだか怖い響きだけれど、気のいいモンスターもいるんだろうか?なんて頭の隅で考えながらわたしはトレイくんの話の続きを待つ。彼はどこか遠くを見ていた。


「·····それで、今だと思ってな。告白したんだ」
「えっ」

トレイくんの学校って男子校って言ってなかったっけ!ちょっとびっくりして目をパチパチとさせる。・・・トレイくん、男の人がすきだったんだ。なんと·····めっちゃ失恋じゃん。そしてなんかすごい自惚れかたしてたんじゃないの、わたし。トレイくんにいっしょに帰ろうと言われたときのことを思い出して恥ずかしくなる。
まあでもこれで、すべては勘違いで。彼に抱き始めていた恋心は、最初から叶いっこないものだったとわかったからよかったのかも·····しれない。そう自分の中で結論づけたとき、トレイくんが苦笑しながら言った。

「·····何か勘違いしてないか?その生徒は女だぞ」
「え!?そ、そうなの?でも男子校じゃなかった?」
「ああ。·····その子は特別だったんだ。異世界からたまたまやってきてな」
「異世界?」
「そうだ。帰る方法が見つかるまで、俺の通っている·····ナイトレイブンカレッジの生徒になった」


トレイくんはなんだか少し重々しく言う。
·····異世界。帰る方法。ナイトレイブンカレッジ。
いつも一緒にいるモンスター、トレイくんの後輩?

なんだかいろんなワードに引っ掛かりを覚えた。どうしてだろうと思いつつ、わたしはトレイくんの話の続きが気になって尋ねる。


「それで、どうなったの?」
「·····いつか元の世界に帰る自分が付き合うことはできないって振られたよ。でも諦めきれなくてな」
「うん」
「そこからは毎日猛アタックだ。勉強を教えたり、ケーキやお菓子を作って持っていったり。それで1ヶ月後、もう一度同じバラ園で告白したら根負けして付き合ってくれた」

トレイくんはどこか遠くを見ながら言った。わたしはその言葉にズキンと胸が痛くなる。けれども傷つきそうになっているのをなんとか誤魔化して笑顔を作った。

「えーそうなんだ!おめでとう」
「·····まあもう元の世界に帰ってしまったんだけどな」
「!」

しかしそれは悪手だったようだ。無理をして絞り出した祝福はトレイくんに次に言われた言葉によって意味の無いものになってしまう。やっちゃった、そう思うと同時に·····もしかして、とひとつの考えが頭に浮かんだ。


「·····もしかして、その子を探しにこの世界に来たの?約束って・・・その子と?」

トレイくんは答えない。頷きもしない。だけど少し寂しげに微笑んだ。肯定を示すには十分だった。


「そっか·····」

きっと見つからなかったんだろう。見つかっていたら、最後の日にわたしなんかといないはずだ。
どれほどの思いで、世界まで超えて。その彼女さんがうらやましいと思った。それと同時にひどく悲しかった。いずれいなくなってしまうひとに恋をしたトレイくん。わたしもそうだ、もうすぐ·····あと数時間でいなくなってしまうトレイくんに恋をしている。そして彼女さん。きっと、辛かっただろう。こんなに素敵なトレイくんに告白されて、付き合って。それでも元の世界に帰らないといけなかったなんて。

もしも世界がひとつなら、こんな思いをしなくてよかったのに。


「·····少し疲れたな。そこに椅子とテーブルがある。ちょっと座らないか?」
「あ、うん」

感傷に浸っていると、トレイくんが休憩用スペースを指さして言った。わたしは頷き、トレイくんと共に腰掛ける。ああ、なんだろう。切なくて胸が痛い。ちょっと泣きそうだ、と思った。

「·····わたし、飲み物買ってこようかな。トレイくん、座って・・・」
「実は持ってきてるんだ」
「え?」

座って待ってて、そう声をかけようとしたのを遮ってトレイくんは笑った。そして彼は突然、以前マジカルペンだと教えてくれたその万年筆を·····振る。


「わっ!?」

途端。紅茶と、ショートケーキが。お皿に乗った状態で並べられた。


「えっ·····え!?」

魔法だ。すごい、魔法だ。
トレイくんはあんまりわたしの前で魔法を使ってこなかったから·····それこそ最初のコンビニ弁当や髪色を変えるときくらいしか見ていなかったから、こんな魔法らしい魔法を披露されるのは初めてである。驚きで言葉も出ないわたしに、トレイくんは微笑んだ。


「ほら、座って。一緒に食べよう」
「う、うん·····」

でも、なんでショートケーキ?あんまり食べなくなったって言ったのに。·····そう思いながら腰掛ける。けれども赤いいちごがちょんと乗ったそれは、とても美味しそうで。・・・どうして?どうしてだろう、こんなに懐かしいのは。いや、ショートケーキなんてどれも似通ってるし。だからだよね?だから・・・。

「いただきます」
「ああ」

わたしは手を合わせて、紅茶を一口飲む。お砂糖は入っていない。そう、ショートケーキのときはお砂糖をいれないんだ。・・・なんで?なんで、いつ?いつからそんなふうに、決まっていたのか。

開いてはいけない扉を開こうとしているような気がする。けれどもわたしの手は、しっかりとフォークを持って。そっとショートケーキに差して、一口大にすくったそれを口に入れた。

···············そして。


「・・・!」

これ、だ。

探していたのは、これだ。


口いっぱいに広がる甘味と酸味。わたしはそれに胸が震えた。知ってる。わたしはこの味を知っている。そう。そうだ。ずっと。·····ずっと待ってたんだ、この日を。

また、トレイ先輩の、このショートケーキを食べられる日を。


「あ··········」
「·····思い出したか?」
「わ·····たし・・・」
「よかった。正直賭けだったんだが」


トレイ先輩は、苦笑しながら紅茶を一口啜る。何度も何度も見た。この姿を、何度も何度も見ては焦がれた。
このひとと一緒に、生きていきたいと思った。


「お前の探してたショートケーキはこれだろう、ユウ」
「ッ・・・」
「なあ、ユウ」

そして彼は言葉を紡ぐ。


「好きだ」
『好きだ』

「お前が別の世界の人間だなんてわかってる」
『お前が別の世界の人間だなんてわかってる』

「それでもどうしようもないくらい好きなんだ」
『それでもどうしようもないくらい好きなんだ』

あの日、薔薇の迷路で告げられた思いがリフレインする。トレイ先輩はあの日となにひとつ変わらない優しい眼差しでわたしを見ている。


「『俺と一緒に生きてほしい』」
「〜〜〜ッ、」

途端、喉の奥と目の奥が焼けそうなくらいに熱くなって。ぼたぼた、ぼたぼたと涙がこぼれ落ちた。

そう、そうか。わたしは。ずっとこのひとを探していたんだ。
記憶を失って、このひとのいない世界で。十年間、忘れたはずなのに忘れられずに。ずっとこのひとを、想っていたんだ・・・。



「帰ろう、ユウ」
「・・・」
「ケーキならいくらでも俺が作ってやる。もちろん不便もさせるかもしれない。またオンボロ寮に住めるように学園長には俺が頼み込む。それが無理でも最悪、俺の家になら住めるようになってる」
「·····トレイ先輩・・・」
「グリムもエースもデュースも。リドルもケイトもみんな喜ぶよ。なあ、監督生。頼む。一緒に帰ってくれ」

俺はやっぱりお前のことを諦められないんだ。

トレイ先輩がそう言ってくれて、わたしはしゃくり上げて泣いた。世界を越えて迎えに来てくれた。最愛の人が、わたしをそんな熱量で思ってくれている。わたしを、求めてくれている。そんな幸せなことはない。


そんな幸せなことはないと、わかっている。




「・・・ごめんなさい」
「·····どうしてもか」
「ごめんなさい。とても嬉しい。とっても嬉しいけれど·····」

一緒には、帰れません。


震える声でそう言うと、トレイ先輩は大きな手で顔を覆ってため息をついた。ああ、この手が。ずっとずっと好きだったなあ。


「·····そう言うと思ってたよ」


トレイ先輩は、悲しそうに笑った。














十六歳のわたしには自信がなかった。あの世界で、魔法も使えないわたしが、満足に生きていく自信がなかった。あのままあそこにい続けたら、トレイ先輩に縋ってダメになってしまうと思っていた。

いまではきっとなんとかなるだろうと思える。それなりに社会人経験も積んだし、あの世界は魔法が使えない人間だっている。仕事は選べないかもしれないけれど、どうにか生きていくことはできるだろう。トレイくんにはそれでも甘やかされてしまいそうな気はするけれど、ちゃんと自立したお付き合いができるかもしれない。

・・・でもいまのわたしには勇気がない。若さが、勢いが、元気がない。八歳も年下になってしまったトレイ先輩の·····トレイくんの手を取って、また違う世界に飛び込む勇気がない。このひとさえいれば幸せなんだと思い込む力が、ない。将来、トレイくんの重荷になってしまう未来のほうがリアルなんだ。
幸せになりたかったなあ。なにも考えず、トレイくんのことだけを見て。好きだという気持ちだけで、ただ幸せになりたかった。この人と一緒に生きたかった。他のなにも捨てたりせず、この世界ごとトレイくんといっしょになりたかった。



「·····食べ終わったら観覧車にでも乗らないか?」
「うん・・・」
「そんな顔しないでくれ。十年ぶりのショートケーキ、しっかり味わってくれよ」
「うん·····おいしい」
「よかった」

忘れない。もう、けして忘れない。あなたがわたしのためにケーキを作ってくれたこと。何度も何度も届けてくれたこと。あなたのにおいも、声も、笑顔も体温もこの味も。思い出したすべてをしっかりと刻んで。

わたしはあなたのいない世界であなたを想って生きていく。何も知らずにあなたの影を追い求め続けていた、昨日までのわたしにはもう戻れないから。



そしてわたしとトレイくんは観覧車の待ち列に並んだ。待っている間はお互いほとんど無言だった。ようやく順番が来て、いっしょに観覧車に乗り込む。わたしが転けたりしないよう、彼は手を握って乗せてくれた。

二人きりなんてもう何度も経験しているのに、小さな丸い箱の中に入るとその空間がより強調されて少し緊張する。
日はもうすっかり沈み、真っ暗になっていた。かわりにいたるところがライトアップされていて、地上を離れていくほどにその輝きに目を奪われる。·····こんなに、綺麗だったんだ。知らなかったなあ。別に、はじめて来たわけでもないというのに。


「·····綺麗だな」
「そうだね」
「賢者の島に娯楽は少ないが、俺の住んでいた薔薇の王国にはそれなりにたくさんデートスポットがある。お前を連れていきたかったよ」
「・・・」

行ってみたいなと言う資格は、わたしにはない。


黙り込んでいると、トレイくんはひとつ息を吐いたあと真っ直ぐな目をわたしに向けて、言った。


「また来るぞ」
「えっ·····」
「お前が根負けするまで。何度でも来る」
「·····なに、言って・・・」
「もう待ってろとは言わない。でも、また来る。それだけだ」

おいで、とトレイくんはわたしの手を握る。動かないなら俺がいくぞ、とその瞳が言っていた。·····わたしが動いた方が、観覧車の揺れは少ないだろう。わたしは俯き視線をさ迷わせたあと、ゆっくりと立ち上がる。トレイくんが、わたしを見上げて笑った。


「なあ、ユウ。やっぱり忘れられなかっただろう?」
「・・・うん」
「これから先もお前が俺のことを忘れて生きられると思うか?」

思わない。

わたしはそっとトレイくんの隣に腰掛けて首を振る。彼の顔は見られなかったから、いまどんな表情をしているのかはわからない。
けれどもわたしは、言わないといけない。息苦しさに泣きたくなりつつも、なんとか口を開いた。


「·····忘れられない。トレイ先輩のこと·····トレイくんのこと。ずっと忘れない。一生忘れない」
「・・・」
「わたしは忘れない。わたしが覚えてる。だからトレイくんは忘れて・・・忘れて生きて。ちゃんと正しく幸せになって、もう来ないで。
未来になんの障害もない、あなたの世界で生きる人と恋愛をして、ご家族やご友人に囲まれて幸せになりなさい。わたしもいつか、そうするから」
「ユウ·····」


そう。わたしは、もう十六歳の女の子ではない。
幸せになんてなれなくても、十分生きていけるということを知っている。燃え上がるような感情だけで蔑ろにしてはいけない世界があることを、知っている。


「·····あのね、来てくれてありがとう。もう十分。それだけでわたしは十分だから。だから、トレイくん·····」

あなたはちゃんと、世界でいちばん、幸せになって。


そう口にした瞬間、わたしの両の目からまた大粒の涙が零れた。ああ、いやだな。最後くらい、笑っていたかった。


「ッ·····、ユウ、俺は・・・っ!?」

トレイくんがわたしの両肩を掴む。彼には珍しく、痛いくらいの力だった。キィキィと音を立てて観覧車は上がっていく。きっとあと数分でてっぺんにたどり着くのだろう。

だけどおそらくその頃には、彼はもうこの世にいない。トレイくんの胸元に差してあったマジカルペンから真っ白な光が漏れ出したのを見て、わたしは悟った。


「·····!トレイくん、」
「くそっ·····!ッ、ユウ!お前のいない世界で幸せになんてなれるわけがない·····っ、好きなんだ!頼む、一緒にッ·····」

トレイくんがわたしの肩から手を離し、そのペンを握ってわたしのほうに差し出した。大好きな彼の手がわたしの腕を懇願するように掴む。光はどんどん強くなり、眩しいくらいで目も開けていられない。トレイくんもきっと目をつぶっているだろう。わたしは目を細め、いまがチャンスだとばかりに左腕をトレイくんの頭に伸ばして引き寄せた。

「!」

ちゅ。


十年ぶりの口付けは、一瞬で終わった。
ああ、そうだ。このひとの唇はこんな柔らかさだった。

わたしがそう思った頃にはもう光はなくなっていて、掴んだ髪の感覚も掴まれている腕の感覚も消え失せていた。眩しさに目がくらみ機能していなかった視界がようやく落ち着いたとき、観覧車はちょうど頂点にまで上った。
さっきまでトレイくんと一緒に歩いた遊園地が、優しい光をたくさん放って輝いている。バラ園とは違うこの美しい光景を、ただトレイくんとふたりで楽しめたらどれだけよかっただろう。もしも生まれ変わることがあったら、今度はトレイくんと同じ世界にたどり着けるだろうか。

世界を超えて、おいしいショートケーキと好きのきもちを届けてくれた。わたしはそんな彼に何も返せないまま、ただひとりここでしゃくり上げて泣いている。


熱い思いを誤魔化すために口付けをするなんて、ずるい大人になってしまった。トレイくんにわたしはふさわしくない。トレイくんとは一緒になれない。

どうか、どうか、あの人が。
とても素敵な誰かと、世界でいちばん幸せでいられますように。


わたしはそう思いながら、トレイくんとおそろいで買った亀のお守りキーホルダーをきゅっと握った。観覧車はゆっくりと地上へ戻っていく。トレイくんといたこの空間で、感傷に浸りながらいつまでも泣いていられたらどんなによかったのだろう。






観覧車を降りる際、少しドキドキしたけれど特にスタッフの人に変な顔はされなかった。案外女のひとり客もいるのかもしれない。
あの眩しすぎる光も何か問題になっているのではと思ったけれど、わたしの後に降りてきたお客さん達も特になにも言っていなかった。ほんとうに一瞬のことだったから見逃されたのかなんなのか。

とにかく、トレイくんが消えたところでこの世界にはなんの問題もないのだ。


わたしはぼうっとしながら遊園地の出口まで歩いた。バラ園を通り、乗ったアトラクションの前を通過し、いっしょにパレードを見たあたりも横切った。けれども当然ながらトレイくんの痕跡なんてものはひとつもない。
駅に着き、電車に揺られ、行き道で話した他愛のない話を思い出しては涙がこぼれる。他人から見たらヤバい女だろう。だけど別にどうでもよかった。

最寄り駅について、家を目指して歩く。いっしょに行ったコンビニを横目に、酔いつぶれておぶってもらった道を、歩く。そしてやっと自分の部屋にたどり着いた。しかし鍵を開いて扉を開けたところで、ただの自分の部屋があるだけだ。トレイくんのにおいも何もしない。ただの、自分の部屋だ。

暗い部屋で、電気をつける気にもならない。けれどもいつもの習慣で、荷物を下ろして手を洗うためなんとか点ける。散々泣いたせいで喉も乾いていた。洗面所で用を終えたたあと、わたしは重たい体を引きずって冷蔵庫にまで歩く。だるい腕でお茶を取り出そうと扉を開いた。·····そして、そこで。見慣れない白い箱·····ケーキを入れる用の箱を見つけてわたしは慌ててそれを取り、開いて中身を確認した。

そこに入っていたのは、もちろん。


「ショートケーキ·····!」

半ホール分にカットされたショートケーキがちょこんと収まっていた。そして一緒に小さなメモが入れられている。


『よかったら食べてくれ。今まで本当にありがとう』


短いメッセージにわたしはまた声を上げて泣く。こうなることをわかっていて、わざわざケーキを作ってくれたんだ。愛おしくて愛おしくて切なくて辛くて苦しい。
さっきあのひとの手を取れなかった自分を。十年前、あのひとを捨ててこちらの世界へ戻ってきた自分を。だめになる未来が怖くてあなたとの今に飛び込めなかった自分を。どうしようもないほど悔やみ、恨みながらわたしはフォークを引き出しから取り出す。もったいないけれど、ずっとここにいてほしいけれど、傷む前にちゃんと食べないといけないと思った。

お皿にも入れず箱のままそれを運び、わたしはあの日コンビニで買ったお弁当を食べていたとき座っていた席につく。そしてわたしはフォークをその白いクリームに差し入れた。スポンジがふわりと優しく抵抗したあとフォークの上に乗る。わたしはそれを口へ運んだ。甘酸っぱい味が、口いっぱいに広がる。


「・・・おいし·····」

どろどろした感情が溶けてしまうほど美味しくて。わたしはまたぼたぼたと泣きながら、少しだけ笑った。


どうか、どうか、幸せで。
幸せで、いてください。