05
どうしてこんなことに……。名前はそう思いながら、家から徒歩5分のところにあるスーパーの豚肉コーナーで食材の吟味をしていた。その最中、今日会う予定だった相手から「承知しました。残念です」とだけメッセージが届く。文面からもう次がないことを悟った名前がため息を吐くと、隣でショッピングカートを押していた凛が口を開いた。
「……相手から返事でもきたか」
「もう二度と会えなさそうなやつがねー」
「そうか」
「…………」
当てつけのような物言いに相槌しか打たないくせに、どこか満足気な凛をいっその事蹴り飛ばしてやれたらと彼女は歯噛みする。しかし高校生相手に大人気ない……と堪え、生姜焼き用の肉に手を伸ばした。これで買うべきものはすべてカートに入れたはずである。あとは会計だけだ、と名前は方向転換した。休日の夕方、混雑が見られるレジへ向かうのは億劫だが仕方ない。カートを受け取るため、彼女は凛に声をかける。
「会計してくるから凛くんはレジの向こうで待ってて」
あっち、と名前は袋詰め等をするコーナーを指差した。そこには混雑緩和のためか、同行者用のベンチなども置いてある。それに一瞥くれた凛は、そのままこちらを見ずに言った。
「……いい。俺が払う」
「は?」
「俺が払うからお前が向こうに行ってろ」
「……はあ!?」
予想外の返答に素っ頓狂な声を上げたところで、凛は全く聞く耳を持たない。待って待って、と名前は思わず彼のジャージの裾を掴んだ。
「いやいやいやそれはおかしい、凛くんそれはおかしいでしょわたしが払うよ!!」
「あ? うるせぇな、俺が払うっつってんだろ」
しかし彼はそんな名前の制止などものともせず列に向かって突き進んでいく。さすがに高校生にお金を出させるわけにはいかないと彼女が慌てて服から手を離しカートを奪い取ろうとするも、「食わせてもらうんだから気にしてんじゃねぇ」と突っぱねられた。
……いやいやいや、手料理を振る舞うからって高校一年生に支払わせるのはどう考えてもおかしいだろ! 名前はめげずに食い下がり、彼を追いかける。しかしそのとき、ぽんっと頭に手を置かれて「いいから大人しく向こうで待ってろ」と言われてしまった。それに思わず彼女は固まる。
……高校生に頭を、撫でられてしまった。しかもなんだかエキゾチックな香りが鼻先を掠めた気がする。
最近の高校一年生って香水つけてんの? ていうかこんなもん犯罪では? 別途よしよし代金をお渡しした方がいいのでは? 完全に思考がショートする名前を置き去りにして、凛は一人でレジ列に並んだ。すぐに他の人が彼の後ろに続いてしまったので、彼女は完全にタイミングを逃しそのまますごすごとレジの向こう側へ移動する。
いったいどうしたものかと名前は遠い目をした。天を仰ぎながら、ここに至るまでの出来事を反芻する。
キスをされた。道のど真ん中で周囲の目も厭わず、高校生にキスをされてしまった。その上婚活の邪魔をされ、アポにも行かせてもらえなかった。あと、「俺がそいつの10倍稼ぐから5年待て」とかも言われた。
以上から導き出される答えとして、これは完全に、凛は自分に惚れているらしい。ていうか最後にいたっては、もはやプロポーズでは?
そこまで考えた瞬間、なんでだよ!! と思わず叫び出しそうになった。
どうしてこんなにかっこよくてめちゃくちゃモテるであろう男が、自分のようなどこにでもいる……それどころか大粗相の面倒を見させた一回り近く年上の相手に懸想を抱くんだ。そう思いながら彼の方を見る。
主婦が多い列の中、高身長の凛は頭が一つ飛び抜けていた。ジャージにショッピングカートという出で立ちなのにここまでかっこいいなんて有り得るのか? と名前は呆然とする。なんなら周りの主婦達も、マア……と頬を染めているのが見てとれた。
なんだかもはや現実味がなくて、名前はドラマのワンシーンを見ているような気になってきた。いやー、さすがにもはやぜんぶ夢では? しかしぼんやり口を開けている自分に、会計を済ませた凛は声をかけてくる。
「なにマヌケな顔してんだ」
そう言いながら彼は買い物かごを台に乗せ、袋に商品を詰め始めた。不慣れながらも丁寧に詰めようとする姿に名前は少しだけ胸がキュンとする。そしてすぐにいかんいかん! と首を振った。これは母性本能、これは母性本能、恋愛感情ではない。そう言い聞かせている時点で負けな気もするが、彼女はそれを誤魔化すように「私がやるよ! ……お会計ありがとう」と慌てて袋詰めの作業を奪った。凛もそちらの方がいいと判断したのか今度は大人しく一歩離れる。
そのときふと、彼氏と買い物に行って手料理を振舞っていたときのことを名前は思い出した。凛のおかげで元彼への未練はまったくないが、一緒に献立を決めて買い物をしてついでに甘味なんかも買って帰ったあの日を思うと少しだけ懐かしくなる。……あのとき自分と元彼は、他人から見てもカップルだったろう。もしかして今の自分と凛も、そう見えているのだろうか。
なんて考えたところですべての品を入れ終えた。途端、凛が黙ってその袋を持ち上げる。それは凛にお願いするか、と素直に礼を言う名前に、彼は特に反応も示さずスタスタ歩いていった。……クールすぎる。どう考えても自分を好きだとは思えない。
そう思いながら凛の後ろを着いて歩き、自動ドアへと進んだところでガラスが反射して自分たちの姿が浮かんだ。……どう見てもイケメン高校生と、荷物持ちをしてもらっている着飾ったアラサーである。従兄弟にしか見えないな、と名前は小さく苦笑した。前を歩く凛は、そのことに気づかない。
◇◆◇
まさか二度も高校生を部屋に上げることになるとは思わなかったな、と思いながら名前は玄関の錠を開けた。しかも今回は押し負けたとはいえ自らの意思でなんて……となんだか情けなくなりながらも、それを誤魔化すように料理に取り掛かる。その間凛はリビングのソファでスマホを触りながら待っていた。我が物顔で寛ぐ凛に、若い子の度胸ってすごいな……なんて驚きつつ、30分程で完成させたメニューを食卓に並べた。豚のしょうが焼き・だし巻き玉子・サラダ・味噌汁の前でいただきますと手を合わせる凛は、やっぱり名前の目には子供に映る。彼は味噌汁を啜り、そのあと生姜焼きに箸を伸ばして口の中に放り込んだ。
「……どう? 美味しい?」
「おう。……案外料理できるんだな」
「いやまあできるっていうか、簡単に作れるものを並べただけだけど」
「十分だろ」
そう言った彼は、もっもっと効果音がつきそうな勢いで白米と生姜焼きを食らい、時には味噌汁を飲み、ちゃんとサラダも食べている。元気よく美味しそうに自分の手料理を食べる姿にかわいいな……とうっかり名前は絆されそうになり、いかんいかんと太ももを抓った。そして自分も食事を取る。味は問題ない。
しかし名前はどうしようもない居心地の悪さを感じていた。食事開始からしばらく時間が経ったが、話題が見つからないのである。基本的にいつも名前が話題を振り、それに凛が答えるという形を取っていた。しかし今日はまったく会話の糸口が思いつかず、何を話すべきかわからない。彼女は味噌汁を啜りながらチラリと凛を盗み見た。勢いよく食べる彼は口に物を詰め込みすぎて頬が丸くなっている。ハムスターみたいだ、と思わず吹き出してしまった。
「……んだよ」
「いや、美味しそうに食べてくれるなぁと思って」
「わりーか」
「まさか。嬉しいんだよ」
「……」
少し笑いながら名前が言うと凛が黙る。しかし彼が返答をしないのは名前にとって茶飯事だったのでさして気にしないでいると、凛はなんだかばつが悪そうに言った。
「……怒ってねぇのかよ」
「何に?」
「予定潰したこと」
「ああ」
一応気にしてたんだ、と言いながら名前は生姜焼きを齧った。凛はそれに対して別に、と返しながら汁椀を手にする。わざわざ言うってことは気になってるということじゃないか、と思いながらも彼女はそこに触れなかった。からかったりもせず、淡々と自身の感情を述べる。
「怒ってないよ。怒ってるっていうか、戸惑ってる」
「……」
「……あと、申し訳ないと思ってる。その、酔っ払って、迷惑かけて……その」
ごにょごにょ、と思わず歯切れが悪くなってしまった。記憶にないとはいえ、自分から高校生にキスをしてしまったという事実は彼女にとってあまりにも受け入れ難いことだった。けれどもきちんと謝罪しなければ……と思っていたとき、凛が言い放つ。
「違うだろ」
「え」
「酔っ払って迷惑かけて、で終わらせてんじゃねぇよ。俺からもしてんだぞ。その意味わかってんだろ」
「……」
その言葉に明らかに動揺する名前を凛はじっと見た。数秒沈黙が続いた後、彼は一つ息を吐いて味噌汁を飲み干し、「ごちそうさま。美味かった」と手を合わせる。食器を重ねて台所へ持っていく凛に「いいよそのままで」と彼女は慌てて声をかけるが、「いいから洗ってる間に食っとけ」と突っぱねられてしまった。
……食べ終わったら確実に話し合いになってしまう。そう察した名前は胃が痛むのを感じながら生姜焼きの最後の一切れを口に入れ、茶碗の中に残っていた少量の米も平らげ、味噌汁を飲んだ。なんだかもう、味がしない。そんな風に感じる自分に嫌になった。
……高校生相手に何を悩んでいるんだ、毅然とした態度で挑むべきだろう。名前は思わずこめかみを押さえた。自分の何がいいのかわからないし、そもそも相手は一回り近く年の離れた子供である。
高校生なんて、恋愛と性欲の区別もついていないような年頃だ。泥酔した夜にベッドの中で口付けなんてしてしまったから、きっと勘違いさせてしまったんだろう。これ以上、凛の人生に関わるべきではない。自分は自分の、凛には凛のいるべき世界があって、本来それは混じりあってはいけないものなんだ。
「……ごちそうさま」
そう自分の中で結論づけた名前は、空になった食器の前で手を合わせた。するとちょうどそのタイミングで食器を洗い終えたらしい凛がやってくる。
「お前のも洗う」
「え! いいよわたし自分でやるよ」
「うるせぇ。作ってもらってんだからこれくらいやる」
「でも」
「いいから座ってろ」
チッと舌打ちした凛は名前から食器を取り上げ、スタスタと台所へ戻っていく。こうなった彼は頑ななので、彼女は申し訳なさを感じながらもありがとうと礼を言った。代わりにテーブルを拭いておく。
……今まで付き合った男性がこういうことをしてくれたときは、ただ単純に嬉しかった。けれども相手が高校生だと、「ちゃんと育てられてきたんだろうな……」なんて思ってしまう。
そもそも一回り近い年の差なんて、下手したら親子に間違われかねないかもしれないと名前は苦笑した。やっぱりありえない。高校生とどうこうなるなんて、あってはいけない。ちゃんとここであの夜のことを謝罪し、好意を受け取れないことを伝え、理解してもらって金輪際関わりを持たないようにしよう。
少し寂しさを覚えたけれど、名前はなんとか腹を決めた。程なくして凛が戻ってくる。
「お疲れ様。おかえり、ありがと」
「おう」
「……とりあえず、座る?」
「ん」
そして二人はソファに横並びで腰掛ける。距離を取って名前が座るようにすると、凛は少し眉を顰めたが特に何も言わずそのまま腰を下ろした。
静寂。
テレビもつけていない静かな部屋は沈黙がやけに響く。しかしこれを片付けるのは自分だろうと、名前は自ら口を開いた。
「……凛くん、えっと、改めて。酔っ払って送ってもらった日。キスして……しかもその、覚えてなくて、ごめんなさい」
「……」
「それから……その。なんて言ったらいいのかあれなんだけど……」
そこまで話してから名前ははたと気づく。キスはされたが、告白はされていないのだ。好きだの付き合いたいだの言われていないのに振るというのはなかなか文言に困るぞ、と名前は思った。君がおそらくわたしに好意を寄せている件について? いやなろう小説のタイトルかよ、なんて心の中でツッコミを入れながら、アー……と言葉にもならない声を出す。君が先程まだ明るいにも関わらず道のど真ん中でキッスしてきた件について? だからなろう系のタイトルかよ……ともう一巡同じことを考えていたとき。
凛が口を開いた。
「俺が知りたいのはお前が俺と付き合う気があんのかどうかだ」
「え」
「御託はもういい。俺と付き合え」
「えっ」
なんだこの生き物、最強じゃん………………。
思いもよらない発言に、名前は完全に言葉を失ってしまう。言える? 普通言えるか? 御託はいいから俺と付き合えなんて、普通の人間は言えるのか? そうか凛くんは普通じゃないのか……。と、名前は完全に宇宙猫状態になってしまっている。しかしここで流されては犯罪だ! と力を振り絞って言葉を発した。
「いや、それは……むりです」
「なんでだよ」
「そりゃだって凛くん、あなた高校生なんだから」
ありえないでしょ、と言外に滲ませながら名前は返す。しかしそんな彼女に凛はつっけんどんに言い放った。
「関係ねぇだろ」
「あるよ」
「ねぇよ」
「あるよ!?」
「じゃああるとして何が問題なんだよ」
「え……」
ぜんぶ問題ですけど……。名前はそう思ったが、凛がそれでは納得しないだろうことは見て取れた。どうしよう、と困りながらも彼女はなんとか言葉を紡ぐ。
「あの、わたし凛くんより一回り近く年上なんです」
「知ってる」
「……。凛くんモテるだろうし、同級生とか先輩後輩とかにさあ、もっとかわいい子もいい子もいるでしょう」
「興味ねぇ」
「…………えっと。いやでも、こんなババアより」
「うるせぇな。俺はお前がいいっつってんだろ」
「…………」
その言葉をちょっぴり嬉しく思ってしまう自分に名前はまた情けなくなり、太ももを抓った。だめだ、いかんいかん。若いイケメンにこんなふうに求められるなんて今までなかったからうっかり流されてしまいそうになる。
凛がせめてあと4歳……5歳……6歳とか歳を取っていたら二つ返事でOKしていただろう、と名前は思った。でも残念ながら凛は16歳なのだ。どう諦めさせれば……と名前が悩んでいると、彼はじっと彼女を見下ろしながら言った。
「つーかその口ぶり、俺が高校生じゃなかったら付き合うって白状してるようなもんだろ」
「ゔ」
「何がそんなに嫌なんだよ」
「い、嫌っていうか、親御さんにも申し訳ないし」
「俺の親に会ったこともないくせに親のことは気にして目の前の俺は気にしねぇのか」
「う」
そう言われると名前は返答に困ってしまう。そんな彼女に、凛は逃がさないとばかりに続けた。
「他に気にする事は」
「…………わたしと凛くんじゃ、あんまりにもアンバランスというか、そんな、変でしょ」
「なんでだよ。俺がお前のこと好きなのがおかしいっつーのか」
「ッ……」
さらりと言われたその言葉。臆面もなく素直に投げられたその二文字に名前は胸がきゅうっとする。けれど。けれどもだ。それに喜んでいてはいけないと、理性を振り絞った。
「っ、おかしいよ…………。おかしいっていうか、意味わかんないよ……。なんで、凛くんみたいなひとがわたしなんか、」
「しょうがねぇだろ、なっちまったもんはなっちまったんだから」
そう返されてしまったら、名前にはもう抵抗の言葉が見つからない。彼女の揺れる瞳を見逃さず、凛は名前のおとがいに指を添え持ち上げた。
「ま、」
「名前」
「っ……」
「好きだ」
こういうときに、名前を呼んでくるのはずるいと思った。近づくエメラルドグリーンに思わず息を呑む。このまま受け入れるわけには、と名前は慌てて両手を出して凛の肩を押そうとした。しかし凛はそんな彼女に言う。
「ポーズだけの抵抗なんてしてんな」
「っ、」
バレてる。そう思った瞬間、名前はぶわぁあっと顔から火が出るのではないかというくらい熱くなるのを感じた。彼女が固まったのをいいことに、凛は顔を寄せていく。二人の距離がさらに近づき始めた。20cm。15cm。10cm。7cm。5、4、3……
「条件があります!!!」
もうすぐ唇が触れ合うというところで、名前は大声を出した。咄嗟に発したその声は、勢いのあまり完全にひっくり返っている。
不格好、と恥ずかしくなるも彼女は面食らった様子の凛に続ける。凛は完全に名前が手中に入ったものと思っていたので、不意をつかれて目を見開いていた。
「凛くんが高校を卒業するまでセックスは禁止!」
「……あ?」
「で、できたらキスも禁止っ!!」
「んだよそれ。付き合ってるうちに入んのか」
「嫌なら付き合わない! あのね、君にはわからないと思うんだけれども、後のないアラサーが凛くんのような若くてかっこよくて眩しい男の子と付き合うのってめちゃくちゃ怖いし勇気がいることなんですよ!!!!」
そこまで言い切った名前は、一気に捲し立て過ぎたな……と少し反省する。しかしこれは彼女の本心だった。だから見て見ぬふりをするわけにはいかない、と改めて口を開く。
「……ごめん、こんなこと言って。でもね、やっぱり怖いの。正直に言うと、その……凛くんが本当にわたしのことを好きなのかどうかも不安に思う。わたしが変なことしちゃったから、そういう気になっちゃったんじゃないかとか……」
「なんだそれ。俺がヤりてぇだけでお前と付き合おうとしてると思ってんのか」
「そうじゃない、凛くんが私のことを好きって言ってくれる気持ちを疑ったりはしてない! ……でも、人間なんて感情を勘違いする生き物だとも思うから、怖い」
「……」
凛は眉間に皺を寄せるも、懸命に言葉を紡ぐ彼女に耳を傾ける。その姿勢に名前はほっとして、小さく息を吐いた。
「……わたしも、凛くんのことを、好きだと思う…………。でも高校生を好きになるなんて自分で信じられないし、それに、元彼に傷ついた後だったから……弱ってるときに優しくしてくれた凛くんにそんな気持ちを抱いちゃったのかもしれないって思ってる」
「……それの何がだめなんだよ」
「だめだよ……。最初の話に戻るけど、やっぱり私は大人で凛くんは高校生だから。私は君との付き合い方にちゃんと責任を持ちたい。18歳未満の男の子と性的なことはできない。……それを飲み込んでもらえないなら、本当に申し訳ないけれど、付き合えない」
「…………」
「勝手で、ごめん……」
そう言って俯く名前に、凛はため息をついた。やっぱりこんなの無理だったかな、と名前は胸が痛くなる。苦しくなるということはつまり、凛が好きだということだ。そう気づくとなんだか名前は目の奥がツンとするような感覚を覚えた。どうして本音を話すと、涙が出てしまいそうになるんだろう。
そう眉を寄せる名前に、凛がゆっくりと口を開いた。
「……抱きしめんのはいいのか」
「え」
「抱きしめるくらいは許せよ、さすがに」
あ、と声を発するよりも先に名前は自分の体が大きな凛に包み込まれるのを感じる。見た目通りがっしりした肩だとか胸板に心臓がバクバクした。先程香った香水の匂いに包まれて、名前は頭がクラクラする。しかし、それと同時に、凛の鼓動が速いのも伝わってきた。
「…………」
凛もドキドキしているんだと思うと、彼女は少しだけ肩の力が抜けた。高校生に翻弄されてばかりだと情けなくなっていたけれど、かわいいなと思ってしまった。そして同時に、やっぱり好きだと悟ってしまう。
「……うん」
頷きながらそっと凛の背に手を回すと、彼は腕の力を一層強めた。それに胸を高鳴らせながら、名前はすり、と凛の首筋に擦り寄る。
まだやっぱり、子供の一時的な勘違いだと疑ってしまうしまう自分はいた。それでも目の前の凛を、自分を優しく腕の中に閉じ込める凛を、ちゃんと見て向き合いたいとも思った。きゅ、と名前も彼へ伸ばした腕に力を込める。すると凛が優しく自分の髪を梳いてくるから、これより幸せなことなんてないような気がしてしまった。