スパイスティーに撃沈

少し昔の話をしよう。
中学校に入学した時に買ってもらった携帯電話。その当時、学生で携帯を持っている子は少なかった。だから電話帳には、実家の電話番号、両親の携帯番号、それから一也の実家の電話番号。
そして、登録番号005。成宮鳴。
最初はそれだけ。

成宮と番号を交換したのは、本当に成り行き。彼もまた中学入学を機に携帯を買ってもらい、そしてそれを一也と私に会った時に「じゃーん!」と自慢して。成宮は本当はその時、一也の番号を知りたがってた。だけど当の本人は携帯電話を持ってない。だから一也は言った。

「紗南と交換したら?」
「えー!なんで?!」

一也の言葉に、成宮はあからさまに嫌な顔をする。私も嫌だった。でも結局、私たちはその場で番号を交換した。そういう流れだったから。断れなかった。

まあ結局それから約三年間、成宮から私の携帯に電話がかかってくることはなかったのだけれど。

あの日。
成宮からの着信。
私が知っているのはそれだけ。
それが、唯一。


見慣れた景色を目にした途端、私は(あ、夢だ)と気づいた。だって目の前には中学三年生の私と成宮がいる。一也も数日前に呼び出された公園。成宮が王様みたいに階段の上に立ち、私はそれを見上げている。

あの日だ。
成宮からの電話があった日。
頭が警鐘を鳴らす。
だけど結局どうすることも出来ない。
今の私はこの世界の中では傍観者だ。
よそ者にすぎない。

成宮の少し高い声が、響いた。

「お前も青道行くって本当?」
「………」
「一也が言ってた」

数日前。同じ場所に呼び出された一也は、成宮から自分と同じ高校に行こうと誘われていた。それを知っている当時の私は黙り込んでいる。当然だ。成宮が怖かった。成宮は怒ってた。
それに彼が言ったことは本当だったから。
言葉が出てこなかった。
私も青道に行く。
一般入試だからまだ決まったわけではなかったけれど、学力は問題なかったしほぼ確実な話だった。

成宮が苛ついた様子で口を開く。私の態度が気に入らないんだ。いつもそうだった。

「一也と付き合ってんの?」
「…付き合って、ない…」
「じゃあなんで一也の後ばっかりついてこうとするわけ?」
「……そんなことない」
「嘘だね。お前がそんなんだから一也は野球に集中出来ないんだよ」
「関係ないじゃん…!」
「じゃあ一也と別の高校行けよ!!」

私が言い返せば、成宮が吠えた。
透き通るような美しい青色の瞳が、私を冷たく見下ろしている。

「幼馴染だからってなんでもかんでも一也の真似すんなよ!同じ高校行って吹部入って応援したい?そんなのお前の自己満だろ!いい加減気付けよ!」

成宮は私を糾弾する。
でも本当は、知ってるはずだ。
一也が中一の頃から青道のスカウトの先生に声を掛けられてたこと。一也の憧れの先輩が青道にいること。成宮は全部知ってる。
だから、これはただの八つ当たりだった。自分を選ばなかった一也への苛立ちを、私にぶつけているだけ。
子供が駄々を捏ねてるだけなんだ。
そんな風に分析できるほど、その時の私は妙に冷静だった。いつもいじいじと一也の背中に隠れていた自分じゃなかった。腹が、立っていた。
夢の中の私はゆっくりと口を開く。
そして真っ直ぐ壇上の王様を見上げて、言ったんだ。

「成宮には関係ないよ」
「…っ、は、」
「これは私と一也の問題だよ。成宮には、関係ない」





ハッと、そこで目が覚めた。
目に飛び込んできたのは、見慣れない古い天井。私の「部屋」じゃない。成宮の「家」だ。十年後の家。私は瞬時に理解する。尋常じゃない動悸に胸を抑えた。汗もかいている。嫌な夢だ。あの当時の成宮は怖かった。私のことが嫌いな成宮。「今」とは全然違う。でも私が知ってるのは、あの夢に出てきた成宮だ。

(…なんで、今更…)

こんな夢を見るんだろうか。
確かに自分の胸の内に深く刻まれていた出来事ではある。それでも、忘れかけていた。忘れようとしていた。だってもう成宮とは、それきり口をきいていなかったから。
---「なんで、成宮が、いるの」
それが、私にとって実に二年ぶりの成宮に対する言葉だったから。

(…とりあえず、起きよう…)

掛け布団をめくって、起き上がる。
昨日眠った時と同じ部屋。成宮の「家」の客間。…わかっていたことだけれど、やはり時計の針は戻っていなかった。
二十七歳の私だ。
変わってない。
溜息が漏れた。
それにしても十年経つと、身体はこんなにも重たいものなんだろうか。それとも心因性か。とにかく私の身体は疲れていた。
ゆっくりとした動作で立ち上がり、客間の扉を開ける。リビングの掛け時計は、朝の6時を指していた。しんと静まり返った部屋。だけど隣のキッチンからはガチャガチャと音が聞こえる。成宮はもう起きているのか。そっとリビングのフローリングを歩き、キッチンへと通じる扉を開けた。

「…成宮、おはよう」
「あ、起きた?おはよ」

成宮は既にスポーツウェア姿だ。その姿で流し台の前に立っている。なんだかミスマッチ。夢に見た成宮とはあまりにも違いすぎるその姿に、私はくらりとめまいを感じてしまう。

「よく眠れた?」
「うん」

あの夢の話をしたくなくて、詮索されたくなくて、私は思わず嘘をついた。

「……ならいいけど。でもちょっと顔色悪いよ」

成宮は私の蒼白な表情を見て、その言葉に納得はしてないようだったけれど。
深く聞いてくることはなかった。そのかわりに、ダイニングテーブルの椅子に座らされる。私は彼にされるがままだ。

成宮は昨日と同じように朝からせっせせっせと世話を焼く。ぼうと焦点の合わない私の目の前に置かれたのは白湯が注がれたマグカップ。昨日はココアが入っていたそれ。私がよく使っているものなのだろう。昨日は気づかなかったけれど、側面にはイニシャルのローマ字がプリントされていた。

「とりあえず飲んで」
「…うん、ありがとう」

聞けば私は毎朝白湯を飲んでいたらしい。そういう習慣は無くさないほうがいいと成宮は言う。まあ確かに、と納得してマグカップに口をつけた。

「俺今日は一日休みだけど、もう少ししたらちょっと走ってくる」
「あ、うん」
「一時間ぐらいで戻るから」
「うん」

なるほど、だからスポーツウェア。納得する。
私が頷いてみせると、成宮はまた流し台の前に戻った。冷蔵庫の野菜室から玉ねぎとじゃがいもを取り出して、私に背を向けてそれらを包丁で切る。

(成宮が料理してる)

その背をぼんやりと見つめた。
私の知ってる彼の後ろ姿ではない。背も少し伸びたし肩幅も大きくなった。筋肉も高校生の時よりどっしりとしている。変わっていないのは窓から差し込む朝日に輝く色素の薄い髪ぐらいだろうか。
昨日はそんなところまで気がつく余裕などなかったけれど、改めて気がつく。

あの日の成宮はもういない。
「今」の成宮は、違う。
あの頃とは違う。
そんな風に言い聞かせる。

だけど、私がそうであるように彼の本質は多分変わっていないのだ。太陽のような明るさと自分本位の暴君さ。彼の中にあるふたつの面。「今」の成宮を心から信用できないのは、多分それがあるから。私は知ってるから。

「…視線が気になってなんか集中できないんだけど!」

そんなことを考えていると、成宮がこちらを振り返って、唇を尖らせた。

「あ、ごめん…。成宮が料理してるのが新鮮で」
「俺だって料理ぐらいするよ。紗南に鍛えられたし。…一也には負けるけど」
「一也は歴が違うから」
「あいつほんっと腹立つぐらい上手いよね、料理」

「ムカつくー」なんて言いながら。それでも成宮もなかなか手際がいい。味噌汁に、目玉焼き。さっさと作っていく。私はやっぱり手持ち無沙汰だ。
正直今までの人生の中で料理など数えるほどしかしてこなかった。高校生などそんなもんだ。言い訳をするとしたら特に私は部活に精を出していたから。それにひとりっ子だったので、存分に甘やかされていたと自覚している。

火にかけた小鍋から出汁のいい香りが漂ってくる。ぐぅ、とお腹の音が鳴った。成宮はそれを聞いて声を出して笑う。恥ずかしい。

「腹は減るよね。どんな朝でも」
「…うん」
「じゃあ先に食べる?俺は帰ってきてから食べるけど」
「食べる」
「ここだとひとりは寂しいでしょ。リビングでテレビでも見ながら食べたら?」
「うん」

成宮の提案に頷く。
料理を運ぶぐらいは出来るので、そこでようやく椅子から立ち上がった。彼に指示を仰ぎ、食器棚から茶碗やお皿を出す。炊飯器からご飯をよそい、碗には味噌汁を注いだ。成宮は冷蔵庫から多分私が作ったであろう作り置きのおかずを何品か取り出し、木製のプレートに盛り付けてくれた。仕上げは出来立ての目玉焼き。湯気が食欲を誘った。
全てをトレイに乗せて、成宮と一緒にリビングへと戻る。

私がトレイをローテーブルに置いているうちに、成宮がテレビをつけてくれた。
朝の情報番組。左上の数字は6時28分を表示している。
当然といえば当然だけれど、画面に映っているのは私の知ってる番組じゃない。女子アナも見知った顔じゃない。私の知らないニュースがどんどん流れていく。

「そういえば今日は2月…何日?」
「26日。水曜日」
「水曜日……あっ、」
「え、なに」
「ピアノ教室…」
「あー」

看板に書いてあった。レッスン日は水曜日と土曜日だ。今日が週二のうちの一日。自分でもよくそのことを思い出したなと思うけど、多分第六感というか、気づかなくちゃいけないことだったんだろう。

「今週は休みにすれば?生徒さんには申し訳ないけど、授業できる状態じゃないじゃん」
「…うん」
「とりあえず紗南のスマホ貸して。生徒さんのライングループに今週は休みって連絡送るから」
「わかった」

成宮の言葉を受け、私は客間に自分のスマートフォンを取りに行く。布団の横に置いてあったそれを持ってリビングへと戻った。
そのまま、ついロック画面のまま成宮に手渡してしまったが、彼は昨日言っていた通り私のスマートフォンの暗証番号を知っているらしい。手慣れた手つきで6桁の番号を入力し、流れるように指を動かしていく。
5分ぐらいで生徒さんへの「お知らせ」は完了。スマホが手元に戻ってきた。

「どっかで振替のレッスンしなくちゃいけないけど、それはまた俺が帰ってから考えよう。とりあえず今はご飯食べて」
「うん…ありがとう」

私はスマートフォンのつるりとした感触を撫でながら、言葉を続けた。向かい合う成宮を見上げる。

「…あの、成宮、ごめんね。いっぱい迷惑かけて」
「別に気にしてない。大事な奥さんのことなんだから俺が助けてあげるのは当然のことでしょ」

成宮の言葉は揺るぎなかった。
大事な奥さん。
その言葉がじんわりと胸を擽る。
成宮にとって「今」の私が、どれだけの存在かわかる。
「今」は、あの時とは違う。
そんな風にもう一度、自分自身に言い聞かせた。

成宮は宣言した通りロードワークに出かけた。私はリビングでひとり朝食に手をつける。昨日の今日で成宮には甘えてしまっているけど、やっぱりこれからは私が家事をしていくしかないだろう。成宮の手は商品だ。水仕事をさせて荒れさせるわけにはいかないし、包丁で怪我をするなんてもってのほか。まあ意識が高い成宮のことだからその辺りは理解しているだろうけど。
いつまでも成宮に甘えているわけにはいかない。

私の人生は、多分もう元に戻らないから。
それだけはわかる。

成宮の妻としての仕事。
ピアノ教室の仕事。
青道の仕事。

やらなければいけないこと、覚えなくちゃいけないこと、考えなくてはいけないこと。たくさんある。全てを前向きに考えられるわけじゃない。それでも、生きていかなくちゃいけない。この世界で、成宮と、生きていかなくちゃいけない。
…だって、もう、どうしようもないんだ。
結婚してるから。
離婚、という選択肢が頭に浮かばないこともないけれど。この世界で自分一人で生きていける気がしない。だから成宮に縋るしかない。

(…我ながら、ずるいよなぁ…)

見た目は二十七歳でも、私の心は十七歳のままだ。
過去の成宮に怯えながら、「今」の成宮に甘えて、そして心は変わらず一也を望んでいる。
私は、一也が好きだ。
それは変わらない。
変わるわけがない。


テレビ画面から伝えられる「今」の情勢を見ながら食事を続ける。流行ってるもの。大きな事件。天気予報。スポーツ情報。それらをぼんやり眺める。時折流れるCMに出てくる女優さんが自分の知っている若さではないことに時の流れを感じてしまった。こういう見知ったものの変化が一番胸にくる。成宮と一也も一緒だ。感傷的になって、思わずテレビを消した。だからといって食事のペースが早くなるわけでもない。行儀が悪いがダラダラと食べ続ける。
ゆっくりと時間をかけて、完食。
空になった皿を重ねて、トレイに乗せてキッチンへと運ぶ。
お皿ぐらい洗っておこう。そう思い、流し台に立った。スポンジを手にとって洗剤をつけ一枚ずつ洗っていく。泡を水で流し、水切り籠へ。
全てを洗い終わり、さあこれからどうしようかと考えていたその時だった。

台所の木製シェルフに置かれていた電話機が鳴った。
その突然の電子音に思わず肩を強張らせる。

「…ッ、」

どうしたらいいんだろうか。電子音は鳴り止まない。恐る恐る電話機の前に立った。覗き込んだディスプレイには『成宮 実家』と表示されている。
これは出た方がいい。本能がそう訴えかけた。迷いながらも、ゆっくりと受話器に手を伸ばす。

「も、もしもし…?」
『あっ、紗南ちゃん?』
「は、はい」

受話器越しから耳に届く声。名前を呼ばれて思わず返事をする。相手は私になんの違和感も抱いていないようでそのまま言葉が続いた。

『ごめんね、さっき携帯の方に電話したんだけど出なかったからこっちにかけたの』
「あ…いま、お皿洗ってて」
『そうよね〜、朝の忙しい時間にごめんね。昨日鳴キャンプから帰ってきたのよね?』
「は、い」
『あの子こっちには何にも連絡くれないから。元気にしてる?』
「元気です」

心臓の心拍数が早まる。変な間を作らないように、それでいて頓珍漢な返答にならないように。頭の中はフル回転だ。
多分電話の相手は成宮のお母さんだろう。
「今」の私にとっては義理の母親。
怪しまれてはいけない。普段通りに振る舞わなくてはいけない。だけどその「普段通り」というのが私にはわからないから、頭を抱えたくなった。どうしよう。なんの用事なんだろう。

『鳴は?まだ寝てるの?』
「えっと、いま、走りに行ってます」
『あら。あの子も相変わらずね。少しは休めばいいのに』
「そう、…ですね」
『……紗南ちゃん、鳴となにかあった…?』
「えっ、」
『声に元気がないから。…ごめんなさいね、鳴ってばあの通り我儘な子でしょ。お姉ちゃんふたりに甘やかされた典型的な末っ子長男だもの。いつも紗南ちゃんには迷惑かけちゃって申し訳ないなと思ってるのよ』
「大丈夫です!なんにも、なんにもありません!」

怪しまれたくなくて、思わず少し強い声が出てしまった。心臓が飛び出てしまいそうだ。喉もからからに渇いている。
だけど案外うまく誤魔化せたのか成宮のお母さんからは、たいして気にも留めない様子の『ならいいんだけど』との言葉が返ってきた。少し安堵する。

『そう、それでね。今日電話したのは…』

そんな言葉が続いたその時。玄関の方から「ただいまー」なんて呑気な声が聞こえてきた。私は慌てて「いま、帰ってきたので、かわります!」と早口で捲し立てて保留ボタンを押す。受話器から聞き覚えのあるメロディーが流れ始めた。私はそれを手にしたまま、慌てて成宮を呼ぶ。

「成宮…!」
「なにー?…って、電話?出ちゃったの?」
「成宮の、お母さんから…」
「あー、かわる」

台所に顔を出した成宮に、すぐさま受話器を渡した。そのまま事の成り行きを見守る。成宮は「もしもしー?」と相変わらず明るい調子で電話の向こうにいるお母さんと話を始めた。
だけど、どうやらなにか小言を言われているらしく、最初こそ明るい表情だった成宮は次第に眉間に皺を寄せて声も低くなる。
「だから、ちょっと待って」とか、「それわざわざ朝から話すこと?」とか、「それは俺たちの問題だから」とか、「もうそういうことで連絡してこないで」とか。成宮の言葉を聞いている限りはあまりいい話題ではないらしく。私はその苛々した声を聞きながら、今日見た夢のことを思い出して、思わずその場に蹲み込んだ。

成宮が、怖い。
思い出すんだ。
あの時、スッと細め見下ろされた瞳。
私の存在など無に等しいとでも言うようなそれ。一也の後を追うな、自己満だろ、いい加減に気付け、と紡いだ柔らかな唇。
彼はとても残酷だった。
残酷な、王様。

ガクガクと震えが治らない。俯いて、ただフローリングをジッと見つめていた。そのうちガチャリと受話器を置く音がして、成宮の足が私の視界に入る。顔を上げることが出来ない。成宮が、蹲み込んだ。私の肩に手をそっと添える。突然のことにびくり、と肩を硬らせた。

「紗南」

そんな悲しそうな声で私を呼ばないでほしい。混乱してしまう。

「…うちの親に…なんか、言われた?」

その言葉には首を横に振る。そういうわけではない。成宮は「じゃあなんでそんな辛そうなの」と言葉を続けた。…私は、フローリングを見つめながら、ゆっくりと口を開いた。

「……夢を、見たの」
「夢?」
「…中三の時、……私が、成宮に呼び出された日の、夢」
「………ああ」

それだけで、彼は理解したらしい。
覚えているんだ、成宮も。それは少しばかり救いだった。これで忘れられていたら、私は成宮のことを心底嫌いになっていたと思う。人の心を傷つけておいて自分だけ覚えていないのは卑怯だ。
でも成宮は、覚えていた。
そうして、蹲み込む私の身体をあの時とは違う大きな彼の身体でそっと抱きしめる。成宮の汗の匂いがした。

「あの時は、ごめん。俺も若かったし…謝って済む問題じゃないと思うけど」
「……うん」
「今はもう、あんなことしない」
「…うん」
「………」
「なるみや、」

私は意を決して、口を開いた。

「私たちの間になにがあったの?」

ずっと、ずっと疑問なんだ。
私のことを嫌っていたはずの成宮。
私の傍にいてくれた一也。
それが、今や。
私の傍にいるのは成宮で。
一也と私は離れ離れ。
考えたくないけれど、事実を知らなければ私は「今」を生きれない気がしていた。

成宮は黙っている。
黙ったまま、その顔を私の肩に埋めた。
しんなりとした髪が、私の首を擽る。
擽ったい。

「成宮…」
「……まだ、言えない」

小さく消え入りそうな声。
こんな成宮を、私は知らない。
いつだって自信満々の王様が、ちっぽけな存在の私に縋るようにしている姿なんて、私は知らない。

「言うつもりもない。…だって紗南が辛いだけだから」
「………」
「…お願いだから、今の俺を見て」

成宮の切実な願いに、私はただ頷くことしか出来なかった。