『えー・・・楽しそうでいいなあ、Z組。わたしも銀ちゃんって呼びたいです』
なるべく距離を取るように。近づきすぎないように。
教室で見つけた瞬間からそう思っているのに、なまえはいつも笑顔でどこまでも近づいてくる。
『・・・別に好きにすれば』
他の生徒が見ている手前、おかしくはない範囲で素っ気なく返しても。
『銀ちゃん。銀ちゃん!』
あまりにも屈託のない笑顔の前では意味のないもののようで。
『はいはい。気ィつけて帰れよ』
好かれていることなんてとっくの昔に気づいていた。
第五話
あれはなまえが一年の5月。
『みょうじ〜』
『『はいっ!』』
『なんだ、みょうじふたりいんのか』
Z組まであるマンモス校ともなれば大概の名字が被ってしまう。それでもクラス内には同じ名字がこないよう配慮されているのだが、委員会となると別だ。
顧問を持たない俺のような教師は学校行事の際特に便利に使われる。その日は体育祭の準備に駆り出され、同じく学級委員も手伝わされるはめになっていた。配布されたプリントに書いてある各クラスの学級委員の名前を呼びながら指示を出していると、みょうじと呼ばれて二人の生徒が返事をした。なまえともう一人は男子生徒で隼人という。
『えーと、なまえのほう』
『は、はい!』
そういう場合は基本下の名前で呼ぶんだが、どうにもなまえが相手だと少し躊躇ったのを覚えている。なるべく距離を開け、なるべく距離を開け。いつもそう思っているのに運がいいのか悪いのか。
『なまえと桂はあっちの椅子の整列手伝ってきて。隼人は体育倉庫の方見てきて』
そう告げると三人はそれぞれ返事をした後指示された場所へ向かった。桂と話しながら歩いていくなまえに少しだけ目線をやる。相変わらずにこにこと笑っていた。なんだかいつもより嬉しそうで、どうにも苦い気持ちになった。
・・・なに思春期のガキみてェなこと考えてるんだ。自分の立場と年齢を考えろ。
そして運動会も終了し、6月。テストが終わった翌日。
たまたま通りかかった、本来なら誰もいないだろう放課後の教室にひとり勉強しているなまえがいた。
『・・・テスト終わったのに勉強してんの?』
『あ、うん!テストでわからなかったところ潰しておきたくて』
真面目だなあ、と思いながらも一年の最初からそんなに飛ばさなくていいんじゃないかと少し心配になる。
『えらいねェ。息抜きしなくて大丈夫か?』
『昨日神楽ちゃんとお妙ちゃんとテスト終わりに食べ放題行ってきた!』
しかし溌剌とした笑顔にそんな懸念は無用だったかと笑った。
『アイツらと仲良いなあ』
『うん、だいすき!』
その好きの対象が俺でなくても、まるで自分に言われているかのようにどきりとした。やめろ、やめろ。最近まで中坊だったようなガキに。
7月。終業式の日。
夏休み前に何か一言だけでも交わしたいと思った自分が情けなかった。
しかしたまたま帰り際のなまえとすれ違うことができて、『夏バテすんなよ』などと声をかけられた。はあい、銀ちゃんもね!歌うように言ったなまえをしっかりと目に焼き付けた。
8月。夏休みはいったい何をしているんだろうと考えた。長期休みで会えないし、いい機会だと試しに飲み屋で知り合った女と付き合おうとしてみた。しかしどうにも無理だった。
9月。夏休みが終わった後のなまえはなんだかさらにかわいくなったように見えた。休みの間になまえも誰かと何かあったんじゃないかとどうしようもない心配をメチャメチャした。
10月。文化祭の準備に帆走するなまえは眩しかった。俺も学生で、同じクラスだったらなァなんて死ぬほど無駄なことを考えた。
11月。屋台で焼きそばを売っていたなまえに絆されてひとつ買った。嬉しそうだった。
12月。志村姉と神楽とクリスマスの計画を楽しそうに話すなまえに安堵した。
月日は流れ。流れ。流れ。
1月。冬休み後のなまえはまたさらにかわいくなった。銀ちゃんあけおめー、そう言って笑うなまえに微笑んだ。
2月。バレンタインは楽しそうに女子だけでチョコレートを交換しているようだった。生徒からチョコレートをもらうのはお返しだのなんだので面倒だから毎年いらねェと思うのに、なまえのものは欲しくなっている自分に引いた。
3月。次の年次でも担任にならないよう願った。教科担当ですら持たないほうがいいと思った。
季節は巡る。巡る。巡る。
結局また国語を受け持つことになり、もう一巡同じようなことをした頃にはどっぷりと浸かっていた。確実に違ったのは次の3月。自分の受け持つことになるクラスの名簿になまえの名があり情けないほど心臓が暴れた。
近づいてはいけない。近づいてはいけない。近づいてはいけない。近づいてはいけない。
そう思えば思うほど、どうして。
『・・・わたし、銀ちゃんの生徒になりたくてこの学校に入ったんだよ』
明らかになまえの学力はウチでずば抜けていた。どうしてここに来たんだろうと、ずっとずっと思っていた。
(・・・土方沖田となまえ?告白の返事してんのか)
取り留めのないことを考えながら廊下を歩いていた矢先。人気のない中庭で、鎮痛な面持ちで土方と沖田に頭を下げるなまえが見えた。
それに少しだけ心が軽くなり、そんな自分に嫌気が差す。とっとと誰かとくっついてくれりゃァ、いい加減線引きできるのに。
そう思いながら三人を見ていたとき。
「!」
土方がなまえの頭に手を置くのが見えて、頭にカッと血が上ったのを感じた。
「いやでもできたとしても迷惑かあ、生徒だし」
「何が?」
「っうわ?!」
気づいたときにはなまえの元にいた。もといた場所から近かったとは言え、すごい速度で体が動いた自分にドン引きした。
俺は繕うように口を開く。
「どーした悩み事か?さてはまだサドとマヨどっちにするか悩んでるな、青春かようらやましいなコノヤロー」
「残念ながら恐れ多くもお断りした直後だよ」
「え、そうなの?」
わかっていたことをあえて聞いて安心する自分が嫌になった。それを誤魔化すため俺はなまえの隣に座る。どうにも抑えがきかない。
「・・・ま、そんなに重く考えなくてもいいんじゃねェか。もしやっぱり気になるってなったら改めて言えばいいし」
平常心、平常心、平常心。
そう思っているのに俺の口は理性とは裏腹に勝手に言葉を紡いだ。
「ま、基本思春期の男はなまえチャンみてーな女の子に告白されたら断らねェから安心しろよ」
「いやいやそんな、もう二度とないよこんなモテ期」
「そーかァ?おめーかわいいからこれからもわりとあると思うぜ」
「!?」
明らかに混乱するなまえが愛しい。そう。そうだ、お前はかわいい。
かわいいんだ。だから俺がこうなるのも仕方ない。でもだめなんだ。俺は教師でお前は生徒だから。なのに。
「んー?なんだ、照れてんのか」
「照れてないもん!」
そうやって俺にだけ慌てふためいてくれたらいい。ずっと子供でいてくれていい。他の男のことなんて知らなくていい。ずっとそのまま、無知で無垢なガキのままでいればいい。
「・・・ま、なんか話したくなったらいつでも聞いてやるよ。いちご牛乳でも飲みながらな」
そう言って俺はなまえの頭に手を置いた。土方のヤローの感触を上書きしたかった。なまえの髪をくしゃりと乱す。俺のことだけで頭がいっぱいになればいい。
高校生が教師に抱く感情なんて、思春期特有・一過性の病気・・・風邪みたいなものだ。
好かれているなんて気づいていた。でも明らかに俺の感情となまえの感情では質が違う。この渦に巻き込めばお前が不幸になるのは目に見えている。教師というフィルターを通した俺と実際の俺では何もかもが違いすぎる。
でも、それでも。
「や、やめてよ銀ちゃん!ぐしゃぐしゃになるじゃん!」
「はは、悪かったな」
もう取り返しのつかないところまできてしまっていた。高校生のガキを懐柔するなんてあまりにも容易い。やめろ、やめろ、やめろ。何度も理性は抑制するのに。
・・・ああダメだ、立ち止まれない。手を伸ばしてはいけなかった。
さらりとした髪の感覚は手にこびりつき、網膜に焼き付いた恥ずかしそうななまえの顔はどこまでも俺をどうしようもなくさせる。
どうして、どうしても。
諦められないんだろう。