04
「·····本当に大丈夫?」
「うん、ちゃんと行くから。なんなら写真送ろうか」
「別に疑ってるわけじゃないよ。心配なだけ」
翌朝。病院までわたしを送ってから任務に行こうとする傑に、ひとりで行けるから五条たちをはやく助けに行ってあげるように告げた。
さすがに穴をあけたところまでバレてしまったらもうウソをつく気にもならない。副作用が心配だけどちゃんとピルも飲もうと思う。これでわたしの馬鹿げた夢は潰えたわけだ。なんだかカラカラに乾いた唇で懸命に言葉を紡ぐ。
「·····気をつけてね、傑。きょう会えるのは夜になるかな」
「そうだね、悟たちの尻拭いの後もう一件任務が入ってるから·····」
それは本来であればわたしが着くはずだった任務だ。特級術師の傑からすればなんてことのないものである。
「名前も夕方からひとつ入ってるんだっけ。田舎の方って言ってた?」
「うん、ド田舎。はやめに終わっても帰るのは遅くなりそう」
「そうか」
気をつけてね、と傑が言う。またあたたかい手がわたしの頭に乗った。
彼はこれから任務に向かう。もしかしたらこれが、最後なのかもしれない。
「ねえ傑」
「うん?」
「·····だいすき」
わたしは胸がいっぱいになって傑の胸に飛び込んだ。彼はびっくりしたように一瞬間を置いたあと、わたしを優しく包み込む。
「·····うん。私も好きだよ」
「ほんとう?」
「もちろん」
見上げると君の瞳に情けない顔をしたわたしが映っている。そっと唇が降りてきて、優しい口付けをしてくれた。
「·····今度の休み、遊園地にでも行こう。名前が何にそんなに思い悩んでいるのかわからないけれど、ちゃんと吹き飛ばしてあげるから」
「傑·····」
「わかった?」
ふざけたように傑が笑う。世界でいちばん君が愛おしい。
「うん·····!」
どうかこの約束が守られますように。そのあともなにかくだらない約束をして、それをお互いに守って、そうやってずっと日々を繋いでいけたなら。
「気をつけてね」
「君もね」
「いってらっしゃい」
「いってきます」
神様。
神なんていないとずっと思ってきた。呪術師として生きれば生きるほど不条理な世の中に嫌気が差した。仲間はどんどん死んでいく。恋人だっていなくなる。
けれどもわたしはどうにも無力で、いざとなったらただ祈るしかできないらしい。
神様、神様、かみさま。
どうかわたしから傑を奪わないでください。あのひとが心から笑えていないのだとしても、それでもわたしは彼が惜しいのです。
どんなに不格好でもいいから生きて欲しい。どうか、どうか、わたしの傍で。
校門まで傑を見送る。そこまでしなくてもという彼にわたしはどうしてもと言ってついていった。
君の姿が見えなくなった瞬間わたしは声を上げて泣いた。どうかどうかこの別れが今生のものとなりませんように。
一限だけ遅刻してレディースクリニックに向かったわたしは、アフターピルを処方してもらいしっかり飲んだ。副作用の吐き気が出ないようにと一緒に出された錠剤が良かったのか、眠気と倦怠感はあるもののそこまで体調に問題はない。予定通り任務につくことにした。
結局わたしが出発する時間になるまで傑も五条も七海も灰原も帰ってこなかった。連絡も特に来ていない。そんな中で高専を離れるのはどうにも気が進まなかったけれど、そこにわたしにできることはない。もしも五条と傑が二人がかりで祓おうとしても歯が立たないような呪霊がいたならわたしが行ったところで邪魔にしかならないし·····。後ろ髪を引かれながらもわたしは電車を乗り継ぐ。
田舎に向かうたった二両編成の車輌。田んぼに差す赤い光を見つめながらわたしはガタゴトと揺られた。近頃はだいぶ日が落ちるのが早くなってきた気がする。到着する頃にはきっともう日は沈みきっているのだろう。
この任務を誰かに任せて傑の元へ行くことも可能だったと思う。でもわたしはどうしてもこの眼で見たかったのだ。あの日、あのとき、どうして君はあんなことをしたのか。何が引き金だったのか。旧◾◾村で何を見たのか。
最寄り駅では補助監督の女性が待機してくれていた。車に乗せてもらい、旧◾◾村を目指す。そして舗装されていない田舎道を揺られること約30分。たどり着いた先で、訛りの強い村の男女に状況を説明してもらった。任務内容は、村落内での神隠しと変死の原因と思われる呪霊の祓除。
·····身構えて向かった割に、呪霊自体は強くなかった。体調が万全でないわたしでも祓える程度だ、傑なら余裕だっただろう。·····じゃあ、傑はいったいどうしてこの村であんなことをしたのだろうか。村民全員を殺してしまうほどの何かを、彼はずっと抱えていて·····たまたまここで爆発しただけだというのだろうか。
それならやっぱり早く帰って傑の元に行かなければ。もしかしたらもういなくなっているかもしれない·····! そう思いながらわたしは先の出迎えをしてくれた男女に声をかけた。問題は無事解決しました、これからは神隠しや変死など起こらないでしょう。もしもこの先も何か気になることがあれば遠慮なくおっしゃってください。そう笑顔で言ったわたしに、彼らは顔を見合わせた。ギョロリとしている目になんだかおかしな色が映る。·····なぜか、とても、嫌な予感がする。
「◾◾◾◾◾·····!(おそらくこれが全てではありません。ついてきてください)」
「え?」
角刈りの男性がそう言った。しかしこういう場ではままあることだ。なぜなら彼らには呪霊が見えないし、見えないものを人間は恐れるし、恐れのあまりなにか歪な因果関係を勝手に作り出してしまうものだから。
そういうときは黙って付き合ってやった方がいい。早く帰りたい気持ちはあるけれど、この二人の圧がすごいしなんだかその先にわたしが探しているものがある気がして、大人しくついて行った。
連れていかれた先にあったのは、座敷牢だった。二人の少女が身を寄せあい、怯えるようにしてこちらを見ている。傷だらけだ。ボロボロだ。顔の形がおかしくなり目が腫れ上がるほどに暴行を受けている。
わたしはあまりのことに、一瞬言葉を失った。
「·····っ、」
これを。
そうか、これを。傑は見たのか。
ぎゅっと胸が痛くなる。この状況から彼女たちが村の人間からどういった扱いを受けているのか、察することができた。けれどもわたしは頭が回らず、やっとのことであまりにもありふれた質問をする。
「·····これはなんですか?」
「フー·····フー·····」
荒い息遣いの女の子たちがわたしを見つめる。恐れている。怯えている。·····きっとわたしもこの村の住人と同じく、自分達を傷つけようとしていると思っているんだろう。
「◾◾·····? ◾◾◾◾!?(なにとは? この2人が一連の事件の原因でしょう?)」
「違います」
「◾◾◾◾!!(この2人は頭がおかしい、不思議な力で村人を度々襲うのです)」
「今までの事件のことをおっしゃっていますか? その原因ならもうわたしが排除しました。彼女たちのせいではありません」
「◾◾◾!!(私の孫もこの2人に殺されかけたことがあります)」
だめだコイツら、聞く耳持たない·····! そう苛立ったのと座敷牢の中の女の子たちが声を出すのは同時だった。
「それはあっちが─────」
「◾◾◾!!(黙りなさい化け物め)」
「◾◾!!(あなた達の親もそうだった)◾◾◾!!(やはり赤子の内に殺しておくべきだった)」
·····すべてが、繋がる。
非術師によって殺された星漿体の·····まだ中学生だった女の子。そんな少女の死を喜んだらしい盤星教の教徒達。非術師からしか呪霊は生まれないという事実。死んだ灰原。そして、目の前の女の子たち。
·····ああ、たかだか高校生の君が真正面から受け止めるには、苦しすぎたね。
やっとわかった。やっとわかったよ。
一緒に背負えなくて。本当にごめんね。
呪術界は腐っていると思っていた。それはもちろん間違っていない。でも、それだけじゃなかった。
この世界そのものが、歪で汚い。
·····でも、わたしは、それでも。
君とこの世で歩いていたい。
「·····では彼女たちはわたしが連れ帰ります」
「◾◾!?(はあ!? よそ者が何を言って)」
「いま殺しておくべきだったと言いましたよね。いなくなったほうがあなた達にとっても都合がいいんじゃないですか」
「◾◾◾!!(そんなことをしてもしもこの化け物が何かしでかしたら·····)」
「わたしも同じ化け物だっつってんの」
術式を使う。座敷牢を破壊する。その場にいた全員から悲鳴が上がった。目の前のバカはどうでもいいけれど少女たちは心配だ。怖がらせてごめんね、とわたしは振り返って彼女らに笑顔を向ける。そしてもう一度バカふたりに向き直った。
「あなたたちがしていることは犯罪です。村ぐるみで少女二人を監禁・暴行していたんですね。警察に通報いたします。全国にあなたがたの顔と名前が流れるでしょう。それこそたくさんのマスコミがこの村にやってくるかも。楽しいですね」
「◾◾◾!!(おい、やめろ)」
「だったら黙ってこの二人を引渡しなさい」
·····まあ、その上で通報しないとは言わないんだけど。とりあえずそのあたりは補助監督に連絡してあとは任せよう。まずはこの子たちのケアが先だ。
携帯電話を取り出した瞬間焦ったらしいふたりは飛びかかってきた。それを簡単にのして、わたしは女の子たちの前まで歩き怖がらせないように膝を着いて目線を合わせる。
「怖かったね、もう大丈夫だよ。わたしもあなた達と同じ、ちょっと変わった力があるの」
女の子たちはわたしをじっと見つめる。信じていいものか疑うように。でも、期待の色を滲ませながら。
そんな幼子を安心させるよう、わたしはなるべく優しい笑顔を作った。
「そういう力を持ったひとだけが行く学校があって、わたしはそこの生徒なの。よかったらふたりも来ない? もちろんこの村に残りたいなら止めないけど·····」
「「絶対にイヤ!!!」」
「·····うん、そうだよね。わたしの友達にケガを治せる女の子がいるから、まずはその子に会いに行こう? いまお迎え呼ぶね。ここからちょっと遠いんだけど、大丈夫かな」
そう聞くと、二人はぶんぶんと頷いたあと抱き合って泣いた。助かるんだ、もう助かるんだね、嗚咽混じりのその声があまりにも苦しい。
わたしは泣きじゃくる彼女たちの肩にそっと手を置いて、もう一度頑張ったねと労わった。ああ、胸が痛い。この子達の苦労を思うと胸が痛い。そして近くでふたりを見てようやく気づく。このふたりは傑といっしょにいた女子高生だろう。
傑はあの日この世の全てに絶望して。まだ自分だって子供なのに、こんな幼い子達の手を取って世界を変えようとしたのか。
知ったらさらに君のことが愛おしくなってしまった。どこまで融通のきかない理想論者なんだろう。
二人は美々子と菜々子というらしい。かわいい名前だね、というと照れたように笑った。補助監督も合流し、いったん四人で高専へと帰る。あの村の処遇については明日以降に決まるようだ。
カバンの中に入っていたお菓子をふたりに上げると、とても嬉しそうに平らげてくれた。それを見て、この任務についたのがわたしでよかったと心底思った。·····傑に救われた彼女たちもきっと幸せだったろう。こんな腐った世界ではなにが正解かなんて結局わからないし、わたしのほうが正しいとも思わない。けれども純粋に、このふたりを呪術師として助けることができて、あの村人たちにも弁明や反省、それから罰せられる余地があるのだと思うといくらか救われた。·····こう思うわたしも理想論者なのかもしれない。
あの村から高専にたどり着くまではかなりの時間がかかった。高専に着いた頃にはもう時刻は0時近くて、硝子はもう寝てるかなあとポリポリ頬を掻く。美々子と菜々子は疲れてぐっすり眠っているようだった。とりあえず救護室につれていきましょうか、と補助監督と話す。
そして一旦社外に出て、彼女が美々子のほうを抱き上げたからわたしは菜々子を抱えようとする。·····そのときだった。後ろから名前を呼ばれたのは。
「名前」
「·····傑、」
「おかえり。さっき夜蛾先生が硝子に事情を話しているのを聞いたよ、硝子は救護室で待機してる」
「あ、ほんと! よかった」
傑、いた。その事実に心からほっとする。よかった、と思っていたら傑が補助監督の手から美々子を受け取った。あとは私が運ぶので村の処理の方よろしくお願いします、と告げている。それを受けた彼女は了解しましたと頷き、事実確認もろもろのためか車内に引き返した。図らずも傑とふたりで高専までの道のりを歩くことになる。
九月の夜は涼しい。
澄んだ空気に三日月が輝く。
美々子と菜々子の小さな寝息が静寂に響いた。
「·····薬ちゃんと飲めた? 副作用は大丈夫かい」
「あ、うん。大丈夫! ちょっと眠いのとだるいくらい」
「それでもしんどかったろう。ごめんね、ついていてやれなくて」
「いやいや、普通にわたしが悪いから·····」
さすがにあれはどうかしてたよなあ。いい歳してそのへんのメンヘラでもなかなかやらないようなことをしてしまった、と反省する。そしてそれから気になっていたことを聞いた。まあ傑が平気な顔をしているということはみんな無事なんだろうけど。
「灰原と七海、大丈夫だった? 五条も」
「ああ、うん。呪霊自体は弱かったんだけど、ちょっと厄介でね。結界からなかなか出られなかったんだ·····そのせいで携帯の充電が切れて連絡もできなかった。悪かったね」
「ううん、みんなが無事ならよかったよ·····」
本当に。本当によかった。
そう思いながらわたしは一歩一歩を噛み締めるように歩く。まだ、歩けている。君の隣を。
それだけで安心して涙が出そうになった。それをなんとか堪えるけれど、そうするとやけに喉の奥が熱くなってしまって、うまく話せない。結局わたしはだんまりのままただ足を動かす。·····菜々子の傷も美々子の傷もちゃんと消えますように、なんて考えながら。
そうしていると傑がおもむろに口を開いた。
「·····きょうの呪霊なんだけど、すごく変わってて」
「?」
「殺すと時間が巻き戻るんだ。向こうじゃなく、こっち側の時間が」
「え? 」
何それ、と傑のほうを向く。彼は淡々と続けた。
「灰原と七海はそれこそ何十周も同じことをしていたみたいだよ。悟もそう。私が来て、呪霊を殺すんじゃなく取り込んだら片がついた」
「へー·····そんな変わった呪霊もいるんだ」
殺したら周りの時間が巻き戻る、かあ。殺された自分ではなく周りにいた人間の時間が。
·····え?
周りの·····人間の、時間?
「それ、」
「君は未来から来たんだろう、名前」
もしかしてと思う間もなく繰り出された突然の問いかけに、わたしは思わず足を止めた。傑も立ち止まってこちらを見ている。わたしは理解が追いつかなくて、ただぱちぱちと瞬きをした。
·····わたしが、高専時代に逆行したのは。傑の取り込んだ、呪霊のせいだった?
「やっぱり君に呪霊を憑けていたんだね。私が死んだら君を過去に戻せるように」
「·····な、んで。え?」
「だって悟は私なしでもやっていけるだろうけど、名前は私がいなくなったら立ち行かなくなってしまうだろう」
なんで。
傑がまた歩き始める。わたしは慌ててついていった。·····彼はそのまま、話を続ける。
「·····おかしいとは思っていたんだ、いろいろと。急に強くなるし、めちゃくちゃ甘えてくるし、なんだかいつも泣きそうな顔をして私を見ているし」
「··········」
「それから昨日のコンドーム。さすがにどうかしていると思って最近の行動についてちょっと調べさせてもらった。·····それでわかったんだ。灰原と七海の任務にほとんど無理やり同行していることも、本当なら◾◾村での任務は私が受ける予定だったことも」
まさかバレると思わなかったわたしはどう返事をしたらいいのかわからず口ごもる。そんなわたしに彼は困ったように笑った。
「·····未来を変えようとしていたんだね、ずっと。きっと君の生きてきた世界では、灰原か七海のどちらかもしくは両方が死んでいたんだろう。そして今日の任務についた私はこの二人の置かれた状況に酷い嫌悪を抱いて·····爆発した」
「・・・」
「はは、顔を見るだけで当たりだってわかるな」
困ったように笑う傑にわたしは胸が痛くなる。なんて返そう、そう思っていたら高専の医療スタッフが向こうからパタパタと走ってきて、美々子と菜々子を回収してくれた。
腕の中のあたたかい体温がなくなって、一層秋の夜風を冷たく感じる。
わたしと傑は言葉もないまま学生寮のほうへ向かう。なにか言わなきゃ、なにか·····そう思っていると、急にぐいっと体が引き寄せられた。
「·····ごめんね」
「あ、」
「私は名前を置き去りにしたろう」
冷えた体が包み込まれる。傑のあたたかい胸に、腕に、抱きしめられる。
ずっとどうしてか聞きたかった。ずっと、ずっと、ずっと。
わたしは傑を見上げ、震える声で懸命に言葉を紡ぐ。
「·····もしも、いま。あなたがいなくなるとして·····。そのときはわたしのこと、連れて行ってくれる?」
傑は困ったように笑ってわたしの髪を撫でた後、小さく首を横に振った。
「·····どうして」
「どうしてだろうね」
「わたしのこと、そこまで好きじゃないとか」
「まさか。そんなわけないって名前がいちばんわかっているだろう」
そうだ。傑はいつだって、わたしをたっぷり蜂蜜のような愛で包み込んでくれていた。
わたしはいなくなった君のことを理解できなかったけれど、それでも愛されていたという自信だけはあったのだ。
「·····わたしに苦労させたくなかった?」
「うん、それもあるね」
「それでもいいって言っても連れて行ってはくれない?」
「·····ああ。そういうもんなんだよ」
「わたしは傑がいない世界でぼーっと生きるより、傑と一緒に苦しみたかったよ」
「うん、それもわかってる」
そう言ったあと、傑はわたしの髪を一房とって口付けた。そしてゆっくりと口を開く。
「でも、名前は私についてきてくれたとしても·····私と同じところまでは、堕ちてはくれないだろう」
「!」
傑の声色はどこか乾いていて悲しい。わたしはそれにきゅうっと胸を締め付けられたあと、こくりと頷いた。
·····そうだ。わたしはたぶん、全部が全部ではないけれど君の見てきた世界に触れた。
それでもやっぱりわたしには、みんなを裏切って呪詛師になるなんてできない。君のそばにいたいという甘ったれた恋心だけでついて行くことはできても、きっと真に理解することはできない。
わたしでは、傑と同じ夢を見られない。
だから君はわたしをあの日置いてけぼりにして。すべての夢が叶ったあとで、迎えに来ようとしてくれていたんだね。
「すぐる」
そっとその指先に触れる。そしてぎゅっと手を握る。わたしはできるだけ真摯に丁寧に、君に囁いた。
「·····傑の夢は叶わないよ」
「·····そうか」
「うん」
これはきっと残酷な真実だ。散々世界に失望してきた高校生の男の子に告げるには酷なことだろう。
でも、次は五条じゃなくて。わたしが君を殺すと決めたから。
「だから諦めてほしい、世界は変わらない。傑のやり方ではどうすることもできなかった·····非術師を皆殺しになんてできない。
わたしたち呪術師はこれからも、なんの力も持たない人間が生み出した呪霊を退治して、疲弊して、死んでいく」
「··········」
傑がぎゅっと奥歯を噛み締める。わたしはその様を見ながら続けた。
「だから、諦めて。·····そして今度はわたしの夢を叶えて」
「·····え?」
傑が驚いたように瞬きをした。わたしは少しだけ微笑みを見せる。
「·····わたし、教師になるよ。ふふ、意外と思うだろうけどね、わたしの生きてきた世界では五条が教師になってたの。わたしは普通に任務こなすだけの呪術師だったんだけど」
「·····悟が」
「そうだよ、ウケるでしょ。傑がいなくなった世界ではアイツもアイツなりにいろいろ考えたみたいでね、教師になって仲間を育てて呪術界をリセットしようとしてたんだよ」
その言葉に驚いたように傑が目を瞬かせる。まあそりゃムリもない。だって傑はいまの、ワガママで勝手な五条悟のことしか知らないんだから。
「·····わたしも今度は教師になる。ちゃんと仲間を育てる。それからきょうの美々子と菜々子みたいな子達をなくす方法を探っていく。
啓蒙活動をしてもいい、非術師と呪術師の在り方を変えていきたい」
「それは、」
「ムリなんて言わせないよ」
わたしはあいている方の手でそっと傑の頬に触れた。君の瞳にわたしが映る。それだけが、わたしの求めるもの。
「世界を変えよう、一緒に。ちゃんと傑が心の底から笑えるような世界を作ろう。·····正攻法で、ね?」
いいでしょう? と笑うと傑はなんだか少し泣きそうな顔をした。ああ、初めて君が。弱いところを見せてくれたような気がする。
「·····傑、死ぬ間際にわたしに幸せになってほしいって言ったらしいのよ」
「!」
「それでこうなってるんだもん、わたしの幸せには自分が欠かせないってわかってるんでしょ? ずるいひと」
そう言いながら微笑む。·····微笑んでいるはずなのになぜだか涙が溢れ出した。傑がそっとそれを指で拭う。
「·····今度はちゃんと幸せにして。ずっとそばにいてよね」
そう言ってわたしは傑の胸にゴツンと頭突きをしてやった。傑はそれを受け止めて、ぎゅっとわたしを抱きしめた。