『なんだー、迷ってんのかァ?』
明らかにこの高校のものではない制服に、ひっきりなしに辺りを見回すよう動く首。手には配布されたのであろう地図らしきものを持って、後ろ姿でも困っているのがわかる女子生徒。
Z組まであるこのマンモス校の授業見学の日は、こういう迷子が後を絶たない。
(しかしこの辺はなんの催しもない棟なのにものすごい迷い方したな)
何の気なしに声をかけると、その女生徒は驚いたように肩を跳ねさせ、くるりと振り返った後俺を見て心底安心したように笑った。
かわいらしい子だな。
そう思ったのを今でも覚えている。
第二話
『そうなんです!えっと、1年F組で行われてる英語の授業を見に行きたいんですけど・・・』
『授業見学のある1年の棟は向こう。こっちは何も行われてない3年の棟』
『ええ!?そうなんですか!?』
『キミめちゃめちゃ方向音痴って言われない?』
指さしながら説明すると、大袈裟なまでに驚いた女生徒はよく言われますと苦笑した。だからぜんぜん人がいなかったのかと納得したように呟く。クラスの表記を見ればすぐにわかるはずだが、それでもここをうろついていたとは本当に方向感覚がない上にちょっと抜けているんだろう。1年の棟はここから離れているし、この分だと確実に道中また迷いそうだ。
ちらりと腕時計を見る。次の授業まではまだ余裕があった(だからさっき見学生の前で挨拶させられたんだが)。
『しょうがねェから1年の棟まで連れてってやるよ』
『え、いいんですかっ!?す、すみません助かります』
『また迷子になりかねねーからな』
ありがとうございますありがとうございます、そう言って女生徒は何度も頭を下げた。絵に描いたような真面目ちゃんである。そもそも5月の授業見学に来る時点でウチを検討する生徒の中では真面目な部類に入っているのだが。
しかし1年棟に着くまでのあいだ、受験生にどんな話題を振るべきなのやらと俺は心の中でため息をついた。そもそもどれくらいここを志望してるのかもわかんねーし、かといって無言で歩くには1年棟はいささか遠すぎる。
だいたいこういうのって、ここ第一志望?って聞くとみんな気を使ってハイ!って言うから嫌なんだよな。そう思いながら目的地へ向かうため方向を変える。とりあえず交わした数言の中から話題を拾うしかなかった。
『・・・英語すきなの?』
当たり障りのない質問だがないよりマシかと口にする。女生徒は少し緊張しているようだったが、にっこりと笑って答えた。
『はい!でも国語の方が好き?得意です』
『へー、俺国語の担当。ウチ基本持ち上がりでいま3年見てるからもし入学したら見ることになるかもな』
『わ、そ、そうなんですね・・・!』
『まァ数が多すぎるから入学しても俺の見るクラスになるかはわかんねーけど』
担当教科に苦手意識を持っていない生徒だとわかるとこちらとしても少し話しやすい。三年あれば俺が見るクラスに当たるかもしれないし。そもそもこの子が入学してきたらの話だが。
まあそんな不確定要素が強すぎる話を続けていても仕方がない。とりあえず話題は今日の見学内容にするかと話を変える。
『ところで授業見学の後は部活見学だったか。どこ見ようとかあんの?』
『えっと、家庭科部を』
『あー、ウチの家庭科部人気だもんな』
ウチはやはりマンモス校なだけありそれなりに財力があるため、各部活力を入れている。その中でも家庭科部は年に数度外部のプロを呼んでウマい飯を作ることになっており、女生徒に非常に人気だった。
『はい。・・・先生は、部活の顧問とか受け持たれてるんですか?』
『いや、俺はやってねーよ』
『そうですか、残念』
残念?思っていたのとは違う返事に俺は首を傾げてその子を見る。女生徒は少し頬を染めて、はにかむように笑っていた。
『先生が何かの顧問してるなら、その部活に入ってみたかったです』
「・・・ただのおべんちゃらだと思ってたんだけどなァ」
いや、ウソだ。あのときの笑顔は本物だった。だからこそ驚いて、無数に会ったはずの受験生候補の中でもアイツは強烈に印象に残った。
あれから少しテキトーな雑談を続け、気づいたら1年の棟は目の前で。
『あれが1年棟。じゃあもう迷わないように』
『ハイ、本当にありがとうございました!』
丁寧に頭を下げる女生徒。彼女はでは!と元気よく挨拶し、前に進もうとする。
『ッ、なあ』
その姿になぜか俺は声をかけられずにはいられなくなって。くるりと振り返り、女生徒の髪が揺れ、長いまつげがぱちぱちと瞬き目が合った。
『はい?』
どうしましたか、と笑顔で聞く彼女に。俺はすんでのところで冷静になって口を開いた。
『・・・いや、受験頑張れよ』
ありがとうございます。もしここに受かったら、よろしくお願いします!そう言って満面の笑みを作った彼女は俺に背を向けて歩いて行った。
その背中を見てやっぱり名前を聞いておけばよかったと一瞬後悔し、ぶるりと頭を振った。なに変なこと考えてるんだか。お縄だぞ。
それから季節は流れ、いつの間にか受験シーズンになり。俺の生徒たちは着々と進路を決めその道へと進んでいった。そしてやってきた高校受験当日。莫大な数の受験生の中であの女生徒は見つからなかった。合格発表、入学手続き、入学式。どのタイミングでもそうだった。だからといってあの女生徒がここに入学していないと思ったわけではないが(なんせ数が多すぎるので)、そもそもここを受験しているのかどうかすらわからない中学生女子のことを考え続ける自分がキモすぎて辟易した。
そして各クラス最初の授業が始まる。俺は予想通り1年の担当になった。初回授業は入学早々に実施された入学テストの返却と解説、余った時間で多少の雑談と相場が決まっている。そろそろ次のクラスへ向かうかと返却するためのテストを一纏めにし、職員室でパラパラとそれに目を通した。ふと1枚の用紙が目に止まる。
『・・・このみょうじなまえって生徒、入試国語もぶっち切り学年1位だったな』
だからといってどうではないが、飛び抜けたスコアを出した生徒は多少気になる。みょうじなまえ、もう一度その名前を頭の中で繰り返して職員室を出た。
そしてその十数分後に入ったクラスで件の女生徒を見つけて一瞬固まり、さらに十分後、 みょうじと呼ばれて立ち上がりテストを取りに来たのがソイツで俺は心臓がばくばくいうのを感じた。
深入りしてはいけない。
微かに残った俺の理性はガンガンに警鐘を鳴らし、ものすごい好成績を取っているにも関わらず、はいよとだけ言って返却した。
『ありがとうございます』
そんな俺に女生徒は・・・。なまえは、あの日と同じ屈託のない笑顔で返事をしてそれを受け取った。
「土方に沖田、・・・ねェ」
なまえのためを思うなら、どちらでもいい。俺以外の男なら、同年代の男なら、それなりにアイツを幸せにしてくれそうな男なら誰でもいいからとっとと付き合ってくれと思っていた。
なのになんだ、若いだの悪手だのとケチをつけて。ガキの言葉にいちいち胸を高鳴らせて。しまいにゃ顔を赤くして。
「・・・さすがに顔、見られちまったよなァ」
いつもなまえからはそこはかとない好意を感じていた。それを必死に無視するも、アイツは知ってか知らずか(まあわかってないだろう)度々ものすごいパンチを繰り出してきてはもう限界なんてとっくに超えている俺をどうしようもない気持ちにさせる。
「こんな立場じゃなかったらな」
なまえを女子が宿泊している階まで送った後、受け取った白衣に残る体温だとかシャンプーの匂いに目眩を覚えてもう一ついちご牛乳を買った。今夜はもう、眠れそうにない。