01


「じゃあいこっか、名前」
「はい、よろしくお願いします」

伏黒くんと別れ、わたしは五条さんと歩き始めた。五条さんはさっき教えてもらった呪術師養成学校、呪術高専とやらの教師らしい。ついさっきまであのバケモノを呪霊と呼ぶことすら知らなかったし、あれを退治できる人間が他にもいて養成学校まであるなんて思いもしなかったわたしはハテナでいっぱいである。けれどもわたしはどこか安心していた。だって今までずっと闇雲にバケモノと戦い続けていたから、急に道が開けたみたいで。


「さてと、名前。いろいろ聞きたいことはあるけど·····たぶん君も聞きたいことだらけだよね。呪霊について何も知らないんだって?」
「はい! まったく欠片も知らないです!」
「そっかそっか。今までよく頑張ったね」
「ありがとうございます!」
「元気がいいねえ」

いいことだ、と五条さんは笑う。それになんだかちょっと照れていると彼はうーんと考えるように唸ったあと口を開いた。

「でも先に僕から質問してもいいかな。君のご両親や親族に、同じような力を持つ人はいる?」

首を軽く傾けながらそう聞かれて、わたしはふるふると首を横に振った。やっぱりこういう力って、遺伝によるものが多いんだろうか。


「いません。あ、妹は見えるんですけど·····というかわたしのせいで見えるようになっちゃったんですけど」

そうだ、もしこれから呪霊について知っていけば夢乃に宿ってしまった余計な力もなくすことはできるんだろうか。五条さんの質問に答えながらふとそんなことを考える。目の前の彼は怪訝そうに聞き返してきた。


「·····見えるようになった?」
「はい。えっと、ちょっと話すと長くなるんですが·····」
「いいよ」

五条さんがそう言ってくれたのでわたしはタマちゃんの名前を呼ぶ。タマちゃん、出ておいでー。タマちゃんは基本ランダムで勝手に出てくるけれど、呼んで出てきてくれるのだ。まあ日常生活でタマちゃんを呼びたくなるようなことって基本ないのでめったにこちらからは声をかけたりしないんだけど。

わたしが名前を呼んだ瞬間、彼女はすっとわたしの隣に現れた。五条さんはじっとタマちゃんを見つめる。

「·····子供の呪霊?」
「はい。·····あ、というかやっぱりタマちゃんも呪霊に入るんですか? あのバケモノたちとはぜんぜん見た目が違うからもっとこう守護霊的なものだと思ってたんですが」
「綺麗な容姿をした呪霊もいるよ。まあでも守護霊か·····ふーん」

言い得て妙かもね、と五条さんは言った。どういう意味だろうとそれに首を傾げながらも、わたしはタマちゃんの説明をする。


「えっと、この子はわたしが物心ついたときから傍にいたんです。怪我を治すことができる不思議なあめ玉をくれます」
「へえ、面白い。物体を通して他者·····宿主に対してかな? 反転術式が使えるんだ」
「はんてん·····」

それさっき伏黒くんにも言われたな、そう思っているとそのあたりはまた詳しく説明するから先に詳しく教えてと五条さんに言われた。わたしはこくりと頷いて続ける。よく考えるとこうして誰かにタマちゃんについて話すのって初めてだ。なんだか不思議な感じだなあ、と思った。


「えっと·····それで、そのあめ玉なんですけど。わたしだけじゃなく他人に食べさせても怪我が治るんです。でもそれをすると何故か、その人にもその·····呪霊が見えるようになっちゃうみたいなんです」
「!」


驚いたように五条さんはわたしを見たあとタマちゃんをもう一度見た。タマちゃんはとくに何の反応も示さず、相変わらず穏やかな顔をしてわたしの横を歩いている。
わたしはそのまま続けた。


「·····とはいえ妹にしか試してないんですけど。小さい頃妹がケガをしたときにあめ玉を出してもらったんです。で、傷は治ったんですが·····その日から妹にも呪霊が見えるようになっちゃって。だからもう他人にはあげないようにしています」
「なるほど。簡単に試すわけにもいかないしね·····ちなみにあめ玉一個で妹さんは呪霊が見えるようになったの? けっこう鮮明な感じ?」
「そうですね·····たぶん、視覚的にはわたしが見てるのと変わらないかと·····」

へえー·····と五条さんはまじまじとタマちゃんを見ている。口元には興味深げに薄い笑みが浮かべられていた。タマちゃんは特にそれに視線を返すこともなく、ただ真っ直ぐ前を見て歩く。


「·····面白いな。非術師に力を与えるのか·····ちなみにその妹さんは見えるだけ? 祓えはしないのかな?」
「見えるだけです。·····あ、今回呪霊が出たのも妹が通ってる教室だったんです。あの子は見えるけどどうすることもできないから、退治できるわたしが祓ってあげなきゃって」
「それで今日恵とバッティングしたのか」

なるほどねー、と五条さんは笑った。そしてその後つぶやく。


「·····もしあめ玉の個数を重ねたらどうなるんだろうね。非術師を術師にしたりすることもできるのかい? タマちゃん」
「···············」
「タマちゃんって喋らないの?」
「喋れますけど基本喋りません」
「そっかー」

残念、と五条さんは笑った。そしてまたしばらくタマちゃんのことを見つめる。でもタマちゃんは一切反応を示さないし、五条さんはわたし越しにタマちゃんを見下ろしているのでなんとなくちょっと居心地が悪い。そう思っていたら五条さんは急に明るい声を出した。


「ま、彼女のことはおいおい調べていくとしよう。まずは君のことだね! いま手持ちの呪霊はどれくらいいるの?」
「えっと·····30体くらいです」
「少なっ。まあ何も知らないで自力で祓ってたならそれでも十分か。でも呪霊操術は手数が強みだから、手っ取り早く力をつけるなら手合わせよりもとにかく現場に向かってどんどん呪霊を飲んでいくほうがいいかな」
「え゙っ·····」

さらっと言われてわたしは固まった。
どんどん、呪霊を、飲んでいく? さ·····30体でも少ない? あ、あんな·····あんな死ぬ思いで毎回飲んでるのに·····???

思わず固まってしまったわたしを見て五条さんは大丈夫大丈夫、と明るく言った。


「あ、別に危ないことをしろとは言わないから。人の任務についていって、弱ったところをひょいぱくっとしてもらえたら·····」
「あの、五条さん·····」
「なんだい?」

軽い調子の五条さんに、ひとつの考えが浮かぶ。そうか·····この人は·····呪霊を飲んだりしないから、あのしんどさがわからないんだ···············。


「できたらもう呪霊飲みたくないです·····伏黒くんみたいに式神で戦いたいんですけど、無理ですか·····」
「無理だね」
「ゔっ! そ、そんなあっさり」
「術式っていうのは生まれ持ってのものだからねー。君に刻まれているのが呪霊操術ならそれしか使えないよ」

だから諦めて、と五条さんは言う。そ、そんな·····殺生な·····。

思わず泣きそうになっていると、五条さんは首を傾げた。

「でも式神使役より呪霊操術のほうが格上だよ? ノーモーションで出せるし取り込む呪霊に限度はないからいくらでも強くなれる。いいと思うけど何がそんなに嫌なの?」

きょとん、という擬音がつくような気軽さでそう聞かれてしまった。なにがダメなんだと言外に滲んでいる。
それにわたしは思わずめちゃくちゃ渋い顔をしてしまった。まあでもこんな顔をしちゃうのも仕方ないよね本当に不味いし·····わたしはしぶしぶ口を開いた。思っていたよりも低い声が出る。


「呪霊って·····」
「うん」
「めちゃくちゃ·····めっちゃくちゃ·····」
「?」
「めちゃくちゃ不味いんですよ···············!!!!!」
「え」

そうなの、と驚いたような五条さん。やっぱ知らなかったか·····知らないよね·····なんか伏黒くんの反応的にこの技使える人少なそうだもんね·····!

「あれって味あるの? あの黒い玉。さらっと飲めるもんだと思ってたんだけど·····まあ飲み込むにはちょっとデカそうだけどさ」
「さらっとなんて飲めるわけないです!! ·····っていうか、え? その言い方だともしかして、五条さんの知り合いに呪霊操術使える人いるんですか?」
「え? あー·····うん、まあ」
「えーーーー!!!!! 会ってみたい!!!!」

思わず大興奮して五条さんに詰め寄ると彼はちょっとびっくりしたあと落ち着いて落ち着いて、と両手を出して制止してきた。慌ててわたしはちょっと離れる。いかんいかん興奮してしまった。


「·····なんで会いたいの? 珍しい技だから? ってまあ同じ術が使える人間には会いたいか、そりゃ」
「いや、それもあるんですけどそれより·····」
「?」
「さっきも言った通り呪霊って本当に不味いんです。ほんっとうにほんっとうに不味いんです、もうこんなもん飲むなら死んだ方がマシってくらい不味い」
「そ、そんなに·····?」
「そんなに」

熱を込めて言うと、五条さんは知らなかったな·····と小さく呟いた。わたしは勢いのまま熱く語る。


「だから会ってみたいんです。どうしてその人はあのクソまずい呪霊を飲みながら頑張っていられるのか聞きたいです。わたしは妹に変な力を与えちゃった罪悪感からずっと呪霊と戦って祓って·····を繰り返してるんですけど、その人が頑張れる理由があるなら知りたいです。お話してみたい」
「··········」
「あと純粋に、ほんっとうに不味いねって言い合いたいです」

本当に本当に本当に不味いんで! 思わず笑いながら言うと、五条さんはなぜか黙り込んでしまった。
どうしたんだろう、そう思って見上げるとぽんっと頭に手が乗せられる。


「わ?」
「·····ごめんね。そいつ、いまちょっと遠いところに行っちゃったから会わせらんないんだよね」
「あ、そうなんですか? 残念·····」

会いたかったな、と心の中で呟いていると五条さんはゆっくりと言葉を紡いだ。真っ黒なアイマスクのせいで彼の表情はいまひとつ掴めない。けれどもなんだかさっきまでとは、明らかに雰囲気が変わった気がした。


「·····名前はさ、そんなにしんどいなら呪霊なんて飲まなくていいよ。僕や恵とのパイプもできたし、これから先なにかあったら僕らに連絡すればいい」
「え? きゅ、急にどうしたんですか? めっちゃ言ってること変わりましたけど」
「そう? 僕わりと気分屋なところあるからね」

そう言った五条さんはわたしから手を離す。ゆるい重みが去って、わたしは思わず追いかけるように五条さんを見つめた。


「·····うん、飲まなくてもいいんだよ。下級呪霊を倒せるくらいの稽古ならつけてあげるし、何かあったときは僕や恵に頼ればいい。別に妹に罪悪感があるからって君が無理して戦う必要はない」
「え、で、でも·····それって結局五条さんや伏黒くんが危ない目に合うだけじゃ·····」
「まあそれが呪術師だからね。それに僕は最強だし、恵もまあまあ筋はあるから大丈夫。君が無理することはない」

最強って自分で言うんだ·····。まあ伏黒くんもめちゃくちゃ強いって言ってたもんな·····。
なんて思いながらも急に態度の変わった五条さんが少し気になってしまう。単に気分屋ってだけでは、済ませられないような。


「誰かが倒せばいい。別に君が倒す必要は·····」
「いや、無理です」
「うん?」

その言葉を思わず遮ると、五条さんは首を傾げた。


「無理です。妹はわたしが助けたいんです、お姉ちゃんなので。妹から受けたヘルプを他の人に回すとかちょっと嫌です、他に手がないっていうのなら·····めちゃくちゃ嫌ですけどいっぱい呪霊を飲んで強くなって妹を全部から守れるようになります」
「··········本気?」
「本気です。もう30回飲んだので100回も1000回も一緒です」
「···············」


案外頑固なんだね。そう言われたのでよく言われますと返した。


「·····それで妹を守れるのなら、わたしはなんでもします。まだその呪術高専? に行くって腹も決めてないし呪術師になる覚悟ができてるわけでもないですが。最初のプラン、他の人の任務についていって呪霊が弱ったところをひょいぱくですっけ·····五条さんがいいのなら、させてください」

真っ直ぐ五条さんを見つめてそう言う。すると五条さんはポリポリと頬を掻いたあと、ふうと息をついてから少し笑った。


「わかった。でも二つ約束してくれる?」
「なんでしょう」
「ひとつ。本当に本当にしんどくてもう限界で、どうしようもなくなったときは絶対に僕に言うこと。無理をしないこと」

真剣にそう言われてわたしはこくりと頷く。呪霊を祓う、その現場がどれだけ過酷なものか·····まだ齧ったばかりのわたしでも十二分にわかっている。きっとこの道は進めば進むほど、深い地獄と化すのだろう。そんなときちゃんと誰かに助けを求めるのは、自分が折れてしまわないために絶対に必要になる。

頷いたわたしを見て少し笑んだ五条さんは、それから·····と言った。次はなんだろう、とわたしは少しだけ身構える。

けれども彼の口から出た言葉は、わたしが全く予想だにしなかったもので。


「·····ふたつ。呪霊を飲み込んだあとは、僕が買ってくるとびきり美味しいスイーツで心と体を癒すこと。どう?」
「へ?」

突拍子もない約束の提案に目をぱちくりするわたしを置き去りにして、五条さんは続ける。


「まあ僕忙しいから買いだめしておいてそれを誰か経由で渡したり補助監督·····ああ、術師の補助をする職業なんだけどね。そういう人に見繕ってもらうかもしれないけど」
「え、え?」
「それでも学生じゃ食べられないようなすっごく美味しいスイーツを用意するよ。それならちょっとは溜飲も下がるかなって思うんだけど、どう?」
「ど、どうって」

なんでそんな、五条さんがそこまで。びっくりしていると彼は飄々としたテンションのまま軽く笑った。


「さあ、どうしてだろうね。ちょっとでもいっぱい食べてほしいからかな? あまりの不味さに食欲なくして痩せられたら困るし」
「ええ·····?」

そんな、思春期真っ盛りの女子中学生にいったいなんてことを·····。そう思ったけれど何故か拒否することはできなかった。なんだか彼が本当に、真剣な気がしてしまったから。


「約束できる? 名前。できるなら僕が懇切丁寧に指導してぽいっと現場に放り出してあげる」
「なんかひとつのセンテンスの中に矛盾を感じますが·····わかりました。無理はせずにちゃんと言うし、美味しいものもいっぱい食べます」
「うん、よろしい」


ぽん。また五条さんの手がわたしの頭に乗っかった。そしてそのままさらりと髪を一撫でされる。なぜだかまるで、なにかを確かめられているかのようだと思った。あまりにもその指先が丁寧にわたしの後頭部を伝ったから。

そのあとは高専やいま五条さんが受け持っている生徒さんについて教えてもらった。そしてそんな他愛もない話をしているうちに、角を曲がったらわたしの家というところにまで着いた。わたしがそれを伝えると、五条さんは了解と言って連絡先だけ交換しておこうと携帯を出してきた。特に断る理由もないし素直にそれに従う。トークアプリに、五条悟という文字が追加された。


「じゃあまた連絡するよ、今日はお疲れ様。帰って美味しいもの食べてよく寝るんだよ」
「はい、送ってくださってありがとうございました。五条さんも気をつけて帰ってくださいね」
「はいはーい」

それじゃ、と五条さんは軽く手を振って去っていった。·····なんだか不思議なひとだったな、そう思いながらわたしはまりも(仮)に乗って自分の部屋を目指すのであった。