02


「後生だから、今度、焼肉をたらふくご馳走させてください……!!」

泥酔した自分を家まで送り、そのまま朝まで付き合ってくれたイケメンはなんと高校一年生の子供だった。その衝撃の事実を知ってしまった名前は半泣きで彼にそう迫る。
彼女は知らない。自分がこの高校生の腕の中で眠ったのみならず、元彼と間違えてファーストキスまで奪っているということを。

けれどもなんとかして詫びをいれないと気が済まないと焦る彼女からの申し出に、凛は怪訝な顔をしながらも口を開いた。

「……なんで焼肉なんだよ」
「高校生男子と言えば山盛りの焼肉では……!?」
「知らねぇ」

呆れたように言う凛に、名前は本当にクールな子だな……と苦笑する。面倒くさそうにどこか遠くを見る凛の表情は、その伸ばされた前髪も手伝って今ひとつ把握しきれないからだ。しかし、実際のところはというと。

(勘弁してくれ……)

これ以上ない程に、彼は同様していた。

糸師凛、十六歳。なんでもないような顔をしているが、昨日は一日中悶々としていたし夜もなかなか眠れなかった。酔っ払いにファーストキスを奪われたことも、自分がした数々の“らしくないこと”も、全くもって消化できていないのである。
それでももう会うことはないだろうと自分に言い聞かせ、気だるい体に鞭打って登校しようとしたらこの始末。なんなんだいったい。なんでこんなことになるんだと彼が心の中で毒づくのも無理はなかった。

「……お前、いつもこの電車なのか」
「え? あ、ううん。今日は早く起きれたからちょっと早いの」
「そうか」

突然変わった話題に名前は首を傾げるも、凛はそれどころではない。念の為明日からはもう一本早いのに乗ろうと彼が決意する中で、名前は慌てて話を戻した。誤魔化されるわけにはいかないと、変に気合いを入れてしまっているのである。

「焼肉が好きじゃないなら他のでもいいよ! そんなにめちゃくちゃいいお店には連れていけないけど……」
「いらねぇ」
「……遠慮してる?」
「してねぇ」
「そう……」

しかし、どこまでもつっけんどんな凛の物言いに、名前は「嫌われている……?」とたじろぎ始めた。礼をしないと気はすまなかったが、迷惑になってしまうのであれば本意ではない。引き下がるべきかと考えた彼女は、まあ無理にとは言わないけど……と少し寂しそうに笑う。しかしそう目に見えて落ち込まれると、凛はどうにもバツの悪さを覚えた。

「……サッカーで忙しくて時間が取れねぇ。帰りはわりと遅くなるから飯食って寝るだけだし、土日も基本試合がある。昨日のオフが珍しかっただけだ」
「え、そうなの? 凛くんサッカーしてるんだ。背も高いしがっしりしてるもんね! 運動得意そう」
「別に……」
「なら余計に焼肉いっぱい食べさせたいんだけど……そっか、忙しい中で時間もらうのは悪いよね。あっごめんね昨日、せっかくのオフだったのにあんなに迷惑かけて……!」
「……」

なんでこんな、フォローするようなことを口走っているんだ。凛はまた自分らしくもない言動に小さくため息をついた。しかしそれはホームへと入り込んできた電車の騒音にかき消される。ぶわぁと吹く風に、彼はめんどくさそうに乱れた髪を整えた。横で同じようにしている名前になんだか喉の奥がつっかえたような、少しの息苦しさを感じる。

電車は緩やかに停車し、扉が開いた。当然のように名前は凛と一緒に乗り込んでくる。ラッシュを避けたくて早めの時刻に乗っているため幾分マシだが、それでも朝の電車は人が多い。自然、どうしても二人は密着する形になった。目の前にいる女の髪からシャンプーの香りがしたせいで一昨日の晩を思い出した凛は、苛立ったように息を吐く。

「っわ、ごめん、近くて……」
「別に……」

慌てたように見上げてくる女に舌打ちをしそうになるも、なんとか堪える。なんでコイツはこんなに無防備なんだ。いや、警戒心のあるような女なら道の真ん中で転がったりしていなかったんだろうが。
そんなことを考えて妙な苛立ちを募らせていると、彼の胸中など知らない名前がのほほんとした声を上げた。

「この電車だとちょっと人少なくていいね、いつもはもっとぎゅうぎゅうにされてるから……」
「……十分多いだろ」
「ううん、いつも乗ってるのはだいぶ酷くてさ。でも朝なかなか起きれなくてそれに乗っちゃうんだよねえ」
「そうかよ」

興味なさげな凛に名前は苦笑する。ウーンだめだ、会話がもたない。そもそも男子高校生と話が続くわけないかと思ったものの、おそらくしばらくは共に目的地まで揺られることになる。無言で過ごすのはちょっと気まずいしな、何かいい話題ないかな、と頭を悩ませていたとき。
カーブで電車が揺れ、名前はそのまま凛の肩のあたりに額をぶつけた。

「んわっ」
「おい! ちゃんと捕まってろよ」
「ご、ごめ、わわ」
「っ、」

いつもはすし詰め状態なため多少揺れたところでふらつく隙間もなかったのだが、今日はスペースがある。一応つり革に捕まってはいたのだが、そこまで力を込めていなかった名前は大きくぐらついてしまった。申し訳ないと慌てて凛から離れようとした瞬間、また車体は大きく揺れて今度は後ろに引っ張られるようによろめく。
そんな彼女に、咄嗟に凛は腕を伸ばした。そして支えるように、胸元に押し付けるように彼女を抱きとめる。胸部に名前の顔がぶつかると、その髪の匂いを強く感じった。クソ、と奥歯をかみしめる凛に彼女は慌てて顔を離す。

「ご、ごめ! 化粧ついてない!? 大丈夫!? あっちょっとラメ飛んだかも!」
「いい、触んな」
「でも」
「いいっつってんだろ!」

慌てて自分の胸に手を伸ばしてくる名前に、凛は声を荒らげた。別に嫌悪感があったわけではない。ただ照れくさかっただけである。
しかしもともとぶっきらぼうな彼の物言いは、名前を怯ませるには十分だった。

「ご、ごめん……」
「……」

そして、凛は見るからに落ち込む女にうまく言葉をかけられるような男でもなかった。どうしたらいいかわからずむっつりと黙っている凛。そんな彼に嫌われていると確信してしまった名前は慌てて距離を取る。凛はしまったと思ったものの、離れゆく体温に妙な虚しさを覚える自分に戸惑うばかりで何も出来ない。そんな彼の心の内など知る由もなく、名前はもう一度、ごめんねと眉を下げた。

「ありがとね、助かりました」

そう言って申し訳なさそうに笑う女に、凛はただこくりと頷く。そこからはひたすらに無言の時間が続いた。気まずいまま二十分弱電車に揺られ、先に名前の降りる駅が来る。わたし、ここだからと一応声をかけた名前に、凛はまた頷くことしかできない。自分の目的地の一つ手前の駅だった。それを一言でも言えば、別に嫌っているわけではないとわかってもらえたかもしれないのに、彼にそんな余裕は欠片もなかった。

「じゃあ、えっと、さっきは本当にありがとう。あの……バイバイ」
「……ああ」

逃げるように電車を降りる名前にかけたい言葉はいくつかあった気はしたけれど、凛はどれひとつとして選ぶことが出来なかった。すぐに人混みに流されていく名前を大丈夫かよと目で追う自分が嫌になる。
胸元を見ると確かに少しだけチラチラとラメが煌めいていた。控えめに光るそれを指先で拭うとなぜだかきゅっと胸が苦しくなる。

馬鹿馬鹿しいとため息をつくと同時に電車は走行を開始した。いつもとさして変わらないはずなのに、なぜだか普段よりも居心地悪く揺れている気がして、凛は小さく舌打ちをした。

◇◆◇

あれから一週間。電車を一本早めたこともあり、名前とは出会わなかった。それでもホームでいつも彼女の姿を探してしまう自分に彼は辟易しきっていた。会わないためにこの電車に乗っているというのに、矛盾した自分がひどく嫌だった。

けれども人間という生き物は忘れることができる。凛はもともとサッカーで忙しかったし、いつもより一層トレーニングに打ち込むようにしていた。今までだって兄である冴がいつも頭の隅にちらついて邪魔だった。ただそれが一人増えただけ。兄はともかく、女の方はどうせすぐ忘れるだろうと凛は高を括っていた。

しかし、そんな折。

(やっちまった……)

珍しく、本当に珍しく、寝坊をしてしまった。いや、凛に理由はわかっていた。ここ数日トレーニングメニューをハードにした割に夜はやはりなかなか寝付けなかったのである。朝食も食いっぱぐれ、イライラしながらホームに向かった凛は、階段を上った瞬間目に入る、普段の倍近くいる人間の数に目眩を覚えた。

心の中で毒づきながらも、もしかしてという思考が頭に過ぎる。しかしどうにも期待しているような自分が釈で、俯いて前髪の隙間から以前女と鉢合わせたあたりに視線をやった。そしてそこに、名前を認める。

(マジでいんのかよ……)

何故だか心臓がバクバクと音を立て始めた自分に歯噛みしながら、彼はスマホを触ってイヤホンで聞いていた曲を少しだけアップテンポなものに変更した。ボリュームも上げてみる。なんとかして気を紛らわせたかった。
しかしどうしても名前の方に目がいく。彼女は眠そうに欠伸をしながらスマホを触っていた。ふわりと風が吹いて、柔らかそうな髪が靡く。否、柔らかいのである。彼はそれを知っていた。その髪から漂う甘い香りも。

もう一段階イヤホンのボリュームを上げる。名前はいつも自分が乗る扉の位置に立っていた。人混みやエスカレーターの位置を考慮するとあそこが一番都合がいいのだが、同じ列に並ぶことは躊躇われ、一つ手前の扉の前の列の最後尾に立つ。別に何かやましいことがあるでもないのに、気づかれたくなかった。でも同時に、俺を見ろとも、思う。

ガキくせぇ、と自嘲していると電車がホームに入り込んできた。名前はこちらに視線をやることも無く、無表情に車体が立てる音に顔を上げる。扉が開き、彼女は足を進めた。それをそのまま目で追ったところ、扉の中では既に過密に人間が詰め込まれているのが目に入り、げんなりする。
……これに乗るのか、俺は。そしてアイツはいつもこれに乗っているのか。バカか?

ハァ、とため息をついて凛も足を踏み出す。自分の目の前にある扉の中も相当な混雑が伺えて、なんだかもう学校ごとサボってやりたいような気持ちになった。

◇◆◇

なんとか車内に体を押し込むと、自分の背の真後ろで扉が閉まった。それに凛は息をついて背中を扉に預ける。ラッシュ時の電車に乗るのは初めてかもしれないな、と彼は思った。高身長の彼からは、この車体にどれ程の人間が詰め込まれているかがよく見える。それにげんなりしつつも、こちら側の扉は終着まで開かないので動かなくて済むからまだマシだと自分に言い聞かせた。

電車がガタゴトとやかましい音を立てながら進んでいく。ふと凛は名前が乗り込んだ扉の方に目をやった。彼女も彼と同じく扉の側に立っている。名前の方は体を扉側に向けて、外の景色を眺めているようだった。
自分から見えるということは、相手からも見えるということである。気づいて欲しいような欲しくないような、そんな妙な気持ちがまたふつふつと湧き上がってくるのに苛立って、凛は深く息を吐いた。

とりあえずなるべく向こうは見ないようにしよう。そう思うものの目の前にはサラリーマン達の薄くなった頭頂部が並ぶ。それに萎えた彼は自分も扉の方に向きを変えるか、と体を動かそうとした。しかしまるで倣うようで嫌だな、と妙な意地がわきあがり躊躇う。なんでこんな馬鹿馬鹿しいことを考えているんだ嫌気が差して、もう一度名前の方を見た。

そして、気づく。名前に張り付くように……抱きつくように、見知らぬ中年男性が密着していることに。一瞬我が目を疑うも、怯えたように目を固く瞑る名前に凛は確信した。……あれは、痴漢だ。

気づいた瞬間体中の血管がぶわっと沸騰するようだった。許せなくて腸が煮えくり返りそうだった。男は名前の髪にその脂ぎった鼻を寄せている。それを目にした瞬間、体は勝手に動いていた。

次の駅まで待つことなんてできなかった。突然凛が動いたことで近くにいた乗客達は難色を示したが、彼の剣幕にたじろいだようですぐにスペースを開けた。ずんずんと凛は進んでいく。通常時なら一瞬で済む距離が、まるで永遠のようだった。こうしている間にももっと酷い目に合っているかもしれないと思うと気が気でなかった。許せないという感情だけが彼を支配する。

脳みその冷静な部分が、なぜ許せないんだと凛に問う。けれども彼はそれすらも無視して人混みをかきわけ、名前の元にたどり着いた。先程と変わらず、男は彼女を扉に押し付けるように抱きしめたままである。殴りたくなるのをぐっと堪え、凛は口を開いた。

「おいオッサン。何やってんだ、死ね」
「!?」
「えっ……」

殴るのは自重したが凛は男の腕を捻りあげるように掴み、名前から引き離した。突然のことに男は慌て、名前も驚きで状況を理解できていないようだった。
しかし凛の姿を見つけた瞬間、彼女の強ばっていた顔は一気に解れて。

「凛くん……!」

心底ほっとしたという顔に、凛はみぞおちがきゅうっと締まるような、あたたかくなるような、そんな不思議な感覚に陥った。名前の丸い瞳に自分が映る。そうすることでしか得られない何かが自分の中に生まれているような、そんな気がした。

でもそれについて考えるのは後だと自分に言い聞かせ、凛はその男に凄む。

「お前いま痴漢してただろ」
「な……っ、違……! そんな、勘違いで……っ! 人が多いからたまたま近くなってた、だけで……っ」
「あ? そんな距離じゃなかっただろ。殺すぞ」
「ヒッ……!」

完全に瞳孔が開いている凛に男は怯える。乗客達はなんだなんだと野次馬モードである。そんな様子に名前は思わず慌てて凛の腕を掴んだ。自分のせいで何か問題を起こしてしまったら、学生でありサッカーに打ち込んでいる彼に迷惑をかけるのではないかと考えたのである。

「り、りんくん! わ、わたし、大丈夫だから!」
「大丈夫じゃねぇだろ」
「で、でも……!」
「ほっほら、彼女もこう言ってることだし」
「いまお前に話しかけてねぇんだよ。喋んな死ねよ」
「りんくん……!!!」

なんて口の悪い子なんだと名前は慌てふためく。しかしそんな彼女に凛はますます苛立った。どうしてコイツは自分に危害を与えたやつを庇うんだ。これじゃ俺が余計なことをしてるみたいじゃねぇか。

凛がそう思い眉を寄せた瞬間、名前は凛を見上げて言った。

「だ、だってもし何か問題起こして凛くんに迷惑かけたらやだよ……! サッカー頑張ってるんでしょ!? わたしが我慢したらいいだけなら、それで……」
「……」

いいから、と言いきれない名前に凛は気づいた。自分の腕に触れる彼女の指はいまだ少し震えている。バカな女だと凛は思った。最初に会った時から、コイツはずっと馬鹿である。

「……別に殴ったりしねぇよ。次の駅で降りんぞ」
「え、で、でも凛くん学校……」
「ちょっとくらい遅刻したって別に問題ねぇ。……お前、自分が何されたのかちゃんと考えて物言えよ。震えてんじゃねぇか」
「りんく……」
「わかったな。駅着いたらすぐ駅員とこ行くぞ、お前も会社に遅れるって連絡しとけ」

有無を言わさない凛に、名前は少し迷った後こくんと頷いた。凛は引き続き男の腕をすごい力で握り続けており、完全に男は抵抗する気力を失っている。そうこうしているうちに次の駅が近いことを知らせるアナウンスが響き始めた。ここだと駅員室はどこになるっけ、などと凛が考えていたとき。

名前は凛はから手を離し、自分の髪を落ち着かせるように一撫でした後彼に向かってぎこちなく笑顔を作った。

「凛くん、ありがとう。……なんだかわたし、凛くんに助けてもらってばっかりだね」
「……別に」
「すごいね、凛くんは。優しくて強くて……かっこいいね」
「……」

そんなキラキラした台詞を臆面もなく投げつけてくる女に、凛はまたどうしたらいいかわからなくなる。ふい、と視線を向こうにやるも、どうやらこれは照れているんだと察したらしい名前は穏やかに微笑んでいた。

それがなんだかむず痒くて、同時に安堵もする。訳の分からない感情に支配されるのはあんなに煩わしかったのに、名前といると心が凪ぐ自分もいた。
この途方もない感情にもしかしてと思った時にはもう遅い。そんなことはわかっていたのに、それでも凛はなるべくその気持ちを無視しようと努めた。けれどもどうしてか、離れてしまった指先が寂しい。

◇◆◇

電車を降り駅員に事情を説明し、駅長室に向かったところ、あの男は以前も同じような手口で痴漢騒ぎを起こしていたことが発覚した。前回は厳重注意で終わっていたらしいが、今回は二度目であることと同席していた凛の圧であっさりと自分の非を認めた。
名前と凛も簡単に取り調べを受けたが、比較的スムーズに終わった。けれどもとっくに始業時間は過ぎている。痴漢男は連行され、名前と凛はそのまま駅長室を出た。あんなに騒がしかった駅は、ずいぶん閑散としている。

「ごめんね凛くん、学校あるのに……」
「別に。お前は休みにしたのか」
「あ、うん。とりあえず午前休を……でも上司が気を使ってくれて、全休にしたければまた連絡しろって」
「そうか」

二人はとりあえずそのまま駅のホームへと向かう。この時間だとラッシュ時ほどの本数はない。人の少なくなったホームで、名前と凛は並んで立った。

「ありがとう、本当に。実はけっこう怖くて……。どうしようと思ってたら凛くんが来てくれて、すごくびっくりしたんだけど、助かったよ……」
「……気にすんな。たまたま目に入っただけだ」

無愛想にそう言う凛に、名前は眦を下げた。嫌われているのではなく、単純に、感情表現が下手なのかもしれないなと思い始めていたのだ。

「なんかあの、この間は焼肉断られちゃったけど……本当に何かお礼、だめかな……?」

こんなに助けられておいて、何も出来ないなんて申し訳ないよと名前は言った。それに凛は黙り込む。
様子を窺うように名前は凛を見上げた。またふわりと風が吹き、柔らかな髪が揺れる。そしてそこから漂う優しい香りが凛の鼻腔を擽ったとき、彼は何かを諦めるように小さく息を吐いた。

「……腹減った」
「え?」
「今日は寝坊したからあの電車だった。朝飯食ってねぇ」
「あ、そ、そうなの……!? じゃあなんか食べに行く? あっでも学校……」
「……どうせ遅れてんだから飯食うくらいじゃ変わんねぇだろ」

そう言った凛に、確かに……? と名前は首を傾げる。いやでも大人として、と思い直したところで、凛はダメ押しするかのように続けた。

「なんか美味いもん食わせろよ、名前」
「!」

初めて呼ばれた自分の名前に、名前は目を丸くする。この年の差で呼び捨てかぁ、と少しおかしくなった彼女は敵わないなと破顔した。

「……仕方ないなぁ。何がいい? 凛くん好きな食べ物は?」
「鯛茶漬け」
「渋くない!? 食べられるところあるかな!?」

びっくりしたように笑う名前に凛は少しだけ目を細める。秋口の爽やかな風が、二人を撫でるように吹き抜けた。