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「成宮さんは、瞳を見ればすぐにわかるよ」

ーー綺麗な青い瞳をしてるから。
その言葉に釣られて、みんながまじまじと私の眼を見つめるものだから、思わず顔を伏せる。かぁっと熱くなる頬を両手で覆った。

待ち合わせした駅近くのファミレス。四人掛けのテーブルをみっつ繋げて貰って、総勢九名の大所帯。卓上にはドリンクバーのグラスと、色とりどりの食事の皿がズラリと並んでいる。大掃除後ということでみんな空腹らしい。私は晩御飯のことも考えて、デザートのアイスクリームを頼んだ。銀のスプーンをちびりちびりと口に運ぶ。

「…マジで化粧ってすげぇな」
「……変、かな…変だよね…」

テーブルを挟んで向かいに座る梅宮君がさっきからそればっかり言うものだから、「お前には似合ってない」とでも言われてるような気がして、なんだか居心地が悪い。

「梅宮、それは言葉が悪い」
「確かに」
「そうだよ。成宮さんは元から可愛いんだから」

私の気持ちを察したのか、有賀君、近藤君のフォローの言葉を掛けてくれた。そしてそれに続くように、松原君が私を「可愛い」と言ったものだから、今度こそ顔は真っ赤だ。そんな私の顔を見て、梅宮くんは「別に俺も可愛くねぇとは言ってねぇだろ!」と唇を尖らせている。
綺麗も可愛いも、今まで私の人生に存在しなかった類のものだから、こう何度も与えられるとキャパオーバーになってしまう。どう考えてもお世辞だろうけれど…。

「お姉さん、美容師なんだっけ?」
「うん。……せっかく、お友達と会うならって色々やってくれたの…」
「すごく似合ってる」

松原くんは、本当に優しいし、直球だ。そんな風に言われてしまうともしかしてお世辞じゃないのかもしれないって気持ちになってくるから困る。

「部活の時…見てて思ったけど…松原くんって、褒めるの、上手だよね…」
「そう?」
「うん」
「鬼だけどな」
「ドSマネージャー」
「鬼」

梅宮くんを筆頭に、しごかれた側のみんなは文句たらたら。だけどそれでもあの鬼のようなメニューを熟すのだから、みんなが目標にしてる「甲子園」も夢じゃないのかもしれないって思う自分がいるのも事実。だから、

「冬合宿、お疲れ様でした」

改めて居住まいを直して、みんなを労った。相変わらず、野球に関わると情緒がぐちゃぐちゃになるから好きとは言い切れないけれど、…それでもこの一週間は、私にとって特別なものになったのは間違いない。鵜久森の野球部は好きだなって思った。

松原くんも梅宮くんも、ほかのみんなも、私のことをひとりの人間として見てくれる。ひとりの「成宮満」として接してくれる。

私は、この場所では尻尾でも、影でもない。ただただそれが、心地良かった。

「成宮さんもありがとう。一週間大変だったと思うけど、本当に助かった」
「少しでも力になれたのなら、良かったけど…」
「出来ることならこれからも手伝って欲しいぐらい」
「……え、」
「無理にとは言わないけどね」

松原くんはそう言って、微笑む。野球部を手伝って欲しいと言われた時と同じ。彼は、あの時と同じ目をしていた。純粋で真剣。無垢な視線。それを真正面から受けて驚いて返事に詰まって、思わず助けを求めるように梅宮くんを見れば、梅宮くんもまた真っ直ぐな目で私を見ていた。

「いいんじゃねぇの」
「…本当に?」
「手際も良かったしな」
「成宮さん、ドリンク作るの上手いよね」
「球出しも慣れてた」

頷く一同。私が今後もこの部に関わることに対して特に異論はないらしい。でも流石に褒めすぎじゃないだろうか。実際のところ、手際が悪いところもあったし、ドリンク作りも球出しも完璧とは言い難かったのに。

「…私が、いても、邪魔じゃない…?」
「邪魔なんて思うわけねぇだろ」
「……本当…?」

何度拭っても消えない染みのような疑心感。確かめるように呟けば、梅宮くんが否定の言葉を即座に差し込んでくるものだから、もう一度確かめるように尋ねた。

「あのなぁ、そもそも邪魔だって思うなら南朋が最初から頼まねぇだろ」
「……うん」

この場で、「じゃあ是非」とは言えるほどの勇気を私は持ち合わせてはいなかったけれど、それでもやっぱり視界が揺れる。心が突き動かされる。誰にも言えない胸の内。そこにどっしりと横たわる不動を、みんなの大きくて肉刺だらけで硬い掌が掬い上げてくれるようなーーそんな感覚。

「返事はいつでもいいからね」

私の迷いや葛藤すらも、ただじっと寄り添って見守ってくれる松原くん。そしてそんな私たちのやりとりを茶化すこともなく、見守ってくれている鵜久森野球部の、足立ロケッツの、みんな。
ーー本当に、なんで、この人は、この人たちは、こんなに優しいんだろう。胸を占める温かい気持ちに、頬が涙で濡れる。優紀ちゃんが施してくれた折角のお化粧も、今はきっと剥げちゃって不格好に違いない。それでもそんな私を、ただみんなはなんにも言わず慈しんだ。




「良いお年を!」
「また年明けなー」

18時前には、健全に解散。名残惜しい別れの挨拶を経て、私はなぜか梅宮くんと一緒に自宅最寄り駅方面に向かう電車に乗っていた。

「またナンパされたら困るだろ」
「…あれは、偶々…」
「そうかぁ?」

今年も残すところ数時間。大晦日の電車はわりと閑散としていた。布張りの座席にふたりで並んで腰をかける。

「足立ロケッツ、仲良しだね」
「まあな」

話題は、といえば。
やっぱり野球部のみんなのことだ。

「目標があるから?」
「目標?」
「…梅宮くん、入学式の日に、甲子園行くって言ってたでしょ…?」
「ああ」

あれか、と彼は私の言葉に頷く。自分が言ったことなのに、まるでいまの今までそれを忘れていたかのような素振り。不思議だ。梅宮くんは、不思議。不良みたいな風貌なのにピアノが弾けるし、不躾にみえて気遣いが出来る繊細な人。そんな人いままで周りにいなかったから、興味深い。

「南朋の為に集まった俺たちが甲子園行ったら、南朋がどんだけスゲェ奴かって証明できんだろ」
「…松原くんのため?松原くんのために、みんな鵜久森に進学したの?」
「ああ」

上下に動いた梅宮くんの顎先を眺めながら、私の胸は僅かに軋む。さっきまで輪の内側に足を踏み入れたような気になっていたけれど、やっぱり所詮はまだ高校からの間柄だという事実を突きつけられている気になったからだ。でもまぁ考えてみればそうかとも思う。私だって松原くんや梅宮くん達に鳴ちゃんや家族の話をしない。それと同じだ。
梅宮くんはそんな私の考えを察したのか、少し考える素振りを見せてから口を開いた。

「南朋が話したくなったら話す」
「…うん」
「デリカシーな問題だからな」
「…デリカシー?デリケートじゃなくて?」

思わず突っ込んだら、梅宮くんがほんのり頬を染めて私から顔を逸らした。失礼かなと考える前に反射的にぷっと笑みが漏れる。

「梅宮くんってあんまり賢くないよね」
「失礼なやつだな」

あんまりにも私が笑うものだから、にゅ、っと彼の指が頬を摘んだ。瞬間、ひゅっ、と喉が鳴る。梅宮くんも無意識の行動だったのか、すぐに我に返ったようでその指はすぐに離れた。

「かわいいー」
「ラブラブだね」

向かいに座っている人たちの会話、耳に入ってきた声。もしかしなくても、私たちのことを指し示してるのはすぐに理解った。梅宮くんの顔が見れなくて、顔を伏せる。頭を巡るのは、さっき私の顔に触れた指先の熱さ。こんなこと初めてで内心大パニックだ。梅宮くんをチラリと見上げてその横顔を盗み見れば、彼もまた困ったようにそのリーゼントを掻いていた。…私には、こんな空気は、まだ早い。とてもとても恥ずかしくて、駅に着くまで私たちは一言も言葉を交わさなかった。



「そういえばよぉ」

梅宮くんが口を開いたのは、最寄駅に着いて私の家へと歩き出してすぐのことだ。

「…な、なに?」

さっきのアクシデントが脳裏をかすめて、吃る。だけど梅宮くんはそんなこと気にせずに言葉を続けた。

「そろそろ渾名決めた方がいいんじゃねぇかと思ってよぉ」
「…渾名?……私の?」
「おぅ」

確かに野球部のメンバー…というか足立ロケッツ組の殆どは渾名で呼ばれている。そこに私も仲間入り、ということなんだろうか。突然の提案に少し驚く。

「なるちゃん?…あー…なるみー…なんか違ぇなぁ…ミヤ…うーん…」

ブツブツと渾名の候補を口にする梅宮くん。そのどれもが、私らしくなくて、思わずこちらも首を捻ってしまう。

「こういうのって自然に、呼んでるうちに、定着してくるものなんじゃないの…?」
「……じゃー、満」
「っ?!、」
「普通に名前で呼ぶわ」

少しクセのある梅宮くんの声が、突然私の名前を読んだものだから、本当に本当にとっても驚いて、思わず足を止めてしまった。梅宮くんはそんな私に歯を見せてニカリと笑う。
声が、笑顔が、五感に張り付いて離れない。
冬の澄んだ空気。吐いた息が白く色づいて、空へと登っていく。頬が熱い。きっとこれは寒さのせいじゃない。わかる。
言葉が出てこなかった。あ、とか、う、とか母音でしか表現できない。

「…だから満も、梅ちゃんって呼べよ!」

梅宮くんは、
ーーー梅ちゃんは、やっぱり少し強引。
でもそれが、私には頂戴いいのかもしれないな、なんて。この時感じた高鳴る胸の鼓動。それは、聞かないフリをするには大きすぎた。



「家、すぐそこだから。もうここで大丈夫だよ」
「おー」
「……梅ちゃん、わざわざありがとう」

立ち並ぶ住宅街の一角、私の自宅を指差して、呼び慣れない名前をぼそりぼそりと呟けば、家の前まで送っていくつもりだったらしい梅ちゃんは「じゃあもう大丈夫だな」と笑う。それから「気にすんな」とも。それはここまでついてきてくれたことを私が申し訳なく思っていると察して言ってくれたんだろう。

「満になんかあったら南朋が悲しむからよぉ」
「……うん、ありがとう…」
「じゃあな!」
「…うん…!良いお年を…!」
「また来年なー!」

控えめに右手を振れば、駅の方へ駆けていく梅ちゃんは振り返りながら両手をブンブンと振り回した。街灯が照らす暗闇にその姿が完全に溶けるまで見送った私は、ゆっくりと自宅の方へと踵を返す。踏み出した足取りは、軽かった。なんだかスキップでもしてしまいそうなほど。

(…楽しかったなぁ…)

本当に楽しかった。ああいう風に同級生と大人数でファミレスに行くなんて初めてだ。

「私、鵜久森に行って、良かった…」

それは自然と口端から滑り落ちるように溢れていた言葉。間違いなく本心だった。だって鵜久森では、誰も私を、私の片割れと比べない。私を私として見てくれる。その事実は、信じられないぐらい、私の気分を晴れやかにしたのだ。
それが例え、ーー考えたくもない現実からの、逃避だったとしても。

「随分楽しそうだね」

冷えた空気を切り裂くように、鋭利な言葉が闇の中から耳に届いた。その聞き覚えのありすぎる声に、私は思わず足を止める。視線は自然と声のした方面ーー成宮家へと向いていた。
うすぼんやりした暗闇。ざりざりとアスファルトの砂利を靴が踏む音。息を呑む。今日一日泣いてばかりで霞んだ視界に映った髪色が、あの青い瞳が、私をじっと見つめる。射抜いて、逃がさないと云う。

「あの男、誰?満の彼氏?」

細胞のひとつひとつが機能を停止したようで、私はぴくりとも動かなかった。「彼」を見つめることしか出来ない。今はただ、苛立ちを含んだ青く燃える炎を、真正面から受け止めることしか許されないのだ。言葉も出てこなかった。

めいちゃん

離れたいと願っても、切っても切り離せない絆。そんな私の片割れが、私と同じ、綺麗な青い眼を持つ鳴ちゃんが、其処にいた。